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インターネットで公開している、泣ける話、感動する話をまとめています。号泣できる話から、ほっこりと心温まる話をいろいろ集めてますので、楽しんでください。
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2010/12/22
[泣ける話]
493 :名前ノーブランドさん :03/11/21 06:56
俺の家は貧乏だった。運動会の日も、授業参観の日さえも
オカンは働きに行っていた、そんな家だった。
そんな俺の15歳の誕生日、オカンが嬉しそうに俺にプレゼント
を渡してくれた。ミチコロンドンのトレーナーだった。
俺はありがとうと言いつつも、恥ずかしくて着られないな、
と内心思っていた。
その夜考えていた。差し歯を入れるお金もないオカン、
美容院に行くのは最高の贅沢、手はかさかさで、化粧なんて当然
していない。こんなトレーナー買うくらいなら他の事に使えよ・・・。
そんな事を考えながら、もう何年も見ていない昔のアルバムを
見てみたくなった。若い時のオカンが写っている。
えっ!俺は目を疑った。それはまるで別人だった。綺麗に化粧をし、
健康的な肌に白い歯を覗かせながら笑っている美人のオカンがいた。
俺は涙が止まらなくなった。俺を育てる為に女を捨てたオカン。
ミチコロンドンのトレーナーを腕に抱き、その夜は眠った記憶がある。
それから少しばかり時は流れ、俺は高校卒業後の進路を考えなければ
いけない時期になっていた。大学進学はとっくに諦めていた。
学校で三者面談が行われた時、オカンが先生に向かって言った。
大学に行かせるにはいくらお金が掛かるのですか?
俺は耳を疑った。びっくりしている俺を横目に、オカンは通帳を
先生に見せて、これで行けますか?と真っ直ぐな眼で先生を見つめた。
それから俺は死に物狂いで勉強し、大学に合格することができた。
郷里を離れる際、オカンが俺に真っ赤なマフラーを渡してくれた。
学費を稼ぎながらの大学の生活は苦しくもあったが、マフラーを
見ると元気が出た。
それから時は流れ、会計士になった俺は来年の春、結婚する。
そして生活を共にする。俺と最愛の妻と最愛の母とで。
なんとしても二人を守ってみせる。
色褪せたトレーナーとほつれたマフラーを目を前にして俺はそう誓った。
サンキュー、オカン。
posted at 2012/03/14 19:13:07
lastupdate at 2012/03/14 23:09:40
【修正】
2010/12/24
[泣ける話]
670 名前:おさかなくわえた名無しさん投稿日:2006/04/19(水) 09:41:18
父が入院中の時の事
酸素マスクを着けなければいけない状況だったんだけど
少し元気になってくると、「家に帰る!」と言い出して
酸素マスクを外してベッドから起き上がろうとする。
で、母に「だめでしょ、お父さん、酸素マスク外したら
死んじゃうよ?大人しくして早く直して退院しようね」
と言われると、とりあえず大人しくなる。
でも30分ぐらいすると「家に帰る!」と、起き上がろうとする。
で、母が「だめでしょ、お父さん(ry
で、また30分ぐらいすると「家に(ry
そんなことを何回も繰り返して、母にたしなめられるたびに
(´・ω・`)な顔をしてた父に萌えてしまった。
・・・ってことを退院したらこのスレに書こうと思ってたのに
なんで死んじゃうんだよ。元気になったら一緒に
好きなカツ丼を食いに行こう、って約束したじゃないか。
父ちゃん・・・
父が入院中の時の事
酸素マスクを着けなければいけない状況だったんだけど
少し元気になってくると、「家に帰る!」と言い出して
酸素マスクを外してベッドから起き上がろうとする。
で、母に「だめでしょ、お父さん、酸素マスク外したら
死んじゃうよ?大人しくして早く直して退院しようね」
と言われると、とりあえず大人しくなる。
でも30分ぐらいすると「家に帰る!」と、起き上がろうとする。
で、母が「だめでしょ、お父さん(ry
で、また30分ぐらいすると「家に(ry
そんなことを何回も繰り返して、母にたしなめられるたびに
(´・ω・`)な顔をしてた父に萌えてしまった。
・・・ってことを退院したらこのスレに書こうと思ってたのに
なんで死んじゃうんだよ。元気になったら一緒に
好きなカツ丼を食いに行こう、って約束したじゃないか。
父ちゃん・・・
posted at 2012/03/14 22:53:59
lastupdate at 2012/03/14 22:53:59
【修正】
2010/12/26
[泣ける話]
<最近の娘との会話。>
★二女が庭にラムネ菓子を埋めていた。
私「なにしてんの?」。
二女「お父さんも前に埋めとったやんね。そやけん、朝顔が咲いたり、トマトが出来たっちゃろ?ラムネを埋めたらラムネの木が出来るっちゃないと?」。
★二女を連れてスーパーへ買い物に行った。
二女「お父さん、おんぶして」
私「もう4歳になったんやから、自分で歩きなさい」。
二女「お父さん、最近、運動不足やろが」。
★長女が言う。
長女「お父さんが会社に行っちょる絵を描いたとよ」。
私「どれ、見せて」。
その絵を見たが私の姿がない。
私「お母さんやみんなは描いてあるけど、お父さんは描いてないやん?」。
長女「会社に行っちょるから、おらんに決まっちょるやんね」。←なるほど。
★嫁が長女をこっぴどく叱っている。
私「キョーコがなにかしたのか?」。
嫁「私のクルマを釘みたいなもんでひっかいとるとよ!」。
私「なんでそんなことしたん?」と聞くが長女は答えない。
気になってクルマを確認しに行った。懐中電灯に照らされて浮かび上がったそれを見て言葉が詰まった。覚えたばかりのひらがなで『おかさん そだてくえて あいがとお いつもくるまにきおつけて』と書いてある。
自宅付近で死亡事故が続き、子供にも注意していた頃である。もちろんその‘落書き’を私は今も消していない。
posted at 2012/03/14 12:24:31
lastupdate at 2012/03/14 12:24:31
【修正】
2011/01/04
[泣ける話]
当時、仕事を辞めたばかりで一人でフラフラしてた頃。
両親が遊びに来て、色々買ってくれた上に
家で作ってきた高野豆腐を、冷蔵庫に置いて行ってくれた。
その次の日、母は入院。
あっという間に亡くなった。
葬儀を終え自宅に戻ると、冷蔵庫にはまだ
母が作った高野豆腐があった。
大泣きしながら食った。
あれ以来、高野豆腐は食べられない。
posted at 2012/03/14 13:10:25
lastupdate at 2012/03/14 23:05:12
【修正】
2011/01/14
[泣ける話]
何か不幸や不運に見舞われたら、誰でも世間や何かのせいにして、恨みたくなります。私とてもそうです。
金銭関係で人に騙されたこともあるし、信じていた人間に恩を仇で返すような仕打ちをされたこともあります。
そういう時、「私は悪くないのに」と責任転嫁しそうになります。でも、私はそれで終わらせない。
なぜそうなってしまったかをよく分析してみるのです。その人との出会いまでさかのぼり、関係を築く中で起こったことを思い出し考えます。そうすると気づきます。
「私に見る目がなかったんだ。対処の仕方に不味いところがあった。」って。「そうか。問題の大部分が私のせいなのだ」と気づくのです。そう思えれば、気持ちのモヤモヤは、すっかり片付くものなのです。
たとえば、上司に怒られたとします。
殆どの人が怒られたということに執着し、がっぷり受け止めてしまいます。そして恨みます。怒ります。
「なぜ怒られることになったのか」とその理由を冷静に分析しないのです。
その思考パターンがすべてに広がっていきます。人生の中で起こった原因からは目をそらし、結果ばかりクローズアップ。恨む、憎むという行為をし続けるから、みんな怨霊になる。
責任を押し付け、被害者ぶっているからいつまも辛いのです。自分が加害者であるという現実を見極めようとしないから不幸になっていくのです。
美輪明宏
金銭関係で人に騙されたこともあるし、信じていた人間に恩を仇で返すような仕打ちをされたこともあります。
そういう時、「私は悪くないのに」と責任転嫁しそうになります。でも、私はそれで終わらせない。
なぜそうなってしまったかをよく分析してみるのです。その人との出会いまでさかのぼり、関係を築く中で起こったことを思い出し考えます。そうすると気づきます。
「私に見る目がなかったんだ。対処の仕方に不味いところがあった。」って。「そうか。問題の大部分が私のせいなのだ」と気づくのです。そう思えれば、気持ちのモヤモヤは、すっかり片付くものなのです。
たとえば、上司に怒られたとします。
殆どの人が怒られたということに執着し、がっぷり受け止めてしまいます。そして恨みます。怒ります。
「なぜ怒られることになったのか」とその理由を冷静に分析しないのです。
その思考パターンがすべてに広がっていきます。人生の中で起こった原因からは目をそらし、結果ばかりクローズアップ。恨む、憎むという行為をし続けるから、みんな怨霊になる。
責任を押し付け、被害者ぶっているからいつまも辛いのです。自分が加害者であるという現実を見極めようとしないから不幸になっていくのです。
美輪明宏
posted at 2012/03/14 12:50:29
lastupdate at 2012/03/14 23:09:51
【修正】
[泣ける話]
157 :恋人は名無しさん :05/01/13 14:44:31
2年付き合った彼に振られました。
それはもう、彼が言ったとは思えないほどのひどい言葉で。
どんなにまだ好きだと言っても復縁はかなわず、音信不通になってしまいました。
そんな彼の友達から、彼が亡くなったことを聞き、彼が書いた日記をもらいました。
『入院二日目、昨日は周りのモンがめずらしくて初体験ばっかだったけど、 今日からヒマなんだよな〜。
こうやって日記つけてみたわけだけど、 オレのことだから続かんだろなぁ。N(私のことです)は今頃元気にしてるかなぁ。最後傷つけちゃったけど、 新しい男でも見つけてくれんかなぁ』
最初、私は彼が病気をしていたことも、入院していたことも知らず夢中で日記を読んでいました。日記には彼の私への想いがたくさん書いてありました。
『今日テレビでディズニーランドの特集やってた。
Nと行ったことを思い出した。 あいつ買い物大好きだったから、あの時は疲れていい加減にしろとか思ってた。
でも帰りにこっそり買っといてくれたミッキーはうれしかった。
今枕元にあるわけだけど、友達なんかにからかわれるから皆が来るときだけは隠してる。
別れちゃったしなぁ・・・好きなんだよなぁ』
『夢にNが出てきた。半年会ってないよなぁ。
別にたいした夢じゃないけど喋った。それだけで幸せだなぁ。
なんで目、覚めちゃったんだろ。
今ごろ誰と喋ってんだろ。宇多田の歌みたいだ』
それは日記では無く、私のことばかり書いてありました。
『やっぱりNが好きだぁぁぁ忘れられねぇぇぇぇぇ。
日常の一つ一つにNが出てくるんだよう。
ばかやろぉぉぉぉぉぉ』
158 :恋人は名無しさん :05/01/13 14:45:03
そして、次のページが最後でした。
『オレはもうすぐ死ぬらしい。
医者ははっきりとは言わんけど、わかるモンだなぁ。
思えば治らない病気(病名は伏せ)だって
聞いてからもう1年だ。
結構長く生きた方だし、充分な人生だったんじゃねぇ? って
思おうとしたけどやっぱりダメ。もっと生きたい。
Nともっと一緒にいたかった。
入院してる間、振ったことを、あんなひどい
言葉を言ってしまったことをずっと後悔してきた。
でも、完治なんて可能性が無い。
Nはキレイだし性格いいんだからすぐ次に男ができる。
オレのために人生棒に ふらせるわけにはいかん・・・って
何回も納得したはずなのに。
Nと喋りたい。今から電話したい、会いたい。
まだ死にたくない。
まだフォアグラ食べてないし、USJ行ってない。
大学卒業したかったし、母さんに親孝行もしたかった。
ベタでも父さんと酒飲みたかった。
Nをもっと抱きたい。結婚して子ども欲しかった。
おじいちゃんおばあちゃんになっても
手とつなぐような夫婦になりたかった。Nにあいたい。
でももう叶わない。後悔してばっかりだった。
死ぬときは笑っていきたいけど、
本音は辛すぎる。N、やっぱりまだまだ愛してる。
オレのこと忘れて幸せになれよ』
涙が止まりませんでした。
彼は私のことを常に考えてくれて、でも私は彼の体のことなんてまったく気付かずに自分のことばっかり考えていました。
何で死んじゃったんだろう。私には彼しかいないのに。
友達はこの日記を病院のゴミ箱で見つけたそうです。
私に見つからないようにだと思います。
私のことをここまで想ってくれる人はもういません。
お葬式には行けませんでした。
明日は彼の一周忌です。
最初は自暴自棄な私でしたが、
彼の遺志を尊重するために幸せになろうと思います。
posted at 2012/03/14 13:09:33
lastupdate at 2012/03/14 13:09:33
【修正】
2011/01/23
[泣ける話]
ちょっと泣けた夜だったんで書いてみます。
今日は結婚記念日でカミさんと外食した。
レストランはそこそこに混んでいてガヤガヤうるさかった。 特に隣の家族がうるさくって、カミさんとちょっと顔を見合わせて苦笑いをしたぐらいだった。
父親が子供にいろいろ質問しては笑い、っていうのがえんえん続いてこっちもうんざりしてた。 しかも、その父親がやたらと大きく咳き込むので実際鬱陶しかった。
しばらくすると、ウチのカミさんがその家族の父親を見て、「ちょっとあのお父さん見て」と 言うので、見つめるのも失礼なので向いの鏡越しに彼の後姿をみてみた。
咳き込むたびに ハンカチを口に当てていて、それをポケットにしまうのが見えた。ハンカチは血だらけだった。 咳き込んだあとは赤ワインを口に含んで子供たちにばれないよう大声で笑いごまかしていた。
向いに座っていた彼の奥さんは笑っていたが、今にも泣きそうな顔をしていた。 奥さんはどうやら事情を知っているみたいだった。その父親が何らかの重い病気なのは明らかだった。うちのカミさんはちょっともらい涙していた。
帰りに俺は無神経にも「今日はなんか暗い結婚記念日になっちゃったな。台無しだよな」 とカミさんにいった。
カミさんはちょっと沈黙を置いて、
「かっこよかったじゃんあのお父さん。ああいうお父さんになってね」
って涙声で俺に言った。俺もちょっと泣いた。
今日は結婚記念日でカミさんと外食した。
レストランはそこそこに混んでいてガヤガヤうるさかった。 特に隣の家族がうるさくって、カミさんとちょっと顔を見合わせて苦笑いをしたぐらいだった。
父親が子供にいろいろ質問しては笑い、っていうのがえんえん続いてこっちもうんざりしてた。 しかも、その父親がやたらと大きく咳き込むので実際鬱陶しかった。
しばらくすると、ウチのカミさんがその家族の父親を見て、「ちょっとあのお父さん見て」と 言うので、見つめるのも失礼なので向いの鏡越しに彼の後姿をみてみた。
咳き込むたびに ハンカチを口に当てていて、それをポケットにしまうのが見えた。ハンカチは血だらけだった。 咳き込んだあとは赤ワインを口に含んで子供たちにばれないよう大声で笑いごまかしていた。
向いに座っていた彼の奥さんは笑っていたが、今にも泣きそうな顔をしていた。 奥さんはどうやら事情を知っているみたいだった。その父親が何らかの重い病気なのは明らかだった。うちのカミさんはちょっともらい涙していた。
帰りに俺は無神経にも「今日はなんか暗い結婚記念日になっちゃったな。台無しだよな」 とカミさんにいった。
カミさんはちょっと沈黙を置いて、
「かっこよかったじゃんあのお父さん。ああいうお父さんになってね」
って涙声で俺に言った。俺もちょっと泣いた。
posted at 2012/03/14 12:19:16
lastupdate at 2012/03/14 12:19:16
【修正】
[泣ける話]
ちょっと前に、おばあちゃんが死にました。
クモ膜下出血でした。
小学生の頃は両親が共働きで、家にはおばあちゃんしか居ませんでした。
私はおばあちゃんが大好きで大好きで、いつもおばあちゃんの部屋にいました。
学校の家庭科の授業で「小物作り」をしたときも、私は葡萄の剪定をする鋏を入れる袋を作っておばあちゃんにあげました。
肩たたきは毎日していました。
それくらいおばあちゃんが大好きでした。
高校に上がって暫くすると、おばあちゃんに認知症の症状が出てきました。
デイサービスに行くようになって、楽しそうにしているのは良かったのですが。
迎えのバスを、7時くらいからずっと外に出て待っていたりするのです。来るのは9時なのに。
「まだバスは来ないよ」と声をかけても、「草取りをするから…」と言って聞きません。
他にもいろいろなこと。何度言っても聞かないので、段々おばあちゃんがムカついてきました。
あまりおばあちゃんと話す事もなくなりました。
トイレを失敗するような事はありませんが、それえでも介護する母のストレスは物凄かったようです。
大学2年のとき、おばあちゃんはグループホームに入りました。
それから暫くして、おばあちゃんはグループホームで亡くなりました。
私は大学の実習があったので、死に目には会えませんでした。
お葬式も終わって、グループホームの荷物を家族で引き取りに行きました。
服、下着、布団、テレビ。
引き出しを開けると、大きめの茶封筒が入っていました。
中には、私の写真が沢山入っていました。
病院でおばあちゃんにだっこされている写真。
七五三の写真。入園式の写真。入学式の写真、卒業式の写真。
おばあちゃんに送った、鋏入れも入っていました。
それから、私が小学生の頃に描いた、おばあちゃんの絵。
「おばあちゃんだいすき」と書かれた、私の拙い字。
家に帰ってから、母が言いました。
「おばあちゃんにだっこされた孫は、アンタだけだったんよ」
「他にも孫は4人おるけどな、みんなだっこなんかされてなかったよ」
「グループホームの職員さんにもな、アンタの話しかしてなかったみたい」
「『頭の良い自慢の孫』って言っとったらしいよ」
おばあちゃん、ごめんね。
あんなに大好きだったのに、私はそれを忘れていました。
大好きです、おばあちゃん。大好きです。
大好きです。大好きです。
クモ膜下出血でした。
小学生の頃は両親が共働きで、家にはおばあちゃんしか居ませんでした。
私はおばあちゃんが大好きで大好きで、いつもおばあちゃんの部屋にいました。
学校の家庭科の授業で「小物作り」をしたときも、私は葡萄の剪定をする鋏を入れる袋を作っておばあちゃんにあげました。
肩たたきは毎日していました。
それくらいおばあちゃんが大好きでした。
高校に上がって暫くすると、おばあちゃんに認知症の症状が出てきました。
デイサービスに行くようになって、楽しそうにしているのは良かったのですが。
迎えのバスを、7時くらいからずっと外に出て待っていたりするのです。来るのは9時なのに。
「まだバスは来ないよ」と声をかけても、「草取りをするから…」と言って聞きません。
他にもいろいろなこと。何度言っても聞かないので、段々おばあちゃんがムカついてきました。
あまりおばあちゃんと話す事もなくなりました。
トイレを失敗するような事はありませんが、それえでも介護する母のストレスは物凄かったようです。
大学2年のとき、おばあちゃんはグループホームに入りました。
それから暫くして、おばあちゃんはグループホームで亡くなりました。
私は大学の実習があったので、死に目には会えませんでした。
お葬式も終わって、グループホームの荷物を家族で引き取りに行きました。
服、下着、布団、テレビ。
引き出しを開けると、大きめの茶封筒が入っていました。
中には、私の写真が沢山入っていました。
病院でおばあちゃんにだっこされている写真。
七五三の写真。入園式の写真。入学式の写真、卒業式の写真。
おばあちゃんに送った、鋏入れも入っていました。
それから、私が小学生の頃に描いた、おばあちゃんの絵。
「おばあちゃんだいすき」と書かれた、私の拙い字。
家に帰ってから、母が言いました。
「おばあちゃんにだっこされた孫は、アンタだけだったんよ」
「他にも孫は4人おるけどな、みんなだっこなんかされてなかったよ」
「グループホームの職員さんにもな、アンタの話しかしてなかったみたい」
「『頭の良い自慢の孫』って言っとったらしいよ」
おばあちゃん、ごめんね。
あんなに大好きだったのに、私はそれを忘れていました。
大好きです、おばあちゃん。大好きです。
大好きです。大好きです。
posted at 2012/03/23 23:54:15
lastupdate at 2012/03/23 23:54:15
【修正】
2011/01/30
[泣ける話]
中三の頃、母が死んだ
俺が殺したも同然だった・・・
あの日、俺が楽しみにとってあったアイスクリームを、母が弟に食べさせてしまった
学校から帰り、冷凍庫を開け、アイスを探したが見つからなかった
母親に問い詰めると、弟が欲しがったのであげたと言った
その時楽しみにしていた俺は、すごく怒った
母親に怒鳴り散らし、最後に「死ね!」と叫び、夕飯も食べずに部屋に篭った
それから何時間か経った
俺は寝てしまっていたが、父親が部屋に飛び込んできたので目が覚めた
「母さんが轢かれた・・・!」
あの時の親父の顔と言葉を、俺は一生忘れないだろう
俺達が病院に着いたとき、母親はどうしようもない状態だと言われた
医者は最後に傍にいてあげてくださいと言い、部屋を出た
それから少しして、母親は息を引き取った
その後、母親があの時間に外にいた事を父から聞いた
買い物に行くと言って出て行き、その帰りに車に轢かれた事
現場のビニール袋の中には、アイスが一つだけ入っていた事
救急車の中でずっとごめんねと呟いていた事
その時、俺のために母はアイスを買いに行って事故にあったとわかった
通夜と葬式の間中、俺はずっと泣いた
そして、今でもこの時期になると自然に涙が出てくることもある
母さん、ごめんよ
俺が最後に死ねなんて言わなかったらと、今でも悔やみ続けている
posted at 2012/03/14 13:08:28
lastupdate at 2012/03/14 23:04:03
【修正】
2011/02/02
[泣ける話]
「二週間くらい前から、徐々に気配を感じるようにはなっていたんです。電話の向こうの彼の口調がそれまでより丁寧になってきて、わたしの話を聞いても、面白がったり笑ったりしてくれなくなったんです」
そんなことを話しながら、Kさんはガックリとうなだれました。
恋人同士の関係は、他愛ない話で盛り上がれなくなったら、次の段階に入ったということ。それは一種の倦怠期ともいえるし、転換期ともいえます。
Kさんの彼は、それから二週間後、一方的に別れ話をし、そのまま北海道への長期出張に行ってしまいました。
こんなとき、あなたなら、どうしますか。
あなたが内向的な頑張り屋さんなら、自分の受けたショックを抑えよう、抑えようとします。あなたが外交的な頑張り屋さんなら、彼を問い詰めようとしたり、さらに北海道まで追いかけていくかもしれません。
この二つの行動は間違っているのかと、問われれば「そんなことしたらダメ」とはとても言えません。なにをすべきかハッキリした答えがあるわけない、というのがわたしの本音です。
ただ一つ言えるのは、泣きたい気持ちがあったなら、我慢しないこと。
泣くと言う行為は、人間に与えられた機能の中でも、とても大切なものの一つです。もう泣けないというところまで泣くと、どんなに感情が高ぶっていた人も、ある種の清々(すがすが)しさを味わうことが出来ます。
そして、しばらくして落ち着いたら、悲しい涙だったのか、悔しい涙だったのかが自然にわかります。
それが悲しい涙だったのなら、少し自分を甘やかしてあげましょう。ずっと欲しかったけれど、迷っていた品物、例えばシルクのルームシューズやジノリのティーカップとか、部屋でクヨクヨするときに、なぐさめ物になる上等で優しいものを買いましょう。
悔し涙だった人は、何かで自分を強くできるものを手に入れましょう。今までよりちょっと大人のヘアスタイル。今まで憧れていたけれど、彼の好みではなかったロング丈のタイトスカートなど。
そう。悲しい人は、美しき悲劇のヒロインをとことん味わい、悔しい人は彼の好みに縛られなくてすむ、いい女になってみる・・・。失恋の一つや二つ経験していないと、本命は登場してくれないことになっているのです。
中山庸子「勇気がもてる50の方法」 から
そんなことを話しながら、Kさんはガックリとうなだれました。
恋人同士の関係は、他愛ない話で盛り上がれなくなったら、次の段階に入ったということ。それは一種の倦怠期ともいえるし、転換期ともいえます。
Kさんの彼は、それから二週間後、一方的に別れ話をし、そのまま北海道への長期出張に行ってしまいました。
こんなとき、あなたなら、どうしますか。
あなたが内向的な頑張り屋さんなら、自分の受けたショックを抑えよう、抑えようとします。あなたが外交的な頑張り屋さんなら、彼を問い詰めようとしたり、さらに北海道まで追いかけていくかもしれません。
この二つの行動は間違っているのかと、問われれば「そんなことしたらダメ」とはとても言えません。なにをすべきかハッキリした答えがあるわけない、というのがわたしの本音です。
ただ一つ言えるのは、泣きたい気持ちがあったなら、我慢しないこと。
泣くと言う行為は、人間に与えられた機能の中でも、とても大切なものの一つです。もう泣けないというところまで泣くと、どんなに感情が高ぶっていた人も、ある種の清々(すがすが)しさを味わうことが出来ます。
そして、しばらくして落ち着いたら、悲しい涙だったのか、悔しい涙だったのかが自然にわかります。
それが悲しい涙だったのなら、少し自分を甘やかしてあげましょう。ずっと欲しかったけれど、迷っていた品物、例えばシルクのルームシューズやジノリのティーカップとか、部屋でクヨクヨするときに、なぐさめ物になる上等で優しいものを買いましょう。
悔し涙だった人は、何かで自分を強くできるものを手に入れましょう。今までよりちょっと大人のヘアスタイル。今まで憧れていたけれど、彼の好みではなかったロング丈のタイトスカートなど。
そう。悲しい人は、美しき悲劇のヒロインをとことん味わい、悔しい人は彼の好みに縛られなくてすむ、いい女になってみる・・・。失恋の一つや二つ経験していないと、本命は登場してくれないことになっているのです。
中山庸子「勇気がもてる50の方法」 から
posted at 2012/03/14 21:37:13
lastupdate at 2012/03/14 23:09:23
【修正】