クニフロの泣ける話、感動する話まとめ
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2010/01/30
150 :番組の途中ですが名無しです :2005/07/29(金)

ふと思い出したけど、
俺、死んでしまった子から絵葉書もらったことがある。
中学のときの隣のクラスの女の子で、
病気でほとんど学校にこないまま死んでしまった。

うちの学校は生徒数が少なかったので、
体育のときや課外授業のバードウォッチングとか
2クラス合同でやる科目がいくつかあって、
まだ学校にくることができた頃に何度か一緒に
なるくらいだった。

一度だけ喋ったことがある。
寝坊して完全に遅刻だしと思って、いつものバス停に
歩いて行ったらその子が停留所のベンチに座ってた。
田舎だから時間ずれるとバスがぜんぜんこなくって、
しばらく黙ってたけど暇だしなんとなく話しかけたんだ。

「お前も寝坊したの?」
「・・・病院、よってきたから」

俺はそのときになって、なんだか知らないけど
病弱でほとんど学校にきてない子がいるって
話を思い出し、それがこの子だと気づいた。

その子はそれから1年くらいで死んでしまったので、
今思えば本当に無神経なんだけど
俺は「へえ、どっか悪いの?」と訊いてしまった。
彼女は少し笑って「うん、ちょっとね」って言ってた。

彼女は俺が中学にあがるまで新聞配達していたのを知ってて
(彼女の家にも配達していたらしい)、
「前から思ってたけど、ほんとえらいよね」ってやけに褒めて
くれたもんだった。
じつはゲームソフト欲しさだったことは言わなかった。
バスがきて、学校につくまでたわいもない話をした。
天気いいのにかったるいよなーとか。
彼女と話したのはそれが最初で最後だった。

中学卒業したあとで絵葉書が届いた。
夕焼け空のきれいな写真のハガキだった。

最初は誰かわからなかったけど、しばらく考えて思い出した。
そのちょっと前に葬式があったと聞いていた子だった。

「朝焼けの写真だったらよかったのに。でも、夕焼けもきれいでしょ?」

と書いてあった。その下にスペースがあまっていたから、
もしかしたらほかにも書こうとしてやめてしまった書きかけ
だったのかもしれない。
書きかけのまま大切そうにしまっておいた絵葉書を、
家族の人がみつけて出してくれたんだそうだ。

新聞配達なんて眠いし重いし手が真っ黒になるけど
朝焼けが気持ちいいと、かっこつけて話したのを思い出した。
そのハガキ、たぶんまだ どっかにあると思う。


posted at 2012/03/14 22:29:16
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2010/01/26
101 名前: 名無しさん? 投稿日: 02/05/13 05:08 ID:???

俺は今日、ジャスコで買い物した。
そしたら出口で、カーネーションくばってた。
そのまま実家まで走って、おかんにカーネーションあげた。
おかん、そろそろ60だけど、いくつになっても俺にはおかん。
130 名前: 名無しさん? 投稿日: 02/05/13 05:23 ID:???
就職活動で俺が疲れてた時、実家の母親から電話があった。
ふと何の気も無しに「生んでくれてホントにありがとう」って母に言ったら、
「何言ってんの」って携帯ごしに泣かれた。
もうちょっとがんばってみようと思った。

229 名前: 名無しさん? 投稿日: 02/05/13 21:26 ID:.nYoGXKQ?

もう十年位も前の話になるけど。

当時、社会人2年目だった俺は実家から遠く離れて一人暮らしをしてた。
そのとき始めたばかりのスノボで、調子に乗って鎖骨を骨折してしまった。
病院へ運ばれたら手術が必要だと。
簡単な手術だし、入院も仕事もさぼれるし、親には来なくていいと電話した。
俺もちょっと遠足気分だったんだろうな。

午後6時からの手術で、俺が目を覚ましたのは深夜1時過ぎだった。
医者から、目を覚ましたらナースコール押すように言われていた。
もぞもぞ暗闇の中を手探りでボタンを探していると、ふと気づいた。
病室の隅のパイプ椅子でお母さんが眠ってた。

来なくていいって言ったのに、心配性だな…。

そのまま俺はバタバタと検査室みたいなところに連れて行かれた。
看護婦さんに「お母さん起こさないでね」と告げた。

なにやら問診と、検査を受けていると目をはらしたお母さんが看護婦に連れられてやってきた。
子供のようにヒックヒックと痙攣止まらなくなってる。
手をぎゅっと握り締めてきた。
馬鹿だな、、かっこ悪いよ・・・。
酸素マスク越しにお母さんに話し掛けた。
お母さんはさらに強く握って泣いてた。

そして後で聞いた話なんだが。

俺は4日間眠っていたそう。

麻酔か何か、体質に合わなかったみたいで。今で言う医療事故みたいなもんか。
ベットからいなくなった俺に気づいて発狂したみたいに泣いてたと。
意識のない間、パイプ椅子で眠ってたお母さん。
体中痛かっただろうな。
ナースコールの前にお母さんに声かければよかったよ。
どれほど心配かけたんだろうな。

今でもそのこと思い出すとほんとごめんね、って思うよ。

もうすぐ俺も父親になる。
お盆には3人で帰るよ。いっぱい孫と遊んであげてな。

ありがとう、お母さん。


284 名前: 名無しさん? 投稿日: 02/05/14 20:39 ID:???

もう五年前ぐらいの話かな。
人前ではほとんど泣いたことのない俺が、生涯で一番泣いたのはお袋が死んだ時だった。

お袋は元々ちょっとアタマが弱くて、よく家族を困らせていた。
思春期の俺は、普通とは違う母親がむかついて邪険に扱っていた。
非道いとは自分なりに認めてはいたが、生理的に許せなかった。
高校を出て家を離れた俺は、そんな母親の顔を見ないで大人になった。
その間実家に帰ったのは3年に1回程度だった。

俺もいい大人になり、それなりの家庭を持つようになったある日、
お袋が危篤だと聞き急いで病院に駆けつけた。
意識が朦朧として、長患いのため痩せ衰えた母親を見ても、
幼少期の悪い印象が強くあまり悲しみも感じなかった。


285 名前: 名無しさん? 投稿日: 02/05/14 20:39 ID:???

そんな母親が臨終の際、俺の手を弱々しく握りこう言った。
「ダメなおかあさんでごめんね」
精神薄弱のお袋の口から出るにはあまりにも現実離れした言葉だった。
「うそだろ?いまさらそんなこといわないでくれよ!」
間もなくお袋は逝った。

その後葬式の手配やらなんやらで不眠不休で動き回り、
お袋が逝ってから丸一日過ぎた真夜中のこと。
家族全員でお袋の私物を整理していた折、一枚の写真が出てきた。
かなり色褪せた何十年も前の家族の写真。
まだ俺がお袋を純粋に大好きだった頃。みな幸せそうに笑っている。
裏には下手な字(お袋は字が下手だった)で家族の名前と当時の年齢が書いてあった。
それを見た途端、なぜだか泣けてきた。それも大きな嗚咽交じりに。
いい大人がおえっおえっ泣いてる姿はとても見苦しい。自制しようとした。
でも止めど無く涙が出てきた。どうしようもなく涙が出てきた。

(俺は救いようがない親不孝ものだ。格好なんて気にすべきじゃなかった。
やり直せるならやり直したい。でもお袋はもういない。
後悔先に立たず、とはまさにこれのことだったんだ。)

その時、妹の声がした。
「お母さん、笑ってる!」
皆布団に横たわる母親に注目した。
決して安らかな死に顔ではなかったはずなのに、表情が落ち着いている。
うっすら笑みを浮かべているようにさえ見えた。

「みんな悲しいってよ、お袋・・・。一人じゃないんだよ・・・」
俺は思わずそう話し掛けていた。
気がつくと、そこにいた家族全員が泣いていた。

・・・あれから俺はことあるごとに両親は大切にしろと皆に言っています。
これを読んだ皆さんも、ご健在であるならばぜひご両親を大切にしてほしい。
でないと、俺のようにとんでもない親不孝ものになっちゃうよ・・・。

posted at 2012/03/14 22:55:43
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2010/01/14
愛している誰かが死ぬとき、しかも予想していないときに死なれた場合、

一度にその人を失うわけではない。
 
長い時間をかけて、少しずつ少しずつ失っていくのだ。

 
しだいに郵便物が来なくなり、

枕やクローゼットにある衣類からにおいが薄れていく。

 
少しずつ、なくなった部分、欠けた部分が積み重ねられていき、

そしてその日がやってくる。


ふと、あのひとが永久にいなくなったのだということに気づかされ、

痛切な思いにかられる。
 
そしてまた一日、すっかり忘れて何ごともなく過ぎたと思っていると、

ある日突然、失われた部分、欠けた部分に再度気づかされるのだ。
posted at 2012/03/14 16:22:53
lastupdate at 2012/03/14 16:22:53
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2010/01/08
死んでは生き返ってを繰り返し、100万回もの生を受けた猫がいました。猫にはいつも飼い主がいました・・・その数100万人。

皆、猫が死ぬとワンワンと嘆き悲しみましたが、猫自身は一度も泣いたことがありませんでした。

ところが、この猫に見向きもしないものがいました。それは美しい白い猫でした。猫は腹を立てました。そして毎日毎日、白猫に「俺はすごいんだぜ、なんてったって100万回も生きたんだから」と、自慢話をしに行きました。

白猫は気のない相づちを打つばかりでした。今日も猫は「俺はすごいんだぜ」と言いかけて、途中でやめました。

そして「そばにいてもいいかい?」と尋ねました。白猫は「ええ」とだけ言いました。

2匹は常に寄り添うようになり、一緒にいることがなによりも大切に感じるようになりました。

それからかわいい子猫がたくさん生まれ、猫はもう得意の台詞、「俺はすごいんだぜ」を言わなくなりました。いつのまにか自分よりも、白猫や子猫たちのことを大切に思うようになっていました。

やがて子猫達は巣立って行き、白猫は少しお婆さんになりました。猫は、白猫と一緒にいつまでも生きていたいと思いました。

ある日、白猫は猫の隣で、静かに動かなくなっていました。

猫は白猫の亡骸を抱いて、生まれて初めて泣きました。
100万回泣きました。そしてぴたりと泣きやみました。

猫は、白猫の隣で静かに動かなくなっていました。
それから猫は、もう決して生き返りませんでした。

posted at 2012/03/14 20:37:41
lastupdate at 2012/03/14 23:03:35
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2010/01/05
14 :大人になった名無しさん :03/12/06 19:19


15年前に逝っちまった。
誕生日に10円玉と四つ葉のクロ-バ-あげたの この間出てきて…
○○の(俺)思ひ出って書いた封筒に入ってた
(/o\)オ-ンオ-ン
甦る記憶。小4位だ。
25 :大人になった名無しさん :04/01/12 21:03


死んだ母が入院する前の日の夕食、何を作ってくれたっけ・・・
もう忘れちゃったよ・なんでだろう・・・
これが最後の夕食だって思いながら食べたのに
あの日、末期がんだって知ったんだよな・・・
26 :大人になった名無しさん :04/01/12 22:47
突然、弁当作って近所の公園に連れっててくれた。
いつも来てた所だから何でだろ、って思ったけど。

「友達はみんな家族で旅行や遊園地に行ってるよね。家にお金が無くて
連れてってやれなくて本当にごめんね。今はこんな近場でピクニックしか
できないの。ごめんね。」と弁当食ってる時に言ってたの思い出した…。

何か自分の母親の話なのに泣けてきた…。
俺、マジでそんな事何も気にしてなかったんだよ、母さん…。


28 :大人になった名無しさん :04/07/27 04:28


うちの母はわがままで、天然バカで、だらしなくて、すごく嫌いだった。
反抗期なんかとっくに過ぎた高3の頃でも本気で、
ママがいなければと思ってた。
お母さんってすごいよねって尊敬できるような母親が欲しかった。

去年、実家に帰った時に大喧嘩をした。
私が必死で働いて買ったプレゼントを「安物でしょ」と言って笑ったから。
傷つけようとして言ったんじゃない。天然なんだ。
そう思ったけど、わかってた分、頭にきた。
私が少し怒鳴ったらママもキレて
部屋に閉じこもってご飯も用意しなかった。
私が話し掛けても見向きもしないので、メールだけ入れて
言葉も交わさないまま、私は東京に戻った。

2日して、メールがきた。

「悲しい思いをさせてごめん。あなたがママを嫌いでも、あなたは
ママたちの初めての子供だから、ママは可愛くて仕方ありません。
だから、少しくらいはママのこともわかってね。」

今は、そのバカぶりも笑って過ごせるようになりました。
ママごめんね。



36 :大人になった名無しさん :04/04/08 20:47


数年前、母が若い頃使っていた化粧品やら香水の入ったダンボールがあり、
その中にいくつか手帳のような物も混じってたのを発見した。

その頃の私は母に暴言浴びせたりするような反抗期真っ只中で、
もっぱら喧嘩の最中だったりして、
「ちきしょー見てやるっ!」とか思い勝手に見た。

それは、私の生まれる前・生まれた後の事をつずった
日記のようなものだった。
私は赤ちゃんの頃・幼い頃は体も弱かったため、その事についても
詳しく書かれてて・・・
いつ熱が出たとか、嘔吐したとか、医者に言われたこととか。
また、私はイジメられっ子だったので、そういった事についても書かれてた。

私が今まで知らなかった母の苦労や、優しさを感じて、
思わず顔をくしゃくしゃにして泣いてしまった。
わがままな事ばかり言ってる今の自分が愚かだなって思ったよ。
ケンカもたまにはするけど、これからも元気でいてほしい。



37 :大人になった名無しさん :04/05/09 21:57


生まれた時から心臓に欠陥があった私。
色々苦労させましたね、お母さん。

6回の手術のうち初めての手術の時、長かった入院生活は
お母さんを独り占めできて、ある意味嬉しかったよ。
今でもあの時の事を思い出すと涙が出てくる。
どんなに心配させたかと思うと、申し訳ない気持ちでいっぱいです。

病院の裏の芝生で、2人でお弁当を食べたのを憶えてますか?
もうあれから30年以上経ったんですね。
今は年に数回しか会えないお母さん。
いつも私のワガママを聞いてくれて、何でもさせてくれた事に感謝してます。

会うたびに「こっちに住みなよ」と言ってくれるけど、
未だにワガママな私は一人住まいをしていて、
こんな年になってもまだ心配させてごめん。

本当は私もお母さんと一緒に暮らしたいよ。
朝、目が覚めた時、お母さんがいてくれたらどんなに嬉しいか・・・。
近々、また手術を受けることになるかも知れないけれど
その時には一緒に暮らそうな。
そっちで仕事見つけて、今度こそ恩返しするからな。
それまではお父さんと元気に暮らしててな。
私が帰るまで待ってて下さい。


39 :大人になった名無しさん :04/05/10 16:05


痴呆の末に亡くなった母の遺品を整理していた。
幼い頃見覚えのある着物、編物の道具。
そういえば着せ替え人形の洋服を編んでくれたりしたっけ。
よくあんな小さな洋服を・・・。
そして古ぼけた大学ノートが数冊。
若い頃の母の日記だった。読み進むうちハッとした。
母は若い頃に子宮の病気をしていた。
「神様。お願いします。子宮を取らないで下さい。
わたしは子どもを産んでみたいのです。
自分の子供にお乳を飲ませて抱いてみたいのです。
だから、どうか神様、赤ちゃんを産ませてください」

そして数年後身ごもった子供がわたしだったのか・・・。

亡くなる少し前には、何かを食べさせてもボロボロとこぼす母に苛立ち
母のオムツを替えるのだって内心めんどうに思っていた自分。
ごめんね。ごめんね。ごめんね。
こんなにも大切に産み育ててくれたのに私は・・・。

古ぼけた写真の中の母は微笑んでいる。
「いいのよ」って言ってくれているんだろうか。
もう一度会いたい。



47 :大人になった名無しさん :04/07/18 17:40


ひとり暮らしのやつら、二ヶ月以内に実家に帰って、
母ちゃんの手料理食って来い。これは命令でつ。



67 :大人になった名無しさん :04/07/18 17:40


お母さん、ありがとう。
小学生の遠足の日、共働きで忙しかったはずなのに
お弁当に文句言ってごめんね。
中学生の試験のとき夜食作ってくれたのに、
邪魔するなよとか言ってごめんね。
大学受験のとき、資金繰りで忙しいときなのに
分かってあげられなくてごめんね。
大学受験に失敗したのに、優しくしてくれたのはお母さんだけでした。
ありがとう。本当にありがとう。
あなたには一生かかっても返しきれないくらいの恩を受けました。
お母さん、ありがとう。



94 :大人になった名無しさん :04/10/26 23:03:25


母ちゃんは俺が4つの時病気で死んだんだ。
ぼんやりと覚えてる事がひとつ。

公園でいつも遊んでた、夕方になるとみんなの母ちゃんが迎えにくるんだ。
うちの母ちゃんは入院生活が長くて、
どうせ帰っても親父は仕事だし誰もいない。
暗くなってもよく公園にいたな、兄貴が部活終わって
公園の前通って一緒に帰るのが日課だった。

その日も暗くなっても砂場で遊んでた。
そしたら俺を呼ぶ声が聞こえて母ちゃんが息切れしながら歩いてきた。
ママーママーって馬鹿みたいに叫んで走ったよ。
暗い中、ブランコに一緒に乗ろう、って
母ちゃんが俺を膝に乗せてしばらくそうしてた。

その後何日かして病院で死んじまった。
後から親父に聞いたら、自分でも長くない事わかってたらしい。
あの時母ちゃんどんな気持ち抱えてたんだ?
どうしていつも病院にいるの?ってしつこく聞いてごめん。
辛かっただろう。
来年、俺彼女と結婚するよ。
母ちゃんの分も向こうのお袋さん大事にすっから。
長文スマソ。


221 :大人になった名無しさん :04/12/13 15:50


父が逝ってから急速に老いて次第に呆けていった母。
その母の介護にキリキリと目を吊り上げていた自分。
正直しんどかった。自分なりには精一杯だった。

その母が逝ったとき、介護に取られていた時間がすっぽりと空になり
さりとてどうしていいのかわからず空虚に過ごしていた。
一年経った今、色々な事を思い出す。
優しかった笑顔やあたたかかったその手。
大切だった父を亡くしてショックで老いてしまうほどだった母の心を
なぜもっと理解して優しくしてあげられなかったのだろう。
しっかりしろと叱ってばかリいたわたし。

あーあー、もういちど母の作ってくれたご飯が食べたい。
わたしの作るものと味が違うんだよ。もっと優しい味なんだよ。
あー、もう一度でいいから母の笑顔が見たい。
いつだって笑ってくれてたじゃん。わたし怒ってばかりだもん。

あんなにたくさんの優しさで包んで育ててもらって、
わたしの優しさってこんなもんですか?
あんなに大事に育ててもらって、わたしって言う人間はこんなもんですか?

もういちど生まれなおして母に育ててもらいたい。
そしてこんどはもっともっと優しく母を看たい。
わたしの思いがもしも届くならば、こんな娘でごめんなさい。
それでも次に生まれるときもあなたの娘にしてください。
聞こえますか?もう一度会いたい。






47 :大人になった名無しさん :04/07/18 17:40


ひとり暮らしのやつら、二ヶ月以内に実家に帰って、
母ちゃんの手料理食って来い。これは命令でつ。


posted at 2012/03/14 22:47:45
lastupdate at 2012/03/14 22:47:45
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