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インターネットで公開している、泣ける話、感動する話をまとめています。号泣できる話から、ほっこりと心温まる話をいろいろ集めてますので、楽しんでください。
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2012/08/08
[泣ける話]
私の父親は白血病だった。小さな病院で肺炎といわれたが
不信に思った母が大きな病院につれて行くと即入院だった。
いまいち病気の恐ろしさのわからなかった私はどこかで自分の父親が死ぬなんて
ありえないとおもってた。
親孝行もまだ何もしてないのに、やっと仲良く話せるようになったのに。
発覚から一年後、愛犬が血液のとまらない病気で死んじゃった。
身代わりになろうとしたのかな。。。
だからぱぱも頑張った。でもどんどん衰弱して行くぱぱ、
ある日ぱぱの前の妻と娘が家に来た。二人で住みたいから頭金がほしいと。
ぱぱは言った。もうあげられるお金は自分が死んだとき娘に遺産を分けることしかできないと。
それでもずっと生きてくれると思ってた。
そして発覚から2年半後その日は来てしまいました。
子供たちに手をにぎられてしにたい。そう最後に言っていました。
ありがと。ぱぱ。ギュット手を握り締めて一粒だけ涙を流しました。
そしてぱぱは息を引き取りました。
一番つらいのはままに決まってる。だから涙をこらえました。
誰もいないところで一人思いっきり泣きました。
ぱぱの子供でよかったよ。ありがとう。
不信に思った母が大きな病院につれて行くと即入院だった。
いまいち病気の恐ろしさのわからなかった私はどこかで自分の父親が死ぬなんて
ありえないとおもってた。
親孝行もまだ何もしてないのに、やっと仲良く話せるようになったのに。
発覚から一年後、愛犬が血液のとまらない病気で死んじゃった。
身代わりになろうとしたのかな。。。
だからぱぱも頑張った。でもどんどん衰弱して行くぱぱ、
ある日ぱぱの前の妻と娘が家に来た。二人で住みたいから頭金がほしいと。
ぱぱは言った。もうあげられるお金は自分が死んだとき娘に遺産を分けることしかできないと。
それでもずっと生きてくれると思ってた。
そして発覚から2年半後その日は来てしまいました。
子供たちに手をにぎられてしにたい。そう最後に言っていました。
ありがと。ぱぱ。ギュット手を握り締めて一粒だけ涙を流しました。
そしてぱぱは息を引き取りました。
一番つらいのはままに決まってる。だから涙をこらえました。
誰もいないところで一人思いっきり泣きました。
ぱぱの子供でよかったよ。ありがとう。
posted at 2012/08/08 0:00:47
lastupdate at 2012/08/08 0:00:47
【修正】
2012/08/07
[泣ける話]
中三の頃、母が死んだ
俺が殺したも同然だった・・・
あの日、俺が楽しみにとってあったアイスクリームを、母が弟に食べさせてしまった
学校から帰り、冷凍庫を開け、アイスを探したが見つからなかった
母親に問い詰めると、弟が欲しがったのであげたと言った
その時楽しみにしていた俺は、すごく怒った
母親に怒鳴り散らし、最後に「死ね!」と叫び、夕飯も食べずに部屋に篭った
それから何時間か経った
俺は寝てしまっていたが、父親が部屋に飛び込んできたので目が覚めた
「母さんが轢かれた・・・!」
あの時の親父の顔と言葉を、俺は一生忘れないだろう
俺達が病院に着いたとき、母親はどうしようもない状態だと言われた
医者は最後に傍にいてあげてくださいと言い、部屋を出た
それから少しして、母親は息を引き取った
その後、母親があの時間に外にいた事を父から聞いた
買い物に行くと言って出て行き、その帰りに車に轢かれた事
現場のビニール袋の中には、アイスが一つだけ入っていた事
救急車の中でずっとごめんねと呟いていた事
その時、俺のために母はアイスを買いに行って事故にあったとわかった
通夜と葬式の間中、俺はずっと泣いた
そして、今でもこの時期になると自然に涙が出てくることもある
母さん、ごめんよ
俺が最後に死ねなんて言わなかったらと、今でも悔やみ続けている
俺が殺したも同然だった・・・
あの日、俺が楽しみにとってあったアイスクリームを、母が弟に食べさせてしまった
学校から帰り、冷凍庫を開け、アイスを探したが見つからなかった
母親に問い詰めると、弟が欲しがったのであげたと言った
その時楽しみにしていた俺は、すごく怒った
母親に怒鳴り散らし、最後に「死ね!」と叫び、夕飯も食べずに部屋に篭った
それから何時間か経った
俺は寝てしまっていたが、父親が部屋に飛び込んできたので目が覚めた
「母さんが轢かれた・・・!」
あの時の親父の顔と言葉を、俺は一生忘れないだろう
俺達が病院に着いたとき、母親はどうしようもない状態だと言われた
医者は最後に傍にいてあげてくださいと言い、部屋を出た
それから少しして、母親は息を引き取った
その後、母親があの時間に外にいた事を父から聞いた
買い物に行くと言って出て行き、その帰りに車に轢かれた事
現場のビニール袋の中には、アイスが一つだけ入っていた事
救急車の中でずっとごめんねと呟いていた事
その時、俺のために母はアイスを買いに行って事故にあったとわかった
通夜と葬式の間中、俺はずっと泣いた
そして、今でもこの時期になると自然に涙が出てくることもある
母さん、ごめんよ
俺が最後に死ねなんて言わなかったらと、今でも悔やみ続けている
posted at 2012/08/07 12:58:03
lastupdate at 2012/08/07 12:58:03
【修正】
2012/08/05
[泣ける話]
土曜日の14時〜頃、コーカサス館で娘(小3)にバラソフトを
買って下さった方、有難うございました。
娘が戻って来て、買って頂いた事を知って慌てて周囲を探した
のですが、もう見当たらなくて。
娘に聞いたら、多分・・・携帯で見てたのは「2ちゃんねる」
だと思うと言う事だったので。
うちの娘、聴覚障害者でお金と「ばらソフトクリーム1個下さい」と
書いたカードを持たせて買いに行かせました。話しを聞くと、順番が
来る前に注文を書いた紙を出そうとしたらない・・・・
涙目になって、お姉さんのオーダーに答えようとしていたら、後ろに
いた「お兄ちゃん」が、写真を指差し、携帯画面で「これでいい?」て
聞いてくれたそうです。うん、とうなずいたら、そのソフトを2個
買って一つを娘に手渡してくれました。娘がお金を渡すと「いいよ、
お兄ちゃん一人で来たから一度二つ買ってみたかった」と言う文章を
見せてくれたそうです。
その人がここの人がどうか分りませんが、とにかくお礼を言いたかった
ので、こちらを借りてレスさせて頂きました。
どうも有難う。何度か万博へ行って色んな思い出がありますが・・・・
多分・・・この思い出が私の中でも、娘の中でも最高の思い出だと
思います。素敵な思い出をどうも有難うございました。
買って下さった方、有難うございました。
娘が戻って来て、買って頂いた事を知って慌てて周囲を探した
のですが、もう見当たらなくて。
娘に聞いたら、多分・・・携帯で見てたのは「2ちゃんねる」
だと思うと言う事だったので。
うちの娘、聴覚障害者でお金と「ばらソフトクリーム1個下さい」と
書いたカードを持たせて買いに行かせました。話しを聞くと、順番が
来る前に注文を書いた紙を出そうとしたらない・・・・
涙目になって、お姉さんのオーダーに答えようとしていたら、後ろに
いた「お兄ちゃん」が、写真を指差し、携帯画面で「これでいい?」て
聞いてくれたそうです。うん、とうなずいたら、そのソフトを2個
買って一つを娘に手渡してくれました。娘がお金を渡すと「いいよ、
お兄ちゃん一人で来たから一度二つ買ってみたかった」と言う文章を
見せてくれたそうです。
その人がここの人がどうか分りませんが、とにかくお礼を言いたかった
ので、こちらを借りてレスさせて頂きました。
どうも有難う。何度か万博へ行って色んな思い出がありますが・・・・
多分・・・この思い出が私の中でも、娘の中でも最高の思い出だと
思います。素敵な思い出をどうも有難うございました。
posted at 2012/08/05 0:03:01
lastupdate at 2012/08/05 0:03:01
【修正】
2012/08/03
[泣ける話]
うちは母子家庭。
あたしが小1の頃に離婚した。でも幼稚園の頃から既に両親は別居していて、父親と一緒
に住んでいた記憶はほとんどない。
両親が離婚すると聞いた時、あたしとお兄は母親に引き取られる事に決まっていた。あた
しはまだ小さくてただ訳も分からずおかんに「なんでお母さんにはあたしもお兄ちゃんも
いんのに、お父さんは独りぼっちなの?」と聞いた。
昔の事なので母親の返答は覚えてないが、納得がいかずあたしは家出を計画した。
もちろん、そんな小さい頃に行く宛てなんてあるはずもなく、父方のおばぁちゃんちまで
まだ補助輪のついた自転車で行った。
ただおとんに会いたかった。寂しい思いをしていないか気掛かりだった。両親に考え直し
てほしかった。
偶然にもちょうど父親がおばぁちゃんちに来ていた。だがすぐにおかんに居場所がばれ、
間もなく迎えにきた。
帰りたくないと喚くあたしを後部座席に乗せ、車をだす母。後ろの窓から外をのぞくと、
おとんが切なそうな目で見送っていた。本当にすごく寂しそうで、胸がいたかった。あの
おとんの目は忘れない。しっかりと記憶に残ってる。今でも思い出すと泣けてくる。
離婚してからすぐに引っ越し、二年程たってからあたしとお兄とおかんの三人で暮らして
いた家に、一通の郵便物が届いた。
写真が入ってた。
おとんの結婚式の写真だった。
再婚者との。
以前まだおとんと四人で住んでいた家の住所変更をして、前の家宛ての郵便物は私達の家
に転送する様にしてあった。
たぶん誰かがその時には誰も住んで居なかった家に、まだおとんが住んでいると勘違いし
て間違えて送ったんだろう。
あたしはまだ小さかったし、その写真は見せてもらえなかった。
あれから十年くらいたった。あたしも恋愛する年になって、その時のおかんの気持ちを考
えると、切なくてたまらない。
ねぇおとん何で?何年もずっと一緒に居た人を、たった一年や二年で忘れてしまうもの?
偶然にも再婚者の結婚式の写真がうちに送られてくるなんて。
あたしとお兄の為に、昼も夜もなく必死で働いてたおかん。辛いところなんて見せた事な
かった。
だけど今は分かるよ。
一度愛して、結婚までした人をそんな簡単に忘れる訳ないよね。
だから今だに再婚しないの?
おかんは、母親である前に一人の女なんだよね。
あたしが小1の頃に離婚した。でも幼稚園の頃から既に両親は別居していて、父親と一緒
に住んでいた記憶はほとんどない。
両親が離婚すると聞いた時、あたしとお兄は母親に引き取られる事に決まっていた。あた
しはまだ小さくてただ訳も分からずおかんに「なんでお母さんにはあたしもお兄ちゃんも
いんのに、お父さんは独りぼっちなの?」と聞いた。
昔の事なので母親の返答は覚えてないが、納得がいかずあたしは家出を計画した。
もちろん、そんな小さい頃に行く宛てなんてあるはずもなく、父方のおばぁちゃんちまで
まだ補助輪のついた自転車で行った。
ただおとんに会いたかった。寂しい思いをしていないか気掛かりだった。両親に考え直し
てほしかった。
偶然にもちょうど父親がおばぁちゃんちに来ていた。だがすぐにおかんに居場所がばれ、
間もなく迎えにきた。
帰りたくないと喚くあたしを後部座席に乗せ、車をだす母。後ろの窓から外をのぞくと、
おとんが切なそうな目で見送っていた。本当にすごく寂しそうで、胸がいたかった。あの
おとんの目は忘れない。しっかりと記憶に残ってる。今でも思い出すと泣けてくる。
離婚してからすぐに引っ越し、二年程たってからあたしとお兄とおかんの三人で暮らして
いた家に、一通の郵便物が届いた。
写真が入ってた。
おとんの結婚式の写真だった。
再婚者との。
以前まだおとんと四人で住んでいた家の住所変更をして、前の家宛ての郵便物は私達の家
に転送する様にしてあった。
たぶん誰かがその時には誰も住んで居なかった家に、まだおとんが住んでいると勘違いし
て間違えて送ったんだろう。
あたしはまだ小さかったし、その写真は見せてもらえなかった。
あれから十年くらいたった。あたしも恋愛する年になって、その時のおかんの気持ちを考
えると、切なくてたまらない。
ねぇおとん何で?何年もずっと一緒に居た人を、たった一年や二年で忘れてしまうもの?
偶然にも再婚者の結婚式の写真がうちに送られてくるなんて。
あたしとお兄の為に、昼も夜もなく必死で働いてたおかん。辛いところなんて見せた事な
かった。
だけど今は分かるよ。
一度愛して、結婚までした人をそんな簡単に忘れる訳ないよね。
だから今だに再婚しないの?
おかんは、母親である前に一人の女なんだよね。
posted at 2012/08/03 0:17:46
lastupdate at 2012/08/03 23:39:18
【修正】
2012/08/01
[泣ける話]
いつも面倒ばかりかけさせちゃって本当ゴメン。
俺がまだガキでそこらで暴れ回ってた頃よく顔を腫らして帰るたびに母は泣きながら俺の
事を叱ってた、でも俺は『うっせぇ!!』の一言で何も言う事を聞こうとしなかった。それ
でも母はいつも俺の事を気にしてくれて、俺もその事に気付いてたけどムリして突っ張って
た。でも最近素直に母の気持ちを受け入れられるよぉになってきた。まだ素直にありがと
うを言葉にできないけど俺なりに親孝行してるつもりだからもぉ少し見守ってて下さい。
絶対超幸せな老後にしてやるからな!!
俺がまだガキでそこらで暴れ回ってた頃よく顔を腫らして帰るたびに母は泣きながら俺の
事を叱ってた、でも俺は『うっせぇ!!』の一言で何も言う事を聞こうとしなかった。それ
でも母はいつも俺の事を気にしてくれて、俺もその事に気付いてたけどムリして突っ張って
た。でも最近素直に母の気持ちを受け入れられるよぉになってきた。まだ素直にありがと
うを言葉にできないけど俺なりに親孝行してるつもりだからもぉ少し見守ってて下さい。
絶対超幸せな老後にしてやるからな!!
posted at 2012/08/01 0:10:38
lastupdate at 2012/08/01 0:10:38
【修正】
[泣ける話]
おねえちゃん
妹の友だちだった。
幼い頃から脳の病気を患っていて、手術の繰り返しで四肢もまともに
機能しなくなってしまって、それでもがんばって歩いて学校に登校
していた。
小学生の頃、一度帰宅時間にその子と一緒になったことがあって、
友だちの姉として面識の会った私はなんとなく一緒に帰ることに
なった。
片足が麻痺していて歩くのにとても時間がかかるその子。
私はその日遊ぶ約束をしていて、正直早く帰りたくて仕方がなかった。
会話もあまりはずまなくて、その子の家まで送るべきだったのに、
「いいよ。私ひとりで帰れるよ」
と言うものだからそれに甘えて途中で別れた。
数年後、あの子が長くないと母に教えられて妹と見舞いに言った。
個室で、脳の病気のせいでその子とわからないくらい頭が肥大していて、人工呼吸器も苦しそうで意識は殆どないようだった。
その子の母はもの凄く冷静で、淡々とあと一週間かなとつぶやいてた。
母は号泣していたけど、私と妹はなんと言ったらいいかわからなくて、
ただ突っ立ってその子を見守っていた。
まだ15歳だったのに、そのまま死んでしまった。
その子の家に行ったら、まだ部屋がそのままになっていて、机に
飾られた写真、元気そうに笑ってる写真を見ていたら一緒に帰った
あの日のことを思い出した。
「おねえちゃんおねえちゃんって、**はひとりっこだからすごく
嬉しそうだったのよ」
そんなこと言われて、おうちまで送ってあげればよかったなと思ったら
涙が止まらなかった。
ごめんね。
妹の友だちだった。
幼い頃から脳の病気を患っていて、手術の繰り返しで四肢もまともに
機能しなくなってしまって、それでもがんばって歩いて学校に登校
していた。
小学生の頃、一度帰宅時間にその子と一緒になったことがあって、
友だちの姉として面識の会った私はなんとなく一緒に帰ることに
なった。
片足が麻痺していて歩くのにとても時間がかかるその子。
私はその日遊ぶ約束をしていて、正直早く帰りたくて仕方がなかった。
会話もあまりはずまなくて、その子の家まで送るべきだったのに、
「いいよ。私ひとりで帰れるよ」
と言うものだからそれに甘えて途中で別れた。
数年後、あの子が長くないと母に教えられて妹と見舞いに言った。
個室で、脳の病気のせいでその子とわからないくらい頭が肥大していて、人工呼吸器も苦しそうで意識は殆どないようだった。
その子の母はもの凄く冷静で、淡々とあと一週間かなとつぶやいてた。
母は号泣していたけど、私と妹はなんと言ったらいいかわからなくて、
ただ突っ立ってその子を見守っていた。
まだ15歳だったのに、そのまま死んでしまった。
その子の家に行ったら、まだ部屋がそのままになっていて、机に
飾られた写真、元気そうに笑ってる写真を見ていたら一緒に帰った
あの日のことを思い出した。
「おねえちゃんおねえちゃんって、**はひとりっこだからすごく
嬉しそうだったのよ」
そんなこと言われて、おうちまで送ってあげればよかったなと思ったら
涙が止まらなかった。
ごめんね。
posted at 2012/08/01 0:10:38
lastupdate at 2012/08/01 0:10:38
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