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インターネットで公開している、泣ける話、感動する話をまとめています。号泣できる話から、ほっこりと心温まる話をいろいろ集めてますので、楽しんでください。
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2012/07/26
[泣ける話]
貴方と私はなんでであったのでしょう・・・初めは、適当な気持ちで付き合ってたのにいつの間にか本当に貴方を愛してた。初めて人を愛するって事をまなんだ。でも、あなたと私の恋はとても皮肉な結果に終わった。身分違いの恋とはこのようなことなのでしょうか。貴方はお金持ちのお坊ちゃん。あたしは普通の家の娘。そんな2人を貴方の両親は許してはくれませんでしたね。お金ってそんなに大切なものなの!?家柄だとか、身分とか学歴とか・・・確かに回りは貴方がお医者様だってことにうらやましさを感じていたみたいですが・・・。あたしは貴方の仕事にひかれたんじゃない、貴方がなんであろうがよかった。お金がないなら2人で稼げばいい話だし。貴方は誰よりもやさしくてあたしを理解してくれた。どんなわがままもやさしく包んでくれた・・・。でも、もう貴方と私は違う道を歩き出してしまったのですね。お願いです、神様来世があるならばまたあの人に合わせて下さい。遠くから見れるだけでもいいから。今となっては貴方をみることすら許されませんから。毎日会いたくて会いたくて、でも、会えない・・・神様は私に何を求めたのでしょうか・・・。
posted at 2012/07/26 0:22:28
lastupdate at 2012/07/26 0:22:28
【修正】
2012/07/29
[泣ける話]
俺が小学生の時の話。
当時俺はクラスで一番背が低かったけど体はめちゃめちゃ丈夫だった。
病気やケガもろくにしたことなかったし当然学校を休んだこともなかった。
そんな俺が小4になったころインフルエンザにかかって初めて学校を休んだ。
今までろくに病気になったことのなかった俺は病気への免疫が出来てなかったので相当きつかった。
熱は40度を越え子供ながらに俺はもう駄目なんじゃないかと思っていた。
俺が熱にうなされながらふとんに横になっていると母親が「外に誰かが来てる」と言った。
その日はものすごい大雨だった。
誰かが見舞いに来てくれたのか?でもこんな大雨の日にまさかなと思いながらも俺はよろよろと起き上がって外に出てみた。
俺が外に出ると大雨の中傘もささずに走り去る人影が見えた。
その後ろ姿はクラスメイトのYのようだった。
当時俺とYは犬猿の仲でささいなことでいつも殴り合いの喧嘩をしていた。
Yは昔で言う所の番長的な存在の奴でクラスの嫌われ者だった。
先生を殴ったり教室から先生を締め出したりするかなりの悪ガキだ。
Yと俺の家は近所で集団登校でも同じ班だった。
俺は心からYを嫌っていたわけじゃなかった。
みんなから嫌われているのを知っていながらワガママな所を直そうとしないYのわからず屋な所やひねくれた根性が嫌いでよく喧嘩をしていた。
あいつが俺の見舞いに?それとも病気の俺にとどめを刺しにきたのか?上等だやってやると思いYを追いかけようとしたが体が重くて動かない。
バカらしくなって家に戻ろうとした俺は門のブロックの間に挟まっている手紙をみつけた。
そこには汚い文字で『おい、S。風邪ぐらいで学校休むな!早く治して学校に来い。決着をつけてやる。』と書かれていた。
Yなりの見舞いの言葉だったのだろう。
俺はその手紙の内容とあまりの字の汚さに思わず笑ってしまった。
翌日、熱が下がった俺は学校へ行ってYに昨日のことを問いただしたがYは自分じゃないととぼけた。
それから二年後。
俺が小6になった時に事件は起こった。
なんとYの親父が警察に逮捕されたのだ。
Yの親父は当たり屋だったのだ。
親父の逮捕後Yの一家は大阪に引っ越した。
クラスメイトは問題児Yの転校に大喜びだった。
でも俺は正直寂しいような気持ちになった。
別に喧嘩相手がいなくなってどうこうではなくて毎日のように学校で喧嘩をしなくてすむのならそれにこしたことはない。
理屈抜きに本気でぶつかり合える相手がいなくなったことが寂しかったのかも知れない。
大騒ぎするクラスメイトを横目に見ながら俺は学校の帰りいつも下を向き一人で寂しそうに下校していたYを思い出した。
そのあまりのYの様子に何度か一緒に下校したこともあった。
Yが転校してしばらくの間は俺の家にYが電話をかけてきていたがすぐにそれもなくなった。
俺は小学校を卒業しても中学になってもときどきあの時の寂しそうなYの姿を思い出してはYのことを心配していた。
あのワガママな性格は直ったんだろうか。
向こうの学校でいじめにあってないだろうかと。
さらにそれから数年後。
俺が二十歳になり友達と成人式に行った時のこと。
懐かしい旧友と再会し昔話をしていると一緒に来た友人が慌てて俺の所に走ってきた。
そんなに慌ててどうしたんだ?と訪ねると友人は「Yが来てる。お前を探してる」と言う。
俺はその友人の言葉に驚いた。と同時に俺は駆け出していた。Yが来てる。
子供のころは顔を合わせば喧嘩ばかりしていたYを今俺は必死になって探していた。
が、会場はかなりの人ゴミでなかなかYを見つけられない。
と、後ろから俺を呼ぶ声が聞こえた。友人の声ではない。
後ろを振り返るとそこにはすっかり大人になったYがいた。
8年ぶりの再会だったがすぐにYだとわかった。
俺は開口一番Yに言った。
「友達もいないくせによく来たな」
我ながらバカなセリフだと思った。
Yは昔と変わらない不敵な顔で笑うと答えた。
「お前がいるだろ」
俺達は友達だった。
8年経った今初めてそのことがわかった。
それから俺とYは時間が経つのも忘れ二人で色んな話をした。
Yは大阪でヤクザになっていた。
今では子分もいるらしい。
でも俺はそんなことは気にならなかった。
あれから俺には想像も出来ない苦労があったらしい。
今こうして元気なYの姿が見れただけでうれしかった。
それからさらに4年が経った今もYは大阪にいる。
結婚を期にヤクザからは足を洗った。
今は子供と奥さんと三人で仲良く暮らしている。
今でもYとの交流は続いている。
当時俺はクラスで一番背が低かったけど体はめちゃめちゃ丈夫だった。
病気やケガもろくにしたことなかったし当然学校を休んだこともなかった。
そんな俺が小4になったころインフルエンザにかかって初めて学校を休んだ。
今までろくに病気になったことのなかった俺は病気への免疫が出来てなかったので相当きつかった。
熱は40度を越え子供ながらに俺はもう駄目なんじゃないかと思っていた。
俺が熱にうなされながらふとんに横になっていると母親が「外に誰かが来てる」と言った。
その日はものすごい大雨だった。
誰かが見舞いに来てくれたのか?でもこんな大雨の日にまさかなと思いながらも俺はよろよろと起き上がって外に出てみた。
俺が外に出ると大雨の中傘もささずに走り去る人影が見えた。
その後ろ姿はクラスメイトのYのようだった。
当時俺とYは犬猿の仲でささいなことでいつも殴り合いの喧嘩をしていた。
Yは昔で言う所の番長的な存在の奴でクラスの嫌われ者だった。
先生を殴ったり教室から先生を締め出したりするかなりの悪ガキだ。
Yと俺の家は近所で集団登校でも同じ班だった。
俺は心からYを嫌っていたわけじゃなかった。
みんなから嫌われているのを知っていながらワガママな所を直そうとしないYのわからず屋な所やひねくれた根性が嫌いでよく喧嘩をしていた。
あいつが俺の見舞いに?それとも病気の俺にとどめを刺しにきたのか?上等だやってやると思いYを追いかけようとしたが体が重くて動かない。
バカらしくなって家に戻ろうとした俺は門のブロックの間に挟まっている手紙をみつけた。
そこには汚い文字で『おい、S。風邪ぐらいで学校休むな!早く治して学校に来い。決着をつけてやる。』と書かれていた。
Yなりの見舞いの言葉だったのだろう。
俺はその手紙の内容とあまりの字の汚さに思わず笑ってしまった。
翌日、熱が下がった俺は学校へ行ってYに昨日のことを問いただしたがYは自分じゃないととぼけた。
それから二年後。
俺が小6になった時に事件は起こった。
なんとYの親父が警察に逮捕されたのだ。
Yの親父は当たり屋だったのだ。
親父の逮捕後Yの一家は大阪に引っ越した。
クラスメイトは問題児Yの転校に大喜びだった。
でも俺は正直寂しいような気持ちになった。
別に喧嘩相手がいなくなってどうこうではなくて毎日のように学校で喧嘩をしなくてすむのならそれにこしたことはない。
理屈抜きに本気でぶつかり合える相手がいなくなったことが寂しかったのかも知れない。
大騒ぎするクラスメイトを横目に見ながら俺は学校の帰りいつも下を向き一人で寂しそうに下校していたYを思い出した。
そのあまりのYの様子に何度か一緒に下校したこともあった。
Yが転校してしばらくの間は俺の家にYが電話をかけてきていたがすぐにそれもなくなった。
俺は小学校を卒業しても中学になってもときどきあの時の寂しそうなYの姿を思い出してはYのことを心配していた。
あのワガママな性格は直ったんだろうか。
向こうの学校でいじめにあってないだろうかと。
さらにそれから数年後。
俺が二十歳になり友達と成人式に行った時のこと。
懐かしい旧友と再会し昔話をしていると一緒に来た友人が慌てて俺の所に走ってきた。
そんなに慌ててどうしたんだ?と訪ねると友人は「Yが来てる。お前を探してる」と言う。
俺はその友人の言葉に驚いた。と同時に俺は駆け出していた。Yが来てる。
子供のころは顔を合わせば喧嘩ばかりしていたYを今俺は必死になって探していた。
が、会場はかなりの人ゴミでなかなかYを見つけられない。
と、後ろから俺を呼ぶ声が聞こえた。友人の声ではない。
後ろを振り返るとそこにはすっかり大人になったYがいた。
8年ぶりの再会だったがすぐにYだとわかった。
俺は開口一番Yに言った。
「友達もいないくせによく来たな」
我ながらバカなセリフだと思った。
Yは昔と変わらない不敵な顔で笑うと答えた。
「お前がいるだろ」
俺達は友達だった。
8年経った今初めてそのことがわかった。
それから俺とYは時間が経つのも忘れ二人で色んな話をした。
Yは大阪でヤクザになっていた。
今では子分もいるらしい。
でも俺はそんなことは気にならなかった。
あれから俺には想像も出来ない苦労があったらしい。
今こうして元気なYの姿が見れただけでうれしかった。
それからさらに4年が経った今もYは大阪にいる。
結婚を期にヤクザからは足を洗った。
今は子供と奥さんと三人で仲良く暮らしている。
今でもYとの交流は続いている。
posted at 2012/07/29 0:03:12
lastupdate at 2012/07/29 0:03:12
【修正】
2012/07/30
[泣ける話]
もうすぐ私は23歳になります。
本当なら、今ごろは社会人一年目を終えようとしている頃なのに、今の私は、仕事を辞め
て、またお父さんとお母さんに助けてもらっています。
心配をかけています。
こんなことになっちゃってごめんね。
はやく自立できなくてごめんね。
二人とももういい年なのに、私の為にやりくりさせてしまって、本当にごめんね。
私は今、就職活動中です。
私はお母さんとお父さんの愛情を今ものすごく感じています。
今まで、そして今この瞬間もどれだけの愛情を受けているのでしょう。
こころから感謝しています。
私が仕事で悩んでいたら、電話で話を聞いてくれた。
私が仕事で交通通事故を起こした時は、怒らずに力になってくれた。
私が泣いて電話しても泣き止むまで話を聞いてくれた。
私が会社をやめたいと言ったときも私のことを一番に考えてくれた。
どんなに大変でも、いつだって二人は私に笑顔で接してくれた。
どんなわがままを言っても、融通を利かしてくれた。
どんな夢を語っても、いつだって応援してくれた。
私がどんなに気弱になっても、あなたならできると信じてくれた。
どんなに頼っても、嫌な顔一つせずに受け入れてくれた。
どんなに離れていても、いつだって気にかけてくれた。
時には厳しい事を言ってくれた。
けど、一度だって手を挙げて怒るような事はなかった。
力任せに感情をぶつけることなく、いつも向き合ってくれた。
どんな言葉の裏にも、二人の大きな愛情を感じられた。
お父さんのようになりたい。
お母さんのようになりたい。
いつだって立派に働いている二人。
いつだって尊敬できる二人。
昔、お母さんが自分の誕生日に言ったよね。
誕生日っていうのは自分が生まれた日であると同時に、生んでくれたお母さんに感謝する
日なんだよ。お母さんが一番頑張った日なんだよって。
当時小さかった私は、あまりぴんと来なかったけれど、
あの時、おばあちゃんに感謝していたお母さんの事が、今は強くこころに浮かんできま
す。
今度の誕生日には、お母さんとお父さんにありがとうと伝えよう。
生んでくれてありがとう。
育ててくれてありがとう。
そして春までにはなんとか就職して、いつも忙しく働いている二人に、なにかプレゼント
をしてあげたいんだ。
待っててください、お父さん、お母さん。
本当なら、今ごろは社会人一年目を終えようとしている頃なのに、今の私は、仕事を辞め
て、またお父さんとお母さんに助けてもらっています。
心配をかけています。
こんなことになっちゃってごめんね。
はやく自立できなくてごめんね。
二人とももういい年なのに、私の為にやりくりさせてしまって、本当にごめんね。
私は今、就職活動中です。
私はお母さんとお父さんの愛情を今ものすごく感じています。
今まで、そして今この瞬間もどれだけの愛情を受けているのでしょう。
こころから感謝しています。
私が仕事で悩んでいたら、電話で話を聞いてくれた。
私が仕事で交通通事故を起こした時は、怒らずに力になってくれた。
私が泣いて電話しても泣き止むまで話を聞いてくれた。
私が会社をやめたいと言ったときも私のことを一番に考えてくれた。
どんなに大変でも、いつだって二人は私に笑顔で接してくれた。
どんなわがままを言っても、融通を利かしてくれた。
どんな夢を語っても、いつだって応援してくれた。
私がどんなに気弱になっても、あなたならできると信じてくれた。
どんなに頼っても、嫌な顔一つせずに受け入れてくれた。
どんなに離れていても、いつだって気にかけてくれた。
時には厳しい事を言ってくれた。
けど、一度だって手を挙げて怒るような事はなかった。
力任せに感情をぶつけることなく、いつも向き合ってくれた。
どんな言葉の裏にも、二人の大きな愛情を感じられた。
お父さんのようになりたい。
お母さんのようになりたい。
いつだって立派に働いている二人。
いつだって尊敬できる二人。
昔、お母さんが自分の誕生日に言ったよね。
誕生日っていうのは自分が生まれた日であると同時に、生んでくれたお母さんに感謝する
日なんだよ。お母さんが一番頑張った日なんだよって。
当時小さかった私は、あまりぴんと来なかったけれど、
あの時、おばあちゃんに感謝していたお母さんの事が、今は強くこころに浮かんできま
す。
今度の誕生日には、お母さんとお父さんにありがとうと伝えよう。
生んでくれてありがとう。
育ててくれてありがとう。
そして春までにはなんとか就職して、いつも忙しく働いている二人に、なにかプレゼント
をしてあげたいんだ。
待っててください、お父さん、お母さん。
posted at 2012/07/30 0:07:01
lastupdate at 2012/07/30 20:12:09
【修正】