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インターネットで公開している、泣ける話、感動する話をまとめています。号泣できる話から、ほっこりと心温まる話をいろいろ集めてますので、楽しんでください。
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2011/09/01
[泣ける話]
俺が小学3、4年で夏休みの話。
今の今までマジで忘れてた。
小学校の夏休みとか、遊びまくった覚えしかない。
俺は近所の男子と、夏休み中開放されていた学校の校庭で午後1時から体力づくりの名のもと遊んでいた。
※午前中は勉強しろ、と先生が言って、午前中は開放されてなかった。
んで、大体、午後5時くらいになって解散して、帰りの50円のアイスを商店街の、とある店で買っていた。
それを食べるとこは、あまり使われていない駐車場だった。
5時を過ぎると、アイスを食べて雑談している汗だらけの小学生でいっぱいだった。
駐車場のすぐ隣にはバス停と、バス停の後ろには公衆電話があった。
夏休みが始まってちょっと経ってからだったと思う。
いつも通り、駐車場でみんなでアイスを食べていて、バス停に目をやると、中学生ぐらいの女の子がいた。
目は大きい二重で、髪は肩ぐらいの黒髪で、背は150cmあるかないかだったと思う。
背は小さかったけど、大人な感じがした。
その女の子は、商店街にある時計台とバス停に書いてある時刻表をせわしく見ていた。
「誰かを待っちょるんかなぁ」と、その時は思っただけだった。
次の日、例の如くアイスを買いに行ったら、またあの女の子がいた。
相変わらず、時計台とバス停の時刻表をせわしく見ていた。
「恋人でも待っちょるんかなぁ」
と他人事のように思って、その恋人とやらが気になった。
しかし、家の門限が6時半までなので、そう長くは駐車場におれず、いつも6時ぐらいには駐車場でみんなは解散していた。
その女の子は、6時になっても、時計台とバス停をせわしく見ていた。
その次の日。
特別暑かった日だった。
友達が2人ぐらい倒れたと思う。
学校にいた事務の先生が
「今日は暑いけん、さっさと帰りんさい」
と言って、3時ぐらいに早くも家に帰されることになった。
友達数名と、アイスを買いに行ったら、また、バス停にあの女の子がいた。
時計台とバス停の時刻表をせわしく見ながら。
さすがに友達も女の子が気にかかり、
「昨日もおらんやったっけ?(いなかったっけ?)」
と口にした。
「ああ、いたね」
と、適当に返事をしたと思うが、この女の子は3時から待っていて、俺らが家に帰る6時以降もここにいるのか、と気付いて、すごく衝撃的だった。
この暑い中、誰を待ってるんだろう。
ガキながら、めちゃくちゃ気になっていた。
そして、いつも通りの日が続いて、日曜日になった。
日曜日は、学校が開放されていないので、みんなは家で遊ぶか暇を弄ぶぐらいだった。
俺はあの女の子が、何時からバス停にいるのだろう、と好奇心で、11時ぐらいにバス停へ向かった。
さすがにこの時間にはあの女の子はいなかった。
しばらく待っていよう、と持ってきたお金でアイスは何個か買って、駐車場に座って待っていた。
1時になるかならないかぐらいだった思う。
あの女の子がやって来た。
その足どりはとても不安定で、今にも転びそうなほど弱弱しかった。
また、この暑い中、誰かを待つのか―…
とりあえず、こんな暑い中、外にいると気が狂いそうになるからすぐに家に帰った。
そして4時ぐらいに、夕立が来た。
結構激しい雨だった。
あの女の子は、傘をもっていなかったことを思い出し、傘を持って行くことにした。
その女の子は濡れながら、バス停にたっていた。
傘を渡すと、
「あれ、さっきいた子?」
と聞いてきた。
とても高い声で、そして弱弱しかった。
「さっきもいたけど、いつもおるんで」
「あぁ…5時10分らへんになると、たくさん小学生が来るわね」
「学校の校庭で、遊んでるんだ」
「そう。楽しそうね」
「楽しいよ」
しばらく、沈黙が続いた。
雨が叩きつける音が、響いていた。
「なぁ。ここにいっつもおるけど、何しちょんの?(何をしているの?)」
しまった、首を突っ込みすぎたか、とガキながら、冷や汗をかいた。
「ははは。お姉ちゃんはね、ある人を待ってるの」
「ある人って恋人とか?」
「秘密」
その女の子は、大きな目を細くして微笑んだ。
ガキの俺は、少しドキッとした。
胸のドキドキがヤバくなってきたので、さっさと家に帰ろうとしたら、女の子が傘を返そうとした。
明日、返してくれればいい、と返事をして、急いで帰った。
次の日、やはりその女の子はいた。
俺を見つけると、大きな目を細くして、微笑みながら手を小さく振ってくれた。
周りの友達はザワザワとなっていたので、とても恥ずかしかった。
傘を受け取り、アイスを食べながら、友達からすごい質問攻めにあったが無視をした。
チラッとその女の子を見ると、やはり時計台とバス停の時刻表をせわしく見ていた。
そしていつも通りの日がまた何日か経った。
女の子は俺ら小学生に混じって、じゃんけん遊びやしりとりとか、いろんな遊びを一緒にした。
女の子の名前は千穂。
見たことも聞いたこともなかったから、最近よくある「カタカナ名前」か何かだろう、と思っていた。
ある日、家に帰って夕食を食べていると、母さんがこんな愚痴をこぼした。
「うちの病院に困った人がいるのよー。病室を抜け出しては遅くに帰ってきてなぁ。
どこで何しちょる(している)か知らんばってんが(けど)、
こげん暑い中、外に出ちょったら、責任とれんわぁ」
父さんは、
「ボケてるのか?大変だな」
「違うわよ、中学生の女の子でねぇ…。ガン(小児がんらしい)なんよ」
「へぇ。そりゃ困るなぁ」
「まぁ、先生(医者)もこりゃ治らんっち言いよるけん、
御両親も先生も、好きにさせりゃいい、とか言っちょるんよ」
母さんは病院の看護婦だった。
すぐ近くにある大きな病院だ。
千穂のことかな、と胸にグサッときた。
次の日。
いつも通り、チホ姉ちゃんはいた。
病院から抜け出す―…
母の愚痴が思い浮かんだ。
チホ姉ちゃんに、間違いない。
細い腕、細い脚、弱そうな感じは、いかにも病人らしかった。
その日、母さんにチホ姉ちゃんのことを言ってみた。
チホ姉ちゃんに間違いなかった。
俺は、チホ姉ちゃんが治らない病気になってることがショックだった。
その日はずいぶん泣いたと思う。
「死ぬ」っていうのはガキながらよく分かっていた。
じいちゃんが交通事故で即死したからだ。
あの悲しみが、じわじわと、胸に湧いていた。
次の日、チホ姉ちゃんの姿はなかった。
「俺が母さんにチクったから…?」
と、心配になって、アイスも買わず、さっさと家に帰った。
当然、母さんは帰ってきてないので、病院に電話をかけてみた。
「今日、チホ姉ちゃん、おらんかったけど、どしたん?」
「んー、今日ねぇ、ちょっとお姉ちゃんは体を悪くしちょるんよ」
「大丈夫なん?」
「大丈夫よ。でも、お姉ちゃんと遊ぶのは、もうやめたらどうなの?」
「なして」
「なしてって、、、」
この日から、チホ姉ちゃんが外に出てくることはなかった。
夏休みが終わるぐらいに、俺はチホ姉ちゃんのお見舞いに行くことにした。
母に連れられ、病室にいくと、とても痩せたチホ姉ちゃんがいた。
綺麗な黒髪も、今は何となくつややかさが消えていた。
チホ姉ちゃんは俺を見るなり、大きい目を細くして、微笑んでくれた。
「珍しいお客さんね」
「体大丈夫?」
「大丈夫よ」
チホ姉ちゃんは、ベッドの机で何か手紙を書いていたのを、俺から隠すように、裏にした。
「友達もみんな、チホ姉ちゃんが来なくなって寂しくなってさ」
ホントは俺が一番寂しかった。
「そっか。ごめんね。お姉ちゃん、体弱くて…」
「早く元気にならんといけんよ。待っちょる人がおるんやろ」
「そうね。元気にならんとね」
俺とチホ姉ちゃんは一日中、折り紙遊びやTVを見ながら過ごした。
次の日も、その次の日も、友達と遊ばずに、チホ姉ちゃんと過ごした。
夏休みが終わると、平日の夕方か、日曜日しか、チホ姉ちゃんに会えなくなった。
チホ姉ちゃんの親にも会った。
弟ができたみたいね、と俺を可愛がってくれた。
母さんも、「お姉ちゃんができて良かったわねぇ」と言ってくれていた。
そんな日が、ずっと続くと思ってはいなかった。
冬か、秋の終わりごろの土曜日だった思う。
俺は学校が終わるなり、すぐにチホ姉ちゃんに会いに行くのが日課だった。
いつも通り、いろんな話をしていると、チホ姉ちゃんが口を押さえて、白いベッドを真っ赤にした。
吐血した。
チホ姉ちゃんは真っ赤に染まった手でナースコールを押し、ベッドから転げ落ちた。
俺はどうすればいいのか分からなかった。
チホ姉ちゃん、チホ姉ちゃん、と泣き叫んでいたと思う。
すぐに看護婦がやってきて、色々と手当てをした。
俺は病室を追い出された。
廊下から、チホ姉ちゃんの血を吐く音、うなる音、咳き込む音が聞こえて怖くなった俺は、泣きながら家に走って帰った。
家に帰るなり、部屋にとじこもって泣きまくった。
夕飯も食べず、泣いて泣いて泣きまくった。
泣き疲れて、いつの間にか寝ていた。
起きたのは4時20分(時計を見たのをめちゃくちゃ覚えている)。
まだ暗かったが、玄関から物音が聞こえて起きた。
どうやら母さんらしく、俺の部屋に向かってくる足音が聞こえる。
母さんが俺の部屋のドアを開けた。
俺が起きているのに気づいて、目をカッと開いた。
「千穂ちゃん、死んじゃったわ…」
予期していた言葉だった。
とはいえ、全身をつらぬく言葉であった。
俺は返す言葉もなく、ただ押黙っていた。
母さんは静かにドアを閉めた。
チホ姉ちゃんは、もういないんだ―…
次の日、チホ姉ちゃんの通夜があった。
俺は親戚でもなんでもないので、行くことはできなかった。
葬式は、母が俺が風邪をひいた、と嘘をついて、葬式に行かせてくれた。
棺桶からチホ姉ちゃんの顔を見た。
ホント、今にも起きそうな顔だった。
体を触ると、現実を思い知らされることを知っていたので、触ることはできなかった。
チホ姉ちゃんの前では泣かない。
決めていた。
チホ姉ちゃんを焼き、骨壷にいれる時が来た。
お腹の部分の骨は全くなかった。
俺は震える手でチホ姉ちゃんをいれた。
変わり果てたチホ姉ちゃんを正視することすらできなかった。
葬式が終わって数日後、チホ姉ちゃんの母親から封筒がきた。
なんでも、チホ姉ちゃんが俺に手紙を封筒の中に残してくれていたという。
ユウトくんへ。
これをよんでいるということは、私はついに死んじゃったのね。
私が死んでどれくらいたったかな?
“死ぬ”って言っても、消えるわけじゃないんだよ。
ユウトくんから見えないだけで、
お姉ちゃんはずっと、ユウトくんを見てるよ。
ほら、今、となりにいるでしょう。
いつもびょうしつに入ってくるときに言うように「千穂姉ちゃん」ってよんでください。
私はあれを聞くのを、毎日楽しみにしていたよ。
今だって聞きたい。ユウトくん。
泣いてないよね?
元気あふれるユウトくんを見ていたいから。
おせわになりました。
楽しかった。
ありがとう。
10月12日
千穂姉ちゃんより。
それと、封筒の中に小さい封筒が一つあった。
手触りだがその封筒の仲には手紙が何枚かあった。
封筒には
「私のたいせつなひとに書いたお手紙です。見つけたらわたしてください」
と裏にあった。
チホ姉ちゃんからは、その「たいせつなひと」の話を全く聞いていなかった。
当然、俺に預けたって無駄って分かっていただろう。
じゃぁ何で俺に頼んだんだろ、と思った。
いつかは、「たいせつなひと」について話すつもりだったのだろう。
それを話す前に、あっけなくチホ姉ちゃんは死んでしまったが。
チホ姉ちゃんがあのバス停でずっと待っていたことを思い出した。
学校の帰りに、バス停に止まってバスから降りてくる人の中でチホ姉ちゃんと同じ中学生くらいの男子を探した。
いつでも会えていいように、ランドセルにはいつも封筒をいれていた。
あれから十数年。
結局、「たいせつなひと」に会えることはなかった。
家の大掃除をしていたら、タンスの中からあの封筒が出てきて思い出した。
チホ姉ちゃんとの不思議な夏の話でした。
その封筒は、まだ開けていない。
今の今までマジで忘れてた。
小学校の夏休みとか、遊びまくった覚えしかない。
俺は近所の男子と、夏休み中開放されていた学校の校庭で午後1時から体力づくりの名のもと遊んでいた。
※午前中は勉強しろ、と先生が言って、午前中は開放されてなかった。
んで、大体、午後5時くらいになって解散して、帰りの50円のアイスを商店街の、とある店で買っていた。
それを食べるとこは、あまり使われていない駐車場だった。
5時を過ぎると、アイスを食べて雑談している汗だらけの小学生でいっぱいだった。
駐車場のすぐ隣にはバス停と、バス停の後ろには公衆電話があった。
夏休みが始まってちょっと経ってからだったと思う。
いつも通り、駐車場でみんなでアイスを食べていて、バス停に目をやると、中学生ぐらいの女の子がいた。
目は大きい二重で、髪は肩ぐらいの黒髪で、背は150cmあるかないかだったと思う。
背は小さかったけど、大人な感じがした。
その女の子は、商店街にある時計台とバス停に書いてある時刻表をせわしく見ていた。
「誰かを待っちょるんかなぁ」と、その時は思っただけだった。
次の日、例の如くアイスを買いに行ったら、またあの女の子がいた。
相変わらず、時計台とバス停の時刻表をせわしく見ていた。
「恋人でも待っちょるんかなぁ」
と他人事のように思って、その恋人とやらが気になった。
しかし、家の門限が6時半までなので、そう長くは駐車場におれず、いつも6時ぐらいには駐車場でみんなは解散していた。
その女の子は、6時になっても、時計台とバス停をせわしく見ていた。
その次の日。
特別暑かった日だった。
友達が2人ぐらい倒れたと思う。
学校にいた事務の先生が
「今日は暑いけん、さっさと帰りんさい」
と言って、3時ぐらいに早くも家に帰されることになった。
友達数名と、アイスを買いに行ったら、また、バス停にあの女の子がいた。
時計台とバス停の時刻表をせわしく見ながら。
さすがに友達も女の子が気にかかり、
「昨日もおらんやったっけ?(いなかったっけ?)」
と口にした。
「ああ、いたね」
と、適当に返事をしたと思うが、この女の子は3時から待っていて、俺らが家に帰る6時以降もここにいるのか、と気付いて、すごく衝撃的だった。
この暑い中、誰を待ってるんだろう。
ガキながら、めちゃくちゃ気になっていた。
そして、いつも通りの日が続いて、日曜日になった。
日曜日は、学校が開放されていないので、みんなは家で遊ぶか暇を弄ぶぐらいだった。
俺はあの女の子が、何時からバス停にいるのだろう、と好奇心で、11時ぐらいにバス停へ向かった。
さすがにこの時間にはあの女の子はいなかった。
しばらく待っていよう、と持ってきたお金でアイスは何個か買って、駐車場に座って待っていた。
1時になるかならないかぐらいだった思う。
あの女の子がやって来た。
その足どりはとても不安定で、今にも転びそうなほど弱弱しかった。
また、この暑い中、誰かを待つのか―…
とりあえず、こんな暑い中、外にいると気が狂いそうになるからすぐに家に帰った。
そして4時ぐらいに、夕立が来た。
結構激しい雨だった。
あの女の子は、傘をもっていなかったことを思い出し、傘を持って行くことにした。
その女の子は濡れながら、バス停にたっていた。
傘を渡すと、
「あれ、さっきいた子?」
と聞いてきた。
とても高い声で、そして弱弱しかった。
「さっきもいたけど、いつもおるんで」
「あぁ…5時10分らへんになると、たくさん小学生が来るわね」
「学校の校庭で、遊んでるんだ」
「そう。楽しそうね」
「楽しいよ」
しばらく、沈黙が続いた。
雨が叩きつける音が、響いていた。
「なぁ。ここにいっつもおるけど、何しちょんの?(何をしているの?)」
しまった、首を突っ込みすぎたか、とガキながら、冷や汗をかいた。
「ははは。お姉ちゃんはね、ある人を待ってるの」
「ある人って恋人とか?」
「秘密」
その女の子は、大きな目を細くして微笑んだ。
ガキの俺は、少しドキッとした。
胸のドキドキがヤバくなってきたので、さっさと家に帰ろうとしたら、女の子が傘を返そうとした。
明日、返してくれればいい、と返事をして、急いで帰った。
次の日、やはりその女の子はいた。
俺を見つけると、大きな目を細くして、微笑みながら手を小さく振ってくれた。
周りの友達はザワザワとなっていたので、とても恥ずかしかった。
傘を受け取り、アイスを食べながら、友達からすごい質問攻めにあったが無視をした。
チラッとその女の子を見ると、やはり時計台とバス停の時刻表をせわしく見ていた。
そしていつも通りの日がまた何日か経った。
女の子は俺ら小学生に混じって、じゃんけん遊びやしりとりとか、いろんな遊びを一緒にした。
女の子の名前は千穂。
見たことも聞いたこともなかったから、最近よくある「カタカナ名前」か何かだろう、と思っていた。
ある日、家に帰って夕食を食べていると、母さんがこんな愚痴をこぼした。
「うちの病院に困った人がいるのよー。病室を抜け出しては遅くに帰ってきてなぁ。
どこで何しちょる(している)か知らんばってんが(けど)、
こげん暑い中、外に出ちょったら、責任とれんわぁ」
父さんは、
「ボケてるのか?大変だな」
「違うわよ、中学生の女の子でねぇ…。ガン(小児がんらしい)なんよ」
「へぇ。そりゃ困るなぁ」
「まぁ、先生(医者)もこりゃ治らんっち言いよるけん、
御両親も先生も、好きにさせりゃいい、とか言っちょるんよ」
母さんは病院の看護婦だった。
すぐ近くにある大きな病院だ。
千穂のことかな、と胸にグサッときた。
次の日。
いつも通り、チホ姉ちゃんはいた。
病院から抜け出す―…
母の愚痴が思い浮かんだ。
チホ姉ちゃんに、間違いない。
細い腕、細い脚、弱そうな感じは、いかにも病人らしかった。
その日、母さんにチホ姉ちゃんのことを言ってみた。
チホ姉ちゃんに間違いなかった。
俺は、チホ姉ちゃんが治らない病気になってることがショックだった。
その日はずいぶん泣いたと思う。
「死ぬ」っていうのはガキながらよく分かっていた。
じいちゃんが交通事故で即死したからだ。
あの悲しみが、じわじわと、胸に湧いていた。
次の日、チホ姉ちゃんの姿はなかった。
「俺が母さんにチクったから…?」
と、心配になって、アイスも買わず、さっさと家に帰った。
当然、母さんは帰ってきてないので、病院に電話をかけてみた。
「今日、チホ姉ちゃん、おらんかったけど、どしたん?」
「んー、今日ねぇ、ちょっとお姉ちゃんは体を悪くしちょるんよ」
「大丈夫なん?」
「大丈夫よ。でも、お姉ちゃんと遊ぶのは、もうやめたらどうなの?」
「なして」
「なしてって、、、」
この日から、チホ姉ちゃんが外に出てくることはなかった。
夏休みが終わるぐらいに、俺はチホ姉ちゃんのお見舞いに行くことにした。
母に連れられ、病室にいくと、とても痩せたチホ姉ちゃんがいた。
綺麗な黒髪も、今は何となくつややかさが消えていた。
チホ姉ちゃんは俺を見るなり、大きい目を細くして、微笑んでくれた。
「珍しいお客さんね」
「体大丈夫?」
「大丈夫よ」
チホ姉ちゃんは、ベッドの机で何か手紙を書いていたのを、俺から隠すように、裏にした。
「友達もみんな、チホ姉ちゃんが来なくなって寂しくなってさ」
ホントは俺が一番寂しかった。
「そっか。ごめんね。お姉ちゃん、体弱くて…」
「早く元気にならんといけんよ。待っちょる人がおるんやろ」
「そうね。元気にならんとね」
俺とチホ姉ちゃんは一日中、折り紙遊びやTVを見ながら過ごした。
次の日も、その次の日も、友達と遊ばずに、チホ姉ちゃんと過ごした。
夏休みが終わると、平日の夕方か、日曜日しか、チホ姉ちゃんに会えなくなった。
チホ姉ちゃんの親にも会った。
弟ができたみたいね、と俺を可愛がってくれた。
母さんも、「お姉ちゃんができて良かったわねぇ」と言ってくれていた。
そんな日が、ずっと続くと思ってはいなかった。
冬か、秋の終わりごろの土曜日だった思う。
俺は学校が終わるなり、すぐにチホ姉ちゃんに会いに行くのが日課だった。
いつも通り、いろんな話をしていると、チホ姉ちゃんが口を押さえて、白いベッドを真っ赤にした。
吐血した。
チホ姉ちゃんは真っ赤に染まった手でナースコールを押し、ベッドから転げ落ちた。
俺はどうすればいいのか分からなかった。
チホ姉ちゃん、チホ姉ちゃん、と泣き叫んでいたと思う。
すぐに看護婦がやってきて、色々と手当てをした。
俺は病室を追い出された。
廊下から、チホ姉ちゃんの血を吐く音、うなる音、咳き込む音が聞こえて怖くなった俺は、泣きながら家に走って帰った。
家に帰るなり、部屋にとじこもって泣きまくった。
夕飯も食べず、泣いて泣いて泣きまくった。
泣き疲れて、いつの間にか寝ていた。
起きたのは4時20分(時計を見たのをめちゃくちゃ覚えている)。
まだ暗かったが、玄関から物音が聞こえて起きた。
どうやら母さんらしく、俺の部屋に向かってくる足音が聞こえる。
母さんが俺の部屋のドアを開けた。
俺が起きているのに気づいて、目をカッと開いた。
「千穂ちゃん、死んじゃったわ…」
予期していた言葉だった。
とはいえ、全身をつらぬく言葉であった。
俺は返す言葉もなく、ただ押黙っていた。
母さんは静かにドアを閉めた。
チホ姉ちゃんは、もういないんだ―…
次の日、チホ姉ちゃんの通夜があった。
俺は親戚でもなんでもないので、行くことはできなかった。
葬式は、母が俺が風邪をひいた、と嘘をついて、葬式に行かせてくれた。
棺桶からチホ姉ちゃんの顔を見た。
ホント、今にも起きそうな顔だった。
体を触ると、現実を思い知らされることを知っていたので、触ることはできなかった。
チホ姉ちゃんの前では泣かない。
決めていた。
チホ姉ちゃんを焼き、骨壷にいれる時が来た。
お腹の部分の骨は全くなかった。
俺は震える手でチホ姉ちゃんをいれた。
変わり果てたチホ姉ちゃんを正視することすらできなかった。
葬式が終わって数日後、チホ姉ちゃんの母親から封筒がきた。
なんでも、チホ姉ちゃんが俺に手紙を封筒の中に残してくれていたという。
ユウトくんへ。
これをよんでいるということは、私はついに死んじゃったのね。
私が死んでどれくらいたったかな?
“死ぬ”って言っても、消えるわけじゃないんだよ。
ユウトくんから見えないだけで、
お姉ちゃんはずっと、ユウトくんを見てるよ。
ほら、今、となりにいるでしょう。
いつもびょうしつに入ってくるときに言うように「千穂姉ちゃん」ってよんでください。
私はあれを聞くのを、毎日楽しみにしていたよ。
今だって聞きたい。ユウトくん。
泣いてないよね?
元気あふれるユウトくんを見ていたいから。
おせわになりました。
楽しかった。
ありがとう。
10月12日
千穂姉ちゃんより。
それと、封筒の中に小さい封筒が一つあった。
手触りだがその封筒の仲には手紙が何枚かあった。
封筒には
「私のたいせつなひとに書いたお手紙です。見つけたらわたしてください」
と裏にあった。
チホ姉ちゃんからは、その「たいせつなひと」の話を全く聞いていなかった。
当然、俺に預けたって無駄って分かっていただろう。
じゃぁ何で俺に頼んだんだろ、と思った。
いつかは、「たいせつなひと」について話すつもりだったのだろう。
それを話す前に、あっけなくチホ姉ちゃんは死んでしまったが。
チホ姉ちゃんがあのバス停でずっと待っていたことを思い出した。
学校の帰りに、バス停に止まってバスから降りてくる人の中でチホ姉ちゃんと同じ中学生くらいの男子を探した。
いつでも会えていいように、ランドセルにはいつも封筒をいれていた。
あれから十数年。
結局、「たいせつなひと」に会えることはなかった。
家の大掃除をしていたら、タンスの中からあの封筒が出てきて思い出した。
チホ姉ちゃんとの不思議な夏の話でした。
その封筒は、まだ開けていない。
posted at 2012/03/24 0:06:47
lastupdate at 2012/03/24 14:24:20
【修正】
2011/09/02
[泣ける話]
美奈子ちゃんがくれた手紙は、宝物になってしまいました
筆不精の僕は、いつも電話でした
実はこれが初めての手紙です
美奈子ちゃんには たくさんのびっくりをもらいました
初めて会って食事をした時 みんなビールなのに
美奈子ちゃんだけニッコリ笑って冷酒で乾杯しました
びっくりしました
けいこ中マット運動でむち打ちになり コルセットでけいこ場にいました
びっくりしました
苦しいけいこの中 美奈子ちゃんの笑顔はけいこ場の空気を変えてくれました
けいこ場の天使でした
びっくりしました
本番に入ってからも強靱な精神力 そしてその存在感
びっくりしました
あなたはいつもまじめでした
あなたはいつも一生懸命でした
あなたはいつも謙虚でいました
あなたはいつも仲間のことを考えていてくれました
あなたはいつも人に優しかった
美奈子ちゃんには言わなかったけど 仲間がいつも言っていた事
美奈子ちゃんは本当にいい子でした
いい子でした
こんなにいい子にはもう二度と出会えないでしょう
たくさんの優しさをありがとう そして病気との闘い偉かったです
美奈子ちゃんはずっとがんばっていたのに
「がんばれ!がんばれ!」って言ってゴメンね
本当にがんばりぬきました
これからも美奈子ちゃんのことをいっぱい自慢します
自慢させて下さい
美奈子ちゃんにとって本当に貴重だった時間を一緒にいれた事
幸せに思います
美奈子ちゃんと約束した また同じ舞台に立つという事はできなかったけど
僕たちはまたがんばって舞台づくりをしていきます
これからはいつも美奈子ちゃんが見ているのでさぼれません
いつまでも僕たちを見守っていて下さい
本当の天使になった美奈子ちゃんへ
岸谷五朗
posted at 2012/03/14 18:34:53
lastupdate at 2012/03/14 23:12:15
【修正】
2011/09/03
[泣ける話]
ある日私は夢を見ました
浜辺を神とともに歩いている夢を
海の向こうの大空に
私の今までの人生の光景がはっきりと写し出され
どの光景の前にも浜辺を歩いている
神と私の二組の足跡がありました
最後の光景まで来たときに振り返ってみると
所どころ足跡が一つしかないことに気づきました
そして、それはいつも私が苦境に落ちて
悲しみに打ちひしがれているときでした
私は、あえて神に尋ねました
私があなたについていくと言ったとき
いつも私のそばにいてくださると約束されたのに
どうして私が一番あなたを必要としているとき、
私を見放されたのですか
神は答えておっしゃいました
私の大切な愛しい子よ
私は決してあなたのそばを離れたことはない
あなたが見た一つの足跡
それは苦しみや悲しみに傷ついたあなたを
そっと抱き上げて歩いた私の足跡なのだと
ある日、私は夢を見ました
浜辺を神とともに歩いている夢を
マーガレット・パワーズ
浜辺を神とともに歩いている夢を
海の向こうの大空に
私の今までの人生の光景がはっきりと写し出され
どの光景の前にも浜辺を歩いている
神と私の二組の足跡がありました
最後の光景まで来たときに振り返ってみると
所どころ足跡が一つしかないことに気づきました
そして、それはいつも私が苦境に落ちて
悲しみに打ちひしがれているときでした
私は、あえて神に尋ねました
私があなたについていくと言ったとき
いつも私のそばにいてくださると約束されたのに
どうして私が一番あなたを必要としているとき、
私を見放されたのですか
神は答えておっしゃいました
私の大切な愛しい子よ
私は決してあなたのそばを離れたことはない
あなたが見た一つの足跡
それは苦しみや悲しみに傷ついたあなたを
そっと抱き上げて歩いた私の足跡なのだと
ある日、私は夢を見ました
浜辺を神とともに歩いている夢を
マーガレット・パワーズ
posted at 2012/03/14 22:44:32
lastupdate at 2012/03/14 22:44:32
【修正】
2011/09/04
[泣ける話]
Q
私は現在ネットでしりあった旦那と一年半の遠距離を大恋愛で一緒になりました。旦那はこれからも気持ちは変わらないと言ってくれますが実際に時間がたてば冷めるのでしょうか?みなさんは結婚後何かかわりましたか?愛ってどう感じてますか?
(大阪府・くまさん さん)
A
■愛は与えることとかって言う人いるけど、そんなの自己満足だと思うの。愛ってもっと時間とか経験で変化して「いてくれるだけでいい」ってなると思う。
●愛は、結局、「いてくれるだけでいい」に変化する
■昔は強く愛してましたね。幸せすぎる!って時もありましたよ。今は強い愛はありませんが幸せです。
●愛はなくなっても、気持ちはさめないように、さめられないように
■僕はただいま大学一年です。中高男子onlyだった為女性と接するのはここが初めてとなります。今片思い中なので性格や価値観の違いなどはどうでもよくなってしまいます。
●性格や価値感なんてどうでもいい。ただ思い合えばいい。ベストパートナーになれればいい。
■新婚の時は幸せですね。私もそうだったし・・・でも子供が出来てしまうと自然と子供のが大事になってきてしまうんですよね。主人の嫌な所ばかり見えてしまって・・・
●新婚の時は幸せ。だが、きっと愛なんてなくなる。子供のほうが大事になる。
■最高のパートーナーというのは、空気みたいなものなのかなって思ったりはします。いつもはあるのかないのか気には留めないのだけどいつもそこにあってなくては困るもの。
●最高のパートナーは空気みたいなもの。
■私は最初、だんなが嫌いで嫌いでたまりませんでした。
でも、今は毎日1つずつ好きになっていってる気がします。
●恋愛はわからない。最初嫌いでも、一つ一つ好きになっていく
■結婚して7年目、一緒に暮らして11年目です。時間が経つにつれて変化したものはたくさんありますが、ただ一つ変わらないものがあります。
お互いに唯一無二の存在だと思う気持ちです。それが「愛」だと思っています。
●当然、気持ちは変わっていく。でも変わらないもの。お互いを無二の存在だと思う気持ち。それが、愛。
■結婚して約1年ですが、新婚当時と全く変わりません。家族という意識はあるけれど、夫婦でもちゃんと恋愛していますよ。
旦那が家にいる時、スッピンでいると「自分の前でもきれいにしてよぉー」とスネます。独身の時は、いつも一緒というわけには行かないので今は幸せですよ。
●パートナーが「綺麗にしてよ」とスネる気持ち。それを喜ぶ気持ち。
■そういえば結婚したての頃は妙な不安があったような〜..十数年経つと同士的感覚になってます。二人の関係はカップルによって様々ですよ。
●結婚したては誰もが不安。時を経て、自分の気持ちの変化を楽しむのがいい
■愛って与えるだけじゃいけませんよね?やっぱいただかないと。愛って貯金できないからたまらないんですよねぇ・・・
うちも愛情が情へとかわりつつあります、かなしい現実ですけど。人それぞれ愛の表現の仕方ってちがいますから、ホント難しい
●愛って貯金できないもの。愛は情にかわる。ホント難しい。
■うちは私が大学生の時に当時高校生だったバイト先の客とつきあうようになって。それが旦那です。
結婚する前は私のほうが「大人の女」みたいな感じで向こうが頑張ってくれてたのに、今は扱い悪い!でも嫌いになったわけでもなく、他に女ができたわけでもなく、彼なりには大事に思ってくれているみたいです。
●結婚すると、愛情の形や表現方法が自然と変わる
■私は、一緒に住み始めて7年が経ちますが今でもラブラブですよ!まだ子供はいませんがお風呂に入るときもご飯を食べるときも全て一緒です。休みの日も一緒に遊びます。
姑のことでたまに喧嘩もするけどすぐ仲直りします。二人の性格と価値観ががっちり合えばずーっとラブラブでいられるような気がします。
●二人の性格と価値観が合えば、なんでも乗り越えられる
■うちは結婚まだですが、ダラけてしまって、いつでもいいかーってな感じです。それでも愛情だけはなくならないと確信してます(笑)
一緒にいる時、素の自分でいられること、すぐに眠れること。私がイチバン幸せで愛情感じられるときです。
●一緒にいて素になれること、すぐに眠れること。それが一番愛情を感じられる瞬間。
■ある男性と七年付き合った後知り合った今の主人とは1年3ヶ月の交際を得て結婚しました。
熱々の関係を続けるのは無理だけど、安心感とか信頼とか色々な意味で今はとても幸せです。結婚は人生と同じなので色々ありますが今が幸せなら良いのでは?
●人間性が大切。安心感、信頼感があればいい。
■みなさんお若くて羨ましい(笑)私たちは来年には銀婚式を迎えます。学生結婚で貧乏の極みから家を持ち、一人娘は大学を卒業させて、贅沢は出来ないけれど二人でボウリングを楽しんだりタンデムツーリングをしたりと。
今でもしっかり、ときめいて愛し合っています(笑)
●銀婚式でも、今でもときめいて愛し合ってる
■わたしも冷めてますね。
子供ができたら変わるかも知れませんよ?
できればそのままの気持ちを持ちつづけられればいいのでしょうが難しいですね。今の気持ちを大切に。
●愛は覚める。でも子供が出来たら変わるかも・・・。今の気持ちが大切に
■わたしも知り合って半年後には籍を入れてました(笑)。
丸12年になりますが、今は空気のような存在?
居て当然の相棒といった感じです。
うまく言えないけど、冷めるというより、落ち着く?紐でグルグル巻きにするのではなく、風呂敷みたいな愛情(なんだそりゃ)って感じです。
●今では紐でぐるぐる巻きでなく、風呂敷で包むような愛です。
■私は結婚して2年目です。う〜ん。旦那にドキドキするようなことはもうありません。言うならば恋愛の愛というより仲間・同志愛かなぁ。
今、これを書いてる時に隣りで旦那がオナラしてヘラヘラ笑ってます。
●恋愛の愛より、仲間・同士愛になっています
■私は旦那にビビビッときてすぐ1年後に結婚しました。何に関しても私の理想どうり。今は3年目。幸せと感じてもいましたが子供が出来幸せだけど子供の方に目がいくので幸せ過ぎで心配はしなくなりますよ。
●今幸せで十分だと思う
posted at 2012/03/14 12:53:52
lastupdate at 2012/03/14 23:05:48
【修正】
2011/09/06
[泣ける話]
母親というのは無欲なものなのです
我が子がどんなに偉くなるよりも
どんなにお金持ちになるよりも
毎日元気でいてくれる事を
心の底から願います
どんなに高価な贈り物より
我が子の優しいひとことで
十分すぎるほど幸せになれる
母親というものは
実に本当に無欲なものです
だから母親を泣かすのは
この世で一番いけないことです
我が子がどんなに偉くなるよりも
どんなにお金持ちになるよりも
毎日元気でいてくれる事を
心の底から願います
どんなに高価な贈り物より
我が子の優しいひとことで
十分すぎるほど幸せになれる
母親というものは
実に本当に無欲なものです
だから母親を泣かすのは
この世で一番いけないことです
posted at 2012/03/14 21:55:10
lastupdate at 2012/03/14 22:59:34
【修正】
2011/09/07
[泣ける話]
・・・以前も言ったように、父が末期ガンで余命僅か。
最近、担当の先生のこと、あんまり好きじゃない事に気がついた。というのも、自信満々で余命の日数を言うんだよね。おまけに毎週話を聞くと、2週づつ父の余命は短くなっていく始末。
患者やその家族にとって、医者っていうのは、
"I can change your world, I'll be the sunrise in your universe"なんです(歌詞間違ってるかも)。
余計な気遣いはかえって残酷とでも思ってるのでしょうが、言い切られている家族はたまったもんじゃないです。
だって希望がまったく絶たれてしまうわけでしょう。
別に末期がん宣告をされたら、99%死ぬって患者の家族も覚悟はできてるハズ。今更「あんときそう言ったじゃねーか」って、訴えるようなことはしませんよ。
せめて一言、
「人間の体なので良くなることもあるかもしれないですよ」と。
看護する方だって、その一言があれば、まだ精神的に少しは楽になれます。「余命なんてそう簡単に言うもんじゃない」と怒っていたわけが分かったよ。
だけど、医者の身にしたら、言い切ってしまったほうが、何かと仕事は楽なんでしょうね。これを読んでいる皆さんの友人、知人、愛人で、末期がん患者を扱うお医者さんがいたら、
「人の体っつーもんは分かんねもんさ」
と一言付け加えてくれるよう、頼んでおくんなせい。
最近、担当の先生のこと、あんまり好きじゃない事に気がついた。というのも、自信満々で余命の日数を言うんだよね。おまけに毎週話を聞くと、2週づつ父の余命は短くなっていく始末。
患者やその家族にとって、医者っていうのは、
"I can change your world, I'll be the sunrise in your universe"なんです(歌詞間違ってるかも)。
余計な気遣いはかえって残酷とでも思ってるのでしょうが、言い切られている家族はたまったもんじゃないです。
だって希望がまったく絶たれてしまうわけでしょう。
別に末期がん宣告をされたら、99%死ぬって患者の家族も覚悟はできてるハズ。今更「あんときそう言ったじゃねーか」って、訴えるようなことはしませんよ。
せめて一言、
「人間の体なので良くなることもあるかもしれないですよ」と。
看護する方だって、その一言があれば、まだ精神的に少しは楽になれます。「余命なんてそう簡単に言うもんじゃない」と怒っていたわけが分かったよ。
だけど、医者の身にしたら、言い切ってしまったほうが、何かと仕事は楽なんでしょうね。これを読んでいる皆さんの友人、知人、愛人で、末期がん患者を扱うお医者さんがいたら、
「人の体っつーもんは分かんねもんさ」
と一言付け加えてくれるよう、頼んでおくんなせい。
posted at 2012/03/14 12:43:41
lastupdate at 2012/03/14 23:11:30
【修正】
[泣ける話]
人は生れ落ちた瞬間、誰もが祝福の光を浴びている。幾筋もの光が、困難な生を導くために、それぞれが歩いていく道を照らしている。
生きることは次第にその光を見失う行為だ。
星のように無数にきらめいていた光はつぎつぎと消え、やがて三つになり二つになり、ついに一つになる。そしてその最後の光が絶えた瞬間、人は闇に呑み込まれ自らを喪失する。
生の最中、我々は死の中にいる。
誕生の瞬間から常に人間は、いつ死ぬか分からない可能性がある。そしてこの可能性は必然的に遅かれ早かれ既成事実になる。
理想的にはすべて人間が人生の一瞬一瞬を、次の瞬間が最後の瞬間となるかのように生きなければならない。
次の瞬間が最後の瞬間であるのなら、どの瞬間も光輝く至上の時間なのだ。
本当に愛し合っていれば、セックスは一瞬一瞬があたかも小さな死なのだと彼女は言った。
まるで心中したような気持ちになって、嫌なことは消えうせ、自分さえも忘れることができるのだと。
そして世界は美しく姿を変え、この世のありとあらゆるものすべてを愛することが可能になるのだと―。
次の瞬間が死であるからこそ、いまこの瞬間を失ってはならないと私は生きてきた。しかし、彼女は愛によって一瞬一瞬を小さな死として受容できるのだ。
それは男には獲得できない感覚だ。男はどうあがいてみても一度きりの生をただ遮二無二駆け抜けるしかない。
だが、女は自らの生を瞬間瞬間で再生していく。
一瞬の光から
posted at 2012/03/14 18:31:07
lastupdate at 2012/03/14 18:31:07
【修正】
2011/09/14
[泣ける話]
俺、小さい頃に母親を亡くしてるんだ。
それで中学生の頃、恥ずかしいくらいにぐれた。
親父の留守中、家に金が無いかタンスの中を探しているとビデオテープがあったんだ。
俺、親父のエロビデオとかかな?なんて思って見てみた。
そしたら・・・
病室のベットの上にお母さんがうつってた。
『〇〇ちゃん二十歳のお誕生日おめでと。なにも買ってあげれなくてゴメンね。 お母さんがいなくても、〇〇ちゃんは強い子になってるでしょうね。 今頃、大学生になってるのかな?もしかして結婚してたりしてね・・・』
10分くらいのビデオテープだった。
俺、泣いた、本気で泣いた。
次ぎの瞬間、親父の髭剃りでパンチパーマ全部剃った。
みんなにバカにされるくらい勉強した。
俺が一浪だけどマーチに合格した時、
親父、まるで俺が東大にでも受かったかのように泣きながら親戚に電話してた。そんで、二十歳の誕生日に、案の定、親父が俺にテープを渡してきた。
また、よく見てみたら。
ビデオを撮ってる親父の泣き声が聞こえてた。
お母さんは、笑いながら『情けないわねぇ』なんて言ってるんだ。
俺また泣いちゃったよ。
父親も辛かったんだろうな、
親父にそのこと言ったら、知らねーよなんて言ってたけど、
就職決まった時、
親父が『これでお母さんに怒られなくて済むよ』なんていってた
俺このビデオテープがあったからまっとうに生きられてる。
お父さん、お母さん、ありがとうございます。
※マーチ:明治、青学、立教、中央、法政の頭文字を取った関東有名私大
それで中学生の頃、恥ずかしいくらいにぐれた。
親父の留守中、家に金が無いかタンスの中を探しているとビデオテープがあったんだ。
俺、親父のエロビデオとかかな?なんて思って見てみた。
そしたら・・・
病室のベットの上にお母さんがうつってた。
『〇〇ちゃん二十歳のお誕生日おめでと。なにも買ってあげれなくてゴメンね。 お母さんがいなくても、〇〇ちゃんは強い子になってるでしょうね。 今頃、大学生になってるのかな?もしかして結婚してたりしてね・・・』
10分くらいのビデオテープだった。
俺、泣いた、本気で泣いた。
次ぎの瞬間、親父の髭剃りでパンチパーマ全部剃った。
みんなにバカにされるくらい勉強した。
俺が一浪だけどマーチに合格した時、
親父、まるで俺が東大にでも受かったかのように泣きながら親戚に電話してた。そんで、二十歳の誕生日に、案の定、親父が俺にテープを渡してきた。
また、よく見てみたら。
ビデオを撮ってる親父の泣き声が聞こえてた。
お母さんは、笑いながら『情けないわねぇ』なんて言ってるんだ。
俺また泣いちゃったよ。
父親も辛かったんだろうな、
親父にそのこと言ったら、知らねーよなんて言ってたけど、
就職決まった時、
親父が『これでお母さんに怒られなくて済むよ』なんていってた
俺このビデオテープがあったからまっとうに生きられてる。
お父さん、お母さん、ありがとうございます。
※マーチ:明治、青学、立教、中央、法政の頭文字を取った関東有名私大
posted at 2012/03/14 8:16:39
lastupdate at 2012/03/14 8:16:39
【修正】
2011/09/19
[泣ける話]
もし時というものがなかったら
あなたはいつまでも
孤独で悩み続け
永久にすくわれないでしょう
時がたつからこそ
あなたは悩みも辛いことも
解決してゆくのよ
時間のおかげなのよ
posted at 2012/03/14 16:28:43
lastupdate at 2012/03/14 16:28:43
【修正】
2011/09/23
[泣ける話]
主人は3年前に左目を失明した
義眼を入れているので、見た目は言われなければわからない
その失明した原因は当時1歳7ヶ月だった息子とじゃれあって遊んでいた時
おもちゃの先端が主人の左目に運悪く刺さってしまったからだ
事故当時、主人より息子の方が泣き叫んでいたように感じる
子供心にただ事ではないことを感じていたんだろう傷の具合が良くなくなってから主人は、自分の運転中に
何かあってはならない、と思い車の運転をやめた趣味だったバイクも売った
ただ、いつの日か後ろに乗せて一緒に出かけるために、
息子の1歳の誕生日に買った新品の子供用ヘルメットはまだ家にある
4歳を過ぎた息子は今、父親の左目が見えないことも、なぜそうなったかも、まだ知らないはずだ
言ってはならないと主人にきつく言われているし、私自身わざわざ教える必要もないと思っているからだひょっとしたらもう父親の異変に気づいてるのかも知れない
主人は今日も息子と一緒に公園に出かけ、大はしゃぎしながら帰ってきた
いずれ父の左目が見えないことも、その理由も知る時が必ずやってくるだろう
だけど私には泣きじゃくる息子の頭を笑顔で撫でている主人しか想像できない主人が、父親が、彼で本当によかったと感謝の気持ちでいっぱいです
義眼を入れているので、見た目は言われなければわからない
その失明した原因は当時1歳7ヶ月だった息子とじゃれあって遊んでいた時
おもちゃの先端が主人の左目に運悪く刺さってしまったからだ
事故当時、主人より息子の方が泣き叫んでいたように感じる
子供心にただ事ではないことを感じていたんだろう傷の具合が良くなくなってから主人は、自分の運転中に
何かあってはならない、と思い車の運転をやめた趣味だったバイクも売った
ただ、いつの日か後ろに乗せて一緒に出かけるために、
息子の1歳の誕生日に買った新品の子供用ヘルメットはまだ家にある
4歳を過ぎた息子は今、父親の左目が見えないことも、なぜそうなったかも、まだ知らないはずだ
言ってはならないと主人にきつく言われているし、私自身わざわざ教える必要もないと思っているからだひょっとしたらもう父親の異変に気づいてるのかも知れない
主人は今日も息子と一緒に公園に出かけ、大はしゃぎしながら帰ってきた
いずれ父の左目が見えないことも、その理由も知る時が必ずやってくるだろう
だけど私には泣きじゃくる息子の頭を笑顔で撫でている主人しか想像できない主人が、父親が、彼で本当によかったと感謝の気持ちでいっぱいです
posted at 2012/03/23 23:58:48
lastupdate at 2012/03/23 23:58:48
【修正】