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インターネットで公開している、泣ける話、感動する話をまとめています。号泣できる話から、ほっこりと心温まる話をいろいろ集めてますので、楽しんでください。
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2011/06/27
[泣ける話]
いまだに苦い思い出として残っているのは、小学一年生のときの僕の誕生会。
僕を一番可愛がっていた祖母から「マー坊の一番好きなものをプレゼントするよ」と言われていて、これはすごい物をもらえるぞと期待していた。
そしたら色とりどりのご馳走が並んでいるテーブルの上に、山盛りのおにぎりがあった。でもそのおにぎりは、その場の雰囲気にまったくそぐわないんだな。
<<おばあさんのおにぎりは、さださんの大好物で、お腹がすくと 「おばあちゃん、おにぎり、おにぎり」とせがんでいたのです。
さださんのおばあさんはいつものおにぎりを作って、豪勢な料理の並ぶ中に置きました。
小学一年生の子供が、おばあさんの胸のうちを理解できるわけもなく、彼はおにぎりに手もつけず友達と遊びに出て行ってしまいました。豪勢な料理の皿は平らげられ、手付かずのおにぎりの山だけが残りました。>>
なんとなく子供心にも気にかかりながら家に帰ると、祖母が薄暗い土間の食堂でそのおにぎりを崩しながらお茶漬けにして食べているんですよ。
それを見た途端、「今から食べるけん」とかなんとか言ったんだけど、「そんなに気をつかわんでもいいから」って、祖母は厭味一つ言わなかった。
僕は子供心にも、自分がいかに祖母に酷なことをしたんだろうと思って、泣きながら二つばかりムシャムシャ食った記憶が今も鮮明に残ってるんです。
僕を一番可愛がっていた祖母から「マー坊の一番好きなものをプレゼントするよ」と言われていて、これはすごい物をもらえるぞと期待していた。
そしたら色とりどりのご馳走が並んでいるテーブルの上に、山盛りのおにぎりがあった。でもそのおにぎりは、その場の雰囲気にまったくそぐわないんだな。
<<おばあさんのおにぎりは、さださんの大好物で、お腹がすくと 「おばあちゃん、おにぎり、おにぎり」とせがんでいたのです。
さださんのおばあさんはいつものおにぎりを作って、豪勢な料理の並ぶ中に置きました。
小学一年生の子供が、おばあさんの胸のうちを理解できるわけもなく、彼はおにぎりに手もつけず友達と遊びに出て行ってしまいました。豪勢な料理の皿は平らげられ、手付かずのおにぎりの山だけが残りました。>>
なんとなく子供心にも気にかかりながら家に帰ると、祖母が薄暗い土間の食堂でそのおにぎりを崩しながらお茶漬けにして食べているんですよ。
それを見た途端、「今から食べるけん」とかなんとか言ったんだけど、「そんなに気をつかわんでもいいから」って、祖母は厭味一つ言わなかった。
僕は子供心にも、自分がいかに祖母に酷なことをしたんだろうと思って、泣きながら二つばかりムシャムシャ食った記憶が今も鮮明に残ってるんです。
posted at 2012/03/14 16:21:49
lastupdate at 2012/03/14 23:05:26
【修正】
2011/06/25
[泣ける話]
僕はいまから八年程前に長女を亡くしました。
彼女は生まれたときから重い障害をもった子供で、十八年間の人生の中で一度も自分の力でベッドから起き上がることが出来ない生活を送り、そして死にました。
生まれてすぐからミルクが巧く飲めず、いつまでたっても首が据わらないままで、やがて視力が、そして聴力が失われ、身体の発育も健常児に較べればずっと悪く、四肢の関節は曲がり、自分の手で食事を摂ることも出来ないままで生涯を終えました。
最後の七年間は親戚の経営する病院に入院し、僕自身は仕事が忙しかったせいもあって、月に三、四度病院に見舞いに行くのが精一杯、という状態で良い父親とはいえなかったかもしれません。
それでも見舞いにいったときに天気がいいと、僕は娘を抱いて窓際に連れて行き、太陽の光を浴びさせてやることにしていました。
すると、視力のないはずの彼女が、光を感じ取ってさも嬉しそうにニッコリと笑うのです。目は見えなくとも光を感じ取る事はできるのです。
それは父親である私にとっても至福の時間でした。
さて、ここからはちょっと不思議な話になります。
急な死だったために、僕があわてて病院に駆けつけたのは死後一時間ほどしてからでした。娘は既に冷たくなっていて、一八歳にしてはずいぶん小さな体をベッドに横たえていました。
その夜、通夜が営まれ、お棺に入れられて祭壇に安置されている娘の遺体を目にしたとき、僕はなぜか「あ、もう肉体から魂が抜け出してしまっている」と感じたのです。
ふと祭壇の上の方を見ると、そこに娘がポコンと浮かんでいました。それは、生前の肉体の姿ではなく、白く光る玉のように僕の目には見えました。
無事にお通夜を終え、僕は翌日の葬儀に備える為に教会の駐車場にあった車に戻りました。車のエンジンをかけたときに、僕は助手席に死んだ娘がいる事に気がつきました。さっきと同じ光る球体のようでした。「一緒にお家に帰るか」と僕は娘に声をかけました。彼女は、「うん、一緒に帰る」と答えました。
不思議なことです。
生きているときは、言葉が喋れないために一度も会話をしたことがない彼女と、死んだ後ではまるで普通の人と同様に会話ができるのです。
といっても、それは鼓膜から通して伝わってくるものではなく、直接僕の心に語りかけてくるテレパシーのような通信手段でしたが、それでも意思は完全に通じあっていました。
いろいろなことを語り合いながら、車を運転していくと、途中で雨が降り始めました。家に着いたときもまだ雨は降り続いており、彼女は「そうかぁ、雨ってこういうものなんだ」と感激していました。ずっと室内で暮らしていた彼女は、雨というものを実体験したことがなかったのです。
その後、娘は(ヘンな話ですが)自分の葬儀にも出席し、しばらく我が家に滞在していました。
その間に「お前はなんであんな不自由な身体を選んで生まれてきたのだ」と尋ねたことがあります。娘の答えはこうでした。
「他の理由はあるけど、私が生まれる前のパパの心の状態のままだと、パパは弱者に対してのやさしさが持てない人になっていたかもしれないの。それで私は重い障害をもってパパの娘に生まれたの」
この言葉は僕にとって目からウロコが落ちるようなものでした。
たしかに、思い返してみれば当時の僕にはそういった傾向があったのかもしれません。やがて娘は、「もう天に帰るから」と言って去っていきました。
痛く、辛く、悲しい人生ではあったと思いますが、彼女の一生は無駄でも敗北でもありませんでした。障害をもつ子として生まれて、僕に思いやりの大切さを気づかせてくれたのですから。
これはすべて本当の話です。
もう一度言いましょう。どんな人生でも無駄や敗北はないのです。大切なのは無駄や敗北とみえたことから、何を学び取るか、なのです。
posted at 2012/03/14 20:35:37
lastupdate at 2012/03/14 23:10:03
【修正】
2011/06/23
[泣ける話]
自分が消防の頃、親やじいちゃんは農作業のため学校から帰ると家にはばあちゃんしかいなかった。
だから自然とばあちゃんっ子になった。
学校から帰ると丁度おやつの時間だったのでばあちゃんはよくご飯の余りで塩だけのおにぎりを作ってくれた。
それがすごく好きで毎日楽しみに待っていた。
自分でも喜んで食べてたし、ばあちゃんも嬉しそう顔をほころばせていた。
でも中学生になって人並みに反抗期になりいつしかばあちゃんとの会話もまともにしなかった。
当然おにぎりも食べなくなった。
親に反抗はしなかったけど代わりにばあちゃんに反抗してたんだなぁと今になって思うよ。
それが中3のある日、突然旅立った。
誰にもさよならを言うことなく風呂場で静かに亡くなった。
葬式中、もう会えない、謝ることも何かしてあげることも出来ない・・・そう思った瞬間ボロボロと涙が出てきた。
死んだ直後や通夜でも泣かなかったに人目を考えず大泣きした。
多分今までの人生の中であれ以上に泣いたことは無かったと思う。
あの塩おにぎりが食べられないんだなぁと思うと今でも涙腺が潤んでくる。
あれ以上に美味いおにぎりは今でも食べたことが無いなぁ・・・
だから自然とばあちゃんっ子になった。
学校から帰ると丁度おやつの時間だったのでばあちゃんはよくご飯の余りで塩だけのおにぎりを作ってくれた。
それがすごく好きで毎日楽しみに待っていた。
自分でも喜んで食べてたし、ばあちゃんも嬉しそう顔をほころばせていた。
でも中学生になって人並みに反抗期になりいつしかばあちゃんとの会話もまともにしなかった。
当然おにぎりも食べなくなった。
親に反抗はしなかったけど代わりにばあちゃんに反抗してたんだなぁと今になって思うよ。
それが中3のある日、突然旅立った。
誰にもさよならを言うことなく風呂場で静かに亡くなった。
葬式中、もう会えない、謝ることも何かしてあげることも出来ない・・・そう思った瞬間ボロボロと涙が出てきた。
死んだ直後や通夜でも泣かなかったに人目を考えず大泣きした。
多分今までの人生の中であれ以上に泣いたことは無かったと思う。
あの塩おにぎりが食べられないんだなぁと思うと今でも涙腺が潤んでくる。
あれ以上に美味いおにぎりは今でも食べたことが無いなぁ・・・
posted at 2012/03/23 23:57:11
lastupdate at 2012/03/23 23:57:11
【修正】
2011/06/22
[泣ける話]
11年間飼ってた愛犬がなくなった。
死ぬ前の半年間、自分はろくに家に帰ってなくて、 世話もほとんどしなかった。その間にどんどん衰えてたのに、 あまり見ることも触ることもなく、その日を迎えてしまった。
前日の夜に、もう私とはほとんど会話がなくなっていた母が、兄と一緒に私の部屋にきて 「もう、動かなくなって、息だけしてるの。目も、開いたままとじれない。 最後だから、お別れしてきなさい。」と泣きながら言ってきた。
そこまでだったなんて知らなくて、びっくりして下に下りていったら、コタツに横たわってた。ほんとに息だけしかしてなくて、だんだん息も弱くなってるのがわかった。
怒りっぽい犬で、触るだけで唸るのに、その日は、なにも反応がなかった。母と兄と、3人で、泣きながら朝まで見守った。
結局次の日、単身赴任の父が帰ってきてすぐ息を引き取った。父のことが大好きだったから、きっと待ってたんだと思う。家族全員そろうのを待ってたんだな。って思う。
死ぬ間際に飲んだ水はすごくおいしかったよね。幸せだったよね。なによりも、本当にろくに家に帰らず遊んでばかりいて、あなたの世話をしていなかったことを悔やんでる。
父も母も兄も泣きじゃくる中、あたしは後悔ばかりが心に残って、 あまり泣くことも出来なかった。おまえが死んでから、おかあさんとも会話するようになったよ。
今まで、おかあさんの話し相手はおまえだったもんね。おまえのおかげで自分がどんなに親を悲しませてたかわかった。犬にまであたしのこと相談するくらい、おかあさん悩んでたんだね。おまえが死んでふさぎがちだった母も最近元気になったよ。安心して眠ってね。
昨日、死んでから初めてあなたの夢を見ました。
朝起きて、泣きました。
ほんとうにありがとう。ばいばい。
死ぬ前の半年間、自分はろくに家に帰ってなくて、 世話もほとんどしなかった。その間にどんどん衰えてたのに、 あまり見ることも触ることもなく、その日を迎えてしまった。
前日の夜に、もう私とはほとんど会話がなくなっていた母が、兄と一緒に私の部屋にきて 「もう、動かなくなって、息だけしてるの。目も、開いたままとじれない。 最後だから、お別れしてきなさい。」と泣きながら言ってきた。
そこまでだったなんて知らなくて、びっくりして下に下りていったら、コタツに横たわってた。ほんとに息だけしかしてなくて、だんだん息も弱くなってるのがわかった。
怒りっぽい犬で、触るだけで唸るのに、その日は、なにも反応がなかった。母と兄と、3人で、泣きながら朝まで見守った。
結局次の日、単身赴任の父が帰ってきてすぐ息を引き取った。父のことが大好きだったから、きっと待ってたんだと思う。家族全員そろうのを待ってたんだな。って思う。
死ぬ間際に飲んだ水はすごくおいしかったよね。幸せだったよね。なによりも、本当にろくに家に帰らず遊んでばかりいて、あなたの世話をしていなかったことを悔やんでる。
父も母も兄も泣きじゃくる中、あたしは後悔ばかりが心に残って、 あまり泣くことも出来なかった。おまえが死んでから、おかあさんとも会話するようになったよ。
今まで、おかあさんの話し相手はおまえだったもんね。おまえのおかげで自分がどんなに親を悲しませてたかわかった。犬にまであたしのこと相談するくらい、おかあさん悩んでたんだね。おまえが死んでふさぎがちだった母も最近元気になったよ。安心して眠ってね。
昨日、死んでから初めてあなたの夢を見ました。
朝起きて、泣きました。
ほんとうにありがとう。ばいばい。
posted at 2012/03/14 13:14:32
lastupdate at 2012/03/14 16:23:59
【修正】
2011/06/19
[泣ける話]
■愛するということは、相手が何をして欲しいのかを考えること。
自分の好きなものは相手も好き、そうじゃないの。間違いの多くは、自分がしたいことを相手に押し付けてそれで自分は愛したと思っているんですね。
それがわかれば人間関係はスッとうまくいくんです。(愛について)
自分の好きなものは相手も好き、そうじゃないの。間違いの多くは、自分がしたいことを相手に押し付けてそれで自分は愛したと思っているんですね。
それがわかれば人間関係はスッとうまくいくんです。(愛について)
posted at 2012/03/14 12:40:08
lastupdate at 2012/03/14 23:06:19
【修正】
2011/06/09
[泣ける話]
楽しい人生を送る人は、他人のいいところを見つける達人でもあります。楽しくない人生なんてつまらないでしょう。わざわざ苦しむ必要なんてないんです。
偉大な業績は、そのことを本気で楽しんだ人からしか出ないんです。豊かさのない人は、どんなに才能があったとしても、生きているうちに決して認められることはありません。
画家のゴッホが良い例でしょう。彼は非常に才能豊かな画家でした。しかし、彼は豊かな心で絵を描きはしませんでした。苦しんで、苦しんで、苦しみながら、描きつづけていたのです。苦しんでいる人間が描いた絵というものは、その絵を描いた本人に、豊かさをもたらしてはくれないのです。
だから、彼は、生きているうちは誰からも認められませんでした。豊かにもなれませんでした。
人間は苦しんではいけないのです。
あなたは苦しんではいけないのです。
あなたが苦しむことによって、あなたのその苦しみから、新たな苦しみが生まれるのです。さらに奪われていくのです。
苦しんでいる不幸な人が、人を幸せにすることなんかできません。自分がまず楽しく生きなければ、相手も楽しくなるわけがないのです。
posted at 2012/03/14 18:28:36
lastupdate at 2012/03/14 18:28:36
【修正】
2011/06/06
[泣ける話]
お爺「婆さん、そろそろ引き上げようか?」
お婆「早く帰ったって、子供や孫の顔が見られる訳じゃなし。ねえ、爺さん、一緒になって四十年以上、もう子供は駄目かねえ」
お爺「おい、婆さん、お前、その歳で子供生むつもりかい?」
そこへ一人の客。
客「おい、ラーメン、作ってくれ」
お爺「へい、いらっしゃいまし、少しお待ちくださいよ・・・へいお待ちどう様。」
お婆「(小声で)この人、二十二、三くらいかね。鼻が上を向いている所なんざ、爺さんそっくりだねえ」
ところが、このお客。ラーメン三杯食べたあげく、金がないから、無銭飲食で交番へ突きだしてくれ、と言いだした。
客「物心がついた時にゃ、他人に育てられて、親もねえ、家のねえ身。真面目に働くのもいやになってな。今夜は寝る所もない、ブタ箱で一晩すごせば、朝飯だけは食わせてくれるから」
お爺「じゃ屋台を終いますから、ちょっと待ってください。片付けますんで。あら、ヨイショっと。おい、婆さん、しっかり押しなよ、重いな、ぶらさがってんじゃないのかい?」
客「お爺さん、俺が引いてやろう。爺さんとこの家族は大勢なのかい?」
お爺「いやあ、婆ぁさんと二人っきりですよ。息子も嫁もいません。ああ、すいません、 この横丁を入ってください。おい、婆さん、茶でも入れな。」
客「でも、交番へ行かなきゃ。」
お婆「爺さん、あそこから家まで屋台を引いてもらった労働賃金はどうしましょう?真夜中に屋台をひいてもらったら、ラーメンの三つくらいトントンじゃないですか。」
お爺「そうだな、それじゃ、今夜はここでお休みなさい。きたない家だが、ブタ箱よりはましだ。先ほども話しましたが、四十何年の夫婦でありながら、うちは一人の子供もいない淋しい爺ぃ婆ぁなんですよ。百円差し上げます。たった一言でいいから、"お父っつぁん"と言ってくれませんか?」
客「ええっ?じゃあ、目をつぶって言わしてもらうよ。お父っつぁん!」
お爺「(泣きながら)ああ、ありがとう、良い気持ちだ。」
お婆「じゃ、私は二百円出しますから、少し小声で甘えるようにさ、"おっ母さん"って呼んでくださいな」
客「そんな、呼んだこともねえ言葉だし、難しいなぁ。こうかい?おっ母さん・・・」
お婆「(泣きながら)なんだい?(かみしめて喜ぶ)」
お爺「あなた名前は何てんですか?えっ安夫さんってのかい?じゃ、今度は三百円で、私が呼び捨てにしますから、"何だい、お父っつぁん"、って言ってください。良い ですか。『安夫!』」
客「何だい、お父っつぁん。」
お爺「うーん、三百円じゃ安い(泣く)。」
お婆「はい、今度は私が五百円出しますから、あなたがいたずらをしたということで『安夫!』って叱るように言いますから、『おっ母さん、ご免ね』と言ってくださいな。じゃ、やりますよ、『どこへ行ってたのさ今頃まで、お前が帰って来ないからおっ母さん、ご飯ものどを通らないで・・・』」
お爺「婆ぁ、長げぇなぁ!」
お婆「五百円なんだから、少しは楽しませてくださいよ。『どこへ行くかと、行き先ぐらい言っていったらどうなの!安夫!』」
客「おっ母さん・・・(見つめて涙が出る)、おっ母さん、ご免ね。」
お婆「ありがとう、ありがとう(顔を押さえる)。」
お爺「じゃあ今度は私が七百円で、あなたが先に『お父っつぁん、僕が働くから、ラーメン屋なんかよしてくれよ。』と言ってください。後は私の方で勝手にやりますから、はい、どうぞ。」
客「(泣きながら)お父っつぁん、俺が働くから、ラーメン屋なんかよしてくれよ。安心して俺にまかせてくれよ(号泣)。」
お爺「そう言ってくれるのはありがたいが、いくらかでも小金を貯めておかないと、おまえが嫁をもらって子供でも出来れば、孫におもちゃのひとつも買ってやりてぇじゃあねぇか(泣く)。ああ、楽しかった。婆さん、今夜は楽しかったなぁ。」
客「・・・今までもらったお金は全部返します。返しますから、私の頼みも聞いてください。」
お爺「あなたの頼みって?」
客「(泣きながら)せがれ、と呼んでください・・・」
お婆「早く帰ったって、子供や孫の顔が見られる訳じゃなし。ねえ、爺さん、一緒になって四十年以上、もう子供は駄目かねえ」
お爺「おい、婆さん、お前、その歳で子供生むつもりかい?」
そこへ一人の客。
客「おい、ラーメン、作ってくれ」
お爺「へい、いらっしゃいまし、少しお待ちくださいよ・・・へいお待ちどう様。」
お婆「(小声で)この人、二十二、三くらいかね。鼻が上を向いている所なんざ、爺さんそっくりだねえ」
ところが、このお客。ラーメン三杯食べたあげく、金がないから、無銭飲食で交番へ突きだしてくれ、と言いだした。
客「物心がついた時にゃ、他人に育てられて、親もねえ、家のねえ身。真面目に働くのもいやになってな。今夜は寝る所もない、ブタ箱で一晩すごせば、朝飯だけは食わせてくれるから」
お爺「じゃ屋台を終いますから、ちょっと待ってください。片付けますんで。あら、ヨイショっと。おい、婆さん、しっかり押しなよ、重いな、ぶらさがってんじゃないのかい?」
客「お爺さん、俺が引いてやろう。爺さんとこの家族は大勢なのかい?」
お爺「いやあ、婆ぁさんと二人っきりですよ。息子も嫁もいません。ああ、すいません、 この横丁を入ってください。おい、婆さん、茶でも入れな。」
客「でも、交番へ行かなきゃ。」
お婆「爺さん、あそこから家まで屋台を引いてもらった労働賃金はどうしましょう?真夜中に屋台をひいてもらったら、ラーメンの三つくらいトントンじゃないですか。」
お爺「そうだな、それじゃ、今夜はここでお休みなさい。きたない家だが、ブタ箱よりはましだ。先ほども話しましたが、四十何年の夫婦でありながら、うちは一人の子供もいない淋しい爺ぃ婆ぁなんですよ。百円差し上げます。たった一言でいいから、"お父っつぁん"と言ってくれませんか?」
客「ええっ?じゃあ、目をつぶって言わしてもらうよ。お父っつぁん!」
お爺「(泣きながら)ああ、ありがとう、良い気持ちだ。」
お婆「じゃ、私は二百円出しますから、少し小声で甘えるようにさ、"おっ母さん"って呼んでくださいな」
客「そんな、呼んだこともねえ言葉だし、難しいなぁ。こうかい?おっ母さん・・・」
お婆「(泣きながら)なんだい?(かみしめて喜ぶ)」
お爺「あなた名前は何てんですか?えっ安夫さんってのかい?じゃ、今度は三百円で、私が呼び捨てにしますから、"何だい、お父っつぁん"、って言ってください。良い ですか。『安夫!』」
客「何だい、お父っつぁん。」
お爺「うーん、三百円じゃ安い(泣く)。」
お婆「はい、今度は私が五百円出しますから、あなたがいたずらをしたということで『安夫!』って叱るように言いますから、『おっ母さん、ご免ね』と言ってくださいな。じゃ、やりますよ、『どこへ行ってたのさ今頃まで、お前が帰って来ないからおっ母さん、ご飯ものどを通らないで・・・』」
お爺「婆ぁ、長げぇなぁ!」
お婆「五百円なんだから、少しは楽しませてくださいよ。『どこへ行くかと、行き先ぐらい言っていったらどうなの!安夫!』」
客「おっ母さん・・・(見つめて涙が出る)、おっ母さん、ご免ね。」
お婆「ありがとう、ありがとう(顔を押さえる)。」
お爺「じゃあ今度は私が七百円で、あなたが先に『お父っつぁん、僕が働くから、ラーメン屋なんかよしてくれよ。』と言ってください。後は私の方で勝手にやりますから、はい、どうぞ。」
客「(泣きながら)お父っつぁん、俺が働くから、ラーメン屋なんかよしてくれよ。安心して俺にまかせてくれよ(号泣)。」
お爺「そう言ってくれるのはありがたいが、いくらかでも小金を貯めておかないと、おまえが嫁をもらって子供でも出来れば、孫におもちゃのひとつも買ってやりてぇじゃあねぇか(泣く)。ああ、楽しかった。婆さん、今夜は楽しかったなぁ。」
客「・・・今までもらったお金は全部返します。返しますから、私の頼みも聞いてください。」
お爺「あなたの頼みって?」
客「(泣きながら)せがれ、と呼んでください・・・」
posted at 2012/03/14 22:42:37
lastupdate at 2012/03/14 22:42:37
【修正】