クニフロの泣ける話、感動する話まとめ
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2012/09/14
今でも、思い出すと罪悪感で一杯になるんですが…忘れないために書きます。
高校一年の頃、母は病気で車を運転したり、台所に立つのも困難でした。
父もその頃は普及しはじめた携帯での出会い系(当時は携帯会社公式のメル友を募集する
コーナーがあった)で遊ぶようになり、収入はなく、養護学校に通う弟のこともあって学
校を辞めること、自分もバイトして稼がなくてはいけないことにプレッシャーがありまし
た。
全てが、自分の肩にかかるのだと。
とりあえず三学期一杯は学校に通い、バイトを始めました。
初めてのバイトであまりうまく行かず、疲れだけを感じてたある日、父がバイト先に迎え
に来ました。
帰りにすき家で牛丼を食べたのですが、家にいる母と弟のことまで気が回りませんでし
た。
家に帰ると食事をしてない二人。冷蔵庫はほぼ空に近く、自分のことばっかりな自分と、
二人のことを無視する父に腹が立ちました。
情けなくて、自分たちの帰りを待ってた二人に申し訳なくて、今思い出しても泣きたくな
ります。

母はその二年後にあちらへ逝き、ばらばら気味だった家族が一緒にいることは叶わなくな
りました。
あの時、どうして家で食べると言わなかったのか。
どうして二人の分を持ち帰ろうとしなかったのか。
牛丼を見る度、あの時の二人の顔を思い出して痛いです
posted at 2012/09/14 0:34:17
lastupdate at 2012/09/14 0:34:17
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うちの親父はかなりボケが進み 脳味噌プリン状態
息子である俺の顔もわからんようだが台所に立たせると
スイッチが入ったかのように豹変し、マシーンのように一切無駄な動きをせずに
酢飯の仕込みから魚の捌きまでを黙々とこなし
現役時代となんら変わることのない熟練の手つきで寿司を握る

その時、親父には家族は客にしか見えてないようで普段のフガフガした口調とはガラリと変わり
威勢のいい声で「へいらっしゃい なに握りやしょうか?」
おかげで我が家は月に一度、達人の本格江戸前寿司を味わえるのであった

初めはボケの進行を抑えるためのリハビリの一環のつもりだったが
さすがは13歳から寿司を握り続ける父
ボケてもなお衰えぬその手さばきには感嘆を漏らすしかなかった
「ホントにあんたは寿司バカなんだねぇ」
とは、いつも涙をぬぐいながら寿司を食べる俺の母の談である
posted at 2012/09/14 0:34:17
lastupdate at 2012/09/14 0:34:17
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2012/09/17
最後の文字

2年前の8月10日、大好きだったじぃちゃんが亡くなりました。
私は小さい時からよくじぃちゃん家に泊まりに行ってました。泊まりに行くたびにいろん
な事を教えてくれました。
本当に優しくてみんなから頼りにされていて絶対にツライと言わない人でした。じぃちゃ
んの病名は「肝臓ガン」。その事は私の親夫婦と叔父夫婦だけにつげられました。私達孫
とじぃちゃんとばぁちゃんは何も知らず3年間は今まで通りの生活をしていたのでした。
しかし、だんだん病気が進行し入退院を繰り返すようになりました。検査入院だと本人や
周りに嘘をついていた叔父夫婦や親夫婦もとても辛かったと思います。じぃちゃんはお見
舞いに行くたびに決まって「いつ帰れるんだ」と聞いていました。早く帰って仕事がした
いと…そんな体じゃなかったのに…お腹が妊婦さんのようにふくれあがりご飯が食べれな
くなって息も苦しそうで家に帰ってきても寝てるばかりでした。そして、ツライはずなの
に明るく笑うのです。そして最後の入院。その時に私達やばぁちゃんに「今度が最後の入
院だ」と言う事がしらされました。実感がわかず、ただ早く病院に行きたいと思いまし
た。

1週間後じぃちゃんは亡くなりました。じぃちゃんの最後は親戚みんなにみとられ静かに
最後までツライと言わず安らかな顔でじぃちゃんらしく亡くなりました。
じぃちゃんの人柄かお葬式にはたくさんの人が来てくれてみんな泣いて悲しんでくれまし
た。みんなじぃちゃんに感謝していました。

後日、遺品整理をしていると一冊のノートがでてきました。それはツライ中もうろうとし
た意識の中で書いたノートでした。そこには「もうかんねんした。泣き父母弟が迎えにき
た。もう長くない…(自分が病気なのを)黙っていたのはすべて私を思ってのため、辛かっ
ただろう。ありがとう。もうあきらめよう。楽しかった。ありがとう…」と、最後に入院
する日に家で書いたらしい…じぃちゃんは全部わかってたんだ…だから最後の入院では家
に帰りたいって言わなかったんだ。
もっといっぱい喋ればよかった。
もっと優しくすればよかった。
もっと感謝すればよかった。

でも、いつか言ってた「すぐツライと言うのはほんとはツラくないんだよ」って。その言
葉忘れない。
優しい気持ち忘れない。
じぃちゃんみたいにみんなに頼られて誰にでも優しくて明るくてがまん強い人になる。あ
りがとう。じぃちゃん…忘れないよ…
posted at 2012/09/17 0:15:57
lastupdate at 2012/09/17 0:15:57
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2012/09/26
大好きだった君。

かれこれしつこく一年以上思い続けてゴメン。
でもちゃんと望みないこと知っててもこの気持ちは消えてくれないんだ。

理屈じゃないんだよね。

それでも君にこの気持ち伝えた。
色々考えたのに言えたのは『ずっと好きでした!付き合ってください』だけ。
笑っちゃうくらい短くて。
君は黙ってたよね…。私の気持ちきっと迷惑だったかな。

結果はやっぱり×。
私のあなたへの長い旅はやっと終わった。

君への気持ちが重くて毎日歩くのがとても大変だった。それでもあなたに触れたくて、話
したくて、声を聞きたくて頑張って歩いてた。

でも……
それも終わりだね。

私の気持ちは
あなたのおかげで死んだから。

ありがとう。私は今相変わらず不器用ながらにもゆっくり前に歩いてるよ。

傷付いた心を直しながらゆっくりと。

あなたには幸せになってほしい。

私は何よりもそれを願っています。
posted at 2012/09/26 0:04:18
lastupdate at 2012/09/26 0:04:18
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8年前父が他界しました。
弱いくせに、お酒ばかり飲んでいたのが原因。
 
 私が高校生の頃から飲みすぎで肝不全になりかけて何度も救急車で運ばれ、入退院を繰
り返す日々。
 そんなとき、酔っ払っては暴れだす父に長年耐えてきた母が家を出て行った。

 それからの父は更にお酒を飲むようになって、何人もの職人さんを抱えてやっていた会
社も結局はなくなって。

 もうその頃には何度も意識がなくり、病院に運ばれ人工呼吸器までつけられるときも
あった、でもそのたびに持ち直して、退院してはまた飲んで・・・。

 そんなときが数年続いていて、もういい加減どうでもよくなっていた私は、病院にもほ
とんど足を運ばなくなっていた。

 心のどこかで、また持ち直して帰ってくると思っていたのだと思う。
 
 小さい頃はいつも父親についていって、常に父親と一緒にいたのに、あんなに大好き
だったのに。

 そんなある日、久しぶりに父親の病室に顔を覗かせた。
 すぐに帰るつもりだったけど、少ししんどそうだったので、ちょっとだけ長くそばにい
て話をした。

 少ない会話だったけど、私は父親に「もういい加減ちゃんとしよ、私もがんばるから、
お父さんもがんばろ」って。

それが遅すぎる最後の一言

 その翌日に意識がなくなってそのまま逝ってしまった。

 なんでもっと優しくできなかったんだろう、なんでもっと話さなかったんだろう。

 あんなに優しくしてくれたのに、あんなに可愛がってくれたのに。

何もしなかった自分に腹が立つし、後悔してる。
 
今更だけどお父さんごめんね。
 
いっぱい愛してくれてありがとう。

本当に本当にありがとう。
posted at 2012/09/26 0:04:18
lastupdate at 2012/09/26 0:04:18
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