クニフロの泣ける話、感動する話まとめ
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2012/06/01
昨日も見舞いに行ってきたんだけど,子供の頃からもう20年以上世話になっている
叔母さんがね,末期の食道ガンで年越せるか越せないかって状況なんだ
その叔母さんの話させてもらうね

その叔母さんね,まったく血の繋がってない中学生の孫娘がいるんだ
叔母さんが結婚した相手が再婚だったのでその時に連れてきた娘の子がその孫ね
で,ここまではまぁよくある話なんだろうけど
普通とは違うのは,その孫娘の母親がね離婚しててしかも生活保護受けてて
何度も入退院を繰り返すぐらいの精神病らしいの
無論,そんな母親に一人で育児なんてできるわけなくて
叔母さんがその子の母親代わりになって育てたんだって
小さい頃はパートに行く自転車に孫娘を乗せて保育園に通わせてたらしい
当然,その子は世に言うおばあちゃんっ子どころかおばあちゃんが母親以上の存在なんだ

それで,最近の話なんだけど,その孫娘は実の母親(精神病の人ね)と暮らしてたんだ
でも,先月かな,母親が娘に暴力を振るったらしくて,近所からの通報を受けて駆けつけた児童相談所に
その孫娘が施設に連れて行かれたのね,本来なら孫娘も相談所の指導員に叔母さんのこと話して
叔母さんの家にいけばいいはずなのにそうしなかったんだ
で,叔母さんと叔父さんが施設に迎えに行ったらね,こう言ったらしいんだ
「ばあちゃんの迷惑になるから,ここにいる」
これすごいよね?
もうすぐ死んでいく母親以上の人のそばに居たいに決まってるはずなのに,自分がいることによって
実の母親がきたりして,迷惑がかかるから児童施設に残るって言うんだよ
これ聞いたときね,孫娘の健気さにも感動したんだけど,それよりも
叔母さんが血の繋がってない孫娘をこんなに強く育てたことに感動したんだ
叔母さん,自分では子供を産まなかったけどこんな強い子残して逝くんだな・・・って
posted at 2012/06/01 0:02:45
lastupdate at 2012/06/01 0:02:45
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2012/06/05
昔、付き合っていた彼女が精神的不安定で自傷癖や不眠症をわずらっていて、
その彼女のストレスがいつも俺に向けられた。いつしか俺もそんな彼女と一緒にいるのが
嫌になり、別れ話をきりだすことになった。彼女のことは好きだったけど
俺も若かったし、もっといろんな可能性を夢みていた。
俺が別れ話を切り出すと彼女は意外とあっけらかんとしていて「私も別れようって思ってた。」と言った。
俺はその時ちょっと安心して彼女の家を去った。帰りの電車の中でいままでの彼女といた3年間の出来事を思い出していると涙が出た。
彼女も同じ気持ちだろう、俺に気を使ってあんなに気丈に振舞っていたに違いないと思うと
ほんとに彼女に申し訳ないことをしたと思った。
今は俺も30になって結婚もしている。俺のかみさんは今はもう元気になって精神状態も安定して、
お互い幸せに暮らしている。
あの時電車を途中で降りて死のうとしていた彼女のもとに戻らなかったらどうなっていただろうとふと考えることがある。
posted at 2012/06/05 0:07:58
lastupdate at 2012/06/05 0:07:58
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2012/06/08
保育園の時です。
ちょっと貧乏だった私の家は、共働きでした。
保育園は3時に終わるのですが、親が仕事などで迎えに来れない子は
保育園が延長保育で見てくれていました。
私を含め、10人くらいいました。
みんなで運動場でゲームをやったり、遊具に乗ったりして、迎えが来るまで過ごすのですが、
夕方になるにつれ、だんだん迎えがきて
最後は私と2人の先生だけになりました。
私は子供心に
「私だけまだ居て、先生に悪いなぁー」とか
「もう、母さんこないのかなぁ」とか、考えてました。
なんだか寂しくなってきたころ、ふと外を見ると「ヨシーっ!ヨ〜〜〜〜〜シっ!」
夕焼けで真っ赤に染まった道路の向こうから、
母が自転車に乗ってやってきました。私の名を呼んでいます。

あの時の母の呼び声と、夕焼けの赤さと、先生の優しい顔が
脳裏に焼き付いてます。
その光景を思い出すと、なんだか涙ぐんでしまいます。
ただの日常的な光景なのにね・・・
posted at 2012/06/08 0:00:01
lastupdate at 2012/06/08 0:00:01
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2012/06/09
新聞に掲載された、画家、原田泰治さんのインタビュー
(この人は小児マヒのため右足が不自由です)
「小児まひの子をもったといっても、父ちゃんは絶えず前向きでした。
遠足とか修学旅行には、学校に反対されても必ず連れていってくれました。
同行です。旅館でまくら投げをするとか、ふろに一緒にはいるとか・・・、
感動はそんな体験をさせなければわかんないって。中学の修学旅行では、
校長とやり合い、「先生」の資格で行った。おれをおんぶしながら、
6、7人のグループを任されました。京都や奈良では他校の生徒とすれ違うんですが、
足の悪い子と行き会わない。
「みんな置いて来られたんだ。障害者の子どもはいるはずだ」って言うんです。
でも、家に泣いて帰っても助けてくれず、逆に「やっつけてこい」でした。
「それには、お前、応援してくれる友達がいなければ勝てない」と。
自分なりに考えて、ちょっと絵が好きだったから、包装紙の裏などを使った教科書
のカバーに絵をかいてあげたりした。仲良くする方法を自分で考えていくわけです。
知恵を生かすように仕向けてくれました。

父ちゃんは甘やかす部分と、厳しい部分をしっかり分けていました。
「人に好かれろ」「反発してたら、生きていけないよ」と言っていました。
困っときには「助けてくれ」「おんぶしてくれ」と、素直な気持ちを伝えなければ
ダメだってね。一般の子どもたちと同じように育てることが、
社会に出ていける原点だっていうことを知っていたんじゃないでしょうか。
父ちゃんの生き方、育てかたが、今の僕につながっているような気がします。
木琴が買えなくて、先生が貸してくれた紙の木琴を使っていたことがありました。
父ちゃんは入植した農地に水を引こうと横井戸を掘り進んでいて、
一番苦しい時期だったんです。それでも、劣等感を持たせたくないと、
女の子から木琴を1週間借りてきて、手作りで木琴を作ってくれたんですよね。
後ろにノコギリで筋を入れて、音も合わせてくれました。
看板行やってたから、器用だったかもしれないけど、心がなかったらできないですよ。
今も宝物として大切に持っています。

ひとり娘が出来たときには、僕も絵本を作りました。
父ちゃんが見せてくれたように、
生きているんだというところを見せたいと思っています。
アメリカに行くときも、娘を連れていきました。
とうちゃんは2年前に亡くなったけど、不思議とあまり悲しくない。
いまも、父ちゃんと絶えず会話をしているような気がするからです。」
posted at 2012/06/09 0:14:49
lastupdate at 2012/06/09 0:14:49
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祖母が弱ってきて、寝たきりになった時、遊び盛りだった私は
見舞いにも行かなかった。
母から、もう何もわからなくなってしまって意識もない、いよいよだと
聞かされて、さすがに心苦しく思い顔見せに行くことに。

病室に入ると、やせ細った姿の祖母がいました。
母に「手にぎってあげなさい」といわれ、そっと握ると
意識のないはずの祖母が手を強く握り返してきて、目からは涙が・・・

握った手のぬくもりから、幼い頃手をつないでいろいろなところに
連れて行ってもらった記憶か蘇って号泣してしまいました。

祖母がなくなったあと、遺品の中からスケッチブックが。
まだ意識のあった頃に病室で書いたと思われるそれには私や、孫たちの絵で埋まっていました。
posted at 2012/06/09 0:14:49
lastupdate at 2012/06/09 0:14:49
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2012/06/10
フランスに、一人の日本の留学生がいた。
彼が渡仏したのは、第二次世界大戦が終結して間もなく、日本がオリンピックに
参加することもままならなかった頃のこと。
 彼が最初に訪れた下宿先では、彼が日本人と分かるや否や断られた。
「夫の弟がベトナムで日本人に虐殺された。あなたには何の恨みもないが
この家に日本人をいれたくないのです」
 その後住居は定まったが、貧しい学生生活を送ることになった。
彼は大学から少し離れたレストランで毎週土曜は夕食をとった。
そこは若い娘と母親が営む小さな店で、パリの雰囲気を漂わせていた。
彼は「今日は食欲がないから」などと言いながら、いつも一番安いオムレツを注文
した。
 ある夜のこと。通い慣れたそのレストランで、娘さんが黙ってパンを二つ出した。
パンは安いので、会計の時にそのまま支払うことにした。食事がすみ、レジの前で二
つ分のパンの料金を払おうとすると、他の客に分からないように人差し指を口にあて、
目で笑いながら静かに首を振り、一人分の料金しか受け取らなかった。彼は、かすれ
た声で「ありがとう」と言った。それ以降、いつも半額の二人前のパンが出た。
 何ヶ月か経った冬の寒いある晩。彼は無理に明るく笑いながら、オムレツだけ
注文した。店には他に二組客がいたが、どちらも暖かそうな肉料理を食べていた。
その時、店のお母さんの方が湯気の立つスープを持って近寄ってきて、
震える声でそれを差し出し、小声でこう言った。
「お客様の注文を取り間違えて、余ってしまいました。よろしかったら
召し上がってください」
小さい店だから、注文を取り間違えたのではないことくらい、よく分かる。
目の前に置かれたどっしりとしたオニオンスープは、ひもじい彼にとって
どんなにありがたかったことか。涙がスープに落ちるのを気づかれぬよう、
彼は一さじ一さじ噛むようにして味わった。

仏でも辛い目に遭ったことはあるが、この人たちのさりげない親切ゆえに、
私が仏を嫌いになることはないだろう。いや、そればかりではない。
人類に絶望することはないと思う。
posted at 2012/06/10 0:00:10
lastupdate at 2012/06/10 0:00:10
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300 名前:彼氏いない歴774年[sage] 投稿日:2011/05/15(日) 10:24:56.17 ID:p3LYxyuj
自殺しようとしていた人を助けた(?)こと

10年近く前の学生時代、友人と旅行に行った先での話。
観光名所の岬が思いのほか楽しくて、夕暮れまでプラプラしていた。
売店が閉店し、私達のほかに人もいなくなり肌寒くなってきたので
さぁ宿に行こうと車に戻る途中のベンチに、年配の身綺麗な女性がポツンと腰掛けていた。

どうして声をかけたのか、最初に何を話したのかあまり覚えてない。
「私、自殺しようと思って来たんです」の一言が強烈だった

身体を悪くし仕事を辞め、住んでいた場所は引き払った。
最後の思い出にと今まで行ったことのない豪華な旅館に泊まり
美味しい御飯を食べ、残っていたお金は全て使った。
そしてさあ死のうと思ってここに来たけどやっぱり怖くなって
お金も無いし行くところも無いし、どうしよう、どうしようと思っていた

話を聞いている間に完全に日が落ちて真っ暗になってしまい
数歩歩けば断崖絶壁の崖、あたりに響く波の音、という状況に
これはヤバイ…と少々怖くなった私達は、女性を連れて車に乗せた。

話の続きを聞くと親族に身寄りは無いが、ここから程遠くない場所に
友人がいる、連絡先もわかると言うので、近くの駅に行き電話をかけてもらった。

女性がどこまで話したかわからないけど、その友人の元に行けることになったので
電車賃と少しのお金、ホットのお〜いお茶とアンパンを渡し見送った。
21時前後だったけど最終電車だった

それから約一ヵ月後、住んでいたアパートにその女性から手紙が届いた
私と友人は同じアパートの隣同士だったので一緒に読んだ。

友人の紹介で旅館で住み込みの仲居の仕事をしている等の近況と
あのとき貴女達お姫様に出会わなかったらどうなっていたか…とお礼の言葉が綴ってあった
家賃3万円の超オンボロアパートに住む貧乏学生だったので
「お姫様」という単語にオロオロしてしまった

返信したかったけど住所が明記されていないかったのでそれっきり。
今どうしているんだろう
posted at 2012/06/10 0:00:10
lastupdate at 2012/06/10 0:00:10
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2012/06/11
僕の通っていた高校には、合唱コンクールがあった。
高校2年の時の課題曲は「河口」だった。
歳は70を過ぎていたけど、気持ちの若い祖母が見学に行くと言うので、
何度か譜面の歌詞を口ずさんでやっていると、きまって
いい歌ねえ、とうっとりしていた。クラスじゃあんまり人気ないよ、と笑うと
「まだあんた達には分かんないわヨ」と目を細めていた。

合唱コンの3週間前に祖母が亡くなった。冬一番の木枯らしが吹いた夜、こたつの中で
うとうとしながら死んだ。
最初は泣いていた父も、葬式では親戚と祖母の思い出話で爆笑していた。
あっけらかんとして、祖母に似合う明るい葬式だった。

合唱コンの本番まで一週間を切った頃。クラスの女子がffは怒鳴るのではないということを
説明するのに骨を折っていた。その時疲れ果てて言った言葉が、なんとなく頭の片隅に残った。
「これは、人の死を歌った曲なのに」

あっという間にカレンダーはめくられて、本番直前、僕は頭のうちで彼女の言葉をくり返していた。
押し出されるようにしてステージに上がり、広いホールではじめて自分達の歌声を聞いた。
最初は、大きな声で。イチ・ニイ・サン…

フィナーレを、フィナーレを、こんなにはっきり予想して
河は、河は、大きくなる
フィナーレを、フィナーレを、華やかに飾りながら
河は、河は、大きくなる
…さようなら、さようなら。河は歌うさようなら。
紅の、ああ紅のハゼの葉。楠の木陰。白い工場の群れよ。
さようなら、さようなら。河は歌うさようなら…

祖母が、ホールの後ろで手を振った気がした。視界は霞んでいたけれど。
posted at 2012/06/11 0:09:40
lastupdate at 2012/06/11 0:09:40
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2012/06/12
なあ、お前と飲むときはいつも白○屋だな。
一番最初、お前と飲んだときからそうだったよな。

俺が貧乏浪人生で、お前が月20万稼ぐフリーターだったとき、おごってもらったのが白○屋だったな。
「俺は、毎晩こういうところで飲み歩いてるぜ。金が余ってしょーがねーから」
お前はそういって笑ってたっけな。

俺が大学出て入社して初任給22万だったとき、お前は月30万稼ぐんだって胸を張っていたよな。
「毎晩残業で休みもないけど、金がすごいんだ」
「バイトの後輩どもにこうして奢ってやって、言うこと聞かせるんだ」
「社長の息子も、バイトまとめている俺に頭上がらないんだぜ」
そういうことを目を輝かせて語っていたのも、白○屋だったな。

でも、今のお前を見ると、お前がポケットから取り出すくしゃくしゃの千円札三枚を見ると、俺はどうしても「もっといい店行こうぜ」って言えなくなるんだ。

お前が前のバイトクビになったの聞いたよ。
お前が体壊したのも知ってたよ。
新しく入ったバイト先で、一回りも歳の違う20代の若いフリーターの中に混じって、使えない粗大ゴミ扱いされて、それでも必死に卑屈になってバイト続けているのもわかってる。
だけど、もういいだろ。

十年前と同じ白○屋で、十年前と同じ、努力もしない夢を語らないでくれ。
そんなのは、隣の席で浮かれているガキどもだけに許されるなぐさめなんだよ。
posted at 2012/06/12 0:11:52
lastupdate at 2012/06/12 0:11:52
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2012/06/13
あたしが小学校のときまで、超石頭だったお父さん。
あたしが中学校にあがったときお母さんが亡くなり、
あたしはこの先お父さんとやってけるか不安だった。

でもお父さんはかわったよね。まるでお母さんが作るみたいなかわいいお弁当。
近所の方を招いて庭でお食事。あたしの友達にさえ、
我が子のように接し、
お父さんファンがたくさんできていったね。

一人で二役は大変だったでしょう。

悲しい思いをさせまいと、頑張ってくれたお父さんの気持ち忘れないよ。

あの日はめずらしく晴れて暖かい日だった。
おかぁさんが迎えにきたんだね。何一つ親孝行できなくてごめんね。
でも、お父さんが残してくれたたくさんの『友達』がいるから安心して天国いってね。
『友達』にお父さんみたいっていつか言われることができたらようやく親孝行になるかもしれない
posted at 2012/06/13 0:03:21
lastupdate at 2012/06/13 0:03:21
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