クニフロの泣ける話、感動する話まとめ
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インターネットで公開している、泣ける話、感動する話をまとめています。号泣できる話から、ほっこりと心温まる話をいろいろ集めてますので、楽しんでください。

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2012/04/19
私の祖父はすごく恐い人で、明治生まれの頑固じじいっていう
言葉がぴったりな人でした。
でも、昔のヒトなのにコーラとか若者が好むような食べ物が
大好きだったんです。

私達姉弟が幼稚園くらいのときのコトだったと思います。
ある日祖父が庭の雪かきをやってて私達が手伝ってました。
そんな時祖父が突然私達たちに、「ここ掘ってみろ!」って
いうんです。
なんだなんだと掘ってみると雪で冷やされたコーラが2本出てきました。
なんでコーラが出てきたの?って祖父に聞いても教えてくれません。
祖父は庭の裏手に見える遠くの山を指差して、
「あの山から魔法使いが運んできたんだ!」の一点張り。。
コーラは250mlのやつで1本は祖父の分もう1本は私達の分。
1本のコーラを弟と分けあって興奮しながら飲んだ覚えがあります。
それから何日かコーラ掘りは続きました。
「いい子にしてないと魔法使いは運んできてくれないぞ!」
という祖父の言葉を信じその冬の私達はとてもいい子でした。
恐い祖父から魔法使いって言葉がでること自体私達にはオドロキで
しばらくは本気で信じてました。魔法使いが運んできたんだ!と。
恐いだけになんだか真実味が溢れてて・・・
まんまと騙されてました。(笑)

祖父は随分前に他界してしまいましたが、今でもスキー場など
雪のあるところでコーラを見かけると祖父のコトを思い出します。
posted at 2012/04/19 0:09:00
lastupdate at 2012/04/19 0:09:00
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オムライス

小学生の頃、一人っ子で、鍵っ子だったぼくの土曜日の昼食は冷えたオムライスだった。
毎週といっていいほど、ケチャップをつけてラップをかけたオムライスだった。
朝から夜まで働き通しだった母が忙しい時間の合間を縫ってつくってくれていたものだ。
そんな事はすっかり忘れていた一昨年、私は離婚して一人、今は母だけになった実家に帰った。
自暴自棄になり仕事も辞めていたから、実家で数日を過ごした。
毎晩黙って酒をあおる私を母は何も言わず、早く寝ろと促すだけで先に眠っていた。
ある日、昼過ぎまで寝ていた私が台所で酔い覚めの水を飲むとテーブルに何かあることに気付いた。
作り置きの冷えたオムライス。
メモがあって「用事があって出かけるから、これ食べなさい。」と書いてあった。
私はラップを剥がして、静かにオムライスを食べた。
懐かしさと、切なさと・・・色々な感情がまじって湧き出し、オムライスはしょっぱくなった。
私はその日、帰京する支度をして、また一からやりなおすと母に誓った。
今はまだ一人だけど、淡々とそれでも楽しく生きている。

口に出して言えないけれど……
お母さん、私は永遠にあなたの息子です。
posted at 2012/04/19 0:09:00
lastupdate at 2012/04/19 0:09:00
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2012/04/21
味ご飯

私は、母のつくる手作りコロッケと、祖母の味ご飯(炊き込み御飯)が好物です。
就職でひとりぐらしをはじめた私は両方ともなかなか食べられない。

たまに祖母宅に遊びに行くと、
こちらから頼む前に「あじごはん持ってかえりー」と持たせてくれます。
祖母宅までは、電車で2時間ほど。
帰って食べようと思いつつ、家に帰る頃には、
2合ちかく入る容器はすでに空(笑)

そんな祖母とも1年以上会ってません。

就職して一人暮らしをはじめて1年、
彼女ができて、たまたま作ってもらったあじごはん、
なんと祖母のつくるものと味がそっくりでした。
ごはんが醤油色に染まった、濃い味のあじごはん。
味付けは親譲り、とのこと。
おいしさと懐かしさで胸がいっぱいになりました。
涙をこらえるため、難しい顔をして食べる私を見て、
「まずかった?」と心配そうに聞いた彼女(笑)
とってもおいしゅうございました(笑)

こんどのゴールデンウィークには、祖母に会いに行きます。
味ご飯食べにね(笑)

そうそう、彼女とは、来年結婚します。
わがままで嫉妬深くて泣き虫でやかましいけど、
きっと幸せにしてみせます。

TO:彼女へ
大学でつきあってた彼女がいたなんて、見栄でついた大嘘です(笑)
あなたが、初めてまじめにつきあった人です(笑)
でも、ホントのことは絶対教えません(爆)
posted at 2012/04/21 0:01:22
lastupdate at 2012/04/21 0:01:22
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幼稚園前くらいの時、母方の祖母が私達姉妹のおもりにきた。
(同居していた父方の祖母が用事で家を空ける+母は通勤)
初日のおやつは、文明堂のカステラ
一人一切れ、といっても立方体!の一切れだった。
彼女が、たまにしか会えない孫に
めちゃめちゃ甘いことを見抜いた私達が、
切らせた分厚さだった。
posted at 2012/04/21 0:01:22
lastupdate at 2012/04/21 0:01:22
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2012/04/22
前に載っていた『たかし君』のクラスメイトだった者です。
4年前、当時小学6年生の11月のこと。貴嗣君は亡くなりました。突然の別れでした。
お葬式には、学校を抜けて6年生みんなで行きました。特別仲良かったわけではないけれ
ど、棺桶に入った、真っ白で冷たく眠っている貴嗣君を見たら、どうしようもなく涙がこ
みあげてきました。前まで元気に学校に来てたじゃない!どうして?どうして!?
初めて人の「死」を間近に見たときでした。お葬式の最中、『believe』を泣きながらみ
んなで歌いました。友達を大切にしていた貴嗣君にぴったりの歌です。
帰り道には、みんな涙でぐしゃぐしゃになっていました。
それから…私達の学年は、『心の優しい学年だ』と中学を卒業するまで言われ続けまし
た。それも貴嗣君のおかげです。友達の大切さ、生きていることの素晴らしさなど、たく
さん、たくさん教えてくれたのです。
今、私はもうすぐ高校2年生になろうとしています。小学校からの友達はバラバラになっ
てしまったけれど、貴嗣君のぶんまで、頑張って1日1日を大切に生きていきたい。
貴嗣君、本当にありがとう。
posted at 2012/04/22 0:00:45
lastupdate at 2012/04/22 0:00:45
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2012/04/23
小さい頃、小学校1年か2年の頃かな。家は両親上手くいってなくて
母親は何度目かの家出中だった。父親もろくに帰ってこない。しょうがなくて
おばあちゃんがたまに面倒見に来てくれてた。そんな或日、夕方7時過ぎた夕飯の時間も
誰もいなくて、私と妹はお腹が空いてたまらなかった。冷蔵庫には何も入ってない。
お金も無い。妹が可哀相だし私も我慢できなくなって、たいして付き合いも無いのに
近所で一番お金持ちの人の所に行って、事情を話した。多分、子供心にお金持ちなら
食べ物が余っているだろうと考えたんだと思う。そしたら英字型の乾パンくれた。
ぱらぱら塩がまぶしてあるやつ。なんだか自分のした事が恥ずかしかった。
その乾パンは明日の事も考えて大事に食べた。20年以上前だけど今でも覚えている
posted at 2012/04/23 0:10:25
lastupdate at 2012/04/23 0:10:25
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2012/04/24
メバルの煮付け

似たような思い出が私にもあります。
今から3年前。脱サラしたのはいいけど、そのころは、公私共に
中々思うように行かず、いつもイライラしてました。
その頃同棲していた彼女が作ってくれたのが「メバルの煮付け」(私のとこの名物です。)
ついこの前まで学生だった彼女が作ってくれたそれは、半生状態で
生臭くて、小骨が取れなくて結局大喧嘩!彼女は怒って捨ててしまいました。
歳の離れた彼女なのに、そのころはやさしくしてあげる余裕も無かったんですね。

結局、私の気性の激しさと仕事の不安定さで1年前に別れたんですが
今になって思うのは、なぜもっと優しくしてあげれなかったのだろう?
なぜ、もっと大切にしてあげれなかったのだろう?って想いです。
今でも彼女とはたま〜〜ぁに連絡を取り合いますが
「もう、2度と煮付けは作らない!」って怒られてます。(笑)

次に付き合う子は私の年齢的にも、女房にする子だと思いますが
今度、そんなことがあったら 鮎の塩焼き みたいに頭からボリボリ
食べて、美味しかったよ!ってニッコリと笑えるようにしてやろうと思ってます。

本当に大切なものが無くなってから気づくなんて、、。
「一期一会」じゃないけど一緒にいたその一瞬を大切に出来なかった
ことに後から後悔するなんてなんて、、。
posted at 2012/04/24 0:00:38
lastupdate at 2012/04/24 0:00:38
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2012/04/25
つぶ貝の串焼き

彼氏が中古だけど車を買ったので、ドライブで海に行こう!
という事になりました。
車の中で食べようと、浜辺でつぶ貝の醤油たれの串焼きを買って
隣で彼氏が運転して、私は串焼きを食べていました。
串焼きはおいしくて夢中で食べてたら、片手でもっていたスチロール
のトレイが傾いて、座っているシートにもちょっとタレがこぼれて
しまいました。
しまった!と思いあわててウェットティッシュでふいても
染みは取れません。車内に甘辛いたれの匂いが広まっていって、
彼に申し訳なくて半泣き状態で謝ったら、突然彼は運転しながら
大笑いしはじめました。
「夢中で食べているから、いつかこぼすと思っていたんだよ」
「だったら、一言言ってくれれば良かったのに」
「車は中古なんだから別に気にしなくていいよ。
おいしそうに食べているから、邪魔したくなかったんだよ。」

うれしくて、申し訳なくて、心の中がじわーんと暖かくなったのを
覚えています。
posted at 2012/04/25 0:00:46
lastupdate at 2012/04/25 0:00:46
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おばあちゃんの話を見て思い出しました。
私には兄がいて、兄はおばあちゃんがつくるクリームシチューが大好きでした。
ホワイトソースも自分で作る本格的なもの。
実は私はそのおばあちゃんが苦手で、初孫だからといつも兄ばかりひいきして…
と、すこしひねくれていたんです。実際、私がきらいなものも食卓に
だしたりして、大泣きしたこともあったくらいで…。
そのおばあちゃんがなくなった時、涙もでませんでした。
嫌いというより苦手だったので、近寄りにくかったせいもあるんですが。

先日、自分でホワイトソースを作ってシチューを作ってみたのですが
なかなかおばあちゃんが作ってくれたような味にはならない。
結局、あまりまんぞくしないままそれを食べたのですが、こんなことなら
作り方を聞いておけば良かったと思いました。

今思えば、好き嫌いが激しかった私の為に、いろいろ作ってくれた
おばあちゃんの事を思い出し、当時の自分の行動を恥じました。
このスレッドを見て、おばあちゃんがなくなってから初めて泣きました。
今度、墓参りに行こうと思いました。
posted at 2012/04/25 0:00:46
lastupdate at 2012/04/25 0:00:46
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俺は3人兄弟の長男。
俺が21のとき一番下は16高校1年だった。

俺は仕事のため実家を離れて一人暮らし。
父は実家から車で2時間のところへ半単身赴任。
半と言うのは母方の祖母の家(名義は父親)に住んでいたからだ。

いずれ父の単身赴任先へ引っ越すことが決まっていた。
1番下の弟は父の住んでいる家から徒歩3分のところにある父方の祖父母の家に居候。
父方の祖父は厳しい人間で、些細なことに対しても怒鳴り散らしていた。
弟は高校1年という若さで円形脱毛症が出来てしまった・・・。

ストレスのせいか弟は激やせ激ぶとりを繰り返していた。

そして1年後・・・
実家が引越しをし1年ぶりに食卓を囲むことが出来た。
そのとき母親が弟に・・・
母「すしでも作ろうか?」
弟「いや鍋がいい・・・」
母「???」
弟「だって、すしは一人一人が食べるもんだろ。鍋ならみんなで食べるから。」

俺がその話を聞いたのは、それから半年たったときだった。
母は笑い話(?)としてはなしてくれたのだが、
俺は心が痛んでしまった・・・兄貴として何にも出来なかった。

今でも鍋を食べるとその話を思い出す。
一緒に食べている人には悪いと思うが、
俺が鍋を食べるときに、無愛想なのはそのせいだ。
posted at 2012/04/25 0:00:46
lastupdate at 2012/04/25 0:00:46
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