クニフロの泣ける話、感動する話まとめ
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2012/07/18
塩ラーメン
うちの家族は母と私(長男)、弟が二人の母子家庭。
 父と母は、私が5才の時に離婚をし親権は母親へ。「扶養金なんかいらない」と言い残
し、私たち兄弟を引き取ったらしい。女・酒・ギャンブル。全てに手を付けていた父の下
に、一人でも子供を残して行きたくなかったのだろう。
 母はそれからというもの、幼い私たちからひと時も目を離したくなかったのだろうか、
私たちの入園した保育園で働き始めた。
 お世辞にも給料は良いとは言えない。おそらく12、3万だっただろう。自分には何一つ
買わず、全てを子供の為に注ぎ込んだ母。いつもボロボロの服を着ていたのを覚えてい
る。しかし、それでも生活は厳しく、唯一ボーナスを貰ったときだけ食べに行ったのが、
ある定食屋の塩ラーメンだった。野菜がたくさんのった塩ラーメンを食べているあの時間
だけが、私たち家族の至福の時だった。…そう、夏と冬、二度だけの。

 今では兄弟も成人し、家族四人なに不自由なく暮らしている。住むところはまちまちだ
が、そんなことを感じさせないほど、家族の絆は深い。…兄弟三人。しかも年子で男ばか
り。これを、女手一つでここまで育て上げた母を、私は世界中の誰よりも尊敬している。

 そして、その定食屋はというと。…大変残念な事に、数年前に店主が癌で亡くなり、今
はその形だけが残り、シャッターを下ろしている状態である。しかし、今でもあの店の雰囲気と、四人で過ごしたあの時間を生涯忘れる事はないだろう。
posted at 2012/07/18 0:08:42
lastupdate at 2012/07/18 0:08:42
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