クニフロの泣ける話、感動する話まとめ
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2012/04/11
今就職活動中で実家に帰れないんだけど、うちのじいちゃんが突然倒れて入院した。ばあちゃんは雪かきして転んで脚を骨折してそのまま病院暮らし
だ。雪かきくらい手伝いたかったけど、家が離れていることもあって、祖母もこれくらいの雪なら大丈夫と思ったんだろう。もう5年も入院暮らししてる。俺の家は転勤族で、中学三年生までは祖母の町からはずっと離れて生活してた。
小さい頃は分け隔て無く話せたんだけど、もの心ついてくるとなんとなく話すときは親しく話せなかった。
そんなこんなで、今は祖母、祖父は入院ということになった。祖父は1年前くらいは元気で医者にも100歳まで生きるだろう、なんて言われてたんだけど、夏にバスを待っているときに突然倒れてそのまま検査ってことになった。診断結果はガンだった。
かなり進行していて、余命もあと2年生きられるかどうかだとも言われた。
だから入院はしないでそのまま実家で静かに最後を迎えることにしてたんだけど、
また病状が悪化して、入院生活を送ることになった。
脳にも転移して記憶が、あいまいになってきている。俺は母親と弟と見舞いに行った。祖父の状態は良好で、血色もよかった母親が祖父に話しかけている。母にとって祖父母は父方の両親なんだけど、よく看護をしてくれてる。そんな母親を俺は誇りに思ってる。母親がいつも祖父母に話しかけていて、俺は黙って見守っていることしかできなかった。
本当は大丈夫?とか、がんばって!と話しかけてあげたかった。母親がてきぱきとなんでもこなして
しまうから俺の役目は余り無いのかもしれないとも少しではあるが、感じていたのかもしれない。
でもこの見舞いをしたら後、就職が落ち着くまでこの祖父母がいる町に帰って来れないかもしれない
そう考えたら、とても不安とか焦燥とか寂しさとかが沸いてきて、泣きそうになった。何か話しかけてあげなきゃなと思って
「おじいちゃん、がんばってね」と声を掛けてあげて、おじいちゃんが微笑んでうなずいたときは、
とても温かい気持ちになれた。就職を早く決めて、はやく会いにいってあげたいと思うよ。あとちゃんと言葉にしたいと思う。
posted at 2012/04/11 0:18:06
lastupdate at 2012/04/11 0:18:06
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2012/04/12
祖母がボケ始めた頃、海外在住だった私は一時帰国して、和歌山まで
遊びに行きました。二年程会っていなかったのですが、以前はしゃきっと
していて厳しかった祖母が、仏さんみたいな顔で笑いかけてくれて、電子
ジャーに残っていたご飯でおにぎりをつくってくれました。「食え、食え」
と言って。
祖母と同居していて、一緒にいた従弟が「おばあちゃん、そのご飯、もう
古いんちゃうかー」と明るく言って、私の方をちら、と見て「食わんでええ」
と小声で言いました。でも私はどうしても食べたかった。だから、海苔も
塩味も何もついていない、ご飯を丸めただけのおにぎりを、口にほおばり
ました。電子ジャーの中に何日残っていたのか知りませんが、ご飯はぽろ
ぽろで変色しており、確かにおいしくなかったんですが・・・。
でも祖母が嬉しそうに私のことを見ていてくれたので、こぼさないように
頑張って噛みました。
それが祖母とのこの世での別れになりました。だから今でも、電子ジャーに
残ってしまって、ちょっと古くなったご飯を見るたびに涙がでそうに
なります。ぽろぽろのご飯の舌触りも、絶対に忘れないと思います。
posted at 2012/04/12 0:00:20
lastupdate at 2012/04/12 0:00:20
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いい話じゃないけど…今日お母さんに思い切り怒鳴ってしまった。それもお母さんは何も
悪くない。
学校で嫌な事があったから八つ当たりをしただけ。
私はお母さんを怒鳴った後部屋に入った。
涙が出た。「あんな事言うつもりはなかった。お母さんは何も悪くない。ごめんなさいお
母さん…」
私は泣き崩れた。いつもおいしいご飯を作ってくれるお母さん。いつも起こしてくれるお
母さん。悪い事をした時は叱ってくれるお母さん。そんなお母さんに私は「ムカツク。ま
じ意味分かんない!」と言ってしまった。私は強がりだから謝る事も出来ない。きっとお
母さん…私の言った言葉傷ついたよね…ごめんなさい。今日は面と向かって言えないから
この場を借りて言います。
お母さん。私とお母さんはいつか離ればなれになる。どっちかが死ぬとそこでお別れ。私
が結婚するとお別れ。その時後悔しないように言います。私はお母さんにはほんとに感謝
してるよ。いつも美味しいご飯作ってくれてありがとう。いつも起こしてくれてありがと
う。わがまま聞いてくれてありがとう。お母さんが産まれて来てくれてありがとう。私を
お母さんの子として産んでくれてありがとう。側に居てくれてありがとう。私の宝物は家
族だよ。もちろんお母さんも。
大好きだよ。お母さん。
posted at 2012/04/12 0:00:20
lastupdate at 2012/04/12 0:00:20
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2012/04/13
自分が書きちがえたのでもないが いそいそとけす
自分が書いたウソでもないが いそいそとけす
自分がよごしたよごれでもないが いそいそとけす
そしてけすたびにけっきょく自分がちびっていって きえてなくなってしまう
いそいそと いそいそと
正しいと思ったことだけをほんとうとおもったことだけを 美しいと思ったことだけを自分の代わりのようにのこしておいて
posted at 2012/04/13 0:20:38
lastupdate at 2012/04/13 0:20:38
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2012/04/14
ビールは横に冷やすとうまい、と父は言っていた。
そんなわけはないと、と言っても聞かず、冷蔵庫に決まってビールを横にして冷やしていた。
酒以外煙草もギャンブルやらない親父にとって、ビールに関してだけこだわりを
持っていたのかもしれない。酒が飲めなかった俺は、一緒に飲むこともなかった。

 親父が死んだ時、なぜかそんなに悲しくなかった。あっけないな、とは思ったが、
何か時間が寸断されるような感覚はなかった。親戚が自宅にきて、これからのことを
話し合っているときに、ふと何か酒が飲みたくなり、冷蔵庫を開けた。

 横になったビールがあった。時間がぎゅっと凝縮されて、思い出すべきことが多すぎて、泣いた
posted at 2012/04/14 0:39:39
lastupdate at 2012/04/14 0:39:39
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2012/04/15
ちょっと泣けた夜だったんで書いてみます。

今日は結婚記念日でカミさんと外食した。

レストランはそこそこに混んでいてガヤガヤうるさかった。 特に隣の家族がうるさくって、カミさんとちょっと顔を見合わせて苦笑いをしたぐらいだった。

父親が子供にいろいろ質問しては笑い、っていうのがえんえん続いてこっちもうんざりしてた。 しかも、その父親がやたらと大きく咳き込むので実際鬱陶しかった。

しばらくすると、ウチのカミさんがその家族の父親を見て、「ちょっとあのお父さん見て」と 言うので、見つめるのも失礼なので向いの鏡越しに彼の後姿をみてみた。

咳き込むたびに ハンカチを口に当てていて、それをポケットにしまうのが見えた。ハンカチは血だらけだった。 咳き込んだあとは赤ワインを口に含んで子供たちにばれないよう大声で笑いごまかしていた。

向いに座っていた彼の奥さんは笑っていたが、今にも泣きそうな顔をしていた。 奥さんはどうやら事情を知っているみたいだった。その父親が何らかの重い病気なのは明らかだった。うちのカミさんはちょっともらい涙していた。

帰りに俺は無神経にも「今日はなんか暗い結婚記念日になっちゃったな。台無しだよな」 とカミさんにいった。

カミさんはちょっと沈黙を置いて、
「かっこよかったじゃんあのお父さん。ああいうお父さんになってね」
って涙声で俺に言った。俺もちょっと泣いた。
posted at 2012/04/15 0:03:32
lastupdate at 2012/04/15 0:03:32
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2012/04/16
事故などでお金が無い彼氏。
その日は天気も良くて、ハトのいる公園でぶらぶらしていました。
「ハトのエサ20円。20円ぐらいなら、いいよねえ」と一袋買いました。
でも、彼はそのエサをじーっと見てた。。。
「ねえ」って私が振り返った時、彼の口はなぜか、もぐもぐと動いていました。
「きゃーっ、何食べてんの?」って大声で言っちゃったもので
回りの子供達も「食べれるの?」って恐る恐る口に入れちゃってて。
ちょっとした騒ぎになりました。

その後「おいしかった?」って聞いたら
「こんな味」と、ちゅっとキスしてくれました。
びっくりどっきりな、食べ物・・エサの思い出でした。
ちなみに26歳と25歳の大人の2人ですので、恥ずかしいのですが。
posted at 2012/04/16 0:56:04
lastupdate at 2012/04/16 0:56:04
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2012/04/17
私の中学校の昼飯は給食ではなく弁当持参だった。

私の母の作る料理はお世辞にも美味いとは言えないもので、なおかつ見た目も悪かった。
そんな母の弁当を、とても恥ずかしく思っていて、学校にも持っていけず、
毎朝、家の玄関に母の作った弁当を忘れたフリをして置きっぱなしにしていた。

でも母は何も言わなかった。

ある朝、4時頃に、私は急にトイレへ行きたくなり目が覚めた。
両親ともまだ寝ているだろうと、そっとトイレまで向かうと、台所で物音がしている。

母だった。

一生懸命レシピを片手に弁当を作っていた。
私は兄弟が多く(5人)、母は全員分の弁当を朝早くから作っていた。

そんな事、ちょっと考えれば分かるのに、母の顔をもっとよく見れば分かってあげられたのに…。

それからは絶対に母の弁当を置いていくことはしなかったが、
私は長い間母の心を踏みにじっていた事を考えると今でも涙が出ます
posted at 2012/04/17 0:10:40
lastupdate at 2012/04/17 0:10:40
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2012/04/18
もう十五年ぐらい前の話。早稲田の教育学部
に岡村っていう教授がいて、「道徳教育がどーたら」という、教職をとって
いる者には必修の課目を教えておられました。その中で、生活保護をうけていて、
本当に貧しかった母子家庭の話が出ました。その母親は、家庭訪問の日、
先生が来るから、というので、自分の食事を削って羊羹をおやつに買って
おいたそうなんです。ところが、その先生は家庭訪問の間にその羊羹を食べ
なかった。そのまま帰ろうとしたので、母親がその羊羹を包んで、「是非
お持ち帰りください」と渡したらしいんですよ。教師はそれを受け取った
のですが、家を出て数メートル行った所のごみ箱にあっさりとそれを捨てた
そうです。その羊羹を後で母子が見つけて、はらはら涙を流した・・・っていう
話だったんですが、岡村教授の結論は「こういう人間は教師になる資格は
ない」ということでした。いやー、その話、うちも激貧だったもので、
本当に胸に響いたんですよ。大きな階段教室だったんですが、泣けて泣けて
仕方なくて、途中で退室しなければならなくなってしまいました。
岡村先生、どうしておられるんでしょう。結局私も教師になりました。うち
は家庭訪問なんてありませんが、あの先生のお話、今でもしっかり覚えて
います。泣き出しちゃって本当に申し訳ありませんでした。
posted at 2012/04/18 0:13:12
lastupdate at 2012/04/18 0:13:12
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2012/04/19
家に着くと、既に料理が食卓に並べられていた。母は暖かい牛乳を差し出して、
「おばあちゃんが帰ってきたから、ちょっと待っていてね。みんなで食べようね。」
と言った。私達がAさんの家に行っている間に帰ってきたようだ。しばらくすると、
着物から着替えてきた祖母が台所に入ってきた。
「お義母さん、お食事の用意できていますので、どうぞお掛けになってください。」
その母の言葉を遮るように祖母は、
「病人の作ったものが食べられますか!何が感染するかわからないのに…」
と言って、母の作った料理を全て残飯の入ったごみ袋の中に捨てていきました。
「も、申し訳ありません…」
さっきまでニコニコしていた母の顔から一気に血の気が引いていきました。
私は(どうしよう!どうしよう!)とただただ混乱していました。
「バカヤロウ!」
突然、弟が叫んで、祖母からごみ袋をひったくりました。
仁王立ちになった弟は、祖母をにらみつけながら、ごみ袋から
母の作ったご飯を手ですくって食べ始めました。
「俺はなぁ… 俺はなぁ…」
後の言葉が出てこずに、目から涙をボロボロとこぼしながら、弟は食べました。
小さな肩を震わせて、必死に強がって…
そんな弟を見て、私も大泣きしながらごみ袋からハンバーグを掴み取って食べました。
「もう、いいのよ。やめて。二人とも。いいのよ。お願いだから…」
泣きながら止める母の声も無視して、私達はむさぼり続けました。
これが私達姉弟の、母の最後の味。悲しさと悔しさの恨みの味…
posted at 2012/04/19 0:09:00
lastupdate at 2012/04/19 0:09:00
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