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インターネットで公開している、泣ける話、感動する話をまとめています。号泣できる話から、ほっこりと心温まる話をいろいろ集めてますので、楽しんでください。
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2012/12/16
[泣ける話]
あれは4年前になるかな。ブレイクダンスのチームに入っていた時だった。
ある朝、何事もなく目を覚めてテレビをつけたら海で溺死したとゆうニュースを始めに見
た。
その時は、『浮き輪持っとけよ』と他人事でした。
そしてその夜。チームの先輩に電話で『今から話あるから〇〇に集合』と言われ集合場所
に行きました。
するとその先輩が『今日〇〇が死んだ』と言われました。
そぅ。溺死したのは同じチームの奴だった。
そして、どうゆう状況で死んだかを聞いた。
海から上がって休んでる時に子供が溺れていたらしい。そして周りの大人は気付いている
のに助けに行かず、〇〇が海に走って助けに行った。そこでタイミング悪く大きい波が来
て、2人の姿が消えたらしい。
そして死体が見つかった場所は沖から80メートルも離れた場所で見つかった。
葬式に顔を見ると、化粧してるのに顔がボコボコになっていました。きっと海の中の石な
どが当たったりしたんだろう。
痛かっただろう。今までにないぐらい苦しかっただろう。
俺はお前は亡くなったけどお前のやった事は本間に格好良いと思ってる。
これからは上から俺等を見ててくれ。
ある朝、何事もなく目を覚めてテレビをつけたら海で溺死したとゆうニュースを始めに見
た。
その時は、『浮き輪持っとけよ』と他人事でした。
そしてその夜。チームの先輩に電話で『今から話あるから〇〇に集合』と言われ集合場所
に行きました。
するとその先輩が『今日〇〇が死んだ』と言われました。
そぅ。溺死したのは同じチームの奴だった。
そして、どうゆう状況で死んだかを聞いた。
海から上がって休んでる時に子供が溺れていたらしい。そして周りの大人は気付いている
のに助けに行かず、〇〇が海に走って助けに行った。そこでタイミング悪く大きい波が来
て、2人の姿が消えたらしい。
そして死体が見つかった場所は沖から80メートルも離れた場所で見つかった。
葬式に顔を見ると、化粧してるのに顔がボコボコになっていました。きっと海の中の石な
どが当たったりしたんだろう。
痛かっただろう。今までにないぐらい苦しかっただろう。
俺はお前は亡くなったけどお前のやった事は本間に格好良いと思ってる。
これからは上から俺等を見ててくれ。
posted at 2012/12/16 0:05:28
lastupdate at 2012/12/16 0:05:28
【修正】
2012/12/15
[泣ける話]
私のオヤジは酒のみで、金にもだらしない人間でした。幼い頃より、いつもそのことが原因で夫婦喧嘩が絶え間なく、私はオヤジが大嫌いでした。
オヤジは当時(昭和30年頃)、繊維会社の人事課で働いていたのですが、会社で問題を起こして解雇同様になり、私は生まれ育ったその土地を、小二の時に引っ越すことになりました。
それからの生活は、貧乏と家庭環境の悪化で最悪のものとなっていきました。そんな訳で、私の兄・姉たちは卒業をすると同時に家を出て行きました。私は中学生頃から、そんなオヤジにひどい暴力を振るうようになりました。困ったオヤジは度々、町の相談所へ行っていたようです。
中学を卒業した頃に、オヤジは家族の誰もいない時に、アパートの共同トイレに行く途中で倒れて亡くなってしまいました。
葬式の時に、オヤジに「金を貸していた」と、同じ職場の人に催促されたほどでした。全く尊敬できない、どのように思い返しても“しょうもないオヤジ”でした。
やがて、私も結婚をし、3人の父親になりました。
時は過ぎ、私は50歳を越える年齢となった頃に、この地域一帯がニュースで大々的に取り上げられるような災害に遭ってしまいました。それでも、多くの方々の援助で、何とか立ち直ることが出来ました。
それから半年ほど経った頃に、オヤジが当時、勤務していた土地に嫁いでいた姉から電話がありました。
姉の話によると「この前、年老いたご夫婦が訪ねて来てこんな話をされた。『私は20歳の時、お父さんの勤めていた会社に面接に行きました。しかし、私は戦争で手に障害があったので採用は無理なようでした。その時に人事課の課長さんであったお父さんが、上司に、何とか採用してほしいと熱心に頼んでくれたお陰で今日まで生きてこられたのです。あの時に就職が出来なかったならどうなっていたかと……』
さらに話を続けて『会社で問題を起こした。と、された事件もお父さんを解雇させたい人達の策略にあったのです。引っ越されてからも、風の便りでお父さんやご家族のことは気にかけておりました。お父さんが亡くなられたことも知っていました。お礼を言わないままに、この歳になってしまい申し訳ありませんでした。恐らく、この前の災害で、ご家族がり災されたのではないかと思い、この機会に、一言だけでもご家族の方に、お見舞いと過去のお礼を告げたいと、夫婦で思い切って訪れさせて頂きました』と言われてビックリしてしまったわ。だらしがないだけのお父さんと思っていたけど、そんなことがあったなんて知らなかった」とのことであった。
私も、その話には驚きました。母からも、もちろんオヤジからも聞いたことのない話でした。
大嫌いで軽蔑すらしていたオヤジに対して、この話以来、少し尊敬をするようになりました。
オヤジは当時(昭和30年頃)、繊維会社の人事課で働いていたのですが、会社で問題を起こして解雇同様になり、私は生まれ育ったその土地を、小二の時に引っ越すことになりました。
それからの生活は、貧乏と家庭環境の悪化で最悪のものとなっていきました。そんな訳で、私の兄・姉たちは卒業をすると同時に家を出て行きました。私は中学生頃から、そんなオヤジにひどい暴力を振るうようになりました。困ったオヤジは度々、町の相談所へ行っていたようです。
中学を卒業した頃に、オヤジは家族の誰もいない時に、アパートの共同トイレに行く途中で倒れて亡くなってしまいました。
葬式の時に、オヤジに「金を貸していた」と、同じ職場の人に催促されたほどでした。全く尊敬できない、どのように思い返しても“しょうもないオヤジ”でした。
やがて、私も結婚をし、3人の父親になりました。
時は過ぎ、私は50歳を越える年齢となった頃に、この地域一帯がニュースで大々的に取り上げられるような災害に遭ってしまいました。それでも、多くの方々の援助で、何とか立ち直ることが出来ました。
それから半年ほど経った頃に、オヤジが当時、勤務していた土地に嫁いでいた姉から電話がありました。
姉の話によると「この前、年老いたご夫婦が訪ねて来てこんな話をされた。『私は20歳の時、お父さんの勤めていた会社に面接に行きました。しかし、私は戦争で手に障害があったので採用は無理なようでした。その時に人事課の課長さんであったお父さんが、上司に、何とか採用してほしいと熱心に頼んでくれたお陰で今日まで生きてこられたのです。あの時に就職が出来なかったならどうなっていたかと……』
さらに話を続けて『会社で問題を起こした。と、された事件もお父さんを解雇させたい人達の策略にあったのです。引っ越されてからも、風の便りでお父さんやご家族のことは気にかけておりました。お父さんが亡くなられたことも知っていました。お礼を言わないままに、この歳になってしまい申し訳ありませんでした。恐らく、この前の災害で、ご家族がり災されたのではないかと思い、この機会に、一言だけでもご家族の方に、お見舞いと過去のお礼を告げたいと、夫婦で思い切って訪れさせて頂きました』と言われてビックリしてしまったわ。だらしがないだけのお父さんと思っていたけど、そんなことがあったなんて知らなかった」とのことであった。
私も、その話には驚きました。母からも、もちろんオヤジからも聞いたことのない話でした。
大嫌いで軽蔑すらしていたオヤジに対して、この話以来、少し尊敬をするようになりました。
posted at 2012/12/15 0:18:53
lastupdate at 2012/12/15 0:18:53
【修正】
2012/12/14
[泣ける話]
俺が23歳の頃、就職1年目の冬、俺の誕生日の日のこと。
職場の人たちが「誕生パーティーをしてあげる!」というので、家に「今日は遅くなるよ。ゴハンいらないから。」と電話を入れたら、父が「今日はみなさんに断って、早く帰ってきなさい。」と言う。
「だってもう会場とってもらったみたいだし、悪いから行く。」と俺が言うと、いつもは 温厚な父が「とにかく今日は帰ってきなさい、誕生日の用意もしてあるから」とねばる。
「???」と思いながら、職場のみんなに詫びを入れて帰宅した。
家にはその春から肋膜炎で療養中の母と父がいた。
食卓にはスーパーで売ってるような鶏肉のもも肉のローストしたみたいなやつとショートケーキがあった。
わざわざ職場の誘いを断わって帰ってきたのに、その質素な感じに頭にきて「なんでわざわざ帰らせたの!俺だってみんなの手前申し訳なかったよ!」と言ってしまった。
父は何か言ったと思うが、覚えていない。母が「ごめんね。明日でもよかったね。」と涙ぐんだ。
俺は言い過ぎたな、と思った。
でもあやまれず、もくもくと冷えた鶏肉とケーキを食べて部屋に戻った。
その2ヶ月後、母の容態が急変し入院した。仕事帰りに病院に行くと、父がいた。
廊下の隅で「実は お母さんは春からガンの末期だとわかっていたんだよ。隠していてごめん」と告げられた。
呆然として家に帰ったあと、母の部屋の引き出しの日記を読んだ。
あの誕生日の日のページに
「○男に迷惑をかけてしまった。」
とあった。
声を出して泣いた。何時間も「ごめん」といいながら泣いた。夜が明ける頃には涙が出なくなった。すごい耳鳴りがした。
4、5日して母は死んだ。
仕事をやめて、看病していた父も数年前に死んだ。
父が準備したささやかな誕生日パーティーをどうして感謝できなかったのか、母にとっては最後だったのに
職場の人たちが「誕生パーティーをしてあげる!」というので、家に「今日は遅くなるよ。ゴハンいらないから。」と電話を入れたら、父が「今日はみなさんに断って、早く帰ってきなさい。」と言う。
「だってもう会場とってもらったみたいだし、悪いから行く。」と俺が言うと、いつもは 温厚な父が「とにかく今日は帰ってきなさい、誕生日の用意もしてあるから」とねばる。
「???」と思いながら、職場のみんなに詫びを入れて帰宅した。
家にはその春から肋膜炎で療養中の母と父がいた。
食卓にはスーパーで売ってるような鶏肉のもも肉のローストしたみたいなやつとショートケーキがあった。
わざわざ職場の誘いを断わって帰ってきたのに、その質素な感じに頭にきて「なんでわざわざ帰らせたの!俺だってみんなの手前申し訳なかったよ!」と言ってしまった。
父は何か言ったと思うが、覚えていない。母が「ごめんね。明日でもよかったね。」と涙ぐんだ。
俺は言い過ぎたな、と思った。
でもあやまれず、もくもくと冷えた鶏肉とケーキを食べて部屋に戻った。
その2ヶ月後、母の容態が急変し入院した。仕事帰りに病院に行くと、父がいた。
廊下の隅で「実は お母さんは春からガンの末期だとわかっていたんだよ。隠していてごめん」と告げられた。
呆然として家に帰ったあと、母の部屋の引き出しの日記を読んだ。
あの誕生日の日のページに
「○男に迷惑をかけてしまった。」
とあった。
声を出して泣いた。何時間も「ごめん」といいながら泣いた。夜が明ける頃には涙が出なくなった。すごい耳鳴りがした。
4、5日して母は死んだ。
仕事をやめて、看病していた父も数年前に死んだ。
父が準備したささやかな誕生日パーティーをどうして感謝できなかったのか、母にとっては最後だったのに
posted at 2012/12/14 0:00:26
lastupdate at 2012/12/14 0:00:26
【修正】
2012/12/10
[残念な話]
昨日、バイトの後輩の女の子に
後輩「先輩っ!ちょっといいですか?」
俺「どうしたの?」
後輩「12月24日の夜の予定は空いてますか?」
俺「え?あ、空いてるけど、何?(ドキドキ…)」
後輩「私の代わりに24日バイト入ってもらえます?24日予定があって…」
俺「……………いいよ。暇だし 」
後輩「先輩っ!ちょっといいですか?」
俺「どうしたの?」
後輩「12月24日の夜の予定は空いてますか?」
俺「え?あ、空いてるけど、何?(ドキドキ…)」
後輩「私の代わりに24日バイト入ってもらえます?24日予定があって…」
俺「……………いいよ。暇だし 」
posted at 2012/12/10 0:17:36
lastupdate at 2012/12/10 0:17:36
【修正】
2012/12/09
[泣ける話]
初めて逢ったのは電車の中。彼が駆け込みをし肩にぶつかった。『大丈夫??ごめんね??』
と頭を下げ謝った。アタシは喧嘩の帰りで服にはたくさんの血。服に穴が開き顔も傷だら
け。喧嘩の後は当たり前の事…『俺、一人暮らしなんだ★梅田の○○って所なんだ★家に
帰っても一人だしチョー寂しい★』って…今思えばとても懐かしい。何かに引き寄せられ
るように…『家に帰りたくない…今日泊まらせてくれない??』って。彼は万円の笑顔で答
えてくれた『お前が俺の家でぃぃのなら★その代わり家事の事してくれょ★』って…家に
住み着き半年が経った頃自然に付き合いが始まり同居の気分だった。アタシは彼を心の底
カラ愛してた。彼も愛してるって言ってくれてた。とても幸せだった…繋いだ手…いつまで
も離さなかった。離したくなかった手。彼が違う所に行ってしまうって思ったから。それ
から何日か経ったある日彼の仕事場から連絡があった。彼が亡くなったとの知らせだ。子
供が大好きで近所の子供にも人気が会った彼。子供がボールを追いかけ外に飛び出し助け
ようとした彼が車に跳ねられ亡くなった。子供はすり傷ですんだ。でももぅ戻ってこない
彼の手を離したくなかった。もぅ一度…手を繋いで…もぅ一度繋いでょ…。
と頭を下げ謝った。アタシは喧嘩の帰りで服にはたくさんの血。服に穴が開き顔も傷だら
け。喧嘩の後は当たり前の事…『俺、一人暮らしなんだ★梅田の○○って所なんだ★家に
帰っても一人だしチョー寂しい★』って…今思えばとても懐かしい。何かに引き寄せられ
るように…『家に帰りたくない…今日泊まらせてくれない??』って。彼は万円の笑顔で答
えてくれた『お前が俺の家でぃぃのなら★その代わり家事の事してくれょ★』って…家に
住み着き半年が経った頃自然に付き合いが始まり同居の気分だった。アタシは彼を心の底
カラ愛してた。彼も愛してるって言ってくれてた。とても幸せだった…繋いだ手…いつまで
も離さなかった。離したくなかった手。彼が違う所に行ってしまうって思ったから。それ
から何日か経ったある日彼の仕事場から連絡があった。彼が亡くなったとの知らせだ。子
供が大好きで近所の子供にも人気が会った彼。子供がボールを追いかけ外に飛び出し助け
ようとした彼が車に跳ねられ亡くなった。子供はすり傷ですんだ。でももぅ戻ってこない
彼の手を離したくなかった。もぅ一度…手を繋いで…もぅ一度繋いでょ…。
posted at 2012/12/09 0:10:14
lastupdate at 2012/12/09 0:10:14
【修正】