クニフロの泣ける話、感動する話まとめ
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2012/06/09
祖母が弱ってきて、寝たきりになった時、遊び盛りだった私は
見舞いにも行かなかった。
母から、もう何もわからなくなってしまって意識もない、いよいよだと
聞かされて、さすがに心苦しく思い顔見せに行くことに。

病室に入ると、やせ細った姿の祖母がいました。
母に「手にぎってあげなさい」といわれ、そっと握ると
意識のないはずの祖母が手を強く握り返してきて、目からは涙が・・・

握った手のぬくもりから、幼い頃手をつないでいろいろなところに
連れて行ってもらった記憶か蘇って号泣してしまいました。

祖母がなくなったあと、遺品の中からスケッチブックが。
まだ意識のあった頃に病室で書いたと思われるそれには私や、孫たちの絵で埋まっていました。
posted at 2012/06/09 0:14:49
lastupdate at 2012/06/09 0:14:49
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新聞に掲載された、画家、原田泰治さんのインタビュー
(この人は小児マヒのため右足が不自由です)
「小児まひの子をもったといっても、父ちゃんは絶えず前向きでした。
遠足とか修学旅行には、学校に反対されても必ず連れていってくれました。
同行です。旅館でまくら投げをするとか、ふろに一緒にはいるとか・・・、
感動はそんな体験をさせなければわかんないって。中学の修学旅行では、
校長とやり合い、「先生」の資格で行った。おれをおんぶしながら、
6、7人のグループを任されました。京都や奈良では他校の生徒とすれ違うんですが、
足の悪い子と行き会わない。
「みんな置いて来られたんだ。障害者の子どもはいるはずだ」って言うんです。
でも、家に泣いて帰っても助けてくれず、逆に「やっつけてこい」でした。
「それには、お前、応援してくれる友達がいなければ勝てない」と。
自分なりに考えて、ちょっと絵が好きだったから、包装紙の裏などを使った教科書
のカバーに絵をかいてあげたりした。仲良くする方法を自分で考えていくわけです。
知恵を生かすように仕向けてくれました。

父ちゃんは甘やかす部分と、厳しい部分をしっかり分けていました。
「人に好かれろ」「反発してたら、生きていけないよ」と言っていました。
困っときには「助けてくれ」「おんぶしてくれ」と、素直な気持ちを伝えなければ
ダメだってね。一般の子どもたちと同じように育てることが、
社会に出ていける原点だっていうことを知っていたんじゃないでしょうか。
父ちゃんの生き方、育てかたが、今の僕につながっているような気がします。
木琴が買えなくて、先生が貸してくれた紙の木琴を使っていたことがありました。
父ちゃんは入植した農地に水を引こうと横井戸を掘り進んでいて、
一番苦しい時期だったんです。それでも、劣等感を持たせたくないと、
女の子から木琴を1週間借りてきて、手作りで木琴を作ってくれたんですよね。
後ろにノコギリで筋を入れて、音も合わせてくれました。
看板行やってたから、器用だったかもしれないけど、心がなかったらできないですよ。
今も宝物として大切に持っています。

ひとり娘が出来たときには、僕も絵本を作りました。
父ちゃんが見せてくれたように、
生きているんだというところを見せたいと思っています。
アメリカに行くときも、娘を連れていきました。
とうちゃんは2年前に亡くなったけど、不思議とあまり悲しくない。
いまも、父ちゃんと絶えず会話をしているような気がするからです。」
posted at 2012/06/09 0:14:49
lastupdate at 2012/06/09 0:14:49
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