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インターネットで公開している、泣ける話、感動する話をまとめています。号泣できる話から、ほっこりと心温まる話をいろいろ集めてますので、楽しんでください。
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2010/05/24
[泣ける話]
494 名前: 名無しの心子知らず 投稿日: 2007/10/28(日) 21:36:44 ID:wb/GHMhd
以前、母が受け持っていた幼稚園児に
「大きくなったら何になりたい?」と尋ねた所
「おはなやさん!」
「サッカーせんしゅ!」
「○○レンジャー!」(まぁ、これは幼児にありがちな答え)
次々に回答していく中、ある一人の女の子が
「おにぎり!」
と言ったそうな
母が理由を聞くと、
「おかあさんが大好きだから、わたしがおにぎりになってあげるの〜」
…だって。かわゆす(*´д`)
89 名前: 名無しの心子知らず 投稿日: 2007/10/30(火) 03:45:05 ID:ElEKQyJ9
タカトシが好きな2歳6ヵ月の息子が、私に
「おーべいかっ!」と言いながら頭の上にチョンと
ものすごくソフトタッチで手を乗せてきた。
すると主人がふざけて、
「もっと強くペチンしなきゃ〜!」
と言って私のおでこをペチッとはたいたんだけど、
息子が慌てて私の所に寄って来て、
「ダメ!ママに痛いペチンダメ!」
と言って泣きながらおでこをさすさすしてくれて、
「パパ!痛くないはこうよ!」
と言って主人の頭にもソフトタッチで手を乗せて、
痛くないペチンを必死に教えてくれていた(嬉泣)
以前、母が受け持っていた幼稚園児に
「大きくなったら何になりたい?」と尋ねた所
「おはなやさん!」
「サッカーせんしゅ!」
「○○レンジャー!」(まぁ、これは幼児にありがちな答え)
次々に回答していく中、ある一人の女の子が
「おにぎり!」
と言ったそうな
母が理由を聞くと、
「おかあさんが大好きだから、わたしがおにぎりになってあげるの〜」
…だって。かわゆす(*´д`)
89 名前: 名無しの心子知らず 投稿日: 2007/10/30(火) 03:45:05 ID:ElEKQyJ9
タカトシが好きな2歳6ヵ月の息子が、私に
「おーべいかっ!」と言いながら頭の上にチョンと
ものすごくソフトタッチで手を乗せてきた。
すると主人がふざけて、
「もっと強くペチンしなきゃ〜!」
と言って私のおでこをペチッとはたいたんだけど、
息子が慌てて私の所に寄って来て、
「ダメ!ママに痛いペチンダメ!」
と言って泣きながらおでこをさすさすしてくれて、
「パパ!痛くないはこうよ!」
と言って主人の頭にもソフトタッチで手を乗せて、
痛くないペチンを必死に教えてくれていた(嬉泣)
posted at 2012/03/14 22:56:49
lastupdate at 2012/03/14 22:59:18
【修正】
2010/05/22
[泣ける話]
恋に駆け引きはあるけど、愛に駆け引きはないのよ。
恋は 「相手から何がもらえるか」考えることであって、
愛は 「相手に何がしてあげられるか」考えることなの。
だから、しばらくの間は先に愛した人が、
一方的に愛をあげることになる。
あげる愛の分量を多く蓄えている人でないと、
耐えることができないのよ。
恋は 「相手から何がもらえるか」考えることであって、
愛は 「相手に何がしてあげられるか」考えることなの。
だから、しばらくの間は先に愛した人が、
一方的に愛をあげることになる。
あげる愛の分量を多く蓄えている人でないと、
耐えることができないのよ。
posted at 2012/03/14 20:25:41
lastupdate at 2012/03/14 23:10:47
【修正】
2010/05/14
[泣ける話]
186 名前: おさかなくわえた名無しさん 投稿日: 2005/08/30(火) 23:45:15 ID:YaDG/PL7
私の部屋(生まれる前は応接室だった)にずっと母の本棚がある。
母が集めている推理小説とか過去にもらった本とかがたくさん入ってて、
私は特に本棚の中を開けてみたり触ったりもしなかった。
数年前、ちょっと捜し物をしていて母の本棚を探っていたら
「○○小学校」と書かれた母の母校の小学校の古い文集が
あるのが目に止まった。
好奇心だけで「どんなくだらないこと書いてたのかな〜♪」って読んでみたら
他の子(母の同級生)は家族で旅行をして楽しかったとか、
遠足でみんなで遊んだ思い出とかを書いているのに対して、
母の作文だけタイトルが「おとうさんの入院」だった。
読むのをためらうタイトルだったけど読んでみると
「私のお父さんが入院しました」
から始まって小学生の子供が書いたとは思えないほどの
深刻な内容がそこに・・・
読み終わる頃には涙が止まりませんでした。
おじいちゃん(母の父)は病気で母が高校生の時に亡くなったんだけど、
とても苦労したんだなぁと思った。
私は父と仲が悪くケンカばかりしてて
母が「お父さんになんてこと言うの!お父さんを大切にしなさい」
と言うことの意味がその時やっとわかりました。
気づくのが遅かったかもしれないけど、
これからも両親を大切にしていきたいと思う。
posted at 2012/03/14 18:17:28
lastupdate at 2012/03/14 18:17:28
【修正】
2010/03/17
[泣ける話]
「悪いことってなんです?悪ってなんです?誰がそんなこときめたんです?神様ですか?それとも地球が出来たときから決められていましたか?」
「それは人間の良心が決めるんだ」
「ほら、ごらんなさい!人間が自分で勝手に決めたんでしょう!
たとえば、、誰かが犬をいじめたとする。すると、そんなに犬をいじめてはいけない、とすぐに怒られるでしょう?だけど牛やブタはどうです?人間は平気で殺すじゃありませんか?
戦争だってそうです。両方とも正義の戦いだっていってますよ。こっちは敵が悪い奴で、味方は正義だと思っているけれど、敵は敵で自分の方が正しいと思いこんでいる。そして結局は人殺しを平気でするじゃありませんか!
正しいこと、悪いことなんて、人間が勝手にでっち上げたもんで、そんなもん実際にはないんだ。生きるためには、誰がどんなことをしてもいいんですよ!」
posted at 2012/03/14 16:30:18
lastupdate at 2012/03/14 16:30:18
【修正】
2010/03/12
[泣ける話]
516 名前:名無し職人[] 投稿日:2005/09/18(日) 23:42:04
子供の頃の話だけど
俺んち母子家庭で貧乏だったから、ファミコン買えなかったよ。。。
すっげーうらやましかったな、持ってる奴が。
俺が小6のときにクラスの給食費が無くなった時なんて、
「ファミコン持ってない奴が怪しい」なんて、真っ先に疑われたっけ。
貧乏の家になんか生まれてこなきゃよかった!って
悪態ついたときの母の悲しそうな目、今でも忘れないなぁ、、。
どーしても欲しくって、中学の時に新聞配達して金貯めた。
これでようやく遊べると思ったんだけど、ニチイのゲーム売り場の前まで来て買うのやめた。そのかわりに小3の妹にアシックスのジャージを買ってやった。いままで俺のお下がりを折って着ていたから。
母にはハンドクリーム買ってやった。いっつも手が荒れてたから。
去年俺は結婚したんだけど、結婚式前日に母に大事そうに錆びたハンドクリームの缶を見せられた。
泣いたね、、。
初めて言ったよ「産んでくれてありがとう」って。
posted at 2012/03/14 18:16:17
lastupdate at 2012/03/14 18:16:17
【修正】
2010/02/01
[泣ける話]
131 名前:ヤマハの人 ◆0vMqYi.mjA [sage] 投稿日:2005/08/30(火) 14:20:24 ID:uvfWM8bq
いくつかある思い出のひとつを投下します。
俺は当時、渋谷で一人暮らしをしていた。仕事が終わり、帰宅した後に RZVでツーリングというか、散歩みたいな感じで、夜の街を軽く流して 寝るというのが習慣だった。
ある春の日の夜のこと。
彼女に出逢ったあの日は、軽く雨が降っていた。こんな日は夜ツーはやめておこうと思い、駅を出てまっすぐに、センター街にある(ジャッキーチェンの経営する)中華料理店に向かった。
メシを食って、さあ帰るかなと席を立った時、一人の女と目があった。その女は、女二人でメシを食いにきていた。その時は、こいつらもジャ ッキーのファンなのかなと思っただけだった。
雨は相変わらず小降り。路面は軽いウェット。こんな感じじゃ、やっぱり走りたくないなと思い、なんとなくゲームセンターに入った。少し遊んでいると、さっきの女が入ってきた。女たちはプリクラを撮っていた。
132 名前:ヤマハの人 ◆0vMqYi.mjA [sage] 投稿日:2005/08/30(火) 14:23:16 ID:uvfWM8bq
プリクラなんて、どこがおもしれーのかなと思い、なんとなくそいつらを見ていた。よく見ると、優香に似ている。すると、女が俺に話し掛けてきた。「一緒に撮ります?」と笑う女(以下、優香)。
「ん?何で俺と?」と訊くと、んー、なんとなく。と笑った。優香の友人らしき女も笑っている。プリクラは苦手だからと、断ったんだけど、勢いに押され、プリクラを撮る事に。軽く話をしてみる。女たちは東京観光に来ていて、翌日の午後に京都に帰るとの事。
京都が好きで、京都には何度かツーリングで行った事がある俺は、京都人と話す事が嬉しくて、彼女達の京都の話が楽しかった。京都弁が好きな俺は、彼女達の話す言葉が嬉しかった。お返しに俺は、地元で見かけた芸能人の話をしてあげた。
133 名前:ヤマハの人 ◆0vMqYi.mjA [sage] 投稿日:2005/08/30(火) 14:25:29 ID:uvfWM8bq
突然優香が「やっぱり似てるよねぇ」と俺に言う。「何に似ているんだ?」と訊くと「物じゃなくて、人だよー」と。彼女達が言うには、大沢たかおに似ているそうだ。優香はその男のファンらしく、俺に話し掛けてきたのも、そのせいだったようだ。
「ジャッキーズ・キッチンにいたから、ジャッキー・チェンのファンだと思っていたよ。それで話し掛けてきたのかと思ってた。」と言うと、特にファンでは無いと笑っていた。自分では、パッとしない顔だと思っていたけど、芸能人(俳優か?)に似ていると言われた事は、悪い気分じゃなかった。
ゲーセンで話し始めて小一時間程経った頃、雨は上がっていたみたいで、外に出ると、路面も乾き初めていた。「お、これは寝る前にひとっ走りできるかな」と独り言を言う俺。
優香の友人らしき女が、「ジョギングですか?」と、力の抜ける事を言う。「いや、バイクで散歩するんだよ。」と苦笑する俺。優香は「わー、いいなぁ。バイクって楽しそうですよねぇ。」と言うから、「京都にツーリングに行った時に偶然逢えたら乗せてあげるよ。」と言うと、「えっ、いいんですかー?約束ですよぉ。」と笑う。
その日はお互いのメールアドレスを交換して、俺は自宅へ、彼女達はホテルへと帰っていった。結局その日は走りには行かずに寝た。
134 名前:ヤマハの人 ◆0vMqYi.mjA [sage] 投稿日:2005/08/30(火) 14:29:28 ID:uvfWM8bq
翌日、目が覚めると優香からメールが来ていた。「昨日は楽しかったよ。ありがとう。約束、忘れないでね♪」と、こんな感じ。いきなりタメ口かよと苦笑する俺。当時の俺は23歳。優香は19歳。まあ俺は体育会系でもないし、そういうのはあまり気にしないタチだったから、気にしてなかった。
とりあえず「ああ、俺も楽しかったよ。久しぶりに、大好きな京都弁が聞けて、嬉しかった。帰りは気をつけてね。」とメールを返す。するとすかさず返信が。「京都へは、いつ来るんですか?」だって。何故か急に敬語になる優香に、少し笑った。「気が向いた時に行くよ」と返信して仕事に向かう。
それから毎日のように、優香からメールが来た。時々京都弁で書いてあるメールに萌えたりしながら、俺は優香とのメールを楽しんでいた。そして7月になった頃、急に八橋が食べたくなり、俺は京都に行く事を決めた。八橋なんて通販でも買えるし、横浜の大黒パーキングに行けばいつでも買えるんだが。
思い立ったが吉日、早速週末に出発する事にした。
135 名前:ヤマハの人 ◆0vMqYi.mjA [sage] 投稿日:2005/08/30(火) 14:31:40 ID:uvfWM8bq
早朝、まだ暗いうちに自宅を出る。東名高速をひた走る。2回ほど休憩して、いざ京都へ。高速を下りて、とりあえず清水寺へ。団子を食べている時に、ふと優香の事を思い出した。携帯を取り出し、メールを打つ。
が、返事は無い。ま、いっか。偶然会えたらって約束だしなと思い、RZVを走らせる。
八橋を買い、何箇所か観光地を廻る。目的も果たしたし、早めに帰ろうかなと思い、エンジンを掛けようとしたその時、メールの着信音が鳴った。
なんだよめんどくせぇな。
渋々グローブを外し、メールを見る。優香からだ。
「大沢くん(俺の事)、今こっちに来てるの?どこにいるの?会いたいよ。」
今、渡月橋の近くだよと返信する。優香は用事があって、学校に来ているらしい。そこまで行くから待っててと言われたが、俺が行く方が早いから待ってなよとメールを送る。
京都御所にほど近い大学の入り口に、優香はいた。毎日メールのやり取りをしていたからだろうか、それほど久しぶりのような気はしなかったが、とりあえず、久しぶり、と頭を撫でる。優香は俺の腰にガバーっと抱きついてきた。バランスを崩して、危うく立ちゴケするところだった。
136 名前:ヤマハの人 ◆0vMqYi.mjA [sage] 投稿日:2005/08/30(火) 14:34:08 ID:uvfWM8bq
俺のメールの返事が遅いとか、あまり写真を送ってくれないとか、色々文句を言われた。とりあえずヘルメットを脱ぎ、グローブを外す。「猫の写真は喜んでたジャマイカ。」と言うも、「猫は猫、大沢くんは大沢くんなの」と優香。ああ、そうなの。
俺は、優香とメールのやりとりをしているうちに、優香の事を好きになっていった。優香は毎日写真を送ってくれていた。俺は、自分の写真は送らずに、地元で撮った写真や、夜の散歩の時に撮った風景写真、夜景の写真を“時々”送っているだけだった。
一度しか会っていないし、メールのやりとりだけで好きになる恋なんて、おかしいよなあ、と思っていた。しかし、優香への想いは、日を追うごとに大きくなっていた。そして、その想いに気付いてはいたものの、やっぱりおかしいよなあ、と言い聞かせている自分がいた。
137 名前:ヤマハの人 ◆0vMqYi.mjA [sage] 投稿日:2005/08/30(火) 14:36:39 ID:uvfWM8bq
この日、京都で優香に再会して、一気に想いが膨れ上がっていくのを感じた。それは優香も同じだった。のかは知らんが、優香の目には、うっすらと涙が浮かんでいた。「今日はこれからどうするの?」と訊かれて、「ん。もう帰ろうと思ってたところだよ」と答える俺。
「えー!ゆっくりしていきなよぉ。せっかく来たんだし。色々案内するよ」「今日はどこかに泊まるんじゃないの?日帰りなの?」 「バイクに乗せてくれるって言ってたじゃない。やーくーそーくー。」
と、少しむくれた顔をする優香。
「しょうがねぇなあ。まあ、明日も休みだし、今夜はどこかに泊まるかな」と言うと、優香の表情が明るくなる。「んー、うちには泊まれないから、一緒に宿を探すよ」と、公衆電話があるところに案内してくれた。なんで公衆電話?と思っていたら、そこにはタウンページが置いてあった。
ああ、なるほどな。オマイ、頭いいなと心の中でつぶやきながら、ふたりでページをめくる。観光案内所とかに行けばすぐに紹介してくれんじゃねーの?とも思ったけど、ふたりで宿を探すという行為が妙に楽しくて、その言葉はしまっておいた。
何件も電話をかけたが、週末で、夕方だったせいか、なかなか空き部屋がない。ようやく見つけたのは、琵琶湖の近くのビジネスホテルだった。俺も疲れているし、宿に行くにも迷うだろうから、明日ゆっくり会おうなと、優香に携帯の番号を教えて、ホテルに向かった。
138 名前:ヤマハの人 ◆0vMqYi.mjA [sage] 投稿日:2005/08/30(火) 14:39:12 ID:uvfWM8bq
翌日、優香に言われるままに、桂という駅に向かった。ここにきて思ったのだが、俺のRZVはバックステップにシングルシート。ヘルメットも、俺の分しか無い。優香を乗せる事なんてできねえじゃん_| ̄|○
しかし優香は、そんな事はわかっていたらしく、白いワンピース姿で俺を迎えてくれた。優香の家まで、バイクを押して歩く。優香の家は、駅から5分位だった。言われるままに、庭にバイクを停める。その時、優香の父と思われる人物が現れた。
「君が大沢くんか?娘がよく君の事を話しているものでね。いつも世話になってすまないね」「あ、いえ。こちらこs『おとーさん!そんな格好で出てこないでっていつも言ってるでしょ!』ます。」
父上はランニングシャツにトランクスという出で立ちで、いかにも“とうちゃん”って感じだった。まあ、こんな感じで挨拶を済ませて、再び駅へと歩いた。
139 名前:ヤマハの人 ◆0vMqYi.mjA [sage] 投稿日:2005/08/30(火) 14:42:12 ID:uvfWM8bq
よく晴れた日曜日だった。優香の希望で、清水寺に行った。八坂神社では、お守りを買ってくれた。祇園の街をのんびり歩いた。夕方になると、芸妓さんとか舞妓さんが歩いてるのよ、と教えてくれた。
その後、京都駅の屋上に連れていかれた。のんびりし過ぎたせいで、辺りは薄暗くなっていた。京都駅の屋上は、薄い黄色のランプがきれいだった。「私の家は、あの辺かな」と、優香が指を指す。「カップルばかりだね」と、少し照れた様子がかわいい。
もうそろそろ帰らなければいけない時間だったんだが、一日一緒にいたせいか、なかなか離れ難い。俺は改めて、優香への気持ちを確信した。
優香の気持ちも、俺に伝わっていた。軽く抱き寄せて、くしゃくしゃっと頭を撫でる。ついでに、ほっぺをムニューと引っ張ってみた。優香は笑いながら俺を叩いた。
140 名前:ヤマハの人 ◆0vMqYi.mjA [sage] 投稿日:2005/08/30(火) 14:45:52 ID:uvfWM8bq
唐突に、「なあ、優香。俺達付き合わないか。」と言ってみた。優香は「えっ」と俺を見上げた。
「メールは毎日してたけど、実際会うのは2回目だし、遠距離だし、いつまで続くのかわからないけど。それに、優香がOKって言ってくれるかもわからない。だけど、それでも俺は優香の事が好きなんだ。好きになってしまったんだよ。」と、一気に言っちまった。
少しの沈黙ののち、優香は「ありがとう」と言ってくれた。その日から、俺達の遠距離恋愛が始まった。月に2回は必ず逢いに行った。北山にあ
る、おいしいケーキ屋を教えてくれた。祇園の路地裏に、おもしろい石の置物がある事を教えてくれた。
優香の家の近所の路地には、十二支の名前がついている事を教えてくれた。新京極においしいクレープ屋がある事を教えてくれた。雑誌に載っていない、地元の人がよく利用するお店も、教えてくれた。苦手だったプリクラも、好きになった。
141 名前:ヤマハの人 ◆0vMqYi.mjA [sage] 投稿日:2005/08/30(火) 14:49:18 ID:uvfWM8bq
ノーマルシートに戻し、バックステップも外していた。彼女を乗せて、街中を走った。京都駅の屋上にも、何度も行った。俺は、屋上から見る景色が好きだった。レモンイエローの明かりの下、手を繋いで京都の街をずっと眺めていた。
夜、泣きながら電話を掛けてくる事もあった。そんな時はRZVに乗って逢いに行った。ほんの少し一緒の時間を過ごし、東京へとんぼ返りなんて事も、何度もあった。RZVの距離計は、みるみる伸びていった。高速代やガソリン代も、ばかにならなかった。そんなある日の事。
仕事帰りに、友人とラーメンを食いに行った時に、「俺、京都に住もうと思うんだけど」と、俺は友人に打ち明けた。「ちょっと飛ばせばフォー時間もかからないで行ける距離だけど、やっぱ帰りが辛いし、なかなか好きな時に会えないし、金だってかかる。それなら京都に住んだほうがいいと思うんだよ。あっちでアパートは押さえたし、仕事も決まりそうだしさ」
友人は、寂しくなるなと言いながら、応援してくれた。
彼女にはまだ話していなかった。次の週末、嵐山に紅葉を見に行く時に、話そうと思っていた。しかし、その週末は来なかった。
144 名前:ヤマハの人 ◆0vMqYi.mjA [sage] 投稿日:2005/08/30(火) 15:06:13 ID:uvfWM8bq
急に、彼女の態度が変わったのだ。冷たい口調になり、明らかに、俺に嫌われようとしているな、という態度だった。昨日、友人に決意を誓ったばかりなのに。いったい彼女に何があったんだ?俺、何かやっちゃったか?そして会いに行くと言っても、「忙しいから」と断られる事が続いた。
俺は、わけがわらなかった。
彼女は、車の教習所に通っていた。そこの若い教官がすごく親切で、よくメールや電話で、その教官の事を話していた。その教官に、遠距離恋愛である俺達の事について、相談にのってもらっている事も、以前、俺に話してくれていた。……これか。
一方的に別れを告げられ、俺は日々、放心状態だった。決まりかけていた京都の部屋も、仕事も、キャンセルした。友人は怒り狂っていたが、「まあ、遠距離だったし、すぐに会えないやつより、近くにいてくれるやつの方がやっぱりいいんだよ」などと、妙に冷静な自分もいた。
それでも、数ヶ月は落ち込んでいた。大好きだった夜の散歩も、全然しなくなった。友人がツーリングに誘ってくれたりもしたけど、バイクに乗る気がなくなっていた。
そしてまた夏が来た。
146 名前:ヤマハの人 ◆0vMqYi.mjA [sage] 投稿日:2005/08/30(火) 15:08:11 ID:uvfWM8bq
その頃になると、気持ちも落ち着いてきていて、また夜ツーに出かけるようになっていた。ふと彼女の事を思い出しても、チクリと胸が痛む程度になっていた。そんなある日の週末。ふと、八橋が食べたくなった。八橋なんか通販でも買えるし、横浜の大黒パーキングに行けばいつでも買える。しかし、やっぱ産地に行かなきゃだめだろ。って事
で、京都に行く事を決めた。
思い立ったが吉日。その週末には、京都に立っている俺がいた。八橋を食べて、軽く観光してみるも、ああ、ここはあいつと来たな、とか、ここでケーキ食ったんだったな、とか、鴨川に行けば、ああ、この土手で、カップルの行列に混ざって、一緒に夕日を見たなあ、とか、思い出すのは彼女の事だけだった。街中が、彼女との思い出で溢れていた。
俺は京都駅の屋上に行った。何を思ったか、消せなかった優香の番号をプッシュしている俺がいた。「今、駅の屋上にいる」と、たった一言だけ告げて、電話を切った。来るわけないよな。ストーカーみたいで気味わりーしな。などと思いつつ、ポツポツと明りがつき始めた街を眺めていた。
147 名前:ヤマハの人 ◆0vMqYi.mjA [sage] 投稿日:2005/08/30(火) 15:10:24 ID:uvfWM8bq
不意に後ろから声を掛けられた。優香だった。まさか来るとは思ってなかったから、かなり不意打ちをくらった気分だった。それでも平静を装って、なんとか声を絞りだした。
「お、おう。久しぶり」
「…久しぶりやね」
もともと痩せていたが、優香は以前よりさらに痩せていた。
ぽつり、ぽつりと、優香は話しだした。遠距離が辛くて、寂しかった事。相談に乗ってくれていた教官を好きになってしまった事。俺を裏切った事が、ずっと胸に引っかかっていて、辛かった事。
何度も何度も、ごめんと繰り返す彼女に俺は切れた。彼女を引き寄せて、頭をクシャクシャと撫でる。
「気にすんな。もう終わった事だ。これからは、お前の幸せだけを考えて生きて行けよ」 「今までありがとな。お前と一緒にいた時間は、すごく幸せだったよ」 「俺はもう少しここで夜景を見ていくから。お前は一人で帰れるよな?」
「じゃあな」
彼女はじっと俺を見つめている。突然、優香は泣きながら俺の胸に飛び込んできた。「ごめんね、ごめんね」と繰り返しながら。
「お前なあ、早く帰れ。泣けねーだろうが」と冗談っぽく言うと、「…ん。うん。ごめんね。」と最後までごめんねと言いながら、長いエスカレーターを下りていった。
148 名前:ヤマハの人 ◆0vMqYi.mjA [sage] 投稿日:2005/08/30(火) 15:11:59 ID:uvfWM8bq
俺はまた京都の街を見下ろした。何度も通った、彼女の家の方角を見つめる。「これでやっと終わる事ができなかなー」と、小さく呟いて俺は京都をあとにした。
今でも俺は京都が好きで、八橋が好きだ。ふと食べたくなると、京都までバイクを走らせる。RZVはもう売ってしまって、今は違う愛車だけど、今ではもう、彼女の事を思い出しても、京都に行っても、胸が痛む事は無い。ああ、懐かしい思い出だなあと、なんていうか、生温かい気持ちで振り返る事ができる。そして最後に一言。
彼女が今でも、そしてこれからも、幸せでありますように。
おわり。
いくつかある思い出のひとつを投下します。
俺は当時、渋谷で一人暮らしをしていた。仕事が終わり、帰宅した後に RZVでツーリングというか、散歩みたいな感じで、夜の街を軽く流して 寝るというのが習慣だった。
ある春の日の夜のこと。
彼女に出逢ったあの日は、軽く雨が降っていた。こんな日は夜ツーはやめておこうと思い、駅を出てまっすぐに、センター街にある(ジャッキーチェンの経営する)中華料理店に向かった。
メシを食って、さあ帰るかなと席を立った時、一人の女と目があった。その女は、女二人でメシを食いにきていた。その時は、こいつらもジャ ッキーのファンなのかなと思っただけだった。
雨は相変わらず小降り。路面は軽いウェット。こんな感じじゃ、やっぱり走りたくないなと思い、なんとなくゲームセンターに入った。少し遊んでいると、さっきの女が入ってきた。女たちはプリクラを撮っていた。
132 名前:ヤマハの人 ◆0vMqYi.mjA [sage] 投稿日:2005/08/30(火) 14:23:16 ID:uvfWM8bq
プリクラなんて、どこがおもしれーのかなと思い、なんとなくそいつらを見ていた。よく見ると、優香に似ている。すると、女が俺に話し掛けてきた。「一緒に撮ります?」と笑う女(以下、優香)。
「ん?何で俺と?」と訊くと、んー、なんとなく。と笑った。優香の友人らしき女も笑っている。プリクラは苦手だからと、断ったんだけど、勢いに押され、プリクラを撮る事に。軽く話をしてみる。女たちは東京観光に来ていて、翌日の午後に京都に帰るとの事。
京都が好きで、京都には何度かツーリングで行った事がある俺は、京都人と話す事が嬉しくて、彼女達の京都の話が楽しかった。京都弁が好きな俺は、彼女達の話す言葉が嬉しかった。お返しに俺は、地元で見かけた芸能人の話をしてあげた。
133 名前:ヤマハの人 ◆0vMqYi.mjA [sage] 投稿日:2005/08/30(火) 14:25:29 ID:uvfWM8bq
突然優香が「やっぱり似てるよねぇ」と俺に言う。「何に似ているんだ?」と訊くと「物じゃなくて、人だよー」と。彼女達が言うには、大沢たかおに似ているそうだ。優香はその男のファンらしく、俺に話し掛けてきたのも、そのせいだったようだ。
「ジャッキーズ・キッチンにいたから、ジャッキー・チェンのファンだと思っていたよ。それで話し掛けてきたのかと思ってた。」と言うと、特にファンでは無いと笑っていた。自分では、パッとしない顔だと思っていたけど、芸能人(俳優か?)に似ていると言われた事は、悪い気分じゃなかった。
ゲーセンで話し始めて小一時間程経った頃、雨は上がっていたみたいで、外に出ると、路面も乾き初めていた。「お、これは寝る前にひとっ走りできるかな」と独り言を言う俺。
優香の友人らしき女が、「ジョギングですか?」と、力の抜ける事を言う。「いや、バイクで散歩するんだよ。」と苦笑する俺。優香は「わー、いいなぁ。バイクって楽しそうですよねぇ。」と言うから、「京都にツーリングに行った時に偶然逢えたら乗せてあげるよ。」と言うと、「えっ、いいんですかー?約束ですよぉ。」と笑う。
その日はお互いのメールアドレスを交換して、俺は自宅へ、彼女達はホテルへと帰っていった。結局その日は走りには行かずに寝た。
134 名前:ヤマハの人 ◆0vMqYi.mjA [sage] 投稿日:2005/08/30(火) 14:29:28 ID:uvfWM8bq
翌日、目が覚めると優香からメールが来ていた。「昨日は楽しかったよ。ありがとう。約束、忘れないでね♪」と、こんな感じ。いきなりタメ口かよと苦笑する俺。当時の俺は23歳。優香は19歳。まあ俺は体育会系でもないし、そういうのはあまり気にしないタチだったから、気にしてなかった。
とりあえず「ああ、俺も楽しかったよ。久しぶりに、大好きな京都弁が聞けて、嬉しかった。帰りは気をつけてね。」とメールを返す。するとすかさず返信が。「京都へは、いつ来るんですか?」だって。何故か急に敬語になる優香に、少し笑った。「気が向いた時に行くよ」と返信して仕事に向かう。
それから毎日のように、優香からメールが来た。時々京都弁で書いてあるメールに萌えたりしながら、俺は優香とのメールを楽しんでいた。そして7月になった頃、急に八橋が食べたくなり、俺は京都に行く事を決めた。八橋なんて通販でも買えるし、横浜の大黒パーキングに行けばいつでも買えるんだが。
思い立ったが吉日、早速週末に出発する事にした。
135 名前:ヤマハの人 ◆0vMqYi.mjA [sage] 投稿日:2005/08/30(火) 14:31:40 ID:uvfWM8bq
早朝、まだ暗いうちに自宅を出る。東名高速をひた走る。2回ほど休憩して、いざ京都へ。高速を下りて、とりあえず清水寺へ。団子を食べている時に、ふと優香の事を思い出した。携帯を取り出し、メールを打つ。
が、返事は無い。ま、いっか。偶然会えたらって約束だしなと思い、RZVを走らせる。
八橋を買い、何箇所か観光地を廻る。目的も果たしたし、早めに帰ろうかなと思い、エンジンを掛けようとしたその時、メールの着信音が鳴った。
なんだよめんどくせぇな。
渋々グローブを外し、メールを見る。優香からだ。
「大沢くん(俺の事)、今こっちに来てるの?どこにいるの?会いたいよ。」
今、渡月橋の近くだよと返信する。優香は用事があって、学校に来ているらしい。そこまで行くから待っててと言われたが、俺が行く方が早いから待ってなよとメールを送る。
京都御所にほど近い大学の入り口に、優香はいた。毎日メールのやり取りをしていたからだろうか、それほど久しぶりのような気はしなかったが、とりあえず、久しぶり、と頭を撫でる。優香は俺の腰にガバーっと抱きついてきた。バランスを崩して、危うく立ちゴケするところだった。
136 名前:ヤマハの人 ◆0vMqYi.mjA [sage] 投稿日:2005/08/30(火) 14:34:08 ID:uvfWM8bq
俺のメールの返事が遅いとか、あまり写真を送ってくれないとか、色々文句を言われた。とりあえずヘルメットを脱ぎ、グローブを外す。「猫の写真は喜んでたジャマイカ。」と言うも、「猫は猫、大沢くんは大沢くんなの」と優香。ああ、そうなの。
俺は、優香とメールのやりとりをしているうちに、優香の事を好きになっていった。優香は毎日写真を送ってくれていた。俺は、自分の写真は送らずに、地元で撮った写真や、夜の散歩の時に撮った風景写真、夜景の写真を“時々”送っているだけだった。
一度しか会っていないし、メールのやりとりだけで好きになる恋なんて、おかしいよなあ、と思っていた。しかし、優香への想いは、日を追うごとに大きくなっていた。そして、その想いに気付いてはいたものの、やっぱりおかしいよなあ、と言い聞かせている自分がいた。
137 名前:ヤマハの人 ◆0vMqYi.mjA [sage] 投稿日:2005/08/30(火) 14:36:39 ID:uvfWM8bq
この日、京都で優香に再会して、一気に想いが膨れ上がっていくのを感じた。それは優香も同じだった。のかは知らんが、優香の目には、うっすらと涙が浮かんでいた。「今日はこれからどうするの?」と訊かれて、「ん。もう帰ろうと思ってたところだよ」と答える俺。
「えー!ゆっくりしていきなよぉ。せっかく来たんだし。色々案内するよ」「今日はどこかに泊まるんじゃないの?日帰りなの?」 「バイクに乗せてくれるって言ってたじゃない。やーくーそーくー。」
と、少しむくれた顔をする優香。
「しょうがねぇなあ。まあ、明日も休みだし、今夜はどこかに泊まるかな」と言うと、優香の表情が明るくなる。「んー、うちには泊まれないから、一緒に宿を探すよ」と、公衆電話があるところに案内してくれた。なんで公衆電話?と思っていたら、そこにはタウンページが置いてあった。
ああ、なるほどな。オマイ、頭いいなと心の中でつぶやきながら、ふたりでページをめくる。観光案内所とかに行けばすぐに紹介してくれんじゃねーの?とも思ったけど、ふたりで宿を探すという行為が妙に楽しくて、その言葉はしまっておいた。
何件も電話をかけたが、週末で、夕方だったせいか、なかなか空き部屋がない。ようやく見つけたのは、琵琶湖の近くのビジネスホテルだった。俺も疲れているし、宿に行くにも迷うだろうから、明日ゆっくり会おうなと、優香に携帯の番号を教えて、ホテルに向かった。
138 名前:ヤマハの人 ◆0vMqYi.mjA [sage] 投稿日:2005/08/30(火) 14:39:12 ID:uvfWM8bq
翌日、優香に言われるままに、桂という駅に向かった。ここにきて思ったのだが、俺のRZVはバックステップにシングルシート。ヘルメットも、俺の分しか無い。優香を乗せる事なんてできねえじゃん_| ̄|○
しかし優香は、そんな事はわかっていたらしく、白いワンピース姿で俺を迎えてくれた。優香の家まで、バイクを押して歩く。優香の家は、駅から5分位だった。言われるままに、庭にバイクを停める。その時、優香の父と思われる人物が現れた。
「君が大沢くんか?娘がよく君の事を話しているものでね。いつも世話になってすまないね」「あ、いえ。こちらこs『おとーさん!そんな格好で出てこないでっていつも言ってるでしょ!』ます。」
父上はランニングシャツにトランクスという出で立ちで、いかにも“とうちゃん”って感じだった。まあ、こんな感じで挨拶を済ませて、再び駅へと歩いた。
139 名前:ヤマハの人 ◆0vMqYi.mjA [sage] 投稿日:2005/08/30(火) 14:42:12 ID:uvfWM8bq
よく晴れた日曜日だった。優香の希望で、清水寺に行った。八坂神社では、お守りを買ってくれた。祇園の街をのんびり歩いた。夕方になると、芸妓さんとか舞妓さんが歩いてるのよ、と教えてくれた。
その後、京都駅の屋上に連れていかれた。のんびりし過ぎたせいで、辺りは薄暗くなっていた。京都駅の屋上は、薄い黄色のランプがきれいだった。「私の家は、あの辺かな」と、優香が指を指す。「カップルばかりだね」と、少し照れた様子がかわいい。
もうそろそろ帰らなければいけない時間だったんだが、一日一緒にいたせいか、なかなか離れ難い。俺は改めて、優香への気持ちを確信した。
優香の気持ちも、俺に伝わっていた。軽く抱き寄せて、くしゃくしゃっと頭を撫でる。ついでに、ほっぺをムニューと引っ張ってみた。優香は笑いながら俺を叩いた。
140 名前:ヤマハの人 ◆0vMqYi.mjA [sage] 投稿日:2005/08/30(火) 14:45:52 ID:uvfWM8bq
唐突に、「なあ、優香。俺達付き合わないか。」と言ってみた。優香は「えっ」と俺を見上げた。
「メールは毎日してたけど、実際会うのは2回目だし、遠距離だし、いつまで続くのかわからないけど。それに、優香がOKって言ってくれるかもわからない。だけど、それでも俺は優香の事が好きなんだ。好きになってしまったんだよ。」と、一気に言っちまった。
少しの沈黙ののち、優香は「ありがとう」と言ってくれた。その日から、俺達の遠距離恋愛が始まった。月に2回は必ず逢いに行った。北山にあ
る、おいしいケーキ屋を教えてくれた。祇園の路地裏に、おもしろい石の置物がある事を教えてくれた。
優香の家の近所の路地には、十二支の名前がついている事を教えてくれた。新京極においしいクレープ屋がある事を教えてくれた。雑誌に載っていない、地元の人がよく利用するお店も、教えてくれた。苦手だったプリクラも、好きになった。
141 名前:ヤマハの人 ◆0vMqYi.mjA [sage] 投稿日:2005/08/30(火) 14:49:18 ID:uvfWM8bq
ノーマルシートに戻し、バックステップも外していた。彼女を乗せて、街中を走った。京都駅の屋上にも、何度も行った。俺は、屋上から見る景色が好きだった。レモンイエローの明かりの下、手を繋いで京都の街をずっと眺めていた。
夜、泣きながら電話を掛けてくる事もあった。そんな時はRZVに乗って逢いに行った。ほんの少し一緒の時間を過ごし、東京へとんぼ返りなんて事も、何度もあった。RZVの距離計は、みるみる伸びていった。高速代やガソリン代も、ばかにならなかった。そんなある日の事。
仕事帰りに、友人とラーメンを食いに行った時に、「俺、京都に住もうと思うんだけど」と、俺は友人に打ち明けた。「ちょっと飛ばせばフォー時間もかからないで行ける距離だけど、やっぱ帰りが辛いし、なかなか好きな時に会えないし、金だってかかる。それなら京都に住んだほうがいいと思うんだよ。あっちでアパートは押さえたし、仕事も決まりそうだしさ」
友人は、寂しくなるなと言いながら、応援してくれた。
彼女にはまだ話していなかった。次の週末、嵐山に紅葉を見に行く時に、話そうと思っていた。しかし、その週末は来なかった。
144 名前:ヤマハの人 ◆0vMqYi.mjA [sage] 投稿日:2005/08/30(火) 15:06:13 ID:uvfWM8bq
急に、彼女の態度が変わったのだ。冷たい口調になり、明らかに、俺に嫌われようとしているな、という態度だった。昨日、友人に決意を誓ったばかりなのに。いったい彼女に何があったんだ?俺、何かやっちゃったか?そして会いに行くと言っても、「忙しいから」と断られる事が続いた。
俺は、わけがわらなかった。
彼女は、車の教習所に通っていた。そこの若い教官がすごく親切で、よくメールや電話で、その教官の事を話していた。その教官に、遠距離恋愛である俺達の事について、相談にのってもらっている事も、以前、俺に話してくれていた。……これか。
一方的に別れを告げられ、俺は日々、放心状態だった。決まりかけていた京都の部屋も、仕事も、キャンセルした。友人は怒り狂っていたが、「まあ、遠距離だったし、すぐに会えないやつより、近くにいてくれるやつの方がやっぱりいいんだよ」などと、妙に冷静な自分もいた。
それでも、数ヶ月は落ち込んでいた。大好きだった夜の散歩も、全然しなくなった。友人がツーリングに誘ってくれたりもしたけど、バイクに乗る気がなくなっていた。
そしてまた夏が来た。
146 名前:ヤマハの人 ◆0vMqYi.mjA [sage] 投稿日:2005/08/30(火) 15:08:11 ID:uvfWM8bq
その頃になると、気持ちも落ち着いてきていて、また夜ツーに出かけるようになっていた。ふと彼女の事を思い出しても、チクリと胸が痛む程度になっていた。そんなある日の週末。ふと、八橋が食べたくなった。八橋なんか通販でも買えるし、横浜の大黒パーキングに行けばいつでも買える。しかし、やっぱ産地に行かなきゃだめだろ。って事
で、京都に行く事を決めた。
思い立ったが吉日。その週末には、京都に立っている俺がいた。八橋を食べて、軽く観光してみるも、ああ、ここはあいつと来たな、とか、ここでケーキ食ったんだったな、とか、鴨川に行けば、ああ、この土手で、カップルの行列に混ざって、一緒に夕日を見たなあ、とか、思い出すのは彼女の事だけだった。街中が、彼女との思い出で溢れていた。
俺は京都駅の屋上に行った。何を思ったか、消せなかった優香の番号をプッシュしている俺がいた。「今、駅の屋上にいる」と、たった一言だけ告げて、電話を切った。来るわけないよな。ストーカーみたいで気味わりーしな。などと思いつつ、ポツポツと明りがつき始めた街を眺めていた。
147 名前:ヤマハの人 ◆0vMqYi.mjA [sage] 投稿日:2005/08/30(火) 15:10:24 ID:uvfWM8bq
不意に後ろから声を掛けられた。優香だった。まさか来るとは思ってなかったから、かなり不意打ちをくらった気分だった。それでも平静を装って、なんとか声を絞りだした。
「お、おう。久しぶり」
「…久しぶりやね」
もともと痩せていたが、優香は以前よりさらに痩せていた。
ぽつり、ぽつりと、優香は話しだした。遠距離が辛くて、寂しかった事。相談に乗ってくれていた教官を好きになってしまった事。俺を裏切った事が、ずっと胸に引っかかっていて、辛かった事。
何度も何度も、ごめんと繰り返す彼女に俺は切れた。彼女を引き寄せて、頭をクシャクシャと撫でる。
「気にすんな。もう終わった事だ。これからは、お前の幸せだけを考えて生きて行けよ」 「今までありがとな。お前と一緒にいた時間は、すごく幸せだったよ」 「俺はもう少しここで夜景を見ていくから。お前は一人で帰れるよな?」
「じゃあな」
彼女はじっと俺を見つめている。突然、優香は泣きながら俺の胸に飛び込んできた。「ごめんね、ごめんね」と繰り返しながら。
「お前なあ、早く帰れ。泣けねーだろうが」と冗談っぽく言うと、「…ん。うん。ごめんね。」と最後までごめんねと言いながら、長いエスカレーターを下りていった。
148 名前:ヤマハの人 ◆0vMqYi.mjA [sage] 投稿日:2005/08/30(火) 15:11:59 ID:uvfWM8bq
俺はまた京都の街を見下ろした。何度も通った、彼女の家の方角を見つめる。「これでやっと終わる事ができなかなー」と、小さく呟いて俺は京都をあとにした。
今でも俺は京都が好きで、八橋が好きだ。ふと食べたくなると、京都までバイクを走らせる。RZVはもう売ってしまって、今は違う愛車だけど、今ではもう、彼女の事を思い出しても、京都に行っても、胸が痛む事は無い。ああ、懐かしい思い出だなあと、なんていうか、生温かい気持ちで振り返る事ができる。そして最後に一言。
彼女が今でも、そしてこれからも、幸せでありますように。
おわり。
posted at 2012/03/14 12:55:17
lastupdate at 2012/03/14 12:55:17
【修正】
2010/01/30
[泣ける話]
150 :番組の途中ですが名無しです :2005/07/29(金)
ふと思い出したけど、
俺、死んでしまった子から絵葉書もらったことがある。
中学のときの隣のクラスの女の子で、
病気でほとんど学校にこないまま死んでしまった。
うちの学校は生徒数が少なかったので、
体育のときや課外授業のバードウォッチングとか
2クラス合同でやる科目がいくつかあって、
まだ学校にくることができた頃に何度か一緒に
なるくらいだった。
一度だけ喋ったことがある。
寝坊して完全に遅刻だしと思って、いつものバス停に
歩いて行ったらその子が停留所のベンチに座ってた。
田舎だから時間ずれるとバスがぜんぜんこなくって、
しばらく黙ってたけど暇だしなんとなく話しかけたんだ。
「お前も寝坊したの?」
「・・・病院、よってきたから」
俺はそのときになって、なんだか知らないけど
病弱でほとんど学校にきてない子がいるって
話を思い出し、それがこの子だと気づいた。
その子はそれから1年くらいで死んでしまったので、
今思えば本当に無神経なんだけど
俺は「へえ、どっか悪いの?」と訊いてしまった。
彼女は少し笑って「うん、ちょっとね」って言ってた。
彼女は俺が中学にあがるまで新聞配達していたのを知ってて
(彼女の家にも配達していたらしい)、
「前から思ってたけど、ほんとえらいよね」ってやけに褒めて
くれたもんだった。
じつはゲームソフト欲しさだったことは言わなかった。
バスがきて、学校につくまでたわいもない話をした。
天気いいのにかったるいよなーとか。
彼女と話したのはそれが最初で最後だった。
中学卒業したあとで絵葉書が届いた。
夕焼け空のきれいな写真のハガキだった。
最初は誰かわからなかったけど、しばらく考えて思い出した。
そのちょっと前に葬式があったと聞いていた子だった。
「朝焼けの写真だったらよかったのに。でも、夕焼けもきれいでしょ?」
と書いてあった。その下にスペースがあまっていたから、
もしかしたらほかにも書こうとしてやめてしまった書きかけ
だったのかもしれない。
書きかけのまま大切そうにしまっておいた絵葉書を、
家族の人がみつけて出してくれたんだそうだ。
新聞配達なんて眠いし重いし手が真っ黒になるけど
朝焼けが気持ちいいと、かっこつけて話したのを思い出した。
そのハガキ、たぶんまだ どっかにあると思う。
ふと思い出したけど、
俺、死んでしまった子から絵葉書もらったことがある。
中学のときの隣のクラスの女の子で、
病気でほとんど学校にこないまま死んでしまった。
うちの学校は生徒数が少なかったので、
体育のときや課外授業のバードウォッチングとか
2クラス合同でやる科目がいくつかあって、
まだ学校にくることができた頃に何度か一緒に
なるくらいだった。
一度だけ喋ったことがある。
寝坊して完全に遅刻だしと思って、いつものバス停に
歩いて行ったらその子が停留所のベンチに座ってた。
田舎だから時間ずれるとバスがぜんぜんこなくって、
しばらく黙ってたけど暇だしなんとなく話しかけたんだ。
「お前も寝坊したの?」
「・・・病院、よってきたから」
俺はそのときになって、なんだか知らないけど
病弱でほとんど学校にきてない子がいるって
話を思い出し、それがこの子だと気づいた。
その子はそれから1年くらいで死んでしまったので、
今思えば本当に無神経なんだけど
俺は「へえ、どっか悪いの?」と訊いてしまった。
彼女は少し笑って「うん、ちょっとね」って言ってた。
彼女は俺が中学にあがるまで新聞配達していたのを知ってて
(彼女の家にも配達していたらしい)、
「前から思ってたけど、ほんとえらいよね」ってやけに褒めて
くれたもんだった。
じつはゲームソフト欲しさだったことは言わなかった。
バスがきて、学校につくまでたわいもない話をした。
天気いいのにかったるいよなーとか。
彼女と話したのはそれが最初で最後だった。
中学卒業したあとで絵葉書が届いた。
夕焼け空のきれいな写真のハガキだった。
最初は誰かわからなかったけど、しばらく考えて思い出した。
そのちょっと前に葬式があったと聞いていた子だった。
「朝焼けの写真だったらよかったのに。でも、夕焼けもきれいでしょ?」
と書いてあった。その下にスペースがあまっていたから、
もしかしたらほかにも書こうとしてやめてしまった書きかけ
だったのかもしれない。
書きかけのまま大切そうにしまっておいた絵葉書を、
家族の人がみつけて出してくれたんだそうだ。
新聞配達なんて眠いし重いし手が真っ黒になるけど
朝焼けが気持ちいいと、かっこつけて話したのを思い出した。
そのハガキ、たぶんまだ どっかにあると思う。
posted at 2012/03/14 22:29:16
lastupdate at 2012/03/14 22:29:16
【修正】
2010/01/26
[泣ける話]
101 名前: 名無しさん? 投稿日: 02/05/13 05:08 ID:???
俺は今日、ジャスコで買い物した。
そしたら出口で、カーネーションくばってた。
そのまま実家まで走って、おかんにカーネーションあげた。
おかん、そろそろ60だけど、いくつになっても俺にはおかん。
130 名前: 名無しさん? 投稿日: 02/05/13 05:23 ID:???
就職活動で俺が疲れてた時、実家の母親から電話があった。
ふと何の気も無しに「生んでくれてホントにありがとう」って母に言ったら、
「何言ってんの」って携帯ごしに泣かれた。
もうちょっとがんばってみようと思った。
229 名前: 名無しさん? 投稿日: 02/05/13 21:26 ID:.nYoGXKQ?
もう十年位も前の話になるけど。
当時、社会人2年目だった俺は実家から遠く離れて一人暮らしをしてた。
そのとき始めたばかりのスノボで、調子に乗って鎖骨を骨折してしまった。
病院へ運ばれたら手術が必要だと。
簡単な手術だし、入院も仕事もさぼれるし、親には来なくていいと電話した。
俺もちょっと遠足気分だったんだろうな。
午後6時からの手術で、俺が目を覚ましたのは深夜1時過ぎだった。
医者から、目を覚ましたらナースコール押すように言われていた。
もぞもぞ暗闇の中を手探りでボタンを探していると、ふと気づいた。
病室の隅のパイプ椅子でお母さんが眠ってた。
来なくていいって言ったのに、心配性だな…。
そのまま俺はバタバタと検査室みたいなところに連れて行かれた。
看護婦さんに「お母さん起こさないでね」と告げた。
なにやら問診と、検査を受けていると目をはらしたお母さんが看護婦に連れられてやってきた。
子供のようにヒックヒックと痙攣止まらなくなってる。
手をぎゅっと握り締めてきた。
馬鹿だな、、かっこ悪いよ・・・。
酸素マスク越しにお母さんに話し掛けた。
お母さんはさらに強く握って泣いてた。
そして後で聞いた話なんだが。
俺は4日間眠っていたそう。
麻酔か何か、体質に合わなかったみたいで。今で言う医療事故みたいなもんか。
ベットからいなくなった俺に気づいて発狂したみたいに泣いてたと。
意識のない間、パイプ椅子で眠ってたお母さん。
体中痛かっただろうな。
ナースコールの前にお母さんに声かければよかったよ。
どれほど心配かけたんだろうな。
今でもそのこと思い出すとほんとごめんね、って思うよ。
もうすぐ俺も父親になる。
お盆には3人で帰るよ。いっぱい孫と遊んであげてな。
ありがとう、お母さん。
284 名前: 名無しさん? 投稿日: 02/05/14 20:39 ID:???
もう五年前ぐらいの話かな。
人前ではほとんど泣いたことのない俺が、生涯で一番泣いたのはお袋が死んだ時だった。
お袋は元々ちょっとアタマが弱くて、よく家族を困らせていた。
思春期の俺は、普通とは違う母親がむかついて邪険に扱っていた。
非道いとは自分なりに認めてはいたが、生理的に許せなかった。
高校を出て家を離れた俺は、そんな母親の顔を見ないで大人になった。
その間実家に帰ったのは3年に1回程度だった。
俺もいい大人になり、それなりの家庭を持つようになったある日、
お袋が危篤だと聞き急いで病院に駆けつけた。
意識が朦朧として、長患いのため痩せ衰えた母親を見ても、
幼少期の悪い印象が強くあまり悲しみも感じなかった。
285 名前: 名無しさん? 投稿日: 02/05/14 20:39 ID:???
そんな母親が臨終の際、俺の手を弱々しく握りこう言った。
「ダメなおかあさんでごめんね」
精神薄弱のお袋の口から出るにはあまりにも現実離れした言葉だった。
「うそだろ?いまさらそんなこといわないでくれよ!」
間もなくお袋は逝った。
その後葬式の手配やらなんやらで不眠不休で動き回り、
お袋が逝ってから丸一日過ぎた真夜中のこと。
家族全員でお袋の私物を整理していた折、一枚の写真が出てきた。
かなり色褪せた何十年も前の家族の写真。
まだ俺がお袋を純粋に大好きだった頃。みな幸せそうに笑っている。
裏には下手な字(お袋は字が下手だった)で家族の名前と当時の年齢が書いてあった。
それを見た途端、なぜだか泣けてきた。それも大きな嗚咽交じりに。
いい大人がおえっおえっ泣いてる姿はとても見苦しい。自制しようとした。
でも止めど無く涙が出てきた。どうしようもなく涙が出てきた。
(俺は救いようがない親不孝ものだ。格好なんて気にすべきじゃなかった。
やり直せるならやり直したい。でもお袋はもういない。
後悔先に立たず、とはまさにこれのことだったんだ。)
その時、妹の声がした。
「お母さん、笑ってる!」
皆布団に横たわる母親に注目した。
決して安らかな死に顔ではなかったはずなのに、表情が落ち着いている。
うっすら笑みを浮かべているようにさえ見えた。
「みんな悲しいってよ、お袋・・・。一人じゃないんだよ・・・」
俺は思わずそう話し掛けていた。
気がつくと、そこにいた家族全員が泣いていた。
・・・あれから俺はことあるごとに両親は大切にしろと皆に言っています。
これを読んだ皆さんも、ご健在であるならばぜひご両親を大切にしてほしい。
でないと、俺のようにとんでもない親不孝ものになっちゃうよ・・・。
俺は今日、ジャスコで買い物した。
そしたら出口で、カーネーションくばってた。
そのまま実家まで走って、おかんにカーネーションあげた。
おかん、そろそろ60だけど、いくつになっても俺にはおかん。
130 名前: 名無しさん? 投稿日: 02/05/13 05:23 ID:???
就職活動で俺が疲れてた時、実家の母親から電話があった。
ふと何の気も無しに「生んでくれてホントにありがとう」って母に言ったら、
「何言ってんの」って携帯ごしに泣かれた。
もうちょっとがんばってみようと思った。
229 名前: 名無しさん? 投稿日: 02/05/13 21:26 ID:.nYoGXKQ?
もう十年位も前の話になるけど。
当時、社会人2年目だった俺は実家から遠く離れて一人暮らしをしてた。
そのとき始めたばかりのスノボで、調子に乗って鎖骨を骨折してしまった。
病院へ運ばれたら手術が必要だと。
簡単な手術だし、入院も仕事もさぼれるし、親には来なくていいと電話した。
俺もちょっと遠足気分だったんだろうな。
午後6時からの手術で、俺が目を覚ましたのは深夜1時過ぎだった。
医者から、目を覚ましたらナースコール押すように言われていた。
もぞもぞ暗闇の中を手探りでボタンを探していると、ふと気づいた。
病室の隅のパイプ椅子でお母さんが眠ってた。
来なくていいって言ったのに、心配性だな…。
そのまま俺はバタバタと検査室みたいなところに連れて行かれた。
看護婦さんに「お母さん起こさないでね」と告げた。
なにやら問診と、検査を受けていると目をはらしたお母さんが看護婦に連れられてやってきた。
子供のようにヒックヒックと痙攣止まらなくなってる。
手をぎゅっと握り締めてきた。
馬鹿だな、、かっこ悪いよ・・・。
酸素マスク越しにお母さんに話し掛けた。
お母さんはさらに強く握って泣いてた。
そして後で聞いた話なんだが。
俺は4日間眠っていたそう。
麻酔か何か、体質に合わなかったみたいで。今で言う医療事故みたいなもんか。
ベットからいなくなった俺に気づいて発狂したみたいに泣いてたと。
意識のない間、パイプ椅子で眠ってたお母さん。
体中痛かっただろうな。
ナースコールの前にお母さんに声かければよかったよ。
どれほど心配かけたんだろうな。
今でもそのこと思い出すとほんとごめんね、って思うよ。
もうすぐ俺も父親になる。
お盆には3人で帰るよ。いっぱい孫と遊んであげてな。
ありがとう、お母さん。
284 名前: 名無しさん? 投稿日: 02/05/14 20:39 ID:???
もう五年前ぐらいの話かな。
人前ではほとんど泣いたことのない俺が、生涯で一番泣いたのはお袋が死んだ時だった。
お袋は元々ちょっとアタマが弱くて、よく家族を困らせていた。
思春期の俺は、普通とは違う母親がむかついて邪険に扱っていた。
非道いとは自分なりに認めてはいたが、生理的に許せなかった。
高校を出て家を離れた俺は、そんな母親の顔を見ないで大人になった。
その間実家に帰ったのは3年に1回程度だった。
俺もいい大人になり、それなりの家庭を持つようになったある日、
お袋が危篤だと聞き急いで病院に駆けつけた。
意識が朦朧として、長患いのため痩せ衰えた母親を見ても、
幼少期の悪い印象が強くあまり悲しみも感じなかった。
285 名前: 名無しさん? 投稿日: 02/05/14 20:39 ID:???
そんな母親が臨終の際、俺の手を弱々しく握りこう言った。
「ダメなおかあさんでごめんね」
精神薄弱のお袋の口から出るにはあまりにも現実離れした言葉だった。
「うそだろ?いまさらそんなこといわないでくれよ!」
間もなくお袋は逝った。
その後葬式の手配やらなんやらで不眠不休で動き回り、
お袋が逝ってから丸一日過ぎた真夜中のこと。
家族全員でお袋の私物を整理していた折、一枚の写真が出てきた。
かなり色褪せた何十年も前の家族の写真。
まだ俺がお袋を純粋に大好きだった頃。みな幸せそうに笑っている。
裏には下手な字(お袋は字が下手だった)で家族の名前と当時の年齢が書いてあった。
それを見た途端、なぜだか泣けてきた。それも大きな嗚咽交じりに。
いい大人がおえっおえっ泣いてる姿はとても見苦しい。自制しようとした。
でも止めど無く涙が出てきた。どうしようもなく涙が出てきた。
(俺は救いようがない親不孝ものだ。格好なんて気にすべきじゃなかった。
やり直せるならやり直したい。でもお袋はもういない。
後悔先に立たず、とはまさにこれのことだったんだ。)
その時、妹の声がした。
「お母さん、笑ってる!」
皆布団に横たわる母親に注目した。
決して安らかな死に顔ではなかったはずなのに、表情が落ち着いている。
うっすら笑みを浮かべているようにさえ見えた。
「みんな悲しいってよ、お袋・・・。一人じゃないんだよ・・・」
俺は思わずそう話し掛けていた。
気がつくと、そこにいた家族全員が泣いていた。
・・・あれから俺はことあるごとに両親は大切にしろと皆に言っています。
これを読んだ皆さんも、ご健在であるならばぜひご両親を大切にしてほしい。
でないと、俺のようにとんでもない親不孝ものになっちゃうよ・・・。
posted at 2012/03/14 22:55:43
lastupdate at 2012/03/14 22:55:43
【修正】
2010/01/14
[泣ける話]
愛している誰かが死ぬとき、しかも予想していないときに死なれた場合、
一度にその人を失うわけではない。
長い時間をかけて、少しずつ少しずつ失っていくのだ。
しだいに郵便物が来なくなり、
枕やクローゼットにある衣類からにおいが薄れていく。
少しずつ、なくなった部分、欠けた部分が積み重ねられていき、
そしてその日がやってくる。
ふと、あのひとが永久にいなくなったのだということに気づかされ、
痛切な思いにかられる。
そしてまた一日、すっかり忘れて何ごともなく過ぎたと思っていると、
ある日突然、失われた部分、欠けた部分に再度気づかされるのだ。
一度にその人を失うわけではない。
長い時間をかけて、少しずつ少しずつ失っていくのだ。
しだいに郵便物が来なくなり、
枕やクローゼットにある衣類からにおいが薄れていく。
少しずつ、なくなった部分、欠けた部分が積み重ねられていき、
そしてその日がやってくる。
ふと、あのひとが永久にいなくなったのだということに気づかされ、
痛切な思いにかられる。
そしてまた一日、すっかり忘れて何ごともなく過ぎたと思っていると、
ある日突然、失われた部分、欠けた部分に再度気づかされるのだ。
posted at 2012/03/14 16:22:53
lastupdate at 2012/03/14 16:22:53
【修正】
2010/01/08
[泣ける話]
死んでは生き返ってを繰り返し、100万回もの生を受けた猫がいました。猫にはいつも飼い主がいました・・・その数100万人。
皆、猫が死ぬとワンワンと嘆き悲しみましたが、猫自身は一度も泣いたことがありませんでした。
ところが、この猫に見向きもしないものがいました。それは美しい白い猫でした。猫は腹を立てました。そして毎日毎日、白猫に「俺はすごいんだぜ、なんてったって100万回も生きたんだから」と、自慢話をしに行きました。
白猫は気のない相づちを打つばかりでした。今日も猫は「俺はすごいんだぜ」と言いかけて、途中でやめました。
そして「そばにいてもいいかい?」と尋ねました。白猫は「ええ」とだけ言いました。
2匹は常に寄り添うようになり、一緒にいることがなによりも大切に感じるようになりました。
それからかわいい子猫がたくさん生まれ、猫はもう得意の台詞、「俺はすごいんだぜ」を言わなくなりました。いつのまにか自分よりも、白猫や子猫たちのことを大切に思うようになっていました。
やがて子猫達は巣立って行き、白猫は少しお婆さんになりました。猫は、白猫と一緒にいつまでも生きていたいと思いました。
ある日、白猫は猫の隣で、静かに動かなくなっていました。
猫は白猫の亡骸を抱いて、生まれて初めて泣きました。
100万回泣きました。そしてぴたりと泣きやみました。
猫は、白猫の隣で静かに動かなくなっていました。
それから猫は、もう決して生き返りませんでした。
皆、猫が死ぬとワンワンと嘆き悲しみましたが、猫自身は一度も泣いたことがありませんでした。
ところが、この猫に見向きもしないものがいました。それは美しい白い猫でした。猫は腹を立てました。そして毎日毎日、白猫に「俺はすごいんだぜ、なんてったって100万回も生きたんだから」と、自慢話をしに行きました。
白猫は気のない相づちを打つばかりでした。今日も猫は「俺はすごいんだぜ」と言いかけて、途中でやめました。
そして「そばにいてもいいかい?」と尋ねました。白猫は「ええ」とだけ言いました。
2匹は常に寄り添うようになり、一緒にいることがなによりも大切に感じるようになりました。
それからかわいい子猫がたくさん生まれ、猫はもう得意の台詞、「俺はすごいんだぜ」を言わなくなりました。いつのまにか自分よりも、白猫や子猫たちのことを大切に思うようになっていました。
やがて子猫達は巣立って行き、白猫は少しお婆さんになりました。猫は、白猫と一緒にいつまでも生きていたいと思いました。
ある日、白猫は猫の隣で、静かに動かなくなっていました。
猫は白猫の亡骸を抱いて、生まれて初めて泣きました。
100万回泣きました。そしてぴたりと泣きやみました。
猫は、白猫の隣で静かに動かなくなっていました。
それから猫は、もう決して生き返りませんでした。
posted at 2012/03/14 20:37:41
lastupdate at 2012/03/14 23:03:35
【修正】