クニフロの泣ける話、感動する話まとめ
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インターネットで公開している、泣ける話、感動する話をまとめています。号泣できる話から、ほっこりと心温まる話をいろいろ集めてますので、楽しんでください。

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2013/04/09
私には、小学5年生から中学2年まで同じクラスだったA君が居る。私は、A君が好きだっ
た。なので、中2の時、仲良い友達に相談して告白しようとしてた。練習までしたのに、
結局呼び出せなかった。数ヵ月後、A君は友達と付き合った。友達からは、その人の愚痴
とか聞いてて、友達も、A君との事で結構傷ついてたから、それから告白はしなかった。
後日、A君の友達に、「Aが、『言ってくれたら付き合ってたのに』って言ってたよ」と言
われた。それからは、後悔ばっかりだった。だから、『これからは、ちゃんと伝えよ
う』って思う。辛いけど、私には必要な恋だったのかなぁ…と思った。
posted at 2013/04/09 0:04:06
lastupdate at 2013/04/09 0:04:06
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2013/02/02
学生の頃
文化祭で金魚すくいとヨーヨーの売り場にいた

二日目の日……金魚が売れ残り貰ってきた

ビニールの小さな袋の中で泳いでいた
帰りの電車の中、一人の男性が乗ってきた
自分の隣に座っていたが
こちらに気がつくと、
見知らぬ男性が自分に声をかけてきた
一瞬びっくりしたが
男性が一言「こんな小さな袋の中じゃ金魚可愛そうだな。
早く水槽に移してあげなよ。それから、
餌とかもちゃんと
買ってあげてね」

それだけいうと、男性は次の駅で降りてしまった・・・。
あのあと金魚はすぐに死んでしまったけど
あの男性の言った一言は今でも脳裏に覚えている
posted at 2013/02/02 0:04:45
lastupdate at 2013/02/02 0:04:45
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2013/01/09
俺は母親にすごく感謝しています。生んでくれたことも、今まで育ててくれたことも、ガ
キの頃しょっちゅう体調崩したりする度に懸命に看病してくれたことも、感謝でいっぱい
です。なのにへそ曲がりな俺は母親に対して「お母さん」と呼べません。すぐ口げんかに
なって、その度に「ウザイ」とか「死ね」とか言ったりしました。本当は「ごめんなさ
い」も「お母さん」と呼ぶこともしたいのに素直じゃないから口にできません。でもいつ
か必ず「ありがとう」も「ごめんなさい」も絶対に゛お母さん゛に自分の口で伝えたいと思います。
posted at 2013/01/09 0:01:10
lastupdate at 2013/01/09 0:01:10
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2012/12/16
あれは4年前になるかな。ブレイクダンスのチームに入っていた時だった。

ある朝、何事もなく目を覚めてテレビをつけたら海で溺死したとゆうニュースを始めに見
た。
その時は、『浮き輪持っとけよ』と他人事でした。

そしてその夜。チームの先輩に電話で『今から話あるから〇〇に集合』と言われ集合場所
に行きました。

するとその先輩が『今日〇〇が死んだ』と言われました。

そぅ。溺死したのは同じチームの奴だった。
そして、どうゆう状況で死んだかを聞いた。

海から上がって休んでる時に子供が溺れていたらしい。そして周りの大人は気付いている
のに助けに行かず、〇〇が海に走って助けに行った。そこでタイミング悪く大きい波が来
て、2人の姿が消えたらしい。
そして死体が見つかった場所は沖から80メートルも離れた場所で見つかった。

葬式に顔を見ると、化粧してるのに顔がボコボコになっていました。きっと海の中の石な
どが当たったりしたんだろう。

痛かっただろう。今までにないぐらい苦しかっただろう。

俺はお前は亡くなったけどお前のやった事は本間に格好良いと思ってる。

これからは上から俺等を見ててくれ。
posted at 2012/12/16 0:05:28
lastupdate at 2012/12/16 0:05:28
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2012/12/15
私のオヤジは酒のみで、金にもだらしない人間でした。幼い頃より、いつもそのことが原因で夫婦喧嘩が絶え間なく、私はオヤジが大嫌いでした。

オヤジは当時(昭和30年頃)、繊維会社の人事課で働いていたのですが、会社で問題を起こして解雇同様になり、私は生まれ育ったその土地を、小二の時に引っ越すことになりました。

それからの生活は、貧乏と家庭環境の悪化で最悪のものとなっていきました。そんな訳で、私の兄・姉たちは卒業をすると同時に家を出て行きました。私は中学生頃から、そんなオヤジにひどい暴力を振るうようになりました。困ったオヤジは度々、町の相談所へ行っていたようです。

中学を卒業した頃に、オヤジは家族の誰もいない時に、アパートの共同トイレに行く途中で倒れて亡くなってしまいました。

葬式の時に、オヤジに「金を貸していた」と、同じ職場の人に催促されたほどでした。全く尊敬できない、どのように思い返しても“しょうもないオヤジ”でした。

やがて、私も結婚をし、3人の父親になりました。

時は過ぎ、私は50歳を越える年齢となった頃に、この地域一帯がニュースで大々的に取り上げられるような災害に遭ってしまいました。それでも、多くの方々の援助で、何とか立ち直ることが出来ました。

それから半年ほど経った頃に、オヤジが当時、勤務していた土地に嫁いでいた姉から電話がありました。

姉の話によると「この前、年老いたご夫婦が訪ねて来てこんな話をされた。『私は20歳の時、お父さんの勤めていた会社に面接に行きました。しかし、私は戦争で手に障害があったので採用は無理なようでした。その時に人事課の課長さんであったお父さんが、上司に、何とか採用してほしいと熱心に頼んでくれたお陰で今日まで生きてこられたのです。あの時に就職が出来なかったならどうなっていたかと……』

さらに話を続けて『会社で問題を起こした。と、された事件もお父さんを解雇させたい人達の策略にあったのです。引っ越されてからも、風の便りでお父さんやご家族のことは気にかけておりました。お父さんが亡くなられたことも知っていました。お礼を言わないままに、この歳になってしまい申し訳ありませんでした。恐らく、この前の災害で、ご家族がり災されたのではないかと思い、この機会に、一言だけでもご家族の方に、お見舞いと過去のお礼を告げたいと、夫婦で思い切って訪れさせて頂きました』と言われてビックリしてしまったわ。だらしがないだけのお父さんと思っていたけど、そんなことがあったなんて知らなかった」とのことであった。

私も、その話には驚きました。母からも、もちろんオヤジからも聞いたことのない話でした。


大嫌いで軽蔑すらしていたオヤジに対して、この話以来、少し尊敬をするようになりました。
posted at 2012/12/15 0:18:53
lastupdate at 2012/12/15 0:18:53
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2012/12/14
俺が23歳の頃、就職1年目の冬、俺の誕生日の日のこと。
職場の人たちが「誕生パーティーをしてあげる!」というので、家に「今日は遅くなるよ。ゴハンいらないから。」と電話を入れたら、父が「今日はみなさんに断って、早く帰ってきなさい。」と言う。

「だってもう会場とってもらったみたいだし、悪いから行く。」と俺が言うと、いつもは 温厚な父が「とにかく今日は帰ってきなさい、誕生日の用意もしてあるから」とねばる。
「???」と思いながら、職場のみんなに詫びを入れて帰宅した。

家にはその春から肋膜炎で療養中の母と父がいた。
食卓にはスーパーで売ってるような鶏肉のもも肉のローストしたみたいなやつとショートケーキがあった。

わざわざ職場の誘いを断わって帰ってきたのに、その質素な感じに頭にきて「なんでわざわざ帰らせたの!俺だってみんなの手前申し訳なかったよ!」と言ってしまった。
父は何か言ったと思うが、覚えていない。母が「ごめんね。明日でもよかったね。」と涙ぐんだ。

俺は言い過ぎたな、と思った。
でもあやまれず、もくもくと冷えた鶏肉とケーキを食べて部屋に戻った。
その2ヶ月後、母の容態が急変し入院した。仕事帰りに病院に行くと、父がいた。
廊下の隅で「実は お母さんは春からガンの末期だとわかっていたんだよ。隠していてごめん」と告げられた。

呆然として家に帰ったあと、母の部屋の引き出しの日記を読んだ。
あの誕生日の日のページに

「○男に迷惑をかけてしまった。」

とあった。
声を出して泣いた。何時間も「ごめん」といいながら泣いた。夜が明ける頃には涙が出なくなった。すごい耳鳴りがした。

4、5日して母は死んだ。
仕事をやめて、看病していた父も数年前に死んだ。
父が準備したささやかな誕生日パーティーをどうして感謝できなかったのか、母にとっては最後だったのに
posted at 2012/12/14 0:00:26
lastupdate at 2012/12/14 0:00:26
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2012/12/09
初めて逢ったのは電車の中。彼が駆け込みをし肩にぶつかった。『大丈夫??ごめんね??』
と頭を下げ謝った。アタシは喧嘩の帰りで服にはたくさんの血。服に穴が開き顔も傷だら
け。喧嘩の後は当たり前の事…『俺、一人暮らしなんだ★梅田の○○って所なんだ★家に
帰っても一人だしチョー寂しい★』って…今思えばとても懐かしい。何かに引き寄せられ
るように…『家に帰りたくない…今日泊まらせてくれない??』って。彼は万円の笑顔で答
えてくれた『お前が俺の家でぃぃのなら★その代わり家事の事してくれょ★』って…家に
住み着き半年が経った頃自然に付き合いが始まり同居の気分だった。アタシは彼を心の底
カラ愛してた。彼も愛してるって言ってくれてた。とても幸せだった…繋いだ手…いつまで
も離さなかった。離したくなかった手。彼が違う所に行ってしまうって思ったから。それ
から何日か経ったある日彼の仕事場から連絡があった。彼が亡くなったとの知らせだ。子
供が大好きで近所の子供にも人気が会った彼。子供がボールを追いかけ外に飛び出し助け
ようとした彼が車に跳ねられ亡くなった。子供はすり傷ですんだ。でももぅ戻ってこない
彼の手を離したくなかった。もぅ一度…手を繋いで…もぅ一度繋いでょ…。
posted at 2012/12/09 0:10:14
lastupdate at 2012/12/09 0:10:14
修正
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2012/11/14
これは16才の時の話です。
あのころはまだ何にも分からず、ただ毎日を適当に過ごしていました。
そんな俺にも好きな人ができました。
毎日メールや電話をしました。
毎日が楽しく本当にこんな日が続けばいいとずっと思っていました。
ある日その子とメールをしていて聞きました。
『ねぇやっぱり好きな人とかいるの??』
16にもなれば好きな人がいるのくらい当然の話です。
その彼女にもやっぱり好きな人がいました。
名前は教えてくれませんでしたが、話かたから僕ではないことはわかりました。
しかし僕も好きな人がいることをいいました。しかし名前は教えませんでした。いつかそ
の人に告白しようと思っていました。
しかし今の彼女にはその好きな人しか映っていないようでした。
僕はそれがとてもつらくて…悲しくて……。
相手に悟られないように明るく装っていました。
そして彼女に言ってみました。
『前言ってた好きな人、好きな人いるみたいなんだよね…どうしたらいいかな??』
彼女は『やっぱりどんに好きでもどんなに思っていても、その思いはその人に届かないと
思うよ。だから好きな人変えたら??』
僕はあきらめられなかったので告白しました。
『しってたよ…だから言ったぢゃん。。○○を傷つけたくなかったから…遠まわしにいっ
たの…ごめんね。

なんでその気持ちに気づいてあげれなかったんだろう。
それが最初で最後の優しさでした。

そして次日彼女は交通事故で死にました…。
最初は信じられませんでした。
そんな告白した次の日に死ぬなんて、そんなドラマ見たいなことあるわけない!と自分い
いきかせていました。
しかし彼女は本当に死んでいました…というより眠っているだけの様でした。
泣きました。涙が枯れるくらい…。
1年経ち、なんとか立ち直り、生活できる様になり、彼女もできました。
今度は絶対にあんな悲しい…。
そして今はとても幸せです。
絶対、悲しくて泣くことのないよう毎日精一杯いきています。
作文とかは苦手なんで文が変ですいません。
でも最後まで読んでくれてありがうごいます。
posted at 2012/11/14 0:24:49
lastupdate at 2012/11/14 0:24:49
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2012/11/13
今日、半年ぶりに家に帰ってきました。
私は末期ガンで手遅れで、もう何週間も保たないでしょうと宣告されました。だったら家でと帰ってきました。

私は32歳。妻は28歳。
子供は二人いて3歳の男の子と0歳の女の子です。

妻の肩を借りて家に入ると、上の子が私の手を取り、「とうちゃんおかえり!とうちゃんちいさくなったね」って笑顔で言われました。
「○○が大きくなったんだよ」って言うと、「じゃあたくさんたべて、とうちゃんもおおきくなって、なつにうみにいこうね!」って。
妻はそれを聞いて、「今日は大きくなるご飯にしようね」って笑顔で答えていました。

ごめんな。ごめんな。ごめんな。ごめんな。ごめんな。ごめんな。
最後まで守ってあげられなくてごめんな。

いつも明るい長男へ。
一緒にW杯も行けなくてごめんな。ドイツに連れていけなくてごめんな。これから毎日サッカー教えてあげるから。

妻であり最愛の人へ。
新婚旅行に連れていけなくてごめんな。笑顔で子供と接してくれてありがとう。落ち着いたら、新しい出会いを探して幸せになってほしい。

生まれたばかりの長女へ。
パパって呼んでもらえなくて残念だけど、ママに似て美人で優しい娘に育ってください。純粋な笑顔のままで。ママと仲良くしてください。

父、母へ。
あの世に行ったら、酒呑みましょう。それだけが楽しみなのです。

死にたくない。
やり残したこといっぱいです。
助けてください。

お願いです。
家族を守ってください。
posted at 2012/11/13 0:38:16
lastupdate at 2012/11/13 0:38:16
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329 名前:Trader@Live![sage] 投稿日:2012/05/02(水) 23:52:10.15 ID:mcrBn2rL
ハーバード大学の図書館の張り紙

1.今居眠りすれば、あなたは夢をみる。今学習すれば、あなたは夢が叶う。
2.あなたが無駄にした今日はどれだけの人が願っても叶わなかった未来である。
3.勉強に励む苦しさは今だけであり、勉強しなかった苦しさは一生続く。
4.明日やるのではなく今日やろう。
5.時間は絶えず去りつつある。
6.学習は時間がないからできないものではなく、努力が欠くからできないものである。
7.幸福には順位はないが、成功には順位がある。
8.学習は人生の全てではないが、人生の一部として続くものである。
9.学習する事が人生の全てとは言わないが、学習すらできぬものに何ができるのであろうか。
10.人より早く起き、人より努力して、初めて成功の味を真に噛みしめる事ができる。
11.怠惰な人が成功する事は決してない、真に成功を収める者は徹底した自己管理と忍耐力が必須である。
12.時間が過ぎるのはとてもはやい。
13.今の涎は将来の涙となる。
14.犬の様に学び、紳士の様に遊べ。
15.今日歩けば、明日は走るしかない。
16.一番現実的な人は、自分の未来に投資する。
17.教育の優劣が収入の優劣 。
18.過ぎ去った今日は二度と帰ってこない。
19.今この瞬間も相手は読書をして力を身につけている。
20.努力無しに結果無し。

posted at 2012/11/13 0:38:16
lastupdate at 2012/11/13 0:38:16
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