クニフロの泣ける話、感動する話まとめ
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2012/05/30
昨日、パッとしない女と話したんです。ほんとパッとしない女。
そしたらなんかめちゃくちゃ好きな人ができたらしいんです。
で、よく見たらなんかほんのり化粧してて、アイラインとか引いてるんです。
もうね、アホかと。馬鹿かと。
お前な、好きな人ができたぐらいで普段してない化粧なんてしてんじゃねーよ、パッとしないんだから。
つくりの問題だよ、つくりの。
なんかリップも引いちゃってるし。女の子らしくメイクってか。おめでてーな。
ちょっとは見られる顔になったでしょ、とか言ってるの。もう見てらんない。
お前な、鏡やるからその化粧落とせと。
パッとしない女ってのはな、すっぴんでいるべきなんだよ。
席替えで隣になった男子からボロクソ言われてもおかしくない、
私は女を捨ててます、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。ピエヌだのメイベリンだのは、すっこんでろ。
で、やっと話がそれたかと思ったら、はぁ〜恋って切ないね、とか言ってるんです。
そこでまたぶち切れですよ。
あのな、お前にはそんなもん必要ねーんだよ。パッとしないんだから。
得意げな顔して何が、恋は切ないね、だ。
お前は本当に恋をしているのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。
お前、恋してるって言いたいだけちゃうんかと。
情報通の俺から言わせてもらえば今、お前のアノ人には、
カワイイ恋人がいるんだよ。残念だったな。
気付かず本命チョコでギョク砕。これがパッとしない女のコクり方。
手作りのチョコに、告白カード。これ。
で、実は彼女がいることを知ってあぼーん。これ最強。
しかもカード付けると、実は義理だったなんて言い訳できない。
パッとしない女にはお薦め出来ない。
まあお前みたいなブス女は、早いところオレの気持ちに気付けってこった。
posted at 2012/05/30 0:00:16
lastupdate at 2012/05/30 0:00:16
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4歳になる娘が、字を教えてほしいといってきたので、
どうせすぐ飽きるだろうと思いつつも、毎晩教えていた。

ある日、娘の通っている保育園の先生から電話があった。

「○○ちゃんから、神様に手紙を届けてほしいって言われたんです」 こっそりと中を読んでみたら、
「いいこにするので、ぱぱをかえしてください。おねがいします」
と書いてあったそうだ。
旦那は去年、交通事故で他界した。
字を覚えたかったのは、神様に手紙を書くためだったんだ・・・
受話器を持ったまま、私も先生も泣いてしまった。

「もう少ししたら、パパ戻って来るんだよ〜」
最近、娘が明るい声を出す意味がこれでやっとつながった。

娘の心と、写真にしか残っていない旦那を思って涙が止まらない。
posted at 2012/05/30 0:00:16
lastupdate at 2012/05/30 0:00:16
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2012/05/29
ある有名なカメラマンがいました。
そのカメラマンが某国の戦場に出向いて写真を撮りに行きました。

そこで今まさに子供が打たれようとしている所をカメラマンが発見。
でも子供は気付いていない。
絵的には子供を狙っている兵士という、戦場カメラマンにはチャンスでした。
しかし彼はカメラマンである事を放棄して子供をかばい、
打たれて死んでしまったのです。
そのときに偶然、投げ捨てたカメラが子供をかばって打たれる寸前の
彼を捉えていた。

それが彼の撮った最後の写真となりました。
posted at 2012/05/29 0:00:21
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2012/05/28
ある男はろくに働かず、毎日ふらふらしていた。
自分の死期が近いことを悟っていた彼の父親は、
遺産をただ息子に譲るだけでなく、
息子が一生懸命働くように改心させたかった。
そして、それでもどうしても首が回らなくなったときだけ
金を受け取れるよう、一計を案じた。

その男は父親の死後、手紙と鍵を受け継いだ。
手紙には、「どれだけ頑張っても報われなかったら、
この鍵で扉を開けてみなさい」と書かれていた。
父に養ってもらえなくなった彼は、その後頑張って働いてみたが
生活はよくならず、困った末に手紙のとおり部屋の扉を開けてみた。
そこには天井から首吊り用のわっかが作られたロープが下げられているだけで、
他には何も無かった。
「死ねって言うことかよ!」
男は憤慨し、それからは心を入れ替えてがむしゃらに働いた。
それでも、生活が良くなることは無かった。
男は心底絶望を感じ、例のロープで自殺を図った。
しかしロープに体重がかかると天井が崩れるように仕掛けがされており、
その上に隠してあった父の貯金が大量に彼の上に降り注いだ。
posted at 2012/05/28 4:27:26
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2012/05/26
あたしが初めて体を売ったのゎ15才・中学3年の時。俗に言う援助交際。それゎ高校2年ま
で続けた。退学して18才になってすぐに風俗に足を踏み入れ1年4ヵ月目。まだ風俗して体
売ってる。体を売ったお金を毎月お母さんに渡してる。そんなお金って知らないよね。片
親だからもぅお母さんにお金の苦労させたくない。汚い稼ぎ方したお金で御免ね。お母さ
んが痛い思いして産んでくれた体売って御免ね。私、出来損ないで御免ね。体ゎ売ってる
けど心ゎ売らないから。もぅ少ししたら風俗きっぱり辞めるから。こんな私が娘でごめんなさい
posted at 2012/05/26 0:02:27
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2012/05/23
貴方と縁あり菅野の人になったのは昭和7年の10月9日でした。そして、お別れしたのが昭
和19年6月14日の朝4時、2人の子を連れ神社までの見送りでした。そして貴方は、背中の
子の頭を撫でながら「お父さんが帰るまで大きくなっておれよ。」の言葉を最後の言葉と
して自転車で出征して行きました。夕方、兄が主なき自転車を持って来てくれた時、私に
はもう生きては帰る事のないと心にピンと来ました。それから私の務めと思い昼夜働き、
家や子供の心配をしている貴方に一日置に日記を書き送り続けました。昭和20年1月15日
干柿を紙に包み局まで持って行きました。3月15日に便りあり、「柿を有難う。故郷のゆ
かしき風味を味わう事が出来非常に嬉しい。どうか3人の子を真面目な子に育てて欲し
い。どんなに借金をしても構わない。自分が帰ったら働いて払うからどうか怪我や病気を
しない様に育ててくれ。宜しく頼む。 戦場の夫より 愛しき妻へ」と最後の便りとなり
ました。それから戦は激しく6月14日に沖縄戦は終わりました。戦は終わり54年の月が流れました。今日ここに貴方の子、孫、曾孫、妹達を連れてお墓参りに参りました。
私にとってはもう最終となります。そして最後のお願いがあります。それは貴方の命がた
ゆる日に私を迎えに来て頂きたい。何卒それだけが私の願いで今でも待って居ります。今
はもう、私の務めも終わりました。貴方は何時も私達を見守り助けてくれて居るのを知っ
ております。唯、感謝しております。子も孫も立派になりました。見て下さい。何かと下
手な字で書きましたがこれでペンを置きます。どうか安らかにお休み下さい。これは31才
から86才の今日まで、自分の歩んで来た思い出の一部です。笑わないで下さい。自分とし
ても恥ずかしいのですが沖縄に永久に眠る主人 征夫様に贈る言葉です。 貴方に生きる
妻 貞江より 平成10年11月4日
posted at 2012/05/23 0:01:42
lastupdate at 2012/05/23 0:01:42
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2012/05/20
わたしの両親は6才の時に別居し、10才の時に離婚しました。
でもわたしが幼稚園の年少組の時はまだ両親が仲がよくて
日曜日の夜には、いつも2人で晩酌をしていました。
わたしは9時には布団に入れられるんだけど、晩酌の仲間に入りたくて
のどが渇いた、とか、トイレ、とか理由をつけては起き出し
おつまみを食べさせてもらっていました。
ちくわチーズとかサラミとか、たいしたことないものなんだけど
仲間に入れてもらったのがうれしくて
次の日いつも妹に自慢してました。
いまでもおつまみを食べると思い出してしまいます。

小学校に入った頃から両親の仲が悪くなり、父がほとんど帰って来なくなりました。
ある日、久しぶりに帰ってきた父と母が大喧嘩をし
母が夜中に出ていってしまいました。

不安でわたしも起き出したのですが、なんとなく
ケンカのことは触れてはいけないように思い
「おなかすいたんやけど・・・」と父に話しかけました。
しかし「こんな夜中になにゆうてんねん。さっさと寝ろ」と怒られ、
「なんでママが出ていったん?パパなんかキライや、パパが出ていけばよかってん。」
と言い捨て、布団に潜り込んで泣いていました。

しばらくすると、なにごともなかったように父が部屋にやってきて
「ラーメンと焼きそば、どっちがいいんや?」
と聞きました。
泣きながら「焼きそば」と答え、父と2人で夜中に台所で
鼻をすすりながらUFOを食べた思い出があります。
posted at 2012/05/20 0:10:52
lastupdate at 2012/05/20 0:10:52
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2012/05/18
大学のサークルで吹奏楽をやっていた頃の話です。
ある日楽器を持ってバス停に立ってました。
するとそこに居合わせたおばあさんが、「楽器弾くのかい?」と声を掛けてきたので、「ええ、近々演奏会があるので良かったら聞きに来て下さい」と答え、軽い会話程度でバスが来たら別れました。
そういえば正確な日付や時間も教えなかったな‥などとバスの中で思い返しましたが、次第にその出来事は雑踏の中に消えて行きました。

演奏会当日‥最後の曲の後の拍手の中、ステージ前に立つ小さな人影を見ました。
あの日のおばあさんでした。
自分はステージ前に出て、おばあさんの差し出す紙袋を受け取りました。拍手が大きくなりました。
紙袋の中には一生懸命選んでくれたであろうお菓子が沢山入っていました。
自分で演奏会のスケジュールを調べて来てくれたのだろうか‥感動が止まりませんでした。
その時の流れでステージで会った以降会うことはありませんでしたが、もう一度ありがとうと言いたかった。
posted at 2012/05/18 0:24:19
lastupdate at 2012/05/18 0:24:19
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2012/05/17
震災

小4の時の1月15日連休最初の日だっけかな?
いつものメンバー5人で俺の住んでたマンションで遊んでいた。
あん時はミニ四駆を廊下で走らせてて騒いでは管理人さんによく怒られたもんだ。
俺は改造が下手でいつも遅かった。そん中の香具師が肉抜きしてやるから貸してや
といわれて俺はどうしても1番になりたかったから貸して改造をお願いした。
休み終わったら学校に持っていくわと言われてかなり楽しみにしてた。
その休み明けそれが1月17日震災の日だった。
俺は電球の傘にぶつかって額を切ったがなんとか無事だった。
避難した公園にいつもの奴らが集まってくる4人揃ったが後1人こない。
心配になって4人とうちの親父とでそいつの家の前に行ってみた。
光景は悲惨なものだった。1階部分が見る影もなく2階しかなかった。
そいつの姉貴が2階で寝てたらしくて無事に出てきたがワンワン泣いていた。
「お母さん、お父さん、〇〇、何してんのよ早くねてらんと早く出てきてや。」
俺たちもその前で立ち尽くすばかりで何もできずそれぞれ親戚の家や知り合いの
家に避難することになってしまった。
そして2月に入っての新聞。死亡者名の欄にあいつと、あいつの両親の名前が載っていた。
俺はそれを聞いて地元にいったん戻った。2月20日の合同慰霊祭。あいつと対面したのはその日だった。
スプレー塗装が剥げてるボロボロのミニ四とメモをやつ姉貴が渡してくれた。
メモには「ちょっとオマケでスプレーもしといたで。これでお前もいっちょまえになれるな
次走るとき楽しみにしてるで」

「いつ走るねんや。アホが」涙で言葉はそれしかでなかった。

あれから9年、色あせてもう動くことはないだろうミニ四
今も部屋の机の上に置いている。
posted at 2012/05/17 0:33:20
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2012/05/16
随分前になくなったおばあちゃんが作ってくれた「ずんだもち」。
緑色のお餅だったんだけど、なぜかわたしは食べる気がしなくて、せっかく「食べてね」って勧めてくれたのに、結局食べなかった。
そのあとおばあちゃんは亡くなり、、、。
せっかくせっかく食べさせようって思って一生懸命作ってくれたものなのに、なんでわたしはひとくちでも食べて「おいしいよ」って言ってあげられなかったんだろうってずっと後悔している。

17さん、いいお話聞かせてくれてありがとう。
わたしも人の心づくしを無にしない人間になりたいです
posted at 2012/05/16 0:40:24
lastupdate at 2012/05/16 0:40:24
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