クニフロの泣ける話、感動する話まとめ
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2012/03/14


NHKスペシャル「遺伝子」を見た。

その中で、生命の設計図である遺伝子の中には死というものがあらかじめプログラムされているということが述べられたところは圧巻だった。

はるか遠い昔、生命の進化の課程で、遺伝子の新しい組み合わせの可能性と引換えに、細胞分裂の回数が限定されることとなった、つまり

生命が進化するため、生物は限られた寿命というものを選び取ったのだ、という説明には、驚きを禁じ得なかった。


それは、「生きているということはとりもなおさず、老いることであり、病むことであり、そして必然的に死に導かれるものなのだ」ということ。

これは2500年前にお釈迦様が言われた事である。同じことが最先端の生命科学の言葉によって語られたのであった。

日本列島という陸地の輪郭は、陸地自身ではなく、海によって決定される。

同様に、生の姿は生自体ではなくて、死によって初めてくっきりとその輪郭を描き出されるものなのではないか、そんなことが思われる。

もしも死がなかったら、生まれたばかりの赤ん坊をあんなに優しく大切に抱こうとするだろうか。

我々のいのちが死を前提にしているからこそ、やさしさや慈悲というものが、心の奥底から湧きだしてくるものであるに違いない。

草野榮應さんのエッセイから
posted at 2012/03/14 18:44:29
lastupdate at 2012/03/14 18:44:29
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父さんが亡くなって一年半が経ったんだね・・・
月日が経つのはあっという間だね。

お父さんが体調の変化を感じた時には
もう病気はかなり進行してたね。
なんでもっと早く気がついてあげなかったんだろう。
この一年半自分を責め続けたよ。

最初に診てもらった個人病院では「糖尿病」と
診断されて、一生懸命食事療法と運動をしていたね。
でも症状は悪化していくばかりだった。
二度目に訪れた大学病院ですい臓がんだと
わかったんだ。
「どうして誤診したの!」って
始めの病院の医者を恨んだよ。


時間が経っていくと、お父さんの声が、ぬくもりが、
だんだんとなくなっていく。
もっと一緒に時間を過ごしたかった。

でも、もうたちなおらないと。
子供も生まれたから。
posted at 2012/03/14 2:00:25
lastupdate at 2012/03/14 2:02:23
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2012/03/02
私の妻はブランド好きだ。
特にルイ・ヴィトンには目がない。まだアメリカ在住の頃、妻と一緒に地下鉄に乗っていたら、妻が私に目配せをしてこう言ったことがある。

妻:「あそこの白人女性が持ってるヴィトンのバッグね。あれ、ニセモノよ。」

私:「ええっ!どう見ても本物にしか見えないけど、どうして分かるの?」

妻:「ホンモノにあんな形のストラップのものなんてないわよ。ニセモノでもそんなに持ちたいのかしらね?」

私:「さすが、買いもしないのにしょっちゅうカタログをチェックしているだけのことはあるな。」


時は移って、前回のバンコク出張の時の話である。
日本からの同行客がカバンを見たいというので、現地の人間にシロム・ビレッジのカバン屋へ連れていってもらった。店に入ってびっくりした。

ニセ・ブランドのオンパレードだ。
しかも、中国の各都市でよく見かけるチャチなニセモノではなく、作りがホンモノっぽい。胡散臭そうな店主のオバハンによれば、中国製やベトナム製はダメで、韓国製のニセモノの水準がピカ一であり、その店はもっぱら韓国からの輸入のみとのことだった。

オバハンは、どこで手に入れたのかホンモノのヴィトンのカタログを広げるや、「さぁ、どれにするか?」と怪しげな日本語で迫ってきた。どうやら品揃えに物凄い自信を持っているようだ。


私の中にふとイタズラ心が芽生えた。
「妻は果たしてこれだけ精巧にできたニセモノを見抜くことができるだろうか?」あれこれ物色した挙句に結局、楕円の筒状のハンドバッグ(カタログ表示価格1100ドル)を4000バーツ(1万円ちょっと)で買った。ホンモノの10分の1の値段というわけだ。

帰宅するや、早速妻にバッグを渡し様子を伺った。
ニセモノはさすがにヴィトンの袋に包装してはくれないから、「袋はかさばるので現地で処分した」と言い訳した。

果たして妻は飛び上がって喜び、こんな高いものを一体どういう風の吹き回しか、幾らだった、などと矢継ぎ早に問うた。ニセモノと疑っているそぶりは全くない。子供のように喜ぶ妻を見ていると実はニセモノなんだと切り出すタイミングを完全に失ってしまった。


結局そのままその日の夜を迎え、いつもとは全く異なる気合の入ったサービスを受けた。そんなにハッスルされては、罪悪感は増すばかりだ。

私は面と向かって言いにくいことは、携帯メールで妻に伝えることにしている。

私:「実は昨日の1100ドルのヴィトン・バッグだけど、本当はニセモノです。ゴメン。」

1時間ほどして妻から返事があった。

妻:「幾らだったの?」

すかさず返事を打った。

私:「4千バーツ。」

妻からまた返答が来た。

妻:「ニセモノって見抜けなかったんだから、貴方が白状さえしなかったら、このバッグは私にとってホンモノであり続けたのよね。ホンモノって思い続けたかった。。。。」

「おおっ!何てひねくれたヘソの曲げ方をするのだ。」と私は感心したが、その旨メールで打つことはなかった(当然である)。


大変なのはそれからである。
私と外出するたびに、文字通り毎回、妻はニセ・ヴィトンのバッグを持って行くのである。近所のスタバにコーヒーを飲みに行くだけでも必ず、である。

そう、私はもうとっくに観念している。
次の海外出張でホンモノを買わざるを得ない。海外出張の土産など、空港で買う化粧品で済んでいたのに、くだらないイタズラ心を抱いたがために高いツケを払うことになったのだ ”

posted at 2012/03/14 21:38:10
lastupdate at 2012/03/14 23:13:06
修正
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