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インターネットで公開している、泣ける話、感動する話をまとめています。号泣できる話から、ほっこりと心温まる話をいろいろ集めてますので、楽しんでください。
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2012/08/15
[泣ける話]
高校1年の時、夢を見た。
それは、夢を見る数ヶ月前にボケはじめて今は老人ホームにいるじいちゃんのとこに行っ
た夢。
ボケてたはずなのに、俺の事わかってるみたいで優しく笑いかけてくれて2人で写真とっ
たり、じいちゃんの昔話とか聞いたりして本当楽しかった。初めて見たじいちゃんの夢。
そこで夢がさめた…。
夜中の2時くらいで、家の中がうるさくて「また親がケンカしてんのかな?」って思っ
た、そしたら母さんが部屋に入ってきて「じいちゃんが…」って。
みんな急いで支度してじいちゃんのトコに向かった。
家から出て数分後に父さんの携帯に電話がきた、「…今逝ったって…。」その時はまだ信
じきれなくて、ただただじいちゃんに会いたかった。
着いたのは老人ホームじゃなくて病院で、もう治る見込みがなかったのかな?ほかにも老
人ホームに入りたい人がいるからって病院にうつされてたんだって。
病院に入ると重い雰囲気…そして、じいちゃんのいる部屋へ案内された。
そこには泣いてる叔母とばあちゃん、看護婦さんとじいちゃん。
じいちゃんしばらく見ないうちに小さくなってた。
涙を流しながら叔母が話しかけてきた、
「じいちゃんね、亡くなる前にあんた達兄弟の名前ばっっっかり呼んでたよ。あんた達に
1番会いたかったんだろうね、あんた達の事1番かわいがってたから。」
そこで初めて涙が流れた、じいちゃんが亡くなったって実感した。
じいちゃんは最後に俺の夢の中へ会いに来てくれたんだね。
あの時間は本当に楽しかったよ。
あの時のじいちゃんの優しい笑顔、まだ覚えてるよ。
会いにきてくれて、ありがとうね。
それは、夢を見る数ヶ月前にボケはじめて今は老人ホームにいるじいちゃんのとこに行っ
た夢。
ボケてたはずなのに、俺の事わかってるみたいで優しく笑いかけてくれて2人で写真とっ
たり、じいちゃんの昔話とか聞いたりして本当楽しかった。初めて見たじいちゃんの夢。
そこで夢がさめた…。
夜中の2時くらいで、家の中がうるさくて「また親がケンカしてんのかな?」って思っ
た、そしたら母さんが部屋に入ってきて「じいちゃんが…」って。
みんな急いで支度してじいちゃんのトコに向かった。
家から出て数分後に父さんの携帯に電話がきた、「…今逝ったって…。」その時はまだ信
じきれなくて、ただただじいちゃんに会いたかった。
着いたのは老人ホームじゃなくて病院で、もう治る見込みがなかったのかな?ほかにも老
人ホームに入りたい人がいるからって病院にうつされてたんだって。
病院に入ると重い雰囲気…そして、じいちゃんのいる部屋へ案内された。
そこには泣いてる叔母とばあちゃん、看護婦さんとじいちゃん。
じいちゃんしばらく見ないうちに小さくなってた。
涙を流しながら叔母が話しかけてきた、
「じいちゃんね、亡くなる前にあんた達兄弟の名前ばっっっかり呼んでたよ。あんた達に
1番会いたかったんだろうね、あんた達の事1番かわいがってたから。」
そこで初めて涙が流れた、じいちゃんが亡くなったって実感した。
じいちゃんは最後に俺の夢の中へ会いに来てくれたんだね。
あの時間は本当に楽しかったよ。
あの時のじいちゃんの優しい笑顔、まだ覚えてるよ。
会いにきてくれて、ありがとうね。
posted at 2012/08/15 0:07:00
lastupdate at 2012/08/15 0:07:00
【修正】
2012/08/17
[泣ける話]
僕には今、おばあちゃんが2人、おじいちゃんが1人います。
一人のおじいちゃんは、俺が4才の時に亡くなりました。
もう一人のおじいちゃんは今、全身にガンが転移してもう長くありません。
それを紛らわす為に今は病院で入院しながらモルヒネを毎日飲まされてるんです。
おじいちゃんの寿命はあと2ヵ月持つかわらないと母親に聞かされました。
ちょうどその時は仕事の帰り道で、僕一人、車の中で声も出さずに一人泣いていました。
おじいちゃんとの思い出が頭の中を駆け巡ります。
俺が小さい頃、いっぱい遊んでくれたね。
静岡にいたとき、おいしい料理、いっぱい作ってくれたね。
俺が言うこと聞かなかったとき、いっぱい怒ってくれたね。
俺が引っ越すとき、俺が泣いてるときになぐさめてくれたね.
俺にはもうおじいちゃんって呼べる人、いなくなっちゃうじゃん。
将来、俺が結婚するの、見届けるって言ったじゃん。
これじゃ、俺がおじいちゃんを見届けなきゃいけないじゃん。
もっと長生きしてよ。
そして俺の将来、見届けてよ。おじいちゃん…。
一人のおじいちゃんは、俺が4才の時に亡くなりました。
もう一人のおじいちゃんは今、全身にガンが転移してもう長くありません。
それを紛らわす為に今は病院で入院しながらモルヒネを毎日飲まされてるんです。
おじいちゃんの寿命はあと2ヵ月持つかわらないと母親に聞かされました。
ちょうどその時は仕事の帰り道で、僕一人、車の中で声も出さずに一人泣いていました。
おじいちゃんとの思い出が頭の中を駆け巡ります。
俺が小さい頃、いっぱい遊んでくれたね。
静岡にいたとき、おいしい料理、いっぱい作ってくれたね。
俺が言うこと聞かなかったとき、いっぱい怒ってくれたね。
俺が引っ越すとき、俺が泣いてるときになぐさめてくれたね.
俺にはもうおじいちゃんって呼べる人、いなくなっちゃうじゃん。
将来、俺が結婚するの、見届けるって言ったじゃん。
これじゃ、俺がおじいちゃんを見届けなきゃいけないじゃん。
もっと長生きしてよ。
そして俺の将来、見届けてよ。おじいちゃん…。
posted at 2012/08/17 0:18:40
lastupdate at 2012/08/17 0:18:40
【修正】
2012/08/23
[泣ける話]
海の学習という名前で学年全体で泊りがけでの研修のあった5年生。
雨女の私が出かけると必ず雨。
今までの遠足も雨が多かったからそんなにがっかりすることもだんだんなくなってた。
ただ海の学習だから海でボートに乗ったりできるのが楽しみだったのに。
本当なら外のお日様の下で食べられるはずだったお弁当。かわいそうに。せっかくお母さ
んが作ってくれてみんなで外で気持ちよく楽しくワイワイ食べたかったのになー。
雨だから研修所の宿泊大部屋でみんな自分のお弁当をとりだした。
あれ?包みの中にお母さん、何か入れてる??
「○○ちゃん、楽しみにしていた海の学習の日がきたね。たくさんのお友達と一緒にお弁
当を食べてね」
メモがでてきた。
3人年子の兄弟の真ん中の私。
いつも子育てに仕事に忙しかったお母さんはそれでも家事の手抜きはなかった。それでも
中子の私はあまり母にはかまってもらえてなかった。
それもあまり気にならなかったし。
お母さん大好きだから。
そこにこのメモ。
読みながら涙がブワーっとでてきた。
どんなおかずがはいってたか記憶にない。
自分の涙でしょっぱかったことは覚えてるのに。
そのメモ、お母さんに見られないように20年たった今でも隠してもってる。
雨女の私が出かけると必ず雨。
今までの遠足も雨が多かったからそんなにがっかりすることもだんだんなくなってた。
ただ海の学習だから海でボートに乗ったりできるのが楽しみだったのに。
本当なら外のお日様の下で食べられるはずだったお弁当。かわいそうに。せっかくお母さ
んが作ってくれてみんなで外で気持ちよく楽しくワイワイ食べたかったのになー。
雨だから研修所の宿泊大部屋でみんな自分のお弁当をとりだした。
あれ?包みの中にお母さん、何か入れてる??
「○○ちゃん、楽しみにしていた海の学習の日がきたね。たくさんのお友達と一緒にお弁
当を食べてね」
メモがでてきた。
3人年子の兄弟の真ん中の私。
いつも子育てに仕事に忙しかったお母さんはそれでも家事の手抜きはなかった。それでも
中子の私はあまり母にはかまってもらえてなかった。
それもあまり気にならなかったし。
お母さん大好きだから。
そこにこのメモ。
読みながら涙がブワーっとでてきた。
どんなおかずがはいってたか記憶にない。
自分の涙でしょっぱかったことは覚えてるのに。
そのメモ、お母さんに見られないように20年たった今でも隠してもってる。
posted at 2012/08/23 0:13:31
lastupdate at 2012/08/23 0:13:31
【修正】
2012/08/25
[泣ける話]
僕は、何かにつけて口うるさい母がイヤでしかたがありませんでした。それこそ、1から10まで干渉されているようで、早く独立して家を出て行くことばかり考えていました。
幸い、近くにちょうどいい部屋が開いたので、すぐに引っ越しました。
やっと、うるさい母から離れて暮らすことができ、解放された感じがしてうれしい毎日でした。
ところが、いざ自分で暮らすとなると、食事・洗濯・掃除などでアルバイトで疲れた身体にはこたえました。食事もコンビニで買った弁当やカップ麺で済ますことが多くなり、おまけに洗濯物もたたまずに部屋の隅や衣装ケースに丸めてつっこんでおくようになってしまいました。
そんなある時、自転車のカゴにおかずが置いてありました。母に違いありません。
アルバイトで疲れた身体に母の作った「肉ジャガ」の味には、とても有り難い気持ちがしました。何も手紙やメモもありませんでしたが嬉しい感がしました。
一緒にいる時は“口うるさいだけの母”と思っていましたが、そうではありませんでした。親としての優しい愛情だったのです。
それでも、実家に帰ると母に面と向かって何も言えず、ただ、黙ってあいた容器を台所に置くだけでした。母も何も言いません。
しかし、心の底ではとても感謝しています。
幸い、近くにちょうどいい部屋が開いたので、すぐに引っ越しました。
やっと、うるさい母から離れて暮らすことができ、解放された感じがしてうれしい毎日でした。
ところが、いざ自分で暮らすとなると、食事・洗濯・掃除などでアルバイトで疲れた身体にはこたえました。食事もコンビニで買った弁当やカップ麺で済ますことが多くなり、おまけに洗濯物もたたまずに部屋の隅や衣装ケースに丸めてつっこんでおくようになってしまいました。
そんなある時、自転車のカゴにおかずが置いてありました。母に違いありません。
アルバイトで疲れた身体に母の作った「肉ジャガ」の味には、とても有り難い気持ちがしました。何も手紙やメモもありませんでしたが嬉しい感がしました。
一緒にいる時は“口うるさいだけの母”と思っていましたが、そうではありませんでした。親としての優しい愛情だったのです。
それでも、実家に帰ると母に面と向かって何も言えず、ただ、黙ってあいた容器を台所に置くだけでした。母も何も言いません。
しかし、心の底ではとても感謝しています。
posted at 2012/08/25 0:16:16
lastupdate at 2012/08/25 0:16:16
【修正】
2012/08/27
[泣ける話]
些細な事ですが…
10年程前、母が何かの病気(今だに知らないのはちょっとおかしいですよね(;^_^))で手
術して入院しました。
私の通っていた中学校の昼食は、給食ではなく弁当持参の学校でした。
毎朝作ってくれていた母が入院したので、
その1ヵ月弱の期間、
代わりに父が毎朝早くから起きて作ってくれました。
私の兄弟は3姉弟でした。
皆年が近かったので、3人分を作らなくてはいけませんでした。
父は「友達に見られても恥ずかしくない弁当を作るから安心しろ!p(^-^)q」と、テレビ
の料理番組や本を見ながら研究したり、友人に聞いたりしていたようです。
父は毎日の弁当に、必ずしょっぱい卵焼きを入れてくれていました。
季節は夏だったので、父なりに調べたのであろう
「塩を少し効かせると腐りにくいんや♪(゚∀゚)v」
と、どこから仕入れた知識なのやら、その卵焼きは塩味の効いた不器用な卵焼きでした。
アレから十数年…
母が残業で遅くなったりして夕食の支度がまだの時は、父が例の卵焼きをよく作ってくれ
ます。
その卵焼きは、まだ少ししょっぱくする癖が残っており、食べる度に
「あぁ…、オレの親父の味だな」と、ホロリとしてしまいます。
父と呑む晩酌の、愛情の効いた最高の肴です。(*^ー^)
10年程前、母が何かの病気(今だに知らないのはちょっとおかしいですよね(;^_^))で手
術して入院しました。
私の通っていた中学校の昼食は、給食ではなく弁当持参の学校でした。
毎朝作ってくれていた母が入院したので、
その1ヵ月弱の期間、
代わりに父が毎朝早くから起きて作ってくれました。
私の兄弟は3姉弟でした。
皆年が近かったので、3人分を作らなくてはいけませんでした。
父は「友達に見られても恥ずかしくない弁当を作るから安心しろ!p(^-^)q」と、テレビ
の料理番組や本を見ながら研究したり、友人に聞いたりしていたようです。
父は毎日の弁当に、必ずしょっぱい卵焼きを入れてくれていました。
季節は夏だったので、父なりに調べたのであろう
「塩を少し効かせると腐りにくいんや♪(゚∀゚)v」
と、どこから仕入れた知識なのやら、その卵焼きは塩味の効いた不器用な卵焼きでした。
アレから十数年…
母が残業で遅くなったりして夕食の支度がまだの時は、父が例の卵焼きをよく作ってくれ
ます。
その卵焼きは、まだ少ししょっぱくする癖が残っており、食べる度に
「あぁ…、オレの親父の味だな」と、ホロリとしてしまいます。
父と呑む晩酌の、愛情の効いた最高の肴です。(*^ー^)
posted at 2012/08/27 0:23:50
lastupdate at 2012/08/27 0:23:50
【修正】
2012/08/30
[泣ける話]
私が23歳の頃、就職1年目の冬、私の誕生日の日のこと。
職場の人たちが「誕生パーティーをしてあげる!」というので、家に、「今日は遅くなるよ。
ゴハンいらないから。」と電話を入れたら、父が「今日はみなさんに断って、早く帰ってきなさい。」
と言う。「だってもう会場とってもらったみたいだし、悪いから行く。」と私が言うと、いつもは
温厚な父が、「とにかく今日は帰ってきなさい、誕生日の用意もしてあるから。」とねばる。
「???」と思いながら、職場のみんなに詫びを入れて帰宅した。
家にはその春から肋膜炎で療養中の母と、電話に出た父。食卓にはスーパーで売ってるような
鶏肉のもも肉のローストしたみたいなやつとショートケーキ3つ。
「なんでわざわざ帰らせたの!私だってみんなの手前、申し訳なかったよ!」と言ってしまった。
父は何か言ったと思うが、覚えていない。母が、「ごめんね。明日でもよかったね。」と涙ぐんだ。
私は言い過ぎたな、と思った。でもあやまれず、もくもくと冷えた鶏肉とケーキを食べて部屋に戻った。
その2ヶ月後、母の容態が急変し入院した。仕事帰りに病院に行くと、父がいた。廊下の隅で、「実は
お母さんは春からガンの末期だとわかっていたんだよ。隠していてごめんね。」とつぶやいた。
呆然として家に帰ったあと、母の部屋の引き出しの日記を読んだ。あの誕生日の日のページに
「○子に迷惑をかけてしまった。」とあった。
ワーッと声を出して泣いた。何時間も「ごめんね。」といいながら泣いた。夜が明ける頃には
涙が出なくなった。すごい耳鳴りがした。
4,5日して母は死んだ。仕事をやめて、看病していた父も数年前に死んだ。
父が準備したささやかな誕生日パーティーをどうして感謝できなかったのか。
母にとっては最後だったのに、、、。
父も数年後に死んだ。こんな情けない自分でも、がんばって生きている。
職場の人たちが「誕生パーティーをしてあげる!」というので、家に、「今日は遅くなるよ。
ゴハンいらないから。」と電話を入れたら、父が「今日はみなさんに断って、早く帰ってきなさい。」
と言う。「だってもう会場とってもらったみたいだし、悪いから行く。」と私が言うと、いつもは
温厚な父が、「とにかく今日は帰ってきなさい、誕生日の用意もしてあるから。」とねばる。
「???」と思いながら、職場のみんなに詫びを入れて帰宅した。
家にはその春から肋膜炎で療養中の母と、電話に出た父。食卓にはスーパーで売ってるような
鶏肉のもも肉のローストしたみたいなやつとショートケーキ3つ。
「なんでわざわざ帰らせたの!私だってみんなの手前、申し訳なかったよ!」と言ってしまった。
父は何か言ったと思うが、覚えていない。母が、「ごめんね。明日でもよかったね。」と涙ぐんだ。
私は言い過ぎたな、と思った。でもあやまれず、もくもくと冷えた鶏肉とケーキを食べて部屋に戻った。
その2ヶ月後、母の容態が急変し入院した。仕事帰りに病院に行くと、父がいた。廊下の隅で、「実は
お母さんは春からガンの末期だとわかっていたんだよ。隠していてごめんね。」とつぶやいた。
呆然として家に帰ったあと、母の部屋の引き出しの日記を読んだ。あの誕生日の日のページに
「○子に迷惑をかけてしまった。」とあった。
ワーッと声を出して泣いた。何時間も「ごめんね。」といいながら泣いた。夜が明ける頃には
涙が出なくなった。すごい耳鳴りがした。
4,5日して母は死んだ。仕事をやめて、看病していた父も数年前に死んだ。
父が準備したささやかな誕生日パーティーをどうして感謝できなかったのか。
母にとっては最後だったのに、、、。
父も数年後に死んだ。こんな情けない自分でも、がんばって生きている。
posted at 2012/08/30 0:12:30
lastupdate at 2012/08/30 0:12:30
【修正】