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インターネットで公開している、泣ける話、感動する話をまとめています。号泣できる話から、ほっこりと心温まる話をいろいろ集めてますので、楽しんでください。
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2012/09/04
[泣ける話]
おばあちゃんからのプレゼント
おばあちゃんは私が
小学5年生のときに死んでしまった。
病気がわかり入院が決まった前日おばあちゃんと
家族で買い物に行った。
入院の用意をそろえるため。
おばあちゃんは私の手を握って
「Oちゃん、ばあちゃんエラいよ・・・」
と言ったのを覚えている。
入院した頃にはもう手遅れだったらしい。
母と毎日病院に通った。
とても長い間通った。
私はおばあちゃんが大好きだった。
いまでも「Oちゃん」と呼びかけてくるあの
優しい声が忘れられない。
始めのうちは私もまさか死んでしまうなんて
思っていなかった。
それはおばあちゃんもそうだったらしく
かなり病状が悪くなってから
「あかんねぇ・・・・」とつぶやいていた。
おばあちゃんに会える病院は好きだった。
売店でお菓子を買うのも病室で絵を描くもの
楽しかった。
おばあちゃんが車椅子で散歩した時
売店で見つけたキティーちゃんのぬいぐるみ。
おそろいで買ってくれた。
日にちとともに病状は悪化した。
私は助けてあげれなかった。
おばあちゃんが久しぶりに食べたいといった
イチゴ。母は雨の中買いに行った。
美味しそうに食べたがすぐに吐いてしまった。
おばあちゃんが危ないとはっきり
言われるようになった。
新学期だった。実感がなかった私は
「O日に代表委員の選挙があるんだ。頑張るね。」
とノンキに話しかけた。
返事はなかった。
その選挙の少し前おばあちゃんは死んだ。
家族で病院に泊まっていた。
私は眠っていた。看護婦さんが飛びこんできて
起きた。私は泣き喚いた。
母は最期まで暖かい手をしていたといっていた。
普通ならお通夜とお葬式で学校にいけるはずのなかった選挙の日。私は学校にいて選挙に
でた。
演説ではおばあちゃんのことを言った、泣いた。
私は委員長になった。
おばあちゃんはあの時の私の言葉を聞いてくれていたのだ。葬式会場の都合でちょうど選
挙の日
学校に行けた。おばあちゃん・・・・
おそろいのキティーちゃんは今も部屋にいる。
おばあちゃんも天国へ持って行った。
今一番会いたい人は大好きなおばあちゃんです。
ただ一言「ありがとう」といいたい。
おばあちゃんは私が
小学5年生のときに死んでしまった。
病気がわかり入院が決まった前日おばあちゃんと
家族で買い物に行った。
入院の用意をそろえるため。
おばあちゃんは私の手を握って
「Oちゃん、ばあちゃんエラいよ・・・」
と言ったのを覚えている。
入院した頃にはもう手遅れだったらしい。
母と毎日病院に通った。
とても長い間通った。
私はおばあちゃんが大好きだった。
いまでも「Oちゃん」と呼びかけてくるあの
優しい声が忘れられない。
始めのうちは私もまさか死んでしまうなんて
思っていなかった。
それはおばあちゃんもそうだったらしく
かなり病状が悪くなってから
「あかんねぇ・・・・」とつぶやいていた。
おばあちゃんに会える病院は好きだった。
売店でお菓子を買うのも病室で絵を描くもの
楽しかった。
おばあちゃんが車椅子で散歩した時
売店で見つけたキティーちゃんのぬいぐるみ。
おそろいで買ってくれた。
日にちとともに病状は悪化した。
私は助けてあげれなかった。
おばあちゃんが久しぶりに食べたいといった
イチゴ。母は雨の中買いに行った。
美味しそうに食べたがすぐに吐いてしまった。
おばあちゃんが危ないとはっきり
言われるようになった。
新学期だった。実感がなかった私は
「O日に代表委員の選挙があるんだ。頑張るね。」
とノンキに話しかけた。
返事はなかった。
その選挙の少し前おばあちゃんは死んだ。
家族で病院に泊まっていた。
私は眠っていた。看護婦さんが飛びこんできて
起きた。私は泣き喚いた。
母は最期まで暖かい手をしていたといっていた。
普通ならお通夜とお葬式で学校にいけるはずのなかった選挙の日。私は学校にいて選挙に
でた。
演説ではおばあちゃんのことを言った、泣いた。
私は委員長になった。
おばあちゃんはあの時の私の言葉を聞いてくれていたのだ。葬式会場の都合でちょうど選
挙の日
学校に行けた。おばあちゃん・・・・
おそろいのキティーちゃんは今も部屋にいる。
おばあちゃんも天国へ持って行った。
今一番会いたい人は大好きなおばあちゃんです。
ただ一言「ありがとう」といいたい。
posted at 2012/09/04 0:12:00
lastupdate at 2012/09/04 0:12:00
【修正】
2012/09/03
[泣ける話]
あたしすごく悩んでて、今の自分がどうしていいかわからない・・・。
今は今ですごく幸せで、
すごく平和で、
そんな毎日を過ごしているのに・・・
そんな時、ある人からこんな言葉をもらった・・
『俺は今の生活をする為に、生まれてきた気がするよ』
その人は家庭も持っている人で
自分の方向性に悩んでいた私に言ってくれた。
あたしも、早くそう思える場所が
見つかるといいなぁ。。。
前向きに生きていこう!
今は今ですごく幸せで、
すごく平和で、
そんな毎日を過ごしているのに・・・
そんな時、ある人からこんな言葉をもらった・・
『俺は今の生活をする為に、生まれてきた気がするよ』
その人は家庭も持っている人で
自分の方向性に悩んでいた私に言ってくれた。
あたしも、早くそう思える場所が
見つかるといいなぁ。。。
前向きに生きていこう!
posted at 2012/09/03 0:05:18
lastupdate at 2012/09/03 0:05:18
【修正】
2012/09/02
[泣ける話]
なんか機械音痴の母がデジカメを買った。
どうやら嬉しいらしく、はしゃぎながらいろいろと写してた。
何日かしてメモリがいっぱいで写せないらしく「どうすればいいの?」って聞いてきたが、「忙しいから説明書読め!」とつい怒鳴ってしまった。
さらに「つまらないものばかり写してるからだろ!」とも言ってしまった。そしたら「ごめんね」と一言。
そんな母が先日亡くなった。
遺品整理してたらデジカメが出てきて、何撮ってたのかなあと中身を見たら、俺の寝顔が写ってた・・・。
涙が止まらなかった。
どうやら嬉しいらしく、はしゃぎながらいろいろと写してた。
何日かしてメモリがいっぱいで写せないらしく「どうすればいいの?」って聞いてきたが、「忙しいから説明書読め!」とつい怒鳴ってしまった。
さらに「つまらないものばかり写してるからだろ!」とも言ってしまった。そしたら「ごめんね」と一言。
そんな母が先日亡くなった。
遺品整理してたらデジカメが出てきて、何撮ってたのかなあと中身を見たら、俺の寝顔が写ってた・・・。
涙が止まらなかった。
posted at 2012/09/02 0:00:01
lastupdate at 2012/09/02 0:00:01
【修正】
2012/09/01
[泣ける話]
私が中学生くらいの頃、ちょうど反抗期真っ最中だった。
私は母と些細な事で喧嘩になり、母から「そんな子に育てた覚えはない!」と言われました。
売り言葉に買い言葉で「産んでくれなんて頼んだ覚えは無いよ!」とつい言ってしまいました。
お前なんて産まなきゃよかったくらいの言葉が返ってくるかと思ったのに、
母は私のその言葉を聞いてから黙ってしまい、返事をする事はありませんでした。
それから月日は経ち、私が大学入学する時に戸籍抄本を大学に提出しなくてはいけなかったので、役所に取りに行きました。
その戸籍には「養女」の文字が・・・
私は父と母の本当の娘ではなかったのです。
そんなこととは全く知らずに、あの日言ってしまったあの言葉。
悔やんでも悔やみきれませんでした。
養女だと知ったとき、私は全くショックは受けませんでした。
むしろお父さん、お母さんの子として育った私って、なんて幸せなんだろうと胸がいっぱいになったのを良く覚えています。
おかあさん、あの日はごめんなさい。
私を本当の子以上に大切に育ててくれた事、感謝しています。
私も自分の子供たちに、母が私に注いでくれたような愛情で育てたいと思います
私は母と些細な事で喧嘩になり、母から「そんな子に育てた覚えはない!」と言われました。
売り言葉に買い言葉で「産んでくれなんて頼んだ覚えは無いよ!」とつい言ってしまいました。
お前なんて産まなきゃよかったくらいの言葉が返ってくるかと思ったのに、
母は私のその言葉を聞いてから黙ってしまい、返事をする事はありませんでした。
それから月日は経ち、私が大学入学する時に戸籍抄本を大学に提出しなくてはいけなかったので、役所に取りに行きました。
その戸籍には「養女」の文字が・・・
私は父と母の本当の娘ではなかったのです。
そんなこととは全く知らずに、あの日言ってしまったあの言葉。
悔やんでも悔やみきれませんでした。
養女だと知ったとき、私は全くショックは受けませんでした。
むしろお父さん、お母さんの子として育った私って、なんて幸せなんだろうと胸がいっぱいになったのを良く覚えています。
おかあさん、あの日はごめんなさい。
私を本当の子以上に大切に育ててくれた事、感謝しています。
私も自分の子供たちに、母が私に注いでくれたような愛情で育てたいと思います
posted at 2012/09/01 0:16:55
lastupdate at 2012/09/01 0:16:55
【修正】
[泣ける話]
晴れの日、空を見上げて君を思う。
青色に雲の白色、木の緑色がくっきりと浮かび上がる。
そんな日は決まっていつも君から連絡が来ていた。
「晴れてるよ!今ひま?」
考えてみると、私はいつも君に振り回されていたね。
約束はすっぽかされるし、行きたいって言った場所にはなかなか行ってもらえなかった。
結局2年間一緒にいて、一緒に行きたかったこと、したかったこと、まだまだ沢山あった
のに出来ないで終わってしまった。
それでも、そうやって君から突然の連絡があったりすると、私は「自分が暇なときばっか
り!」と思いながらも嬉しくて他の事そっちのけで君に会いに行った。
君は遠かった。どんなに近くにいても私には入り込めない部分が君にはあって、私はそれ
が辛かった。
楽しいだけでいつまでも一緒に居れたら、どんなに楽なんだろう。
ずっとそう思ってきた。でもやっぱりそうじゃないこと、私は分かってしまった。
本当によく一緒に笑ったね。すっごく楽しかった。
どんなに遠くても、笑ってる間はすごく近くに感じた。
きっと、これからだって一緒に居たら、いっぱい笑ってる君と自分が居るんだろうね。
でも、もうさよならするね。
力になってあげられなくてごめんね。
頼りにならない彼女でごめんね。
大好きだったよ。
君と出会えて、あんなに一緒に笑えて、本当に、本当に幸せでした。
さよなら。ありがとう。
青色に雲の白色、木の緑色がくっきりと浮かび上がる。
そんな日は決まっていつも君から連絡が来ていた。
「晴れてるよ!今ひま?」
考えてみると、私はいつも君に振り回されていたね。
約束はすっぽかされるし、行きたいって言った場所にはなかなか行ってもらえなかった。
結局2年間一緒にいて、一緒に行きたかったこと、したかったこと、まだまだ沢山あった
のに出来ないで終わってしまった。
それでも、そうやって君から突然の連絡があったりすると、私は「自分が暇なときばっか
り!」と思いながらも嬉しくて他の事そっちのけで君に会いに行った。
君は遠かった。どんなに近くにいても私には入り込めない部分が君にはあって、私はそれ
が辛かった。
楽しいだけでいつまでも一緒に居れたら、どんなに楽なんだろう。
ずっとそう思ってきた。でもやっぱりそうじゃないこと、私は分かってしまった。
本当によく一緒に笑ったね。すっごく楽しかった。
どんなに遠くても、笑ってる間はすごく近くに感じた。
きっと、これからだって一緒に居たら、いっぱい笑ってる君と自分が居るんだろうね。
でも、もうさよならするね。
力になってあげられなくてごめんね。
頼りにならない彼女でごめんね。
大好きだったよ。
君と出会えて、あんなに一緒に笑えて、本当に、本当に幸せでした。
さよなら。ありがとう。
posted at 2012/09/01 0:16:55
lastupdate at 2012/09/01 0:16:55
【修正】
2012/08/30
[泣ける話]
私が23歳の頃、就職1年目の冬、私の誕生日の日のこと。
職場の人たちが「誕生パーティーをしてあげる!」というので、家に、「今日は遅くなるよ。
ゴハンいらないから。」と電話を入れたら、父が「今日はみなさんに断って、早く帰ってきなさい。」
と言う。「だってもう会場とってもらったみたいだし、悪いから行く。」と私が言うと、いつもは
温厚な父が、「とにかく今日は帰ってきなさい、誕生日の用意もしてあるから。」とねばる。
「???」と思いながら、職場のみんなに詫びを入れて帰宅した。
家にはその春から肋膜炎で療養中の母と、電話に出た父。食卓にはスーパーで売ってるような
鶏肉のもも肉のローストしたみたいなやつとショートケーキ3つ。
「なんでわざわざ帰らせたの!私だってみんなの手前、申し訳なかったよ!」と言ってしまった。
父は何か言ったと思うが、覚えていない。母が、「ごめんね。明日でもよかったね。」と涙ぐんだ。
私は言い過ぎたな、と思った。でもあやまれず、もくもくと冷えた鶏肉とケーキを食べて部屋に戻った。
その2ヶ月後、母の容態が急変し入院した。仕事帰りに病院に行くと、父がいた。廊下の隅で、「実は
お母さんは春からガンの末期だとわかっていたんだよ。隠していてごめんね。」とつぶやいた。
呆然として家に帰ったあと、母の部屋の引き出しの日記を読んだ。あの誕生日の日のページに
「○子に迷惑をかけてしまった。」とあった。
ワーッと声を出して泣いた。何時間も「ごめんね。」といいながら泣いた。夜が明ける頃には
涙が出なくなった。すごい耳鳴りがした。
4,5日して母は死んだ。仕事をやめて、看病していた父も数年前に死んだ。
父が準備したささやかな誕生日パーティーをどうして感謝できなかったのか。
母にとっては最後だったのに、、、。
父も数年後に死んだ。こんな情けない自分でも、がんばって生きている。
職場の人たちが「誕生パーティーをしてあげる!」というので、家に、「今日は遅くなるよ。
ゴハンいらないから。」と電話を入れたら、父が「今日はみなさんに断って、早く帰ってきなさい。」
と言う。「だってもう会場とってもらったみたいだし、悪いから行く。」と私が言うと、いつもは
温厚な父が、「とにかく今日は帰ってきなさい、誕生日の用意もしてあるから。」とねばる。
「???」と思いながら、職場のみんなに詫びを入れて帰宅した。
家にはその春から肋膜炎で療養中の母と、電話に出た父。食卓にはスーパーで売ってるような
鶏肉のもも肉のローストしたみたいなやつとショートケーキ3つ。
「なんでわざわざ帰らせたの!私だってみんなの手前、申し訳なかったよ!」と言ってしまった。
父は何か言ったと思うが、覚えていない。母が、「ごめんね。明日でもよかったね。」と涙ぐんだ。
私は言い過ぎたな、と思った。でもあやまれず、もくもくと冷えた鶏肉とケーキを食べて部屋に戻った。
その2ヶ月後、母の容態が急変し入院した。仕事帰りに病院に行くと、父がいた。廊下の隅で、「実は
お母さんは春からガンの末期だとわかっていたんだよ。隠していてごめんね。」とつぶやいた。
呆然として家に帰ったあと、母の部屋の引き出しの日記を読んだ。あの誕生日の日のページに
「○子に迷惑をかけてしまった。」とあった。
ワーッと声を出して泣いた。何時間も「ごめんね。」といいながら泣いた。夜が明ける頃には
涙が出なくなった。すごい耳鳴りがした。
4,5日して母は死んだ。仕事をやめて、看病していた父も数年前に死んだ。
父が準備したささやかな誕生日パーティーをどうして感謝できなかったのか。
母にとっては最後だったのに、、、。
父も数年後に死んだ。こんな情けない自分でも、がんばって生きている。
posted at 2012/08/30 0:12:30
lastupdate at 2012/08/30 0:12:30
【修正】
2012/08/27
[泣ける話]
些細な事ですが…
10年程前、母が何かの病気(今だに知らないのはちょっとおかしいですよね(;^_^))で手
術して入院しました。
私の通っていた中学校の昼食は、給食ではなく弁当持参の学校でした。
毎朝作ってくれていた母が入院したので、
その1ヵ月弱の期間、
代わりに父が毎朝早くから起きて作ってくれました。
私の兄弟は3姉弟でした。
皆年が近かったので、3人分を作らなくてはいけませんでした。
父は「友達に見られても恥ずかしくない弁当を作るから安心しろ!p(^-^)q」と、テレビ
の料理番組や本を見ながら研究したり、友人に聞いたりしていたようです。
父は毎日の弁当に、必ずしょっぱい卵焼きを入れてくれていました。
季節は夏だったので、父なりに調べたのであろう
「塩を少し効かせると腐りにくいんや♪(゚∀゚)v」
と、どこから仕入れた知識なのやら、その卵焼きは塩味の効いた不器用な卵焼きでした。
アレから十数年…
母が残業で遅くなったりして夕食の支度がまだの時は、父が例の卵焼きをよく作ってくれ
ます。
その卵焼きは、まだ少ししょっぱくする癖が残っており、食べる度に
「あぁ…、オレの親父の味だな」と、ホロリとしてしまいます。
父と呑む晩酌の、愛情の効いた最高の肴です。(*^ー^)
10年程前、母が何かの病気(今だに知らないのはちょっとおかしいですよね(;^_^))で手
術して入院しました。
私の通っていた中学校の昼食は、給食ではなく弁当持参の学校でした。
毎朝作ってくれていた母が入院したので、
その1ヵ月弱の期間、
代わりに父が毎朝早くから起きて作ってくれました。
私の兄弟は3姉弟でした。
皆年が近かったので、3人分を作らなくてはいけませんでした。
父は「友達に見られても恥ずかしくない弁当を作るから安心しろ!p(^-^)q」と、テレビ
の料理番組や本を見ながら研究したり、友人に聞いたりしていたようです。
父は毎日の弁当に、必ずしょっぱい卵焼きを入れてくれていました。
季節は夏だったので、父なりに調べたのであろう
「塩を少し効かせると腐りにくいんや♪(゚∀゚)v」
と、どこから仕入れた知識なのやら、その卵焼きは塩味の効いた不器用な卵焼きでした。
アレから十数年…
母が残業で遅くなったりして夕食の支度がまだの時は、父が例の卵焼きをよく作ってくれ
ます。
その卵焼きは、まだ少ししょっぱくする癖が残っており、食べる度に
「あぁ…、オレの親父の味だな」と、ホロリとしてしまいます。
父と呑む晩酌の、愛情の効いた最高の肴です。(*^ー^)
posted at 2012/08/27 0:23:50
lastupdate at 2012/08/27 0:23:50
【修正】
2012/08/25
[泣ける話]
僕は、何かにつけて口うるさい母がイヤでしかたがありませんでした。それこそ、1から10まで干渉されているようで、早く独立して家を出て行くことばかり考えていました。
幸い、近くにちょうどいい部屋が開いたので、すぐに引っ越しました。
やっと、うるさい母から離れて暮らすことができ、解放された感じがしてうれしい毎日でした。
ところが、いざ自分で暮らすとなると、食事・洗濯・掃除などでアルバイトで疲れた身体にはこたえました。食事もコンビニで買った弁当やカップ麺で済ますことが多くなり、おまけに洗濯物もたたまずに部屋の隅や衣装ケースに丸めてつっこんでおくようになってしまいました。
そんなある時、自転車のカゴにおかずが置いてありました。母に違いありません。
アルバイトで疲れた身体に母の作った「肉ジャガ」の味には、とても有り難い気持ちがしました。何も手紙やメモもありませんでしたが嬉しい感がしました。
一緒にいる時は“口うるさいだけの母”と思っていましたが、そうではありませんでした。親としての優しい愛情だったのです。
それでも、実家に帰ると母に面と向かって何も言えず、ただ、黙ってあいた容器を台所に置くだけでした。母も何も言いません。
しかし、心の底ではとても感謝しています。
幸い、近くにちょうどいい部屋が開いたので、すぐに引っ越しました。
やっと、うるさい母から離れて暮らすことができ、解放された感じがしてうれしい毎日でした。
ところが、いざ自分で暮らすとなると、食事・洗濯・掃除などでアルバイトで疲れた身体にはこたえました。食事もコンビニで買った弁当やカップ麺で済ますことが多くなり、おまけに洗濯物もたたまずに部屋の隅や衣装ケースに丸めてつっこんでおくようになってしまいました。
そんなある時、自転車のカゴにおかずが置いてありました。母に違いありません。
アルバイトで疲れた身体に母の作った「肉ジャガ」の味には、とても有り難い気持ちがしました。何も手紙やメモもありませんでしたが嬉しい感がしました。
一緒にいる時は“口うるさいだけの母”と思っていましたが、そうではありませんでした。親としての優しい愛情だったのです。
それでも、実家に帰ると母に面と向かって何も言えず、ただ、黙ってあいた容器を台所に置くだけでした。母も何も言いません。
しかし、心の底ではとても感謝しています。
posted at 2012/08/25 0:16:16
lastupdate at 2012/08/25 0:16:16
【修正】
2012/08/23
[泣ける話]
海の学習という名前で学年全体で泊りがけでの研修のあった5年生。
雨女の私が出かけると必ず雨。
今までの遠足も雨が多かったからそんなにがっかりすることもだんだんなくなってた。
ただ海の学習だから海でボートに乗ったりできるのが楽しみだったのに。
本当なら外のお日様の下で食べられるはずだったお弁当。かわいそうに。せっかくお母さ
んが作ってくれてみんなで外で気持ちよく楽しくワイワイ食べたかったのになー。
雨だから研修所の宿泊大部屋でみんな自分のお弁当をとりだした。
あれ?包みの中にお母さん、何か入れてる??
「○○ちゃん、楽しみにしていた海の学習の日がきたね。たくさんのお友達と一緒にお弁
当を食べてね」
メモがでてきた。
3人年子の兄弟の真ん中の私。
いつも子育てに仕事に忙しかったお母さんはそれでも家事の手抜きはなかった。それでも
中子の私はあまり母にはかまってもらえてなかった。
それもあまり気にならなかったし。
お母さん大好きだから。
そこにこのメモ。
読みながら涙がブワーっとでてきた。
どんなおかずがはいってたか記憶にない。
自分の涙でしょっぱかったことは覚えてるのに。
そのメモ、お母さんに見られないように20年たった今でも隠してもってる。
雨女の私が出かけると必ず雨。
今までの遠足も雨が多かったからそんなにがっかりすることもだんだんなくなってた。
ただ海の学習だから海でボートに乗ったりできるのが楽しみだったのに。
本当なら外のお日様の下で食べられるはずだったお弁当。かわいそうに。せっかくお母さ
んが作ってくれてみんなで外で気持ちよく楽しくワイワイ食べたかったのになー。
雨だから研修所の宿泊大部屋でみんな自分のお弁当をとりだした。
あれ?包みの中にお母さん、何か入れてる??
「○○ちゃん、楽しみにしていた海の学習の日がきたね。たくさんのお友達と一緒にお弁
当を食べてね」
メモがでてきた。
3人年子の兄弟の真ん中の私。
いつも子育てに仕事に忙しかったお母さんはそれでも家事の手抜きはなかった。それでも
中子の私はあまり母にはかまってもらえてなかった。
それもあまり気にならなかったし。
お母さん大好きだから。
そこにこのメモ。
読みながら涙がブワーっとでてきた。
どんなおかずがはいってたか記憶にない。
自分の涙でしょっぱかったことは覚えてるのに。
そのメモ、お母さんに見られないように20年たった今でも隠してもってる。
posted at 2012/08/23 0:13:31
lastupdate at 2012/08/23 0:13:31
【修正】
2012/08/17
[泣ける話]
僕には今、おばあちゃんが2人、おじいちゃんが1人います。
一人のおじいちゃんは、俺が4才の時に亡くなりました。
もう一人のおじいちゃんは今、全身にガンが転移してもう長くありません。
それを紛らわす為に今は病院で入院しながらモルヒネを毎日飲まされてるんです。
おじいちゃんの寿命はあと2ヵ月持つかわらないと母親に聞かされました。
ちょうどその時は仕事の帰り道で、僕一人、車の中で声も出さずに一人泣いていました。
おじいちゃんとの思い出が頭の中を駆け巡ります。
俺が小さい頃、いっぱい遊んでくれたね。
静岡にいたとき、おいしい料理、いっぱい作ってくれたね。
俺が言うこと聞かなかったとき、いっぱい怒ってくれたね。
俺が引っ越すとき、俺が泣いてるときになぐさめてくれたね.
俺にはもうおじいちゃんって呼べる人、いなくなっちゃうじゃん。
将来、俺が結婚するの、見届けるって言ったじゃん。
これじゃ、俺がおじいちゃんを見届けなきゃいけないじゃん。
もっと長生きしてよ。
そして俺の将来、見届けてよ。おじいちゃん…。
一人のおじいちゃんは、俺が4才の時に亡くなりました。
もう一人のおじいちゃんは今、全身にガンが転移してもう長くありません。
それを紛らわす為に今は病院で入院しながらモルヒネを毎日飲まされてるんです。
おじいちゃんの寿命はあと2ヵ月持つかわらないと母親に聞かされました。
ちょうどその時は仕事の帰り道で、僕一人、車の中で声も出さずに一人泣いていました。
おじいちゃんとの思い出が頭の中を駆け巡ります。
俺が小さい頃、いっぱい遊んでくれたね。
静岡にいたとき、おいしい料理、いっぱい作ってくれたね。
俺が言うこと聞かなかったとき、いっぱい怒ってくれたね。
俺が引っ越すとき、俺が泣いてるときになぐさめてくれたね.
俺にはもうおじいちゃんって呼べる人、いなくなっちゃうじゃん。
将来、俺が結婚するの、見届けるって言ったじゃん。
これじゃ、俺がおじいちゃんを見届けなきゃいけないじゃん。
もっと長生きしてよ。
そして俺の将来、見届けてよ。おじいちゃん…。
posted at 2012/08/17 0:18:40
lastupdate at 2012/08/17 0:18:40
【修正】