クニフロの泣ける話、感動する話まとめ
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2011/12/21
◇ 家族に向けた最後の言葉 ◇ NY 9・11事件から(日刊スポーツ)
 
============================================================

同時テロで犠牲になった人たちは、最愛の人に携帯電話でメッセージを残し、帰らぬ人となった。米メディア報道などを基に犠牲者の最後の言葉を集めた。


▲ブライアン・スイーニさん(38)

「自分らしい人生を生きて幸せになってほしい。絶対にだよ」

ブライアンさんは貿易センタービルに激突したユナイテッド航空機に乗り合わせた。妻のジュリーさんに電話したのは衝突のきっかり5分前。

「状況は悪そうだ。愛している。もう1度話したいが、だめなら、また天国で会おう」


▲トマス・パーネットさん(38)

ペンシルバニア州ピッツバーグ郊外に墜落したユナイテッド機から妻のデューイさんに携帯電話をかけた。

「みんな死ぬことは分かっている。だけどここにいる3人で何とかしてみるつもりだ」

大統領山荘を狙っていたとの情報もある同機は目標をそれたが、乗客との格闘が原因との見方が出ている。

「愛している」と言ってトマスさんの通話は途絶えた。


▲シーシー・ライルズさん

ユナイテッド機のスチュワーデス。フロリダ州に住む夫と4人の子どもに電話した。

「どんなに家族を愛しているか知ってほしい」 

背後では乗客の叫び声が聞こえたという。


(「日刊スポーツ」2001.9.15より)




"CNNを見ていて、先ほどキャスターの女性が、ハイジャックされた飛行機から電話をかけてきた乗客の最後の言葉についてコメントをしていました。

「死を悟った人達の最後の言葉は、憎しみでも恐怖でもなく『愛している』という愛の言葉で した」と。

胸がつまって、とても苦しくて、たまらなくなり ました。 事件に関していろいろな思いや、意見が交わされ、報道される中ですが、ものすごく心に響いた一言でした。

うまく言えないのですが、1 つ1つの言葉が何度も何度も頭の中を回るのです。死を悟った人が、憎しみでも、恐怖でもなく、愛していると伝えたかったということが・・・"



posted at 2012/03/14 22:45:38
lastupdate at 2012/03/14 22:45:38
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2011/12/13

FE:いま出版界のなかで、見城徹ほどパワフルで敵なしの男はいないと言わ
れていますが…。

見城「僕は、人一倍不安や恐怖を感じるタイプなんですよ。しょっちゅう後ろ髪を引かれているし、小石にもつまづく。何をやるにもウジウジ悩んだりクヨクヨする男なんです。

7、8年前にトム・クルーズの仕事や私生活に密着して書かれた記事を雑誌で読んだことがあるんだけど、彼はいつもちょっとしたことでたじろぐんだそうです。

例えば明日ベッドシーンがある。ものすごく憂欝で落ち込む。ロケ現場でもずっと無口で。でもいよいよ本番の時間が近づいてくると自分を吹っ切ったように、『ロッケンローーール!』と叫んで現場に入っていくんだって。

その気持ちがすごくよくわかるんだよね。以来、僕も一歩踏み出すときにはいつも心の中て『ロッケンローーール!』って叫んでますよ(笑)」


FE:幻冬舎という会社を作って以来、史上最速でミリオンセラーを連発したり、12億円を叩いて62作の文庫本を送り出したり、郷ひろみの『ダディ』を常識外の初版50万部からスタートしたり……。どうして見城さんは毎回壁を突破できるんですか?

見城「そうしなければ何も始まらないと思うからじゃないかな。人は現状維持が一番楽なんですよ。でもそれでいたら満たされない自分がいる。寂しい自分がいるんですよ。だから、苦しくても、一歩前へ出る」





FE:『大河の一滴』が文庫・単行本あわせて300万部を突破した理由は?

見城「人は必ず病気になるし、生まれたからには必ず老いる。肉親だろうと友人だろうと人は裏切る…。仕事は上手く行かない、恋は成就しない。それを前提として生き始めようじゃないかというのが『大河の一滴』の根本に流れているものなんです。

黙々と生きて黙々と死んでいった人たちはみな、それを静かに受け入れるんです。僕にとって尊敬すべき人たちというのは、そういう人たちなんですよ。人生の価値というのは、総理大臣だろうと田舎で黙々と生きた人だろうとみな同じだと思うんですよね。

最終的に人はひとりで死んでいく。それはすべての人間に対して平等じゃないですか。その時、笑って死ねるかどうか。それ以外は全部プロセスに過ぎない。自分の人生が成功か失敗か、死ぬ瞬間、自分自身が決めるわけです。その瞬間のために僕は今、戦っている」

FE:なぜそんなに寂しいんですか?

見城「だって人は必ず死ぬんだよ! もし死なないのなら、すべての問題は解決しちゃう。フラれたって全然寂しくないと思わない?1億年後には必ず恋は成就するだろう、一人くらいは(笑)。

時間の秘密というのはものすごく大きなことで、ものの哀れもせつなさも、感動はすべてそこから生まれてくる。時が経つことは誰も止められない。生病老死だよね。それを受け入れられるかどうかなんだけど、僕はダメなんですよ。生きている瞬間瞬間で自分を満たしてやらないと…。

哲学者や宗教家がいろんな生き甲斐を説くけれど、本当の生き甲斐なんてないんですよ。でもそれがないなんて言ってしまえばおしまいだから、一生懸命自分の中でその場その場の生き道を求める。宗教にきちんと入り込んで神と直結すれば、生涯寂しさを感じなくていいのかもしれないけど…」

FE:なぜ、そこにハマらないんですか?

見城「いろんな宗教を見たし、旧約聖書も新約聖書も全部読んだし、法華経も勉強したけど…そこに自分を埋められない。それよりもこれだと思った女を勝ち得てセックスするときのほうが埋められるんですよ(笑)。それも瞬間的だけどね(笑)。」


FE:若い頃からそんなに寂しいんですか?

見城「ずっと寂しい」

FE:周りに愛がなかったんですか?

見城「いや、そうじゃなくて、人間はつねに死に向かって生きているわけじゃない? 結局死ぬために生きている。それ以外は全てがごまかしですよ。何をやったって死という圧倒的な事実に向かっているわけで。

それを回避できるならいいよ。回避できないからすべては一時的なごまかしでしょ。だから根本的に寂しいわけです。愛があろうと仕事がうまくいこうと。だから僕にとっては、死をどのように受容するかが最大の問題なんです」





FE:「自殺」は見城さんにとってどういう位置付けになるんでしょうか?

見城「自殺できれば一番いいと思っている。でも今はまだ自分で自分の命を絶つことはできない。何度もそうしようと思うのね。ただその勇気がないだけなんだよ」

FE:見城さんが自殺すると、残された幻冬舎の方々が大変しゃないですか。

見城「そんなことは知ったこっちゃないよ(笑)。僕は僕のために会社をやっているわけで、彼らは彼らのためにこの会社にいるわけで、僕が死んだら誰かが何とかするかもしれないし、離れていくかもしれない。家族はいるとしても、それぞれの人生のなかで今ここを選び取っているだけでしょう。

だから僕は『辞める』というヤツは絶対に止めない。ものすごいエゴイストだから、この会社も見城徹という生き様の形だと思っているんです。僕の、のっぴきならない人生を生きるためにこういう会社になってしまったんです。

アンドレ・マルローの『王道』の中でテロリストの陳が死ぬ直前に放った台詞がカッコいいんだけどね…『死、死などない。俺だけが死んでいく』…まさにその通りで、俺だけが死んでいくんですよ。自分にとっては死でも、他の人にとっては死なんてないんです」

FE:なるほど。

見城「だから僕は、幻冬舎をやっていなかったら今ごろ飛行機の操縦席に座ってビルに突っ込んでいたかもしれない。

アラブ人の彼も、もしかしたら微笑みながら突っ込んだのかもしれない。それも彼自身の生き様なんだからいいじゃないかと思うよね。それは共同体の善悪や正義や真実なんていう、浮わついた言葉ではくくれないものでしょう。死ぬ理由が見つかれば僕は死にますよ。

ヘミングウェイが自分を撃った、三島由紀夫が腹を捌いた、奥平岡士が自分の足に爆弾を投げだというのは、だから僕にとって重いんです。60年安保のときに全学連が国会に突入して樺美智子という東大生が死んだ事件があったんだけど、その後彼女の日記が発見されて『人知れず微笑まん』という本になってね。

その本は、『最後に笑うものが一番良く笑うという。私も最後には人知れず微笑みたいものだ』という詩の1行で終わるんです。彼女は早過ぎる死の瞬間、笑えただけだろうかって考えるんです。

ホームレスでも大統領でもテロリストでも、みんな対等の人生を生きている。僕は最後に微笑んで死ぬためにダッシュしている。だから、すべての議論や人生論はどうでもいいことなんです」
posted at 2012/03/14 16:27:37
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2011/12/12
自分は父の顔を知らない。
自分が2歳の頃、交通事故で死んだそうだ。
母に「お父さんの名前、なんて―の?」とか
「お父さんの写真、見して!」とか
「お父さん、メガネかけてたの?」とか聞いても、黙って首を振るだけだった。

父がいない分、母は毎日朝早くから遅くまで仕事をしていた。
酷いときには、1週間母を見ない日だってあったのだ。

そんな時、面倒を見てくれたのが祖父母。
誕生日もクリスマスも、祖父母と一緒。
母とは土日に外出するくらいで、正直何を話したら良いのか全然わからなかった。

小学校のときは
「お母さんはカッコよくて、頭が良くて、仕事もすごい出来るんだ」
と、よく自慢していた。
でも、本当はそんな自慢なんていらなかった。
母とちゃんと話がしてみたかった。

そんな時、いつも思うのが死んだ父。
父がいたら、母とも毎日話せた。
父がいたら、母がこんなに仕事をすることもなかった。
父がいたら、父がいたら、父がいたら…
そんな思いがひたすら溢れた。
祖父母は大好きだ。文字の書き方からきゅうりの切り方まで全部教えてくれた。
それでも、やっぱり…
母は父のことを教えてくれないだろう。絶対に。

そんな小学生時代に終止符を打つように、母の再婚が持ち上がった。
小学校の卒業と同時に、県外に引っ越し、新しい父と母との3人で暮らすということだった。
実際、自分は本気で祖父母の所に残ることを考えた。
小学校の友達と離れるのは辛い。でも、それ以上に祖父母と離れるのが嫌だった。
それでも、母の涙に折れて引っ越すことになった。
その時はまだ知らなかった。
母のお腹には新しい父との子供がいた。

新しい父は妹が産まれるまでは優しかった。
しかし、妹が産まれた途端、がらりと変わってしまった。
理不尽な怒り方ばかりしかしない。
母の前では優しいのだ。なのに、母がいないと口調も変わる。
それは2年経った今でもちっとも変わらない。
どうしようもなく、辛くなっても話せる人がいなかった。

先週、祖父母を訪ねたときに今まで教えてくれなかった父の墓を聞いた。
全てを話すと、祖父母はこっちに引っ越して来いと言ってくれた。
でも、それは出来ない。
母にもその事実を話さなくてはいけない。母はきっと悲しむ。
今まで、母親らしいことをしてくれなかった母でも、母が悲しむのは見たくない。

そして今日。
祖父母から父の命日だと聞いていた日。
学校を休んで亡き父に会いに行きました。
父の墓は綺麗に掃除されていて、花も供えてありました。

「お父さん、自分はもうすぐ高校受験です。
 今まで会いに来れなくてごめんなさい。
 お父さんの顔は分からないけど、辛い時にはここに来ます。」

本当に父に会いたいと思った。
posted at 2012/03/23 23:55:39
lastupdate at 2012/03/23 23:55:39
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2011/12/09
246 :Mr.名無しさん :05/02/10 00:15

俺が骨あげた時の会話。
姉「コレで一生アンタに借りができちゃった。」
弟「こんなんで借りとかいうなや」
姉「コレで私とアンタは運命共同体ね」
弟「ハハッ ちゃんとリハビリしろよ!」
姉「リハビリしたら歩けるようになるかな・・・」
弟「大丈夫だって!俺の骨は若くて丈夫だもん!!」
姉「傷痛くない?しばらくベルトしめれないよね?ごめんね。
  退院したらサスペンダー、プレゼントするね」
弟「おぅ、早く良くなってくれよな」
姉「○○ちゃん、ありがとね」

交通事故で足首の骨が粉砕してしまった姉に俺の尾?骨から
骨を移植手術した時、病室に二人のベットを並べて入院してた
時の会話。


290 名前:246[sage] 投稿日:05/02/10 01:57



移植手術が終わって2ヶ月程経った頃、俺と姉は再手術をする
事になった。 医者が言うには骨がくっつくには周りの筋肉や皮
膚が健康じゃないとダメらしいんだけど姉の場合、事故で皮膚も
肉も大分えぐられてしまってるらしい。

移植した俺の骨も大部分が化膿して押し出され、かろうじて留ま
ってる骨も腐って死んでしまったらしい。
1度目は骨盤の前の方、左の腸骨から骨を取ったんだけど今度
は右の方から骨を取ることになった。

姉「何度もごめんね・・・」
弟「いや、俺の方は有り余ってるから、いいけどさ。それより、せっ
  かく俺の骨をやってるんだから早く良くなってくれよ!」
姉「○○ちゃんがそういってくれるのは嬉しいけど、またダメかも・・
  骨の取られ損になっちゃうかも」
弟「何、言ってんだよ、今度こそ大丈夫だってば!」
姉「昨日、ギプスを外した時に見たんだけど、お婆さんの足みたい
  だった・・・」 そこまで言って姉は泣き出した。


293 名前:246[sage] 投稿日:05/02/10 02:06


2度の手術で俺の骨盤の前の出っ張りは両方とも無くなりました。
2度目の手術が終わって1ヶ月ほど経った頃、見舞いに行くと姉が
泣いてる母親に外に連れ出され、事情を聞くと骨の接きがあまり良
くないらしい。

やはり、周りの皮膚や筋肉が根こそぎやられてるのが致命的だった
みたいで、これ以上、移植を繰り返しても結果は同じだと・・・


296 名前:246[sage] 投稿日:05/02/10 02:16


結論から言うと、
結局、姉の右足は膝から下を切断されてしまいました。
今は義足の生活です。
男前な姉なんで、足を切ることに人前に涙を見せることは無かった
です。俺は泣いてしまったけど

姉「結局、無駄になっちゃった・・・ごめんね」
弟「いや、俺の骨が根性無しだったから・・・もっと他の人の骨だっ
  たら・・・」
姉「も〜やだな〜、何でアンタが泣くのよ〜!私は○○ちゃんの骨
  で良かったと思ってるよ」


298 名前:246[sage] 投稿日:05/02/10 02:28:57

で、その姉が、当時お世話になった義肢装具士の先生のとこで働い
てた方と婚約しました。4月に式を挙げる予定です。

俺の骨は役にたたず・・・姉の右足は彼に一生支えられていくのだ・・
と思うと正直少し悔しいですが姉が幸せになれそうで良かったと思っ
ています。
posted at 2012/03/14 22:51:41
lastupdate at 2012/03/14 22:51:41
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