クニフロの泣ける話、感動する話まとめ
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インターネットで公開している、泣ける話、感動する話をまとめています。号泣できる話から、ほっこりと心温まる話をいろいろ集めてますので、楽しんでください。

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2009/01/26
649 :大人の名無しさん :04/05/16 18:21 ID:aQPXgC2a

初めて彼女にあったのは、内定式のとき。同期だった。
聡明を絵に書いたような人。学生時代に書いた論文かなん
かが賞を取ったこともあるらしく、期待の新人ということだった。

ただ、ちょっときつめ&変わった人で、やることすべてパーフェ
クトだし、自分のことはなんにも話さないので、宇宙人ではない
かとの噂もあった。

まあ美人と言えば美人なんだけど、洋服とかおしゃれに気を使
わないようだったし、クソまじめだし、お高くとまってるというより
男嫌いみたいだった。近寄る男はいなかった。
おいらも、なんかちょっと嫌いだった。

彼女とは、偶然同じ部署に配属になった。
それまで出会ったどんな女の人とも違うので、からかって反応
を楽しむようになった。はじめは、すごく嫌がっていた彼女だっ
たが、半年も経つと馴れてきたのか、そのころおいらが結婚し
たんで安心したのか、少しづつ相手をしてくれるようになった。



650 :649 :04/05/16 18:22 ID:aQPXgC2a

その後、ちょっとだけ仲良しになって、愚痴を言い合ったりする
ようにはなったが、相変わらず自分のことは、何にも話さない。
休日何をしているかとか、家族のことはもちろん、本人のことも、
例えば誕生日なんかも、何年間か知らなかった。

ある日、ある試験の申し込み書類の書き方を聞いたら、自分
の書類をもって来て見せてくれた。そこに、生年月日が書いて
あった。なんと、その日が誕生日だった。

今日はデートかなぁ?などといいつつ、とりあえず、昼休みに
食べたチョコエッグに入ってたカメを誕生日プレゼントと言って
渡した。爬虫類大好きと言って子供みたいに喜んでいたのが
印象的だった。変わってるなぁと思った。

確かに変わった人で、いまどき携帯は大嫌いとかで、持ってな
かった。写真を撮られれるのも大嫌いだった。カメラ付き携帯で
飲み会のとき撮影したら、すごく怒って、しばらく口をきいてくれ
なかったこともあった。無理やり一緒にプリクラ撮ったときは、
悪用されるといやだからと言って、シートごと全部持っていって
しまった。



651 :649 :04/05/16 18:23 ID:aQPXgC2a

彼女は、がんばりやだった。もともと才能もあったし、がんばる
もんだから、どんどん出世していった。それにほとんど遊ぶこ
ともなく、仕事がおわるとまっすぐ家に帰っていた。そんなに、
お金ためてどうすんのー?お父さんの借金でも返ししてんの?
などとからかった。

そのころには、彼女のことがとても好きになってしまっていた。
でも、おいらはもう子持ちなので、表に出さないようにぐっとこら
えていた。ただ、彼女の周りをうろちょろして、愚痴の聞き役や、
遅くなったときのタクシー代わりをしていた。でも、プライベート
な関係は一切無かったし、変な噂にならないように気を配った。
同僚は、おいらは彼女の「ぽち」に見えると言っていた。自分も
彼女の「ぽち」という立場が気に入っていた。

そんな関係がしばらく続いた。彼女は、相変わらず独身だった。
彼氏や恋人がいるかどうかは全然分からなかった。ただ、彼女
は、お守りみたいな、小さな袋をいつもバックにつけていた。何か
聞いても、秘密のお守りとしか教えてくれなかった。彼女が仕事
のトラブルで落ち込んでいたとき、彼女のデスクでそのお守りを
ギュッとにぎっていたのを見たことがあった。だから、勝手に遠く
にいる彼氏からもらったのかな?などと思っていた。



652 :649 :04/05/16 18:23 ID:aQPXgC2a

ある日、海外出張からの帰り、成田で携帯の電源を入れた
とたんに同僚から電話があった。彼女が亡くなったと言わ
れたとき。全身の力が抜けた。みみの奥がキーンと鳴った
のを覚えている。交通事故だった。事故直後は、意識もあり、
たいしたことはないと思われたらしいが、内臓からの出血が
あり、急変したとのことだった。

現実のこととは思えずに、なぜかあまり、涙もでてこなかった。
職場の何人かで、葬儀の手伝いをした。そのとき初めて知っ
のだが、母子家庭だった。お姉さんもいるが、施設に入って
いるとこのことだった。彼女が大黒柱として家族を支えていた
のだ。彼女を軽率にからかったりしたこと恥じた。とても申し
訳なくて気が狂いそうだった。

葬儀の後、帰ろうとしていると、彼女のお母さんに呼び止めら
れた。渡したいものがあるから彼女の実家にあとで一緒に来
てほしいと言われた。貸していた本のことかな?と思いつつ
彼女の母親と実家に向かった。

母親は、道すがら、彼女は大好きだった父親が出て行ってから
男の人が嫌いになったこと、誰にも頼らないで自分の力で生き
ていこうと誓ったこと、土日はあまり健康でない母親と、施設の
姉の世話をしていたことを話してくれた。自分の子供とは思えな
いほどがんばりやだったと。



653 :649 :04/05/16 18:24 ID:aQPXgC2a
家に着くと、彼女の部屋に案内された。きれいに片付いていた、
というより女性の部屋とは思えないくらい何も無かった。ただ、
専門書とノートがたくさんあった。母親は、彼女がいつもおいら
の話を楽しそうにしていたこと、おいらのことが大好きだったけど、
おいらの子供たちを自分のように悲しませることになるといけな
いと思い黙っていたこと、彼女が意識を失う直前に、おいらに会
いたいと言っていたことを話してくれた。机のすみにおいらと写っ
たプリクラが貼ってあった。声を出して泣いたのは、大人になっ
てから初めてだった。

帰るとき、彼女が亡くなったとき身につけていたネックレスと、
いつも持ち歩いていたお守りを形見にもらった。そばにおいて
やって下さい。と言われた。ネックレスは母親が就職記念にあ
げたものだった。ただ、お守りのほうはどう手に入れたか分か
らないということで受け取るのはちょっと気が引けた。
でも、彼女がとても大切そうににしていたのを知っていたので、
受け取ることにした。お守りの中を開けてみようとも思ったが、
やめた。

それからすぐ転職をした。一年後、ようやく少し落ち着いた。
形見のお守りは、いつも彼女がしていたようにかばんにつけて
持ち歩いていた。先日、職場の女の子が、
「これ前から気になってたんですけど、何が入ってるんですか?」
といい、かばんのお守りを開けてしまった。とめる間もなかった。
というより、そういったときはもう中身を取り出していた。彼女は、
突然、なにこれー?といって大笑いを始めた。

お守りの中には、チョコエッグのカメが入っていた。

おいらは、もう、職場にいることも忘れ、ただただ泣き続けた。
posted at 2012/03/14 22:47:07
lastupdate at 2012/03/14 22:47:07
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2009/02/22
糖尿病を患ってて、目が見えなかった、ばあちゃん。

一番家が近くて、よく遊びに来る私を随分可愛がってくれた。
思えば、小さい頃の記憶は殆どばあちゃんと一緒に居た気がする。

一緒に買い物行ったり、散歩したり。だけど、ばぁちゃんの体が弱っているのは子供だった私でもわかった。

高校に入ると、友達と遊ぶほうが多くなっていて、ばあちゃんの家に行くことが少なくなっていた。

たまに行くと、「さぁちゃんかい?」と弱々しい声で反応してた。
もう、声だけじゃ、私だってわからなくなっていた。
「そうだよ、さぁちゃんだよ。ばーちゃん、散歩行こうかー?」
手を取って、散歩に行ったけれど、もう昔歩いた場所まで、ばぁちゃんは歩けなくなっていた。

それから、あまりばあちゃんの家に行くことは無くなってた。

暫くして、母さんから「ばぁちゃんがボケちゃったよ」と聞いた。
誰が誰だか、わからないんだって。 私のことも、わからなくなってるらしい。なんとなく、覚悟は出来ていた。けれど、悲しかった。


それから。半年くらい過ぎた頃。
ばぁちゃんが死んだっていう報せが届いた。
泣くこともなく、通夜、葬式が終わった。

葬式が済んだあと、私は叔父に呼び出された。
叔父はばぁちゃん達と最後まで暮らしていた人だ。

「箪笥の中にな、『さぁちゃんの』っていう封筒が入ってたんだよ。」
そう言って、私に封筒を手渡した。

ばぁちゃんの字で、"さぁちゃんの"って書いてあった。中身は、通帳だった。私名義の。二十万ほどの預金が入っていた。働いてないばぁちゃんが、こつこつ貯めたお金。

そういえば、昔、ばあちゃんが話していた。
「さぁちゃんが結婚するときのために、ばーちゃん頑張ってるからね。」
「だから、ばぁちゃんにも孫抱かせてね。」

その夜、初めて泣いた。

ばぁちゃん。
あれから5年も経っちゃったけど、さぁちゃん、来年結婚するよ。
孫抱かせてやれなくてごめんね。

でも、喜んでくれるよね。
posted at 2012/03/14 11:38:47
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2009/11/08
69 名前: 名無しの心子知らず 投稿日: 02/03/09 21:28
私の両親は自営業。
いつも店で仕事をしていてあんまり遊んでもらえなかった。
子供の頃は解ってはいたけどちょっとさみしかった。
そんな私が子供を産んだ。
母は1日しかない休みの日に
毎週私を手伝いに来てくれる。
「大変だろうからいいよ」と言うと、
「いいの。私はあんた(私の事)に責任がある。親だから。
孫はどうでもいい。
子供に対して責任があるの。
あんたも自分の子供に責任があるんだよ」と言われた。
母の愛ってこういうものかと感じ、
自分も親なんだ・・・とちょっと泣いた。


70 名前: 名無しの心子知らず 投稿日: 02/03/09 21:43
>69
うちの母も煮たような事言ってました。
産後の手伝いをするのは、孫がかわいいんんじゃなくて、
お前(私)がかわいいからしてるんだって。
わかっている事でも、口に出して言ってもらうと嬉しい。
おかあさん^^

81 名前: 名無しの心子知らず 投稿日: 02/03/11 15:56
子供の入院関係の話なんですが。

うちの子は1歳半の時に、ある手術をしました。
そのオペ出しの時、
普通ならストレッチャーに乗せて行くんだけど
まだ小さいので私が抱いて手術室の前まで行きました。
そして手術室の看護婦さんに渡そうとすると
何かを察しているのか、しがみついてきました。
それでも看護婦さんに抱かれて手術室に入っていく息子。
閉まる自動ドアから「抱っこして」のポーズの
息子をただ見つめていました。
立っていられなかった。


84 名前: 名無しの心子知らず 投稿日: 02/03/11 16:16
初めてのあかちゃんに無我夢中だった。
ろくに眠らず、夜鳴きもひどかった娘。
へとへとに疲れはてて、抱っこでゆすりながら
「あんたはママを苦しめたいの?ほんとにひどい子だ」と
悪態をついた日々。
赤ん坊の気持ちなんて、全然わからない。
母親の自信なんて、みじんもない。ただ、もがくだけの日々。

あれから数年たって、娘は五歳になった。
「あのね、ママ」(もじもじ)
「なぁに」


「あたしね、ママのこと、生まれたときからすきだったの」

あの頃の私が一番聞きたかった言葉。
やっと聞けた。こっそり台所で泣いた。


105 名前: 名無しの心子知らず 投稿日: 02/03/12 02:10
4歳になる娘が、字を教えてほしいといってきたので、
どうせすぐ飽きるだろうと思いつつも、毎晩教えていた。

ある日、娘の通っている保育園の先生から電話があった。
「○○ちゃんから、神様に手紙を届けてほしいって言われたんです」 こっそりと中を読んでみたら、
「いいこにするので、ぱぱをかえしてください。おねがいします」
と書いてあったそうだ。
旦那は去年、交通事故で他界した。
字を覚えたかったのは、神様に手紙を書くためだったんだ・・・
受話器を持ったまま、私も先生も泣いてしまった。

「もう少ししたら、パパ戻って来るんだよ〜」
最近、娘が明るい声を出す意味がこれでやっとつながった。

娘の心と、写真にしか残っていない旦那を思って涙が止まらない。
posted at 2012/03/14 12:20:29
lastupdate at 2012/03/14 23:12:01
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2009/11/24
158 :名無しさん@お腹いっぱい。:2005/08/30(火) 19:50:44
私の友人の婚約者の話です。

彼は幼い頃に母親を亡くし、父親と祖母と暮らしていました。
彼が17歳の時に、急性骨髄性白血病にかかってしまい、本人すら死を覚悟していましたが、骨髄移植のドナーが運良く見つかり、死のふちから生還しました。

そのときに1人でも多くの人を助けることができたらと医者になることを決意し、猛勉強の末に某国立医科大学を卒業、インターンを経て無事彼が骨髄移植を受けた病院に就職することができました。

その病院で私の友人、彼女もまた医師をしていますが、彼女と出会い、晴れて婚約をしました。彼の祖母が先日亡くなったので、しばらく沈んでいたようですが、日々忙しく働く中で、徐々に持ち直していたようです。



そんなある日、1人の救急患者が運ばれて来ました。
50代後半くらいの女性で交通事故に遭い意識不明の重態だったので、至急家族に連絡が必要だったのですが、身分証明を所持しておりませんでした。

首にかかっていたペンダントが俗に言う、「ロケット」タイプだったらしく、手がかりになればと開けてみたところ、なんと幼い頃の彼の写真が。彼はすぐに父親と連絡を取り、その旨を話すと父親もすぐ病院に駆けつけました。

父親から聞いた事情はこうでした。
もともと彼の祖母をはじめとする親族が父と母の結婚に大反対していたらしく、それを押し切って結婚したものの、彼の母親はものすごい嫌がらせを受け、心身ともに参ってしまったそうです。

母親は不眠症に陥り、睡眠薬が欠かせない状態で自律神経失調症になってしまいました。医師からは環境を変えなければ治りようが無いと言われ、少しの療養のつもりが、結局父親の親族から追い出された形になってしまったのです。

何度も息子に会いに家を訪れる母親を、祖母が知り合いの医者を使って精神異常との診断書を書かせ、それを裁判所に持ち込み、息子との接触を許されない状況にされてしまいました。

そんな状態でしたが、母親が唯一彼と接触した日があったそうです。急性骨髄性白血病にかかったとき、親族で誰一人として型が一致する者がおらず、苦肉の策で母親を呼び出し検査したところ、見事に一致することがわかったのです。

もちろん母親は何の見返りも求めませんでしたが、ただ1つ、夢にまで見た息子とどうしても話がしたいと申し出たところ、手術のあと眠っている間に顔を見るのはいいと言われ、もちろん彼は覚えてはいませんが、実際20分ほどだけ同じ病室にいたそうです。

彼も大好きだった遠い記憶にある優しい母が、夢にまで見た母親が目の前にいて彼女は重態だということ、親族一同が母親にした仕打ち、ものすごい感情と闘いながら必死で治療を続けました。

しかし2日間の集中治療の甲斐も虚しく、今日か明日かという状態になり、病院長から「是非お母さんと一緒にいてあげてください」と言われ、彼はずっとお母さんの傍に座り、一晩中手を握っていたそうです。そして翌朝、お母さんは息を引き取ったそうです。事情を知っている同僚や看護婦もみんな涙したそうです。

後日、お母さんのアパートを友人の婚約者と訪ねたところ、たった一人で暮らしており、とても質素な暮らしぶりだったそうです。

部屋には彼の幼い頃の写真がたくさん飾られていて、彼が手にすることのなかった、親族が送り返した大量の手紙、クリスマスプレゼント、誕生日プレゼントなどが押入れに残っており、通帳の表表紙には彼の名前がサインペンで書いてあって、預金額はその質素な暮らしぶりからは考えられないほどの金額でした。

最後に預金した日がお母さんが交通事故に遭った1日前の日付けで、彼と婚約者はその場にうずくまって泣きつづけたそうです。

本当に残念なのが、彼の父親が手紙を送っており、彼が結婚を予定していること、祖母も亡くなり、今さらだが息子のために結婚式参加してもらえないかという内容の手紙を送っていたにもかかわらず、母親は受け取らないままに亡くなってしまったことでした。

約30年近く夢にまで見たかけがえのない息子を抱きしめることができただろうに・・・・



長くなってすみません。
みなさん、お母さんを大切にしてあげてください。一度でいいから「ありがとう」と声をかけてあげてください。

posted at 2012/03/14 22:50:31
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2010/01/05
14 :大人になった名無しさん :03/12/06 19:19


15年前に逝っちまった。
誕生日に10円玉と四つ葉のクロ-バ-あげたの この間出てきて…
○○の(俺)思ひ出って書いた封筒に入ってた
(/o\)オ-ンオ-ン
甦る記憶。小4位だ。
25 :大人になった名無しさん :04/01/12 21:03


死んだ母が入院する前の日の夕食、何を作ってくれたっけ・・・
もう忘れちゃったよ・なんでだろう・・・
これが最後の夕食だって思いながら食べたのに
あの日、末期がんだって知ったんだよな・・・
26 :大人になった名無しさん :04/01/12 22:47
突然、弁当作って近所の公園に連れっててくれた。
いつも来てた所だから何でだろ、って思ったけど。

「友達はみんな家族で旅行や遊園地に行ってるよね。家にお金が無くて
連れてってやれなくて本当にごめんね。今はこんな近場でピクニックしか
できないの。ごめんね。」と弁当食ってる時に言ってたの思い出した…。

何か自分の母親の話なのに泣けてきた…。
俺、マジでそんな事何も気にしてなかったんだよ、母さん…。


28 :大人になった名無しさん :04/07/27 04:28


うちの母はわがままで、天然バカで、だらしなくて、すごく嫌いだった。
反抗期なんかとっくに過ぎた高3の頃でも本気で、
ママがいなければと思ってた。
お母さんってすごいよねって尊敬できるような母親が欲しかった。

去年、実家に帰った時に大喧嘩をした。
私が必死で働いて買ったプレゼントを「安物でしょ」と言って笑ったから。
傷つけようとして言ったんじゃない。天然なんだ。
そう思ったけど、わかってた分、頭にきた。
私が少し怒鳴ったらママもキレて
部屋に閉じこもってご飯も用意しなかった。
私が話し掛けても見向きもしないので、メールだけ入れて
言葉も交わさないまま、私は東京に戻った。

2日して、メールがきた。

「悲しい思いをさせてごめん。あなたがママを嫌いでも、あなたは
ママたちの初めての子供だから、ママは可愛くて仕方ありません。
だから、少しくらいはママのこともわかってね。」

今は、そのバカぶりも笑って過ごせるようになりました。
ママごめんね。



36 :大人になった名無しさん :04/04/08 20:47


数年前、母が若い頃使っていた化粧品やら香水の入ったダンボールがあり、
その中にいくつか手帳のような物も混じってたのを発見した。

その頃の私は母に暴言浴びせたりするような反抗期真っ只中で、
もっぱら喧嘩の最中だったりして、
「ちきしょー見てやるっ!」とか思い勝手に見た。

それは、私の生まれる前・生まれた後の事をつずった
日記のようなものだった。
私は赤ちゃんの頃・幼い頃は体も弱かったため、その事についても
詳しく書かれてて・・・
いつ熱が出たとか、嘔吐したとか、医者に言われたこととか。
また、私はイジメられっ子だったので、そういった事についても書かれてた。

私が今まで知らなかった母の苦労や、優しさを感じて、
思わず顔をくしゃくしゃにして泣いてしまった。
わがままな事ばかり言ってる今の自分が愚かだなって思ったよ。
ケンカもたまにはするけど、これからも元気でいてほしい。



37 :大人になった名無しさん :04/05/09 21:57


生まれた時から心臓に欠陥があった私。
色々苦労させましたね、お母さん。

6回の手術のうち初めての手術の時、長かった入院生活は
お母さんを独り占めできて、ある意味嬉しかったよ。
今でもあの時の事を思い出すと涙が出てくる。
どんなに心配させたかと思うと、申し訳ない気持ちでいっぱいです。

病院の裏の芝生で、2人でお弁当を食べたのを憶えてますか?
もうあれから30年以上経ったんですね。
今は年に数回しか会えないお母さん。
いつも私のワガママを聞いてくれて、何でもさせてくれた事に感謝してます。

会うたびに「こっちに住みなよ」と言ってくれるけど、
未だにワガママな私は一人住まいをしていて、
こんな年になってもまだ心配させてごめん。

本当は私もお母さんと一緒に暮らしたいよ。
朝、目が覚めた時、お母さんがいてくれたらどんなに嬉しいか・・・。
近々、また手術を受けることになるかも知れないけれど
その時には一緒に暮らそうな。
そっちで仕事見つけて、今度こそ恩返しするからな。
それまではお父さんと元気に暮らしててな。
私が帰るまで待ってて下さい。


39 :大人になった名無しさん :04/05/10 16:05


痴呆の末に亡くなった母の遺品を整理していた。
幼い頃見覚えのある着物、編物の道具。
そういえば着せ替え人形の洋服を編んでくれたりしたっけ。
よくあんな小さな洋服を・・・。
そして古ぼけた大学ノートが数冊。
若い頃の母の日記だった。読み進むうちハッとした。
母は若い頃に子宮の病気をしていた。
「神様。お願いします。子宮を取らないで下さい。
わたしは子どもを産んでみたいのです。
自分の子供にお乳を飲ませて抱いてみたいのです。
だから、どうか神様、赤ちゃんを産ませてください」

そして数年後身ごもった子供がわたしだったのか・・・。

亡くなる少し前には、何かを食べさせてもボロボロとこぼす母に苛立ち
母のオムツを替えるのだって内心めんどうに思っていた自分。
ごめんね。ごめんね。ごめんね。
こんなにも大切に産み育ててくれたのに私は・・・。

古ぼけた写真の中の母は微笑んでいる。
「いいのよ」って言ってくれているんだろうか。
もう一度会いたい。



47 :大人になった名無しさん :04/07/18 17:40


ひとり暮らしのやつら、二ヶ月以内に実家に帰って、
母ちゃんの手料理食って来い。これは命令でつ。



67 :大人になった名無しさん :04/07/18 17:40


お母さん、ありがとう。
小学生の遠足の日、共働きで忙しかったはずなのに
お弁当に文句言ってごめんね。
中学生の試験のとき夜食作ってくれたのに、
邪魔するなよとか言ってごめんね。
大学受験のとき、資金繰りで忙しいときなのに
分かってあげられなくてごめんね。
大学受験に失敗したのに、優しくしてくれたのはお母さんだけでした。
ありがとう。本当にありがとう。
あなたには一生かかっても返しきれないくらいの恩を受けました。
お母さん、ありがとう。



94 :大人になった名無しさん :04/10/26 23:03:25


母ちゃんは俺が4つの時病気で死んだんだ。
ぼんやりと覚えてる事がひとつ。

公園でいつも遊んでた、夕方になるとみんなの母ちゃんが迎えにくるんだ。
うちの母ちゃんは入院生活が長くて、
どうせ帰っても親父は仕事だし誰もいない。
暗くなってもよく公園にいたな、兄貴が部活終わって
公園の前通って一緒に帰るのが日課だった。

その日も暗くなっても砂場で遊んでた。
そしたら俺を呼ぶ声が聞こえて母ちゃんが息切れしながら歩いてきた。
ママーママーって馬鹿みたいに叫んで走ったよ。
暗い中、ブランコに一緒に乗ろう、って
母ちゃんが俺を膝に乗せてしばらくそうしてた。

その後何日かして病院で死んじまった。
後から親父に聞いたら、自分でも長くない事わかってたらしい。
あの時母ちゃんどんな気持ち抱えてたんだ?
どうしていつも病院にいるの?ってしつこく聞いてごめん。
辛かっただろう。
来年、俺彼女と結婚するよ。
母ちゃんの分も向こうのお袋さん大事にすっから。
長文スマソ。


221 :大人になった名無しさん :04/12/13 15:50


父が逝ってから急速に老いて次第に呆けていった母。
その母の介護にキリキリと目を吊り上げていた自分。
正直しんどかった。自分なりには精一杯だった。

その母が逝ったとき、介護に取られていた時間がすっぽりと空になり
さりとてどうしていいのかわからず空虚に過ごしていた。
一年経った今、色々な事を思い出す。
優しかった笑顔やあたたかかったその手。
大切だった父を亡くしてショックで老いてしまうほどだった母の心を
なぜもっと理解して優しくしてあげられなかったのだろう。
しっかりしろと叱ってばかリいたわたし。

あーあー、もういちど母の作ってくれたご飯が食べたい。
わたしの作るものと味が違うんだよ。もっと優しい味なんだよ。
あー、もう一度でいいから母の笑顔が見たい。
いつだって笑ってくれてたじゃん。わたし怒ってばかりだもん。

あんなにたくさんの優しさで包んで育ててもらって、
わたしの優しさってこんなもんですか?
あんなに大事に育ててもらって、わたしって言う人間はこんなもんですか?

もういちど生まれなおして母に育ててもらいたい。
そしてこんどはもっともっと優しく母を看たい。
わたしの思いがもしも届くならば、こんな娘でごめんなさい。
それでも次に生まれるときもあなたの娘にしてください。
聞こえますか?もう一度会いたい。






47 :大人になった名無しさん :04/07/18 17:40


ひとり暮らしのやつら、二ヶ月以内に実家に帰って、
母ちゃんの手料理食って来い。これは命令でつ。


posted at 2012/03/14 22:47:45
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2010/01/08
死んでは生き返ってを繰り返し、100万回もの生を受けた猫がいました。猫にはいつも飼い主がいました・・・その数100万人。

皆、猫が死ぬとワンワンと嘆き悲しみましたが、猫自身は一度も泣いたことがありませんでした。

ところが、この猫に見向きもしないものがいました。それは美しい白い猫でした。猫は腹を立てました。そして毎日毎日、白猫に「俺はすごいんだぜ、なんてったって100万回も生きたんだから」と、自慢話をしに行きました。

白猫は気のない相づちを打つばかりでした。今日も猫は「俺はすごいんだぜ」と言いかけて、途中でやめました。

そして「そばにいてもいいかい?」と尋ねました。白猫は「ええ」とだけ言いました。

2匹は常に寄り添うようになり、一緒にいることがなによりも大切に感じるようになりました。

それからかわいい子猫がたくさん生まれ、猫はもう得意の台詞、「俺はすごいんだぜ」を言わなくなりました。いつのまにか自分よりも、白猫や子猫たちのことを大切に思うようになっていました。

やがて子猫達は巣立って行き、白猫は少しお婆さんになりました。猫は、白猫と一緒にいつまでも生きていたいと思いました。

ある日、白猫は猫の隣で、静かに動かなくなっていました。

猫は白猫の亡骸を抱いて、生まれて初めて泣きました。
100万回泣きました。そしてぴたりと泣きやみました。

猫は、白猫の隣で静かに動かなくなっていました。
それから猫は、もう決して生き返りませんでした。

posted at 2012/03/14 20:37:41
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2010/01/14
愛している誰かが死ぬとき、しかも予想していないときに死なれた場合、

一度にその人を失うわけではない。
 
長い時間をかけて、少しずつ少しずつ失っていくのだ。

 
しだいに郵便物が来なくなり、

枕やクローゼットにある衣類からにおいが薄れていく。

 
少しずつ、なくなった部分、欠けた部分が積み重ねられていき、

そしてその日がやってくる。


ふと、あのひとが永久にいなくなったのだということに気づかされ、

痛切な思いにかられる。
 
そしてまた一日、すっかり忘れて何ごともなく過ぎたと思っていると、

ある日突然、失われた部分、欠けた部分に再度気づかされるのだ。
posted at 2012/03/14 16:22:53
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2010/01/26
101 名前: 名無しさん? 投稿日: 02/05/13 05:08 ID:???

俺は今日、ジャスコで買い物した。
そしたら出口で、カーネーションくばってた。
そのまま実家まで走って、おかんにカーネーションあげた。
おかん、そろそろ60だけど、いくつになっても俺にはおかん。
130 名前: 名無しさん? 投稿日: 02/05/13 05:23 ID:???
就職活動で俺が疲れてた時、実家の母親から電話があった。
ふと何の気も無しに「生んでくれてホントにありがとう」って母に言ったら、
「何言ってんの」って携帯ごしに泣かれた。
もうちょっとがんばってみようと思った。

229 名前: 名無しさん? 投稿日: 02/05/13 21:26 ID:.nYoGXKQ?

もう十年位も前の話になるけど。

当時、社会人2年目だった俺は実家から遠く離れて一人暮らしをしてた。
そのとき始めたばかりのスノボで、調子に乗って鎖骨を骨折してしまった。
病院へ運ばれたら手術が必要だと。
簡単な手術だし、入院も仕事もさぼれるし、親には来なくていいと電話した。
俺もちょっと遠足気分だったんだろうな。

午後6時からの手術で、俺が目を覚ましたのは深夜1時過ぎだった。
医者から、目を覚ましたらナースコール押すように言われていた。
もぞもぞ暗闇の中を手探りでボタンを探していると、ふと気づいた。
病室の隅のパイプ椅子でお母さんが眠ってた。

来なくていいって言ったのに、心配性だな…。

そのまま俺はバタバタと検査室みたいなところに連れて行かれた。
看護婦さんに「お母さん起こさないでね」と告げた。

なにやら問診と、検査を受けていると目をはらしたお母さんが看護婦に連れられてやってきた。
子供のようにヒックヒックと痙攣止まらなくなってる。
手をぎゅっと握り締めてきた。
馬鹿だな、、かっこ悪いよ・・・。
酸素マスク越しにお母さんに話し掛けた。
お母さんはさらに強く握って泣いてた。

そして後で聞いた話なんだが。

俺は4日間眠っていたそう。

麻酔か何か、体質に合わなかったみたいで。今で言う医療事故みたいなもんか。
ベットからいなくなった俺に気づいて発狂したみたいに泣いてたと。
意識のない間、パイプ椅子で眠ってたお母さん。
体中痛かっただろうな。
ナースコールの前にお母さんに声かければよかったよ。
どれほど心配かけたんだろうな。

今でもそのこと思い出すとほんとごめんね、って思うよ。

もうすぐ俺も父親になる。
お盆には3人で帰るよ。いっぱい孫と遊んであげてな。

ありがとう、お母さん。


284 名前: 名無しさん? 投稿日: 02/05/14 20:39 ID:???

もう五年前ぐらいの話かな。
人前ではほとんど泣いたことのない俺が、生涯で一番泣いたのはお袋が死んだ時だった。

お袋は元々ちょっとアタマが弱くて、よく家族を困らせていた。
思春期の俺は、普通とは違う母親がむかついて邪険に扱っていた。
非道いとは自分なりに認めてはいたが、生理的に許せなかった。
高校を出て家を離れた俺は、そんな母親の顔を見ないで大人になった。
その間実家に帰ったのは3年に1回程度だった。

俺もいい大人になり、それなりの家庭を持つようになったある日、
お袋が危篤だと聞き急いで病院に駆けつけた。
意識が朦朧として、長患いのため痩せ衰えた母親を見ても、
幼少期の悪い印象が強くあまり悲しみも感じなかった。


285 名前: 名無しさん? 投稿日: 02/05/14 20:39 ID:???

そんな母親が臨終の際、俺の手を弱々しく握りこう言った。
「ダメなおかあさんでごめんね」
精神薄弱のお袋の口から出るにはあまりにも現実離れした言葉だった。
「うそだろ?いまさらそんなこといわないでくれよ!」
間もなくお袋は逝った。

その後葬式の手配やらなんやらで不眠不休で動き回り、
お袋が逝ってから丸一日過ぎた真夜中のこと。
家族全員でお袋の私物を整理していた折、一枚の写真が出てきた。
かなり色褪せた何十年も前の家族の写真。
まだ俺がお袋を純粋に大好きだった頃。みな幸せそうに笑っている。
裏には下手な字(お袋は字が下手だった)で家族の名前と当時の年齢が書いてあった。
それを見た途端、なぜだか泣けてきた。それも大きな嗚咽交じりに。
いい大人がおえっおえっ泣いてる姿はとても見苦しい。自制しようとした。
でも止めど無く涙が出てきた。どうしようもなく涙が出てきた。

(俺は救いようがない親不孝ものだ。格好なんて気にすべきじゃなかった。
やり直せるならやり直したい。でもお袋はもういない。
後悔先に立たず、とはまさにこれのことだったんだ。)

その時、妹の声がした。
「お母さん、笑ってる!」
皆布団に横たわる母親に注目した。
決して安らかな死に顔ではなかったはずなのに、表情が落ち着いている。
うっすら笑みを浮かべているようにさえ見えた。

「みんな悲しいってよ、お袋・・・。一人じゃないんだよ・・・」
俺は思わずそう話し掛けていた。
気がつくと、そこにいた家族全員が泣いていた。

・・・あれから俺はことあるごとに両親は大切にしろと皆に言っています。
これを読んだ皆さんも、ご健在であるならばぜひご両親を大切にしてほしい。
でないと、俺のようにとんでもない親不孝ものになっちゃうよ・・・。

posted at 2012/03/14 22:55:43
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2010/01/30
150 :番組の途中ですが名無しです :2005/07/29(金)

ふと思い出したけど、
俺、死んでしまった子から絵葉書もらったことがある。
中学のときの隣のクラスの女の子で、
病気でほとんど学校にこないまま死んでしまった。

うちの学校は生徒数が少なかったので、
体育のときや課外授業のバードウォッチングとか
2クラス合同でやる科目がいくつかあって、
まだ学校にくることができた頃に何度か一緒に
なるくらいだった。

一度だけ喋ったことがある。
寝坊して完全に遅刻だしと思って、いつものバス停に
歩いて行ったらその子が停留所のベンチに座ってた。
田舎だから時間ずれるとバスがぜんぜんこなくって、
しばらく黙ってたけど暇だしなんとなく話しかけたんだ。

「お前も寝坊したの?」
「・・・病院、よってきたから」

俺はそのときになって、なんだか知らないけど
病弱でほとんど学校にきてない子がいるって
話を思い出し、それがこの子だと気づいた。

その子はそれから1年くらいで死んでしまったので、
今思えば本当に無神経なんだけど
俺は「へえ、どっか悪いの?」と訊いてしまった。
彼女は少し笑って「うん、ちょっとね」って言ってた。

彼女は俺が中学にあがるまで新聞配達していたのを知ってて
(彼女の家にも配達していたらしい)、
「前から思ってたけど、ほんとえらいよね」ってやけに褒めて
くれたもんだった。
じつはゲームソフト欲しさだったことは言わなかった。
バスがきて、学校につくまでたわいもない話をした。
天気いいのにかったるいよなーとか。
彼女と話したのはそれが最初で最後だった。

中学卒業したあとで絵葉書が届いた。
夕焼け空のきれいな写真のハガキだった。

最初は誰かわからなかったけど、しばらく考えて思い出した。
そのちょっと前に葬式があったと聞いていた子だった。

「朝焼けの写真だったらよかったのに。でも、夕焼けもきれいでしょ?」

と書いてあった。その下にスペースがあまっていたから、
もしかしたらほかにも書こうとしてやめてしまった書きかけ
だったのかもしれない。
書きかけのまま大切そうにしまっておいた絵葉書を、
家族の人がみつけて出してくれたんだそうだ。

新聞配達なんて眠いし重いし手が真っ黒になるけど
朝焼けが気持ちいいと、かっこつけて話したのを思い出した。
そのハガキ、たぶんまだ どっかにあると思う。


posted at 2012/03/14 22:29:16
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2010/02/01
131 名前:ヤマハの人 ◆0vMqYi.mjA [sage] 投稿日:2005/08/30(火) 14:20:24 ID:uvfWM8bq

いくつかある思い出のひとつを投下します。

俺は当時、渋谷で一人暮らしをしていた。仕事が終わり、帰宅した後に RZVでツーリングというか、散歩みたいな感じで、夜の街を軽く流して 寝るというのが習慣だった。

ある春の日の夜のこと。
彼女に出逢ったあの日は、軽く雨が降っていた。こんな日は夜ツーはやめておこうと思い、駅を出てまっすぐに、センター街にある(ジャッキーチェンの経営する)中華料理店に向かった。

メシを食って、さあ帰るかなと席を立った時、一人の女と目があった。その女は、女二人でメシを食いにきていた。その時は、こいつらもジャ ッキーのファンなのかなと思っただけだった。

雨は相変わらず小降り。路面は軽いウェット。こんな感じじゃ、やっぱり走りたくないなと思い、なんとなくゲームセンターに入った。少し遊んでいると、さっきの女が入ってきた。女たちはプリクラを撮っていた。


132 名前:ヤマハの人 ◆0vMqYi.mjA [sage] 投稿日:2005/08/30(火) 14:23:16 ID:uvfWM8bq

プリクラなんて、どこがおもしれーのかなと思い、なんとなくそいつらを見ていた。よく見ると、優香に似ている。すると、女が俺に話し掛けてきた。「一緒に撮ります?」と笑う女(以下、優香)。

「ん?何で俺と?」と訊くと、んー、なんとなく。と笑った。優香の友人らしき女も笑っている。プリクラは苦手だからと、断ったんだけど、勢いに押され、プリクラを撮る事に。軽く話をしてみる。女たちは東京観光に来ていて、翌日の午後に京都に帰るとの事。

京都が好きで、京都には何度かツーリングで行った事がある俺は、京都人と話す事が嬉しくて、彼女達の京都の話が楽しかった。京都弁が好きな俺は、彼女達の話す言葉が嬉しかった。お返しに俺は、地元で見かけた芸能人の話をしてあげた。


133 名前:ヤマハの人 ◆0vMqYi.mjA [sage] 投稿日:2005/08/30(火) 14:25:29 ID:uvfWM8bq

突然優香が「やっぱり似てるよねぇ」と俺に言う。「何に似ているんだ?」と訊くと「物じゃなくて、人だよー」と。彼女達が言うには、大沢たかおに似ているそうだ。優香はその男のファンらしく、俺に話し掛けてきたのも、そのせいだったようだ。

「ジャッキーズ・キッチンにいたから、ジャッキー・チェンのファンだと思っていたよ。それで話し掛けてきたのかと思ってた。」と言うと、特にファンでは無いと笑っていた。自分では、パッとしない顔だと思っていたけど、芸能人(俳優か?)に似ていると言われた事は、悪い気分じゃなかった。

ゲーセンで話し始めて小一時間程経った頃、雨は上がっていたみたいで、外に出ると、路面も乾き初めていた。「お、これは寝る前にひとっ走りできるかな」と独り言を言う俺。

優香の友人らしき女が、「ジョギングですか?」と、力の抜ける事を言う。「いや、バイクで散歩するんだよ。」と苦笑する俺。優香は「わー、いいなぁ。バイクって楽しそうですよねぇ。」と言うから、「京都にツーリングに行った時に偶然逢えたら乗せてあげるよ。」と言うと、「えっ、いいんですかー?約束ですよぉ。」と笑う。

その日はお互いのメールアドレスを交換して、俺は自宅へ、彼女達はホテルへと帰っていった。結局その日は走りには行かずに寝た。


134 名前:ヤマハの人 ◆0vMqYi.mjA [sage] 投稿日:2005/08/30(火) 14:29:28 ID:uvfWM8bq

翌日、目が覚めると優香からメールが来ていた。「昨日は楽しかったよ。ありがとう。約束、忘れないでね♪」と、こんな感じ。いきなりタメ口かよと苦笑する俺。当時の俺は23歳。優香は19歳。まあ俺は体育会系でもないし、そういうのはあまり気にしないタチだったから、気にしてなかった。

とりあえず「ああ、俺も楽しかったよ。久しぶりに、大好きな京都弁が聞けて、嬉しかった。帰りは気をつけてね。」とメールを返す。するとすかさず返信が。「京都へは、いつ来るんですか?」だって。何故か急に敬語になる優香に、少し笑った。「気が向いた時に行くよ」と返信して仕事に向かう。

それから毎日のように、優香からメールが来た。時々京都弁で書いてあるメールに萌えたりしながら、俺は優香とのメールを楽しんでいた。そして7月になった頃、急に八橋が食べたくなり、俺は京都に行く事を決めた。八橋なんて通販でも買えるし、横浜の大黒パーキングに行けばいつでも買えるんだが。

思い立ったが吉日、早速週末に出発する事にした。


135 名前:ヤマハの人 ◆0vMqYi.mjA [sage] 投稿日:2005/08/30(火) 14:31:40 ID:uvfWM8bq

早朝、まだ暗いうちに自宅を出る。東名高速をひた走る。2回ほど休憩して、いざ京都へ。高速を下りて、とりあえず清水寺へ。団子を食べている時に、ふと優香の事を思い出した。携帯を取り出し、メールを打つ。
が、返事は無い。ま、いっか。偶然会えたらって約束だしなと思い、RZVを走らせる。

八橋を買い、何箇所か観光地を廻る。目的も果たしたし、早めに帰ろうかなと思い、エンジンを掛けようとしたその時、メールの着信音が鳴った。
なんだよめんどくせぇな。
渋々グローブを外し、メールを見る。優香からだ。
「大沢くん(俺の事)、今こっちに来てるの?どこにいるの?会いたいよ。」
今、渡月橋の近くだよと返信する。優香は用事があって、学校に来ているらしい。そこまで行くから待っててと言われたが、俺が行く方が早いから待ってなよとメールを送る。

京都御所にほど近い大学の入り口に、優香はいた。毎日メールのやり取りをしていたからだろうか、それほど久しぶりのような気はしなかったが、とりあえず、久しぶり、と頭を撫でる。優香は俺の腰にガバーっと抱きついてきた。バランスを崩して、危うく立ちゴケするところだった。


136 名前:ヤマハの人 ◆0vMqYi.mjA [sage] 投稿日:2005/08/30(火) 14:34:08 ID:uvfWM8bq

俺のメールの返事が遅いとか、あまり写真を送ってくれないとか、色々文句を言われた。とりあえずヘルメットを脱ぎ、グローブを外す。「猫の写真は喜んでたジャマイカ。」と言うも、「猫は猫、大沢くんは大沢くんなの」と優香。ああ、そうなの。

俺は、優香とメールのやりとりをしているうちに、優香の事を好きになっていった。優香は毎日写真を送ってくれていた。俺は、自分の写真は送らずに、地元で撮った写真や、夜の散歩の時に撮った風景写真、夜景の写真を“時々”送っているだけだった。

一度しか会っていないし、メールのやりとりだけで好きになる恋なんて、おかしいよなあ、と思っていた。しかし、優香への想いは、日を追うごとに大きくなっていた。そして、その想いに気付いてはいたものの、やっぱりおかしいよなあ、と言い聞かせている自分がいた。


137 名前:ヤマハの人 ◆0vMqYi.mjA [sage] 投稿日:2005/08/30(火) 14:36:39 ID:uvfWM8bq

この日、京都で優香に再会して、一気に想いが膨れ上がっていくのを感じた。それは優香も同じだった。のかは知らんが、優香の目には、うっすらと涙が浮かんでいた。「今日はこれからどうするの?」と訊かれて、「ん。もう帰ろうと思ってたところだよ」と答える俺。

「えー!ゆっくりしていきなよぉ。せっかく来たんだし。色々案内するよ」「今日はどこかに泊まるんじゃないの?日帰りなの?」 「バイクに乗せてくれるって言ってたじゃない。やーくーそーくー。」
と、少しむくれた顔をする優香。

「しょうがねぇなあ。まあ、明日も休みだし、今夜はどこかに泊まるかな」と言うと、優香の表情が明るくなる。「んー、うちには泊まれないから、一緒に宿を探すよ」と、公衆電話があるところに案内してくれた。なんで公衆電話?と思っていたら、そこにはタウンページが置いてあった。

ああ、なるほどな。オマイ、頭いいなと心の中でつぶやきながら、ふたりでページをめくる。観光案内所とかに行けばすぐに紹介してくれんじゃねーの?とも思ったけど、ふたりで宿を探すという行為が妙に楽しくて、その言葉はしまっておいた。

何件も電話をかけたが、週末で、夕方だったせいか、なかなか空き部屋がない。ようやく見つけたのは、琵琶湖の近くのビジネスホテルだった。俺も疲れているし、宿に行くにも迷うだろうから、明日ゆっくり会おうなと、優香に携帯の番号を教えて、ホテルに向かった。


138 名前:ヤマハの人 ◆0vMqYi.mjA [sage] 投稿日:2005/08/30(火) 14:39:12 ID:uvfWM8bq

翌日、優香に言われるままに、桂という駅に向かった。ここにきて思ったのだが、俺のRZVはバックステップにシングルシート。ヘルメットも、俺の分しか無い。優香を乗せる事なんてできねえじゃん_| ̄|○

しかし優香は、そんな事はわかっていたらしく、白いワンピース姿で俺を迎えてくれた。優香の家まで、バイクを押して歩く。優香の家は、駅から5分位だった。言われるままに、庭にバイクを停める。その時、優香の父と思われる人物が現れた。

「君が大沢くんか?娘がよく君の事を話しているものでね。いつも世話になってすまないね」「あ、いえ。こちらこs『おとーさん!そんな格好で出てこないでっていつも言ってるでしょ!』ます。」

父上はランニングシャツにトランクスという出で立ちで、いかにも“とうちゃん”って感じだった。まあ、こんな感じで挨拶を済ませて、再び駅へと歩いた。


139 名前:ヤマハの人 ◆0vMqYi.mjA [sage] 投稿日:2005/08/30(火) 14:42:12 ID:uvfWM8bq

よく晴れた日曜日だった。優香の希望で、清水寺に行った。八坂神社では、お守りを買ってくれた。祇園の街をのんびり歩いた。夕方になると、芸妓さんとか舞妓さんが歩いてるのよ、と教えてくれた。

その後、京都駅の屋上に連れていかれた。のんびりし過ぎたせいで、辺りは薄暗くなっていた。京都駅の屋上は、薄い黄色のランプがきれいだった。「私の家は、あの辺かな」と、優香が指を指す。「カップルばかりだね」と、少し照れた様子がかわいい。

もうそろそろ帰らなければいけない時間だったんだが、一日一緒にいたせいか、なかなか離れ難い。俺は改めて、優香への気持ちを確信した。

優香の気持ちも、俺に伝わっていた。軽く抱き寄せて、くしゃくしゃっと頭を撫でる。ついでに、ほっぺをムニューと引っ張ってみた。優香は笑いながら俺を叩いた。


140 名前:ヤマハの人 ◆0vMqYi.mjA [sage] 投稿日:2005/08/30(火) 14:45:52 ID:uvfWM8bq

唐突に、「なあ、優香。俺達付き合わないか。」と言ってみた。優香は「えっ」と俺を見上げた。

「メールは毎日してたけど、実際会うのは2回目だし、遠距離だし、いつまで続くのかわからないけど。それに、優香がOKって言ってくれるかもわからない。だけど、それでも俺は優香の事が好きなんだ。好きになってしまったんだよ。」と、一気に言っちまった。

少しの沈黙ののち、優香は「ありがとう」と言ってくれた。その日から、俺達の遠距離恋愛が始まった。月に2回は必ず逢いに行った。北山にあ
る、おいしいケーキ屋を教えてくれた。祇園の路地裏に、おもしろい石の置物がある事を教えてくれた。

優香の家の近所の路地には、十二支の名前がついている事を教えてくれた。新京極においしいクレープ屋がある事を教えてくれた。雑誌に載っていない、地元の人がよく利用するお店も、教えてくれた。苦手だったプリクラも、好きになった。


141 名前:ヤマハの人 ◆0vMqYi.mjA [sage] 投稿日:2005/08/30(火) 14:49:18 ID:uvfWM8bq

ノーマルシートに戻し、バックステップも外していた。彼女を乗せて、街中を走った。京都駅の屋上にも、何度も行った。俺は、屋上から見る景色が好きだった。レモンイエローの明かりの下、手を繋いで京都の街をずっと眺めていた。

夜、泣きながら電話を掛けてくる事もあった。そんな時はRZVに乗って逢いに行った。ほんの少し一緒の時間を過ごし、東京へとんぼ返りなんて事も、何度もあった。RZVの距離計は、みるみる伸びていった。高速代やガソリン代も、ばかにならなかった。そんなある日の事。

仕事帰りに、友人とラーメンを食いに行った時に、「俺、京都に住もうと思うんだけど」と、俺は友人に打ち明けた。「ちょっと飛ばせばフォー時間もかからないで行ける距離だけど、やっぱ帰りが辛いし、なかなか好きな時に会えないし、金だってかかる。それなら京都に住んだほうがいいと思うんだよ。あっちでアパートは押さえたし、仕事も決まりそうだしさ」

友人は、寂しくなるなと言いながら、応援してくれた。
彼女にはまだ話していなかった。次の週末、嵐山に紅葉を見に行く時に、話そうと思っていた。しかし、その週末は来なかった。


144 名前:ヤマハの人 ◆0vMqYi.mjA [sage] 投稿日:2005/08/30(火) 15:06:13 ID:uvfWM8bq

急に、彼女の態度が変わったのだ。冷たい口調になり、明らかに、俺に嫌われようとしているな、という態度だった。昨日、友人に決意を誓ったばかりなのに。いったい彼女に何があったんだ?俺、何かやっちゃったか?そして会いに行くと言っても、「忙しいから」と断られる事が続いた。

俺は、わけがわらなかった。
彼女は、車の教習所に通っていた。そこの若い教官がすごく親切で、よくメールや電話で、その教官の事を話していた。その教官に、遠距離恋愛である俺達の事について、相談にのってもらっている事も、以前、俺に話してくれていた。……これか。

一方的に別れを告げられ、俺は日々、放心状態だった。決まりかけていた京都の部屋も、仕事も、キャンセルした。友人は怒り狂っていたが、「まあ、遠距離だったし、すぐに会えないやつより、近くにいてくれるやつの方がやっぱりいいんだよ」などと、妙に冷静な自分もいた。

それでも、数ヶ月は落ち込んでいた。大好きだった夜の散歩も、全然しなくなった。友人がツーリングに誘ってくれたりもしたけど、バイクに乗る気がなくなっていた。

そしてまた夏が来た。


146 名前:ヤマハの人 ◆0vMqYi.mjA [sage] 投稿日:2005/08/30(火) 15:08:11 ID:uvfWM8bq

その頃になると、気持ちも落ち着いてきていて、また夜ツーに出かけるようになっていた。ふと彼女の事を思い出しても、チクリと胸が痛む程度になっていた。そんなある日の週末。ふと、八橋が食べたくなった。八橋なんか通販でも買えるし、横浜の大黒パーキングに行けばいつでも買える。しかし、やっぱ産地に行かなきゃだめだろ。って事

で、京都に行く事を決めた。
思い立ったが吉日。その週末には、京都に立っている俺がいた。八橋を食べて、軽く観光してみるも、ああ、ここはあいつと来たな、とか、ここでケーキ食ったんだったな、とか、鴨川に行けば、ああ、この土手で、カップルの行列に混ざって、一緒に夕日を見たなあ、とか、思い出すのは彼女の事だけだった。街中が、彼女との思い出で溢れていた。

俺は京都駅の屋上に行った。何を思ったか、消せなかった優香の番号をプッシュしている俺がいた。「今、駅の屋上にいる」と、たった一言だけ告げて、電話を切った。来るわけないよな。ストーカーみたいで気味わりーしな。などと思いつつ、ポツポツと明りがつき始めた街を眺めていた。


147 名前:ヤマハの人 ◆0vMqYi.mjA [sage] 投稿日:2005/08/30(火) 15:10:24 ID:uvfWM8bq

不意に後ろから声を掛けられた。優香だった。まさか来るとは思ってなかったから、かなり不意打ちをくらった気分だった。それでも平静を装って、なんとか声を絞りだした。
「お、おう。久しぶり」

「…久しぶりやね」
もともと痩せていたが、優香は以前よりさらに痩せていた。
ぽつり、ぽつりと、優香は話しだした。遠距離が辛くて、寂しかった事。相談に乗ってくれていた教官を好きになってしまった事。俺を裏切った事が、ずっと胸に引っかかっていて、辛かった事。

何度も何度も、ごめんと繰り返す彼女に俺は切れた。彼女を引き寄せて、頭をクシャクシャと撫でる。

「気にすんな。もう終わった事だ。これからは、お前の幸せだけを考えて生きて行けよ」 「今までありがとな。お前と一緒にいた時間は、すごく幸せだったよ」 「俺はもう少しここで夜景を見ていくから。お前は一人で帰れるよな?」
「じゃあな」

彼女はじっと俺を見つめている。突然、優香は泣きながら俺の胸に飛び込んできた。「ごめんね、ごめんね」と繰り返しながら。
「お前なあ、早く帰れ。泣けねーだろうが」と冗談っぽく言うと、「…ん。うん。ごめんね。」と最後までごめんねと言いながら、長いエスカレーターを下りていった。


148 名前:ヤマハの人 ◆0vMqYi.mjA [sage] 投稿日:2005/08/30(火) 15:11:59 ID:uvfWM8bq

俺はまた京都の街を見下ろした。何度も通った、彼女の家の方角を見つめる。「これでやっと終わる事ができなかなー」と、小さく呟いて俺は京都をあとにした。


今でも俺は京都が好きで、八橋が好きだ。ふと食べたくなると、京都までバイクを走らせる。RZVはもう売ってしまって、今は違う愛車だけど、今ではもう、彼女の事を思い出しても、京都に行っても、胸が痛む事は無い。ああ、懐かしい思い出だなあと、なんていうか、生温かい気持ちで振り返る事ができる。そして最後に一言。

彼女が今でも、そしてこれからも、幸せでありますように。


おわり。
posted at 2012/03/14 12:55:17
lastupdate at 2012/03/14 12:55:17
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