クニフロの泣ける話、感動する話まとめ
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インターネットで公開している、泣ける話、感動する話をまとめています。号泣できる話から、ほっこりと心温まる話をいろいろ集めてますので、楽しんでください。

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2011/10/30
175 :168 :04/04/02 15:20

三年前に親父が死んだんだけど、ほとんど遺産を整理し終えた後に
親父が大事にしていた金庫があったんだよ、うちは三人兄弟なんだけど
おふくろも死んじゃってて誰もその金庫の中身を知らなくてさ
とりあえず兄弟家族みんな呼んで、その金庫をあけることにしたんだけど
これがまた頑丈でなかなか開かないんだよ。仕方ないから鍵屋を呼んで
開けてもらうことにしたんだけど、なかなか開かなくてさ
なんとなく俺たちは子供の頃の話を始めたんだよ、親父は昔からすごい厳格で
子供の前で笑ったことも一度もなくて旅行なんてほんとにいかなかった
子育てもお袋に任せっきりで餓鬼の頃はマジで親父に殺意を覚えたよ


176 :168 :04/04/02 15:21
んで、一番下の弟が、そういうわけだからしこたま溜め込んでるんじゃねえか?
みたいなことを言い出して、その後に真中の弟も親父が夜中に金庫の前で
ニヤニヤしながらガサガサやってんのを見た とかいったから
俺もかなり金庫の中身に期待を抱いちゃったんだ
んで、そのときに鍵屋がちょうど「カギ、開きましたよ」といったから
ワクワクしながら金庫の前に行き、長男の俺が金庫のドアを開けたんだ
そしたら、まず中からでてきたのは、古びた100点満点のテストなんだ
それをみた一番下の弟が「これ、俺のだ!」といって俺から取り上げたんだよ
次に出てきたのは、なんかの表彰状、すると次は次男が”俺のだ”といいだして
その後にネクタイが出てきたんだ、見覚えがあるなあと思って
気がついて叫んじゃった「あ、これ俺が初めての給料で親父に買ってやったネクタイだ」
その後に次々と昔の品物が出てきて、最後に黒い小箱が出てきたんだよ
その中には子供の頃に家の前で家族全員で撮った古い写真が一枚出てきたんだ


177 :168 :04/04/02 15:22
それを見た俺の嫁さんが泣き出しちゃってさ、その後にみんなもなんだか
泣き出しちゃって、俺も最初は、なんでこんなものが金庫のなかにあるのかが分からなくて
なんだよ、金目のものがねーじゃんとか思ってちょっと鬱になってたんだけど
少したって中に入っていたものの意味が理解できたとき、その写真を持ちながら
肩震わして泣いちゃったんだ。人前で初めて本気で号泣しちまったよ
そこで鍵屋が、きまずそうに「あの、私そろそろ戻ります」とかいったんで
みんなが、はっとして涙をにじませながら「ありがとうございました」

このとき、俺は親父がどんなに俺たちのこと想っていてくれたかと
さっきまでの自分が金目当てで金庫を開けようとしたこと
子供の頃に親父に反感を抱き、喧嘩ばっかりしたことが恥ずかしくて仕方がなかった
親父は金よりもほんとうに大事なものを俺たちに遺していってくれたと思っている
posted at 2012/03/14 8:35:56
lastupdate at 2012/03/14 8:35:56
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2011/11/01
わざわざ泣くためにビデオを借りている人は多い。その多くは女性である。

ある調査によると、女性が1ヶ月間で泣く回数は、約4回なのだそうだ。それに比して男性は1回。

つまり、女は男の4倍泣く。

ただ、その約4回というのは、平均すると4回ということであり、1人の女性が1ヶ月で泣く回数で最も多いのは、2回である。

どういうことかというと、月20回とか29回とか毎日のように泣いている女性が結構いるのである。それに引っ張られて平均の回数が多くなっている。

それでも殆どの女性は男性の二倍は泣いているのだ。

女性は、涙で心のバランスを調節しているのである。
posted at 2012/03/14 16:31:36
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2011/11/03
574 :Mr.名無しさん :05/02/18 20:43

俺には3つ上の姉貴がいるけど、昔はスゲー仲悪かった。
母がたった二人の姉弟なんだから、と嘆くほど、
ケンカなんて一日何回もしたし、ほとんど憎み合ってた、
といってもいいくらいだった。

姉貴が高校2年、俺が中学2年の時。
姉貴が自転車通学の途中、車の事故に遭った。
俺が病院へ行ったときは、意識がなかった。

頭を打ったらしく、安心は出来ない状態だった。
二日後に意識は戻ったんだけど、事故当時の記憶がなく、
言語障害、運動障害が出てた。(まっすぐ歩けないなど)
ある日、親が用事で、俺が半日くらい付き添うことになった時。

姉貴はなんか俺に言いたいんだろうけど、舌が回らない。
言葉を覚えたての子供が喋ってるようで、聞き取れなかった。
俺は、何とか聞き取ろうしてたんだけど、そのうち姉貴が
泣き出してしまった。

結構美人とか言われてて、運動神経も良かった。
バレー部に入ってて、レギュラーでやってたのに、運動どころか、
歩くことや喋ることもまともに出来なくなって自分が情けなく
なったんだろうと思う。

いつもは気が強い姉貴がすごくか弱く小さく見えた。
俺は思わず姉貴を抱きしめて、
「大丈夫、きっと治るよ。もし治らなかったら、
俺が姉ちゃんを一生看てやるから」

本気だった。俺が姉ちゃんを守ってやる、と。
姉貴は泣きながら何度もうなづいてた。
打ち所もそんなに悪くなかったのか、姉貴がリハビリを頑張った
せいもあったのか、以前のように回復した。

それから5年近く経つけど、ケンカらしいケンカはそれ以来した
覚えがない。
姉貴にその時のことを言うと照れ臭いのか
「記憶がはっきりしてないよ」とか言うけど。
あの事故がなかったら、俺達の姉弟仲は、今も悪いまんまだった
のかもしれないな…。

posted at 2012/03/14 22:48:22
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2011/11/09
      
  思い出してごらん 出会ったときのこと
  すれ違うだけで 幸せだった

  名前を知って 目と目が合って
  ドキドキしたら 元気でいられたあの日

  初めて電話したとき 声も指も震えてた
  何を話したのか覚えてなかった

  既にその頃 僕の心の中に
  愛に思い上がる種は まかれていたんだろう

  幸せになる方法なんて100通りもある
  ありがとうと言えば 向こうから近づいてくるのに

  なのに人は 何故 何もかもに
  思い上がってしまうのだろう


  思い出してごらん 出会ったときのこと
  すれ違うだけで 幸せだった

  あの日の僕が 今の僕を見たなら
  どんなにどんなに自分を悲しむだろう

  そして愛と感謝が同じものだと気がついた
  そしたらとてもしあわせになった

  幸せはすぐ近くにいた
  ほんとうにとても近くにいた

  幸せになる方法なんて100通りもある
  ありがとうと言えば 向こうから近づいてくるんだ
posted at 2012/03/14 16:26:22
lastupdate at 2012/03/14 16:26:22
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2011/11/14


祖母がボケ始めた頃、海外在住だった私は一時帰国して、和歌山まで
遊びに行きました。二年程会っていなかったのですが、以前はしゃきっと
していて厳しかった祖母が、仏さんみたいな顔で笑いかけてくれて、電子
ジャーに残っていたご飯でおにぎりをつくってくれました。「食え、食え」
と言って。

祖母と同居していて、一緒にいた従弟が「おばあちゃん、そのご飯、もう
古いんちゃうかー」と明るく言って、私の方をちら、と見て「食わんでええ」
と小声で言いました。でも私はどうしても食べたかった。
だから、海苔も 塩味も何もついていない、ご飯を丸めただけのおにぎりを、
口にほおばり ました。電子ジャーの中に何日残っていたのか知りませんが、
ご飯はぽろ ぽろで変色しており、確かにおいしくなかったんですが・・・。
でも祖母が嬉しそうに私のことを見ていてくれたので、こぼさないように
頑張って噛みました。

それが祖母とのこの世での別れになりました。だから今でも、電子ジャー
に 残ってしまって、ちょっと古くなったご飯を見るたびに涙がでそうに
なります。ぽろぽろのご飯の舌触りも、絶対に忘れないと思います。
posted at 2012/03/14 18:20:56
lastupdate at 2012/03/14 18:20:56
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2011/12/09
246 :Mr.名無しさん :05/02/10 00:15

俺が骨あげた時の会話。
姉「コレで一生アンタに借りができちゃった。」
弟「こんなんで借りとかいうなや」
姉「コレで私とアンタは運命共同体ね」
弟「ハハッ ちゃんとリハビリしろよ!」
姉「リハビリしたら歩けるようになるかな・・・」
弟「大丈夫だって!俺の骨は若くて丈夫だもん!!」
姉「傷痛くない?しばらくベルトしめれないよね?ごめんね。
  退院したらサスペンダー、プレゼントするね」
弟「おぅ、早く良くなってくれよな」
姉「○○ちゃん、ありがとね」

交通事故で足首の骨が粉砕してしまった姉に俺の尾?骨から
骨を移植手術した時、病室に二人のベットを並べて入院してた
時の会話。


290 名前:246[sage] 投稿日:05/02/10 01:57



移植手術が終わって2ヶ月程経った頃、俺と姉は再手術をする
事になった。 医者が言うには骨がくっつくには周りの筋肉や皮
膚が健康じゃないとダメらしいんだけど姉の場合、事故で皮膚も
肉も大分えぐられてしまってるらしい。

移植した俺の骨も大部分が化膿して押し出され、かろうじて留ま
ってる骨も腐って死んでしまったらしい。
1度目は骨盤の前の方、左の腸骨から骨を取ったんだけど今度
は右の方から骨を取ることになった。

姉「何度もごめんね・・・」
弟「いや、俺の方は有り余ってるから、いいけどさ。それより、せっ
  かく俺の骨をやってるんだから早く良くなってくれよ!」
姉「○○ちゃんがそういってくれるのは嬉しいけど、またダメかも・・
  骨の取られ損になっちゃうかも」
弟「何、言ってんだよ、今度こそ大丈夫だってば!」
姉「昨日、ギプスを外した時に見たんだけど、お婆さんの足みたい
  だった・・・」 そこまで言って姉は泣き出した。


293 名前:246[sage] 投稿日:05/02/10 02:06


2度の手術で俺の骨盤の前の出っ張りは両方とも無くなりました。
2度目の手術が終わって1ヶ月ほど経った頃、見舞いに行くと姉が
泣いてる母親に外に連れ出され、事情を聞くと骨の接きがあまり良
くないらしい。

やはり、周りの皮膚や筋肉が根こそぎやられてるのが致命的だった
みたいで、これ以上、移植を繰り返しても結果は同じだと・・・


296 名前:246[sage] 投稿日:05/02/10 02:16


結論から言うと、
結局、姉の右足は膝から下を切断されてしまいました。
今は義足の生活です。
男前な姉なんで、足を切ることに人前に涙を見せることは無かった
です。俺は泣いてしまったけど

姉「結局、無駄になっちゃった・・・ごめんね」
弟「いや、俺の骨が根性無しだったから・・・もっと他の人の骨だっ
  たら・・・」
姉「も〜やだな〜、何でアンタが泣くのよ〜!私は○○ちゃんの骨
  で良かったと思ってるよ」


298 名前:246[sage] 投稿日:05/02/10 02:28:57

で、その姉が、当時お世話になった義肢装具士の先生のとこで働い
てた方と婚約しました。4月に式を挙げる予定です。

俺の骨は役にたたず・・・姉の右足は彼に一生支えられていくのだ・・
と思うと正直少し悔しいですが姉が幸せになれそうで良かったと思っ
ています。
posted at 2012/03/14 22:51:41
lastupdate at 2012/03/14 22:51:41
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2011/12/12
自分は父の顔を知らない。
自分が2歳の頃、交通事故で死んだそうだ。
母に「お父さんの名前、なんて―の?」とか
「お父さんの写真、見して!」とか
「お父さん、メガネかけてたの?」とか聞いても、黙って首を振るだけだった。

父がいない分、母は毎日朝早くから遅くまで仕事をしていた。
酷いときには、1週間母を見ない日だってあったのだ。

そんな時、面倒を見てくれたのが祖父母。
誕生日もクリスマスも、祖父母と一緒。
母とは土日に外出するくらいで、正直何を話したら良いのか全然わからなかった。

小学校のときは
「お母さんはカッコよくて、頭が良くて、仕事もすごい出来るんだ」
と、よく自慢していた。
でも、本当はそんな自慢なんていらなかった。
母とちゃんと話がしてみたかった。

そんな時、いつも思うのが死んだ父。
父がいたら、母とも毎日話せた。
父がいたら、母がこんなに仕事をすることもなかった。
父がいたら、父がいたら、父がいたら…
そんな思いがひたすら溢れた。
祖父母は大好きだ。文字の書き方からきゅうりの切り方まで全部教えてくれた。
それでも、やっぱり…
母は父のことを教えてくれないだろう。絶対に。

そんな小学生時代に終止符を打つように、母の再婚が持ち上がった。
小学校の卒業と同時に、県外に引っ越し、新しい父と母との3人で暮らすということだった。
実際、自分は本気で祖父母の所に残ることを考えた。
小学校の友達と離れるのは辛い。でも、それ以上に祖父母と離れるのが嫌だった。
それでも、母の涙に折れて引っ越すことになった。
その時はまだ知らなかった。
母のお腹には新しい父との子供がいた。

新しい父は妹が産まれるまでは優しかった。
しかし、妹が産まれた途端、がらりと変わってしまった。
理不尽な怒り方ばかりしかしない。
母の前では優しいのだ。なのに、母がいないと口調も変わる。
それは2年経った今でもちっとも変わらない。
どうしようもなく、辛くなっても話せる人がいなかった。

先週、祖父母を訪ねたときに今まで教えてくれなかった父の墓を聞いた。
全てを話すと、祖父母はこっちに引っ越して来いと言ってくれた。
でも、それは出来ない。
母にもその事実を話さなくてはいけない。母はきっと悲しむ。
今まで、母親らしいことをしてくれなかった母でも、母が悲しむのは見たくない。

そして今日。
祖父母から父の命日だと聞いていた日。
学校を休んで亡き父に会いに行きました。
父の墓は綺麗に掃除されていて、花も供えてありました。

「お父さん、自分はもうすぐ高校受験です。
 今まで会いに来れなくてごめんなさい。
 お父さんの顔は分からないけど、辛い時にはここに来ます。」

本当に父に会いたいと思った。
posted at 2012/03/23 23:55:39
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2011/12/13

FE:いま出版界のなかで、見城徹ほどパワフルで敵なしの男はいないと言わ
れていますが…。

見城「僕は、人一倍不安や恐怖を感じるタイプなんですよ。しょっちゅう後ろ髪を引かれているし、小石にもつまづく。何をやるにもウジウジ悩んだりクヨクヨする男なんです。

7、8年前にトム・クルーズの仕事や私生活に密着して書かれた記事を雑誌で読んだことがあるんだけど、彼はいつもちょっとしたことでたじろぐんだそうです。

例えば明日ベッドシーンがある。ものすごく憂欝で落ち込む。ロケ現場でもずっと無口で。でもいよいよ本番の時間が近づいてくると自分を吹っ切ったように、『ロッケンローーール!』と叫んで現場に入っていくんだって。

その気持ちがすごくよくわかるんだよね。以来、僕も一歩踏み出すときにはいつも心の中て『ロッケンローーール!』って叫んでますよ(笑)」


FE:幻冬舎という会社を作って以来、史上最速でミリオンセラーを連発したり、12億円を叩いて62作の文庫本を送り出したり、郷ひろみの『ダディ』を常識外の初版50万部からスタートしたり……。どうして見城さんは毎回壁を突破できるんですか?

見城「そうしなければ何も始まらないと思うからじゃないかな。人は現状維持が一番楽なんですよ。でもそれでいたら満たされない自分がいる。寂しい自分がいるんですよ。だから、苦しくても、一歩前へ出る」





FE:『大河の一滴』が文庫・単行本あわせて300万部を突破した理由は?

見城「人は必ず病気になるし、生まれたからには必ず老いる。肉親だろうと友人だろうと人は裏切る…。仕事は上手く行かない、恋は成就しない。それを前提として生き始めようじゃないかというのが『大河の一滴』の根本に流れているものなんです。

黙々と生きて黙々と死んでいった人たちはみな、それを静かに受け入れるんです。僕にとって尊敬すべき人たちというのは、そういう人たちなんですよ。人生の価値というのは、総理大臣だろうと田舎で黙々と生きた人だろうとみな同じだと思うんですよね。

最終的に人はひとりで死んでいく。それはすべての人間に対して平等じゃないですか。その時、笑って死ねるかどうか。それ以外は全部プロセスに過ぎない。自分の人生が成功か失敗か、死ぬ瞬間、自分自身が決めるわけです。その瞬間のために僕は今、戦っている」

FE:なぜそんなに寂しいんですか?

見城「だって人は必ず死ぬんだよ! もし死なないのなら、すべての問題は解決しちゃう。フラれたって全然寂しくないと思わない?1億年後には必ず恋は成就するだろう、一人くらいは(笑)。

時間の秘密というのはものすごく大きなことで、ものの哀れもせつなさも、感動はすべてそこから生まれてくる。時が経つことは誰も止められない。生病老死だよね。それを受け入れられるかどうかなんだけど、僕はダメなんですよ。生きている瞬間瞬間で自分を満たしてやらないと…。

哲学者や宗教家がいろんな生き甲斐を説くけれど、本当の生き甲斐なんてないんですよ。でもそれがないなんて言ってしまえばおしまいだから、一生懸命自分の中でその場その場の生き道を求める。宗教にきちんと入り込んで神と直結すれば、生涯寂しさを感じなくていいのかもしれないけど…」

FE:なぜ、そこにハマらないんですか?

見城「いろんな宗教を見たし、旧約聖書も新約聖書も全部読んだし、法華経も勉強したけど…そこに自分を埋められない。それよりもこれだと思った女を勝ち得てセックスするときのほうが埋められるんですよ(笑)。それも瞬間的だけどね(笑)。」


FE:若い頃からそんなに寂しいんですか?

見城「ずっと寂しい」

FE:周りに愛がなかったんですか?

見城「いや、そうじゃなくて、人間はつねに死に向かって生きているわけじゃない? 結局死ぬために生きている。それ以外は全てがごまかしですよ。何をやったって死という圧倒的な事実に向かっているわけで。

それを回避できるならいいよ。回避できないからすべては一時的なごまかしでしょ。だから根本的に寂しいわけです。愛があろうと仕事がうまくいこうと。だから僕にとっては、死をどのように受容するかが最大の問題なんです」





FE:「自殺」は見城さんにとってどういう位置付けになるんでしょうか?

見城「自殺できれば一番いいと思っている。でも今はまだ自分で自分の命を絶つことはできない。何度もそうしようと思うのね。ただその勇気がないだけなんだよ」

FE:見城さんが自殺すると、残された幻冬舎の方々が大変しゃないですか。

見城「そんなことは知ったこっちゃないよ(笑)。僕は僕のために会社をやっているわけで、彼らは彼らのためにこの会社にいるわけで、僕が死んだら誰かが何とかするかもしれないし、離れていくかもしれない。家族はいるとしても、それぞれの人生のなかで今ここを選び取っているだけでしょう。

だから僕は『辞める』というヤツは絶対に止めない。ものすごいエゴイストだから、この会社も見城徹という生き様の形だと思っているんです。僕の、のっぴきならない人生を生きるためにこういう会社になってしまったんです。

アンドレ・マルローの『王道』の中でテロリストの陳が死ぬ直前に放った台詞がカッコいいんだけどね…『死、死などない。俺だけが死んでいく』…まさにその通りで、俺だけが死んでいくんですよ。自分にとっては死でも、他の人にとっては死なんてないんです」

FE:なるほど。

見城「だから僕は、幻冬舎をやっていなかったら今ごろ飛行機の操縦席に座ってビルに突っ込んでいたかもしれない。

アラブ人の彼も、もしかしたら微笑みながら突っ込んだのかもしれない。それも彼自身の生き様なんだからいいじゃないかと思うよね。それは共同体の善悪や正義や真実なんていう、浮わついた言葉ではくくれないものでしょう。死ぬ理由が見つかれば僕は死にますよ。

ヘミングウェイが自分を撃った、三島由紀夫が腹を捌いた、奥平岡士が自分の足に爆弾を投げだというのは、だから僕にとって重いんです。60年安保のときに全学連が国会に突入して樺美智子という東大生が死んだ事件があったんだけど、その後彼女の日記が発見されて『人知れず微笑まん』という本になってね。

その本は、『最後に笑うものが一番良く笑うという。私も最後には人知れず微笑みたいものだ』という詩の1行で終わるんです。彼女は早過ぎる死の瞬間、笑えただけだろうかって考えるんです。

ホームレスでも大統領でもテロリストでも、みんな対等の人生を生きている。僕は最後に微笑んで死ぬためにダッシュしている。だから、すべての議論や人生論はどうでもいいことなんです」
posted at 2012/03/14 16:27:37
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2011/12/21
◇ 家族に向けた最後の言葉 ◇ NY 9・11事件から(日刊スポーツ)
 
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同時テロで犠牲になった人たちは、最愛の人に携帯電話でメッセージを残し、帰らぬ人となった。米メディア報道などを基に犠牲者の最後の言葉を集めた。


▲ブライアン・スイーニさん(38)

「自分らしい人生を生きて幸せになってほしい。絶対にだよ」

ブライアンさんは貿易センタービルに激突したユナイテッド航空機に乗り合わせた。妻のジュリーさんに電話したのは衝突のきっかり5分前。

「状況は悪そうだ。愛している。もう1度話したいが、だめなら、また天国で会おう」


▲トマス・パーネットさん(38)

ペンシルバニア州ピッツバーグ郊外に墜落したユナイテッド機から妻のデューイさんに携帯電話をかけた。

「みんな死ぬことは分かっている。だけどここにいる3人で何とかしてみるつもりだ」

大統領山荘を狙っていたとの情報もある同機は目標をそれたが、乗客との格闘が原因との見方が出ている。

「愛している」と言ってトマスさんの通話は途絶えた。


▲シーシー・ライルズさん

ユナイテッド機のスチュワーデス。フロリダ州に住む夫と4人の子どもに電話した。

「どんなに家族を愛しているか知ってほしい」 

背後では乗客の叫び声が聞こえたという。


(「日刊スポーツ」2001.9.15より)




"CNNを見ていて、先ほどキャスターの女性が、ハイジャックされた飛行機から電話をかけてきた乗客の最後の言葉についてコメントをしていました。

「死を悟った人達の最後の言葉は、憎しみでも恐怖でもなく『愛している』という愛の言葉で した」と。

胸がつまって、とても苦しくて、たまらなくなり ました。 事件に関していろいろな思いや、意見が交わされ、報道される中ですが、ものすごく心に響いた一言でした。

うまく言えないのですが、1 つ1つの言葉が何度も何度も頭の中を回るのです。死を悟った人が、憎しみでも、恐怖でもなく、愛していると伝えたかったということが・・・"



posted at 2012/03/14 22:45:38
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2012/01/06
俺さあ中三から高三まで付き合ってた彼女がいたのよ
中三の冬、「同じ高校行こうね!」とか言っててブサイクの彼女(・∀・)ニヤニヤしてんのw
そしたら俺だけ受かって彼女落ちてんの
泣いたね、彼女と一緒に合格発表の掲示板の前で号泣した。
高校に入ってブサイクの彼女痩せようと思ったらしく水泳始めやがったw
腹ブヨブヨさせて必死に泳いでんのw
別々の高校だし俺もサッカーやってて忙しかったから実際見たわけじゃないけどw
お互い忙しくてたまにしか会えなかったけど楽しかったね
会うたびに彼女どんどん痩せてて可愛くなってんのw
高校三年になり彼女が今度は同じ大学に行こうとか言い出した。
俺は高校であまり勉強してなかったから彼女より成績悪かったけど
頑張って勉強したよ、死ぬほど勉強した。

1月になり受験間近って頃、彼女と会ったら風邪ひいてんの
「まだ十分脂肪付いてるから、すぐ治るだろ?」みたいにからかって笑い合ってたんだけど
それから5日後、彼女の母親から突然電話があった。
インフルエンザから肺炎を併発して彼女が死んでしまったらしい
俺は半ば信じられなくて病院に走った、必死に走ったよ。
病室に着いたら彼女の家族が集まってみんな泣いてた。
俺は彼女が死んだのが実感できなくて、その時は泣けなかったんだよね。
葬式の日、彼女の家に行くと彼女の母親に「ちょっと来て。」って呼ばれたわけよ
彼女の部屋に母親と入ったら彼女の遺品が机の上に置いてあった。
その中に手帳があったから開いて見てみたわけよ
そしたらあんまり上手くない字で
「○○と同じ大学に行く。」とか「○○から可愛いって言われるためにあと5キロ痩せる。」
「もうちょっといっぱい会いたい。」とか書かれてんの
泣いたね、そして死ぬほど後悔した
何で腹がブヨブヨのお前でも好きだったと言ってやれなかったのか、とか
もうちょっと時間作って会っとけばよかったと
声にならないほど声を出して泣いた。涙何時になったら枯れんのよ?って程泣いた。

あれから10年経ったけど未だにあの頃の事を思い出す
俺は半年後結婚する事になったが彼女は祝福してくれるだろうか。
posted at 2012/03/23 23:44:34
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