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インターネットで公開している、泣ける話、感動する話をまとめています。号泣できる話から、ほっこりと心温まる話をいろいろ集めてますので、楽しんでください。
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2012/04/14
[泣ける話]
ビールは横に冷やすとうまい、と父は言っていた。
そんなわけはないと、と言っても聞かず、冷蔵庫に決まってビールを横にして冷やしていた。
酒以外煙草もギャンブルやらない親父にとって、ビールに関してだけこだわりを
持っていたのかもしれない。酒が飲めなかった俺は、一緒に飲むこともなかった。
親父が死んだ時、なぜかそんなに悲しくなかった。あっけないな、とは思ったが、
何か時間が寸断されるような感覚はなかった。親戚が自宅にきて、これからのことを
話し合っているときに、ふと何か酒が飲みたくなり、冷蔵庫を開けた。
横になったビールがあった。時間がぎゅっと凝縮されて、思い出すべきことが多すぎて、泣いた
そんなわけはないと、と言っても聞かず、冷蔵庫に決まってビールを横にして冷やしていた。
酒以外煙草もギャンブルやらない親父にとって、ビールに関してだけこだわりを
持っていたのかもしれない。酒が飲めなかった俺は、一緒に飲むこともなかった。
親父が死んだ時、なぜかそんなに悲しくなかった。あっけないな、とは思ったが、
何か時間が寸断されるような感覚はなかった。親戚が自宅にきて、これからのことを
話し合っているときに、ふと何か酒が飲みたくなり、冷蔵庫を開けた。
横になったビールがあった。時間がぎゅっと凝縮されて、思い出すべきことが多すぎて、泣いた
posted at 2012/04/14 0:39:39
lastupdate at 2012/04/14 0:39:39
【修正】
2012/04/13
[泣ける話]
自分が書きちがえたのでもないが いそいそとけす
自分が書いたウソでもないが いそいそとけす
自分がよごしたよごれでもないが いそいそとけす
そしてけすたびにけっきょく自分がちびっていって きえてなくなってしまう
いそいそと いそいそと
正しいと思ったことだけをほんとうとおもったことだけを 美しいと思ったことだけを自分の代わりのようにのこしておいて
自分が書いたウソでもないが いそいそとけす
自分がよごしたよごれでもないが いそいそとけす
そしてけすたびにけっきょく自分がちびっていって きえてなくなってしまう
いそいそと いそいそと
正しいと思ったことだけをほんとうとおもったことだけを 美しいと思ったことだけを自分の代わりのようにのこしておいて
posted at 2012/04/13 0:20:38
lastupdate at 2012/04/13 0:20:38
【修正】
2012/04/12
[泣ける話]
いい話じゃないけど…今日お母さんに思い切り怒鳴ってしまった。それもお母さんは何も
悪くない。
学校で嫌な事があったから八つ当たりをしただけ。
私はお母さんを怒鳴った後部屋に入った。
涙が出た。「あんな事言うつもりはなかった。お母さんは何も悪くない。ごめんなさいお
母さん…」
私は泣き崩れた。いつもおいしいご飯を作ってくれるお母さん。いつも起こしてくれるお
母さん。悪い事をした時は叱ってくれるお母さん。そんなお母さんに私は「ムカツク。ま
じ意味分かんない!」と言ってしまった。私は強がりだから謝る事も出来ない。きっとお
母さん…私の言った言葉傷ついたよね…ごめんなさい。今日は面と向かって言えないから
この場を借りて言います。
お母さん。私とお母さんはいつか離ればなれになる。どっちかが死ぬとそこでお別れ。私
が結婚するとお別れ。その時後悔しないように言います。私はお母さんにはほんとに感謝
してるよ。いつも美味しいご飯作ってくれてありがとう。いつも起こしてくれてありがと
う。わがまま聞いてくれてありがとう。お母さんが産まれて来てくれてありがとう。私を
お母さんの子として産んでくれてありがとう。側に居てくれてありがとう。私の宝物は家
族だよ。もちろんお母さんも。
大好きだよ。お母さん。
悪くない。
学校で嫌な事があったから八つ当たりをしただけ。
私はお母さんを怒鳴った後部屋に入った。
涙が出た。「あんな事言うつもりはなかった。お母さんは何も悪くない。ごめんなさいお
母さん…」
私は泣き崩れた。いつもおいしいご飯を作ってくれるお母さん。いつも起こしてくれるお
母さん。悪い事をした時は叱ってくれるお母さん。そんなお母さんに私は「ムカツク。ま
じ意味分かんない!」と言ってしまった。私は強がりだから謝る事も出来ない。きっとお
母さん…私の言った言葉傷ついたよね…ごめんなさい。今日は面と向かって言えないから
この場を借りて言います。
お母さん。私とお母さんはいつか離ればなれになる。どっちかが死ぬとそこでお別れ。私
が結婚するとお別れ。その時後悔しないように言います。私はお母さんにはほんとに感謝
してるよ。いつも美味しいご飯作ってくれてありがとう。いつも起こしてくれてありがと
う。わがまま聞いてくれてありがとう。お母さんが産まれて来てくれてありがとう。私を
お母さんの子として産んでくれてありがとう。側に居てくれてありがとう。私の宝物は家
族だよ。もちろんお母さんも。
大好きだよ。お母さん。
posted at 2012/04/12 0:00:20
lastupdate at 2012/04/12 0:00:20
【修正】
[泣ける話]
祖母がボケ始めた頃、海外在住だった私は一時帰国して、和歌山まで
遊びに行きました。二年程会っていなかったのですが、以前はしゃきっと
していて厳しかった祖母が、仏さんみたいな顔で笑いかけてくれて、電子
ジャーに残っていたご飯でおにぎりをつくってくれました。「食え、食え」
と言って。
祖母と同居していて、一緒にいた従弟が「おばあちゃん、そのご飯、もう
古いんちゃうかー」と明るく言って、私の方をちら、と見て「食わんでええ」
と小声で言いました。でも私はどうしても食べたかった。だから、海苔も
塩味も何もついていない、ご飯を丸めただけのおにぎりを、口にほおばり
ました。電子ジャーの中に何日残っていたのか知りませんが、ご飯はぽろ
ぽろで変色しており、確かにおいしくなかったんですが・・・。
でも祖母が嬉しそうに私のことを見ていてくれたので、こぼさないように
頑張って噛みました。
それが祖母とのこの世での別れになりました。だから今でも、電子ジャーに
残ってしまって、ちょっと古くなったご飯を見るたびに涙がでそうに
なります。ぽろぽろのご飯の舌触りも、絶対に忘れないと思います。
遊びに行きました。二年程会っていなかったのですが、以前はしゃきっと
していて厳しかった祖母が、仏さんみたいな顔で笑いかけてくれて、電子
ジャーに残っていたご飯でおにぎりをつくってくれました。「食え、食え」
と言って。
祖母と同居していて、一緒にいた従弟が「おばあちゃん、そのご飯、もう
古いんちゃうかー」と明るく言って、私の方をちら、と見て「食わんでええ」
と小声で言いました。でも私はどうしても食べたかった。だから、海苔も
塩味も何もついていない、ご飯を丸めただけのおにぎりを、口にほおばり
ました。電子ジャーの中に何日残っていたのか知りませんが、ご飯はぽろ
ぽろで変色しており、確かにおいしくなかったんですが・・・。
でも祖母が嬉しそうに私のことを見ていてくれたので、こぼさないように
頑張って噛みました。
それが祖母とのこの世での別れになりました。だから今でも、電子ジャーに
残ってしまって、ちょっと古くなったご飯を見るたびに涙がでそうに
なります。ぽろぽろのご飯の舌触りも、絶対に忘れないと思います。
posted at 2012/04/12 0:00:20
lastupdate at 2012/04/12 0:00:20
【修正】
2012/04/11
[泣ける話]
今就職活動中で実家に帰れないんだけど、うちのじいちゃんが突然倒れて入院した。ばあちゃんは雪かきして転んで脚を骨折してそのまま病院暮らし
だ。雪かきくらい手伝いたかったけど、家が離れていることもあって、祖母もこれくらいの雪なら大丈夫と思ったんだろう。もう5年も入院暮らししてる。俺の家は転勤族で、中学三年生までは祖母の町からはずっと離れて生活してた。
小さい頃は分け隔て無く話せたんだけど、もの心ついてくるとなんとなく話すときは親しく話せなかった。
そんなこんなで、今は祖母、祖父は入院ということになった。祖父は1年前くらいは元気で医者にも100歳まで生きるだろう、なんて言われてたんだけど、夏にバスを待っているときに突然倒れてそのまま検査ってことになった。診断結果はガンだった。
かなり進行していて、余命もあと2年生きられるかどうかだとも言われた。
だから入院はしないでそのまま実家で静かに最後を迎えることにしてたんだけど、
また病状が悪化して、入院生活を送ることになった。
脳にも転移して記憶が、あいまいになってきている。俺は母親と弟と見舞いに行った。祖父の状態は良好で、血色もよかった母親が祖父に話しかけている。母にとって祖父母は父方の両親なんだけど、よく看護をしてくれてる。そんな母親を俺は誇りに思ってる。母親がいつも祖父母に話しかけていて、俺は黙って見守っていることしかできなかった。
本当は大丈夫?とか、がんばって!と話しかけてあげたかった。母親がてきぱきとなんでもこなして
しまうから俺の役目は余り無いのかもしれないとも少しではあるが、感じていたのかもしれない。
でもこの見舞いをしたら後、就職が落ち着くまでこの祖父母がいる町に帰って来れないかもしれない
そう考えたら、とても不安とか焦燥とか寂しさとかが沸いてきて、泣きそうになった。何か話しかけてあげなきゃなと思って
「おじいちゃん、がんばってね」と声を掛けてあげて、おじいちゃんが微笑んでうなずいたときは、
とても温かい気持ちになれた。就職を早く決めて、はやく会いにいってあげたいと思うよ。あとちゃんと言葉にしたいと思う。
だ。雪かきくらい手伝いたかったけど、家が離れていることもあって、祖母もこれくらいの雪なら大丈夫と思ったんだろう。もう5年も入院暮らししてる。俺の家は転勤族で、中学三年生までは祖母の町からはずっと離れて生活してた。
小さい頃は分け隔て無く話せたんだけど、もの心ついてくるとなんとなく話すときは親しく話せなかった。
そんなこんなで、今は祖母、祖父は入院ということになった。祖父は1年前くらいは元気で医者にも100歳まで生きるだろう、なんて言われてたんだけど、夏にバスを待っているときに突然倒れてそのまま検査ってことになった。診断結果はガンだった。
かなり進行していて、余命もあと2年生きられるかどうかだとも言われた。
だから入院はしないでそのまま実家で静かに最後を迎えることにしてたんだけど、
また病状が悪化して、入院生活を送ることになった。
脳にも転移して記憶が、あいまいになってきている。俺は母親と弟と見舞いに行った。祖父の状態は良好で、血色もよかった母親が祖父に話しかけている。母にとって祖父母は父方の両親なんだけど、よく看護をしてくれてる。そんな母親を俺は誇りに思ってる。母親がいつも祖父母に話しかけていて、俺は黙って見守っていることしかできなかった。
本当は大丈夫?とか、がんばって!と話しかけてあげたかった。母親がてきぱきとなんでもこなして
しまうから俺の役目は余り無いのかもしれないとも少しではあるが、感じていたのかもしれない。
でもこの見舞いをしたら後、就職が落ち着くまでこの祖父母がいる町に帰って来れないかもしれない
そう考えたら、とても不安とか焦燥とか寂しさとかが沸いてきて、泣きそうになった。何か話しかけてあげなきゃなと思って
「おじいちゃん、がんばってね」と声を掛けてあげて、おじいちゃんが微笑んでうなずいたときは、
とても温かい気持ちになれた。就職を早く決めて、はやく会いにいってあげたいと思うよ。あとちゃんと言葉にしたいと思う。
posted at 2012/04/11 0:18:06
lastupdate at 2012/04/11 0:18:06
【修正】
2012/04/10
[泣ける話]
小さい頃。お父さんが日曜夜はお好み焼きを焼いてくれた。
すごくはりきって、「K子、たくさん食べや」って言って、
焼き方、材料、鉄板にまでこだわって。美味しいもの私に食べさせたかった
んだろうな。
それなのに「お父さんはちゃんと育てられてないんや。悪いけど両親から
下品に育てられてるんちゃうの?」
なんて食べ方のささいなことで言ってしまった。悲しそうな顔してたお父さん。
戦争中、疎開先に親が迎えに来てくれなくて、ひとりですごく遠いとこから歩いて
帰ってきた話も知ってる。いいもん食べさせてもらえなくて身体小さくていじめられたから、
娘にだけは小さい頃からおいしいもの食べさせようとしてくれてた。
あんなことどうして言ってしまったんだろ。
自分が許せない。ごめんなさいって言いたかった。もう遅い・・・。
すごくはりきって、「K子、たくさん食べや」って言って、
焼き方、材料、鉄板にまでこだわって。美味しいもの私に食べさせたかった
んだろうな。
それなのに「お父さんはちゃんと育てられてないんや。悪いけど両親から
下品に育てられてるんちゃうの?」
なんて食べ方のささいなことで言ってしまった。悲しそうな顔してたお父さん。
戦争中、疎開先に親が迎えに来てくれなくて、ひとりですごく遠いとこから歩いて
帰ってきた話も知ってる。いいもん食べさせてもらえなくて身体小さくていじめられたから、
娘にだけは小さい頃からおいしいもの食べさせようとしてくれてた。
あんなことどうして言ってしまったんだろ。
自分が許せない。ごめんなさいって言いたかった。もう遅い・・・。
posted at 2012/04/10 1:03:28
lastupdate at 2012/04/10 1:03:28
【修正】
[泣ける話]
つきあってた男にふられた時、後輩と2人でやけ酒飲んで、そのまま
後輩の家へ。わめいていたからのど乾いちゃって、冷蔵庫開けたら、
飲み物って牛乳しか入ってないの。
「先輩、ミルクおいしいですよ」と彼女が言って、お鍋であっためて
くれた。彼女は気を使ってくれて「北海道のミルクはおいしかったなあ」
とか「子供の時は熱だしたら、いつもホットミルクでしたよ」とか、
どうでもいいことを饒舌におしゃべり。 私はそれを聞いているうちに
なんだか悲しくなって、とうとう声あげて泣いちゃった。
そしたら彼女が「なんか悪いこと言いました?」って取り乱しておろおろ
しちゃって‥。それがおかしくって結局2人で大笑いしてしまった。
彼女が春に結婚するって聞いて、思い出した話です。どこかに書きたくて
ここに書かせてもらいました。
今夜は、ホットミルクを飲んで寝ることにしましょう。
後輩の家へ。わめいていたからのど乾いちゃって、冷蔵庫開けたら、
飲み物って牛乳しか入ってないの。
「先輩、ミルクおいしいですよ」と彼女が言って、お鍋であっためて
くれた。彼女は気を使ってくれて「北海道のミルクはおいしかったなあ」
とか「子供の時は熱だしたら、いつもホットミルクでしたよ」とか、
どうでもいいことを饒舌におしゃべり。 私はそれを聞いているうちに
なんだか悲しくなって、とうとう声あげて泣いちゃった。
そしたら彼女が「なんか悪いこと言いました?」って取り乱しておろおろ
しちゃって‥。それがおかしくって結局2人で大笑いしてしまった。
彼女が春に結婚するって聞いて、思い出した話です。どこかに書きたくて
ここに書かせてもらいました。
今夜は、ホットミルクを飲んで寝ることにしましょう。
posted at 2012/04/10 1:03:28
lastupdate at 2012/04/10 1:03:28
【修正】
2012/04/09
[泣ける話]
俺には大切な彼女がいました。いつも元気で嫌な事を忘れさせてくれる優しい子でした。
でも彼女はある病気を持っていました。医者は彼女に「薬を飲めば治りますょ」と言った
けど、薬で治るわけがなかった。肝臓ガンだから...。彼女はそのことをまだ知らな
い。俺は彼女の母から聞いていた。もう長くないってことを...。俺は彼女に本当の事
を言えなかった。言ったら悲しむだろうから。彼女は入院しました。彼女の病院まで凄く
遠いけど毎日逢いにいった。入院して一ヶ月が経ったある日、彼女の親から一本の電話が
入った。その内容は、彼女が危ない状態にある事だった。俺は不安になり直ぐさま病院に
向かった。その日は学校のテストがあったけど、そんなの抜け出し、病院に向かった。ひ
たすら走った。泣きながら...。二時間経って病院に着いた。急いで彼女の病室に行く
と、親は泣きながら俺にこう言った、「来るの、遅いょ 涙」俺はその言葉を聞いて直ぐ
に彼女を見た。そしたら、いつもとは違う彼女がいた。俺は医者の先生に言った、「先
生..嘘ですよね? ただ、寝てるだけですよね?..」と。しかし、先生は下を向きな
がら部屋を出ていった。俺は納得できなかった。昨日まで元気だったのに、
でも彼女はある病気を持っていました。医者は彼女に「薬を飲めば治りますょ」と言った
けど、薬で治るわけがなかった。肝臓ガンだから...。彼女はそのことをまだ知らな
い。俺は彼女の母から聞いていた。もう長くないってことを...。俺は彼女に本当の事
を言えなかった。言ったら悲しむだろうから。彼女は入院しました。彼女の病院まで凄く
遠いけど毎日逢いにいった。入院して一ヶ月が経ったある日、彼女の親から一本の電話が
入った。その内容は、彼女が危ない状態にある事だった。俺は不安になり直ぐさま病院に
向かった。その日は学校のテストがあったけど、そんなの抜け出し、病院に向かった。ひ
たすら走った。泣きながら...。二時間経って病院に着いた。急いで彼女の病室に行く
と、親は泣きながら俺にこう言った、「来るの、遅いょ 涙」俺はその言葉を聞いて直ぐ
に彼女を見た。そしたら、いつもとは違う彼女がいた。俺は医者の先生に言った、「先
生..嘘ですよね? ただ、寝てるだけですよね?..」と。しかし、先生は下を向きな
がら部屋を出ていった。俺は納得できなかった。昨日まで元気だったのに、
posted at 2012/04/09 8:11:35
lastupdate at 2012/04/09 8:11:35
【修正】
2012/04/08
[泣ける話]
友達なんか
小学生の頃、俺は引っ越しばっかで全く友達がいなかった。
ってか、友達なんか必要ないって思ってた。
ホントは寂しくて仕方なかったけど、できあがった輪の中に入ることが怖くていつも一人で遊んでた。
たまに誘われても「どーせすぐ別れる」とか思ってたら愛想笑いして断るのが上手くなった。
で、小6くらいの時またいつものように引っ越しした。
だけど、そのときの引っ越しはいつもとはちょっと違ってもう一度同じ学校に戻ることになった。
小学校2年の時の学校に。
予想はしてた。
居る時間も短かったし俺のことを覚えてる奴はほとんどいなかった。
俺だって相手のことを忘れていた。思い出す気もなかった。いつものように一人で居た。
この年になると表面上つるむ事はし出してたけど大体は一人だった。
で、またその学校で過ごすようになって1週間くらいたった頃、一人の野郎が俺に封筒を渡してきた。
「おかえり。」とか言って。
何言ってんだ?こいつ。とか思って封筒の中身見たら、小2の遠足ん時の写真だった。
集合写真じゃなくて、俺と、そいつで撮ってる写真。
たまたま近くにいたから、気まぐれで、思いつきで撮った写真だろう。
撮ったことなんか全然覚えてなかった。
俺のアルバムはほとんど集合写真。
写真を撮らないから。
撮る相手も撮ってくれる相手もいないから。
家族は写真じゃなくてビデオばっか撮ってたし、ホントどのページも集合写真。
だからアルバムは嫌いだった。
「なんか捨てるに捨てれなくてさ。渡せて良かったよ。おかえり。」
そう言われた時、俺はヤセ我慢した。
無愛想に「捨てても良かったのに。お前アホやろ。」って言った。
ありがとうも言わなかった。
家帰った後、ずっとその写真眺めてた。
「もっと笑えよなぁ、俺。無愛想な顔しやがって。」とか言ってニヤニヤしてた。
・・・嬉しくて泣いていた。
まこちん、あん時はホンマありがとう。
今でも感謝してる。
小学生の頃、俺は引っ越しばっかで全く友達がいなかった。
ってか、友達なんか必要ないって思ってた。
ホントは寂しくて仕方なかったけど、できあがった輪の中に入ることが怖くていつも一人で遊んでた。
たまに誘われても「どーせすぐ別れる」とか思ってたら愛想笑いして断るのが上手くなった。
で、小6くらいの時またいつものように引っ越しした。
だけど、そのときの引っ越しはいつもとはちょっと違ってもう一度同じ学校に戻ることになった。
小学校2年の時の学校に。
予想はしてた。
居る時間も短かったし俺のことを覚えてる奴はほとんどいなかった。
俺だって相手のことを忘れていた。思い出す気もなかった。いつものように一人で居た。
この年になると表面上つるむ事はし出してたけど大体は一人だった。
で、またその学校で過ごすようになって1週間くらいたった頃、一人の野郎が俺に封筒を渡してきた。
「おかえり。」とか言って。
何言ってんだ?こいつ。とか思って封筒の中身見たら、小2の遠足ん時の写真だった。
集合写真じゃなくて、俺と、そいつで撮ってる写真。
たまたま近くにいたから、気まぐれで、思いつきで撮った写真だろう。
撮ったことなんか全然覚えてなかった。
俺のアルバムはほとんど集合写真。
写真を撮らないから。
撮る相手も撮ってくれる相手もいないから。
家族は写真じゃなくてビデオばっか撮ってたし、ホントどのページも集合写真。
だからアルバムは嫌いだった。
「なんか捨てるに捨てれなくてさ。渡せて良かったよ。おかえり。」
そう言われた時、俺はヤセ我慢した。
無愛想に「捨てても良かったのに。お前アホやろ。」って言った。
ありがとうも言わなかった。
家帰った後、ずっとその写真眺めてた。
「もっと笑えよなぁ、俺。無愛想な顔しやがって。」とか言ってニヤニヤしてた。
・・・嬉しくて泣いていた。
まこちん、あん時はホンマありがとう。
今でも感謝してる。
posted at 2012/04/08 22:06:12
lastupdate at 2012/04/08 22:06:12
【修正】
2012/04/07
[泣ける話]
あたしの家は共働きで家に帰ったらいつも一人でした。
毎日、お菓子は台所に袋菓子を分けたものが姉の分と二つお皿に
置いてありました。今考えるとそれだけでも十分うれしかったはずなのに、
よその家では母親がケーキなど焼いてくれてるって思っていた私は、
作ってってわがままを言ってました。
休みの日、不器用でお菓子なんて作ってくれなかった母親が
クレープを作ってくれました。
焼いたクレープ生地にチョコレートシロップをみたいなものを
塗っただけのものでした。おいしいものではなかったけど、
それが初めて食べたクレープでした。クレープを見たら思い出します。
母親は今も元気で働いてます。帰ってきたら覚えてるか聞いてみようかな。
毎日、お菓子は台所に袋菓子を分けたものが姉の分と二つお皿に
置いてありました。今考えるとそれだけでも十分うれしかったはずなのに、
よその家では母親がケーキなど焼いてくれてるって思っていた私は、
作ってってわがままを言ってました。
休みの日、不器用でお菓子なんて作ってくれなかった母親が
クレープを作ってくれました。
焼いたクレープ生地にチョコレートシロップをみたいなものを
塗っただけのものでした。おいしいものではなかったけど、
それが初めて食べたクレープでした。クレープを見たら思い出します。
母親は今も元気で働いてます。帰ってきたら覚えてるか聞いてみようかな。
posted at 2012/04/07 0:18:53
lastupdate at 2012/04/07 0:18:53
【修正】