クニフロの泣ける話、感動する話まとめ
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インターネットで公開している、泣ける話、感動する話をまとめています。号泣できる話から、ほっこりと心温まる話をいろいろ集めてますので、楽しんでください。

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2011/09/04



私は現在ネットでしりあった旦那と一年半の遠距離を大恋愛で一緒になりました。旦那はこれからも気持ちは変わらないと言ってくれますが実際に時間がたてば冷めるのでしょうか?みなさんは結婚後何かかわりましたか?愛ってどう感じてますか?

(大阪府・くまさん さん)





■愛は与えることとかって言う人いるけど、そんなの自己満足だと思うの。愛ってもっと時間とか経験で変化して「いてくれるだけでいい」ってなると思う。



●愛は、結局、「いてくれるだけでいい」に変化する


■昔は強く愛してましたね。幸せすぎる!って時もありましたよ。今は強い愛はありませんが幸せです。



●愛はなくなっても、気持ちはさめないように、さめられないように


■僕はただいま大学一年です。中高男子onlyだった為女性と接するのはここが初めてとなります。今片思い中なので性格や価値観の違いなどはどうでもよくなってしまいます。



●性格や価値感なんてどうでもいい。ただ思い合えばいい。ベストパートナーになれればいい。


■新婚の時は幸せですね。私もそうだったし・・・でも子供が出来てしまうと自然と子供のが大事になってきてしまうんですよね。主人の嫌な所ばかり見えてしまって・・・



●新婚の時は幸せ。だが、きっと愛なんてなくなる。子供のほうが大事になる。


■最高のパートーナーというのは、空気みたいなものなのかなって思ったりはします。いつもはあるのかないのか気には留めないのだけどいつもそこにあってなくては困るもの。



●最高のパートナーは空気みたいなもの。



■私は最初、だんなが嫌いで嫌いでたまりませんでした。
でも、今は毎日1つずつ好きになっていってる気がします。



●恋愛はわからない。最初嫌いでも、一つ一つ好きになっていく


■結婚して7年目、一緒に暮らして11年目です。時間が経つにつれて変化したものはたくさんありますが、ただ一つ変わらないものがあります。

お互いに唯一無二の存在だと思う気持ちです。それが「愛」だと思っています。



●当然、気持ちは変わっていく。でも変わらないもの。お互いを無二の存在だと思う気持ち。それが、愛。


■結婚して約1年ですが、新婚当時と全く変わりません。家族という意識はあるけれど、夫婦でもちゃんと恋愛していますよ。

旦那が家にいる時、スッピンでいると「自分の前でもきれいにしてよぉー」とスネます。独身の時は、いつも一緒というわけには行かないので今は幸せですよ。



●パートナーが「綺麗にしてよ」とスネる気持ち。それを喜ぶ気持ち。


■そういえば結婚したての頃は妙な不安があったような〜..十数年経つと同士的感覚になってます。二人の関係はカップルによって様々ですよ。



●結婚したては誰もが不安。時を経て、自分の気持ちの変化を楽しむのがいい


■愛って与えるだけじゃいけませんよね?やっぱいただかないと。愛って貯金できないからたまらないんですよねぇ・・・

うちも愛情が情へとかわりつつあります、かなしい現実ですけど。人それぞれ愛の表現の仕方ってちがいますから、ホント難しい



●愛って貯金できないもの。愛は情にかわる。ホント難しい。



■うちは私が大学生の時に当時高校生だったバイト先の客とつきあうようになって。それが旦那です。

結婚する前は私のほうが「大人の女」みたいな感じで向こうが頑張ってくれてたのに、今は扱い悪い!でも嫌いになったわけでもなく、他に女ができたわけでもなく、彼なりには大事に思ってくれているみたいです。



●結婚すると、愛情の形や表現方法が自然と変わる


■私は、一緒に住み始めて7年が経ちますが今でもラブラブですよ!まだ子供はいませんがお風呂に入るときもご飯を食べるときも全て一緒です。休みの日も一緒に遊びます。

姑のことでたまに喧嘩もするけどすぐ仲直りします。二人の性格と価値観ががっちり合えばずーっとラブラブでいられるような気がします。



●二人の性格と価値観が合えば、なんでも乗り越えられる


■うちは結婚まだですが、ダラけてしまって、いつでもいいかーってな感じです。それでも愛情だけはなくならないと確信してます(笑)

一緒にいる時、素の自分でいられること、すぐに眠れること。私がイチバン幸せで愛情感じられるときです。



●一緒にいて素になれること、すぐに眠れること。それが一番愛情を感じられる瞬間。

■ある男性と七年付き合った後知り合った今の主人とは1年3ヶ月の交際を得て結婚しました。

熱々の関係を続けるのは無理だけど、安心感とか信頼とか色々な意味で今はとても幸せです。結婚は人生と同じなので色々ありますが今が幸せなら良いのでは?



●人間性が大切。安心感、信頼感があればいい。


■みなさんお若くて羨ましい(笑)私たちは来年には銀婚式を迎えます。学生結婚で貧乏の極みから家を持ち、一人娘は大学を卒業させて、贅沢は出来ないけれど二人でボウリングを楽しんだりタンデムツーリングをしたりと。

今でもしっかり、ときめいて愛し合っています(笑)



●銀婚式でも、今でもときめいて愛し合ってる






■わたしも冷めてますね。

子供ができたら変わるかも知れませんよ?
できればそのままの気持ちを持ちつづけられればいいのでしょうが難しいですね。今の気持ちを大切に。



●愛は覚める。でも子供が出来たら変わるかも・・・。今の気持ちが大切に


■わたしも知り合って半年後には籍を入れてました(笑)。
丸12年になりますが、今は空気のような存在?
居て当然の相棒といった感じです。

うまく言えないけど、冷めるというより、落ち着く?紐でグルグル巻きにするのではなく、風呂敷みたいな愛情(なんだそりゃ)って感じです。



●今では紐でぐるぐる巻きでなく、風呂敷で包むような愛です。


■私は結婚して2年目です。う〜ん。旦那にドキドキするようなことはもうありません。言うならば恋愛の愛というより仲間・同志愛かなぁ。

今、これを書いてる時に隣りで旦那がオナラしてヘラヘラ笑ってます。



●恋愛の愛より、仲間・同士愛になっています


■私は旦那にビビビッときてすぐ1年後に結婚しました。何に関しても私の理想どうり。今は3年目。幸せと感じてもいましたが子供が出来幸せだけど子供の方に目がいくので幸せ過ぎで心配はしなくなりますよ。




●今幸せで十分だと思う

posted at 2012/03/14 12:53:52
lastupdate at 2012/03/14 23:05:48
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2011/09/03
ある日私は夢を見ました
浜辺を神とともに歩いている夢を

海の向こうの大空に
私の今までの人生の光景がはっきりと写し出され
どの光景の前にも浜辺を歩いている
神と私の二組の足跡がありました

最後の光景まで来たときに振り返ってみると
所どころ足跡が一つしかないことに気づきました
そして、それはいつも私が苦境に落ちて
悲しみに打ちひしがれているときでした

私は、あえて神に尋ねました

私があなたについていくと言ったとき
いつも私のそばにいてくださると約束されたのに
どうして私が一番あなたを必要としているとき、
私を見放されたのですか

神は答えておっしゃいました

私の大切な愛しい子よ
私は決してあなたのそばを離れたことはない
あなたが見た一つの足跡
それは苦しみや悲しみに傷ついたあなたを
そっと抱き上げて歩いた私の足跡なのだと


ある日、私は夢を見ました
浜辺を神とともに歩いている夢を


マーガレット・パワーズ
posted at 2012/03/14 22:44:32
lastupdate at 2012/03/14 22:44:32
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2011/09/02

美奈子ちゃんがくれた手紙は、宝物になってしまいました
筆不精の僕は、いつも電話でした
実はこれが初めての手紙です

美奈子ちゃんには たくさんのびっくりをもらいました
初めて会って食事をした時 みんなビールなのに
美奈子ちゃんだけニッコリ笑って冷酒で乾杯しました
びっくりしました
けいこ中マット運動でむち打ちになり コルセットでけいこ場にいました
びっくりしました
苦しいけいこの中 美奈子ちゃんの笑顔はけいこ場の空気を変えてくれました
けいこ場の天使でした 
びっくりしました
本番に入ってからも強靱な精神力 そしてその存在感
びっくりしました

あなたはいつもまじめでした
あなたはいつも一生懸命でした
あなたはいつも謙虚でいました
あなたはいつも仲間のことを考えていてくれました
あなたはいつも人に優しかった

美奈子ちゃんには言わなかったけど 仲間がいつも言っていた事
美奈子ちゃんは本当にいい子でした
いい子でした
こんなにいい子にはもう二度と出会えないでしょう

たくさんの優しさをありがとう そして病気との闘い偉かったです
美奈子ちゃんはずっとがんばっていたのに
「がんばれ!がんばれ!」って言ってゴメンね
本当にがんばりぬきました
これからも美奈子ちゃんのことをいっぱい自慢します
自慢させて下さい
美奈子ちゃんにとって本当に貴重だった時間を一緒にいれた事
幸せに思います
美奈子ちゃんと約束した また同じ舞台に立つという事はできなかったけど
僕たちはまたがんばって舞台づくりをしていきます

これからはいつも美奈子ちゃんが見ているのでさぼれません
いつまでも僕たちを見守っていて下さい

本当の天使になった美奈子ちゃんへ

              
                                 岸谷五朗

posted at 2012/03/14 18:34:53
lastupdate at 2012/03/14 23:12:15
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2011/09/01
俺が小学3、4年で夏休みの話。
今の今までマジで忘れてた。

小学校の夏休みとか、遊びまくった覚えしかない。
俺は近所の男子と、夏休み中開放されていた学校の校庭で午後1時から体力づくりの名のもと遊んでいた。
※午前中は勉強しろ、と先生が言って、午前中は開放されてなかった。

んで、大体、午後5時くらいになって解散して、帰りの50円のアイスを商店街の、とある店で買っていた。

それを食べるとこは、あまり使われていない駐車場だった。
5時を過ぎると、アイスを食べて雑談している汗だらけの小学生でいっぱいだった。

駐車場のすぐ隣にはバス停と、バス停の後ろには公衆電話があった。

夏休みが始まってちょっと経ってからだったと思う。
いつも通り、駐車場でみんなでアイスを食べていて、バス停に目をやると、中学生ぐらいの女の子がいた。

目は大きい二重で、髪は肩ぐらいの黒髪で、背は150cmあるかないかだったと思う。
背は小さかったけど、大人な感じがした。

その女の子は、商店街にある時計台とバス停に書いてある時刻表をせわしく見ていた。
「誰かを待っちょるんかなぁ」と、その時は思っただけだった。

次の日、例の如くアイスを買いに行ったら、またあの女の子がいた。
相変わらず、時計台とバス停の時刻表をせわしく見ていた。

「恋人でも待っちょるんかなぁ」

と他人事のように思って、その恋人とやらが気になった。
しかし、家の門限が6時半までなので、そう長くは駐車場におれず、いつも6時ぐらいには駐車場でみんなは解散していた。
その女の子は、6時になっても、時計台とバス停をせわしく見ていた。

その次の日。
特別暑かった日だった。
友達が2人ぐらい倒れたと思う。

学校にいた事務の先生が
「今日は暑いけん、さっさと帰りんさい」
と言って、3時ぐらいに早くも家に帰されることになった。

友達数名と、アイスを買いに行ったら、また、バス停にあの女の子がいた。
時計台とバス停の時刻表をせわしく見ながら。

さすがに友達も女の子が気にかかり、
「昨日もおらんやったっけ?(いなかったっけ?)」
と口にした。

「ああ、いたね」
と、適当に返事をしたと思うが、この女の子は3時から待っていて、俺らが家に帰る6時以降もここにいるのか、と気付いて、すごく衝撃的だった。

この暑い中、誰を待ってるんだろう。
ガキながら、めちゃくちゃ気になっていた。

そして、いつも通りの日が続いて、日曜日になった。

日曜日は、学校が開放されていないので、みんなは家で遊ぶか暇を弄ぶぐらいだった。
俺はあの女の子が、何時からバス停にいるのだろう、と好奇心で、11時ぐらいにバス停へ向かった。

さすがにこの時間にはあの女の子はいなかった。

しばらく待っていよう、と持ってきたお金でアイスは何個か買って、駐車場に座って待っていた。

1時になるかならないかぐらいだった思う。
あの女の子がやって来た。
その足どりはとても不安定で、今にも転びそうなほど弱弱しかった。

また、この暑い中、誰かを待つのか―…

とりあえず、こんな暑い中、外にいると気が狂いそうになるからすぐに家に帰った。

そして4時ぐらいに、夕立が来た。
結構激しい雨だった。

あの女の子は、傘をもっていなかったことを思い出し、傘を持って行くことにした。
その女の子は濡れながら、バス停にたっていた。

傘を渡すと、
「あれ、さっきいた子?」
と聞いてきた。
とても高い声で、そして弱弱しかった。

「さっきもいたけど、いつもおるんで」
「あぁ…5時10分らへんになると、たくさん小学生が来るわね」
「学校の校庭で、遊んでるんだ」
「そう。楽しそうね」
「楽しいよ」

しばらく、沈黙が続いた。
雨が叩きつける音が、響いていた。

「なぁ。ここにいっつもおるけど、何しちょんの?(何をしているの?)」

しまった、首を突っ込みすぎたか、とガキながら、冷や汗をかいた。

「ははは。お姉ちゃんはね、ある人を待ってるの」
「ある人って恋人とか?」
「秘密」

その女の子は、大きな目を細くして微笑んだ。
ガキの俺は、少しドキッとした。

胸のドキドキがヤバくなってきたので、さっさと家に帰ろうとしたら、女の子が傘を返そうとした。
明日、返してくれればいい、と返事をして、急いで帰った。

次の日、やはりその女の子はいた。
俺を見つけると、大きな目を細くして、微笑みながら手を小さく振ってくれた。
周りの友達はザワザワとなっていたので、とても恥ずかしかった。

傘を受け取り、アイスを食べながら、友達からすごい質問攻めにあったが無視をした。
チラッとその女の子を見ると、やはり時計台とバス停の時刻表をせわしく見ていた。

そしていつも通りの日がまた何日か経った。
女の子は俺ら小学生に混じって、じゃんけん遊びやしりとりとか、いろんな遊びを一緒にした。

女の子の名前は千穂。
見たことも聞いたこともなかったから、最近よくある「カタカナ名前」か何かだろう、と思っていた。


ある日、家に帰って夕食を食べていると、母さんがこんな愚痴をこぼした。

「うちの病院に困った人がいるのよー。病室を抜け出しては遅くに帰ってきてなぁ。
どこで何しちょる(している)か知らんばってんが(けど)、
こげん暑い中、外に出ちょったら、責任とれんわぁ」

父さんは、
「ボケてるのか?大変だな」
「違うわよ、中学生の女の子でねぇ…。ガン(小児がんらしい)なんよ」
「へぇ。そりゃ困るなぁ」
「まぁ、先生(医者)もこりゃ治らんっち言いよるけん、
御両親も先生も、好きにさせりゃいい、とか言っちょるんよ」

母さんは病院の看護婦だった。
すぐ近くにある大きな病院だ。

千穂のことかな、と胸にグサッときた。

次の日。
いつも通り、チホ姉ちゃんはいた。

病院から抜け出す―…

母の愚痴が思い浮かんだ。
チホ姉ちゃんに、間違いない。
細い腕、細い脚、弱そうな感じは、いかにも病人らしかった。

その日、母さんにチホ姉ちゃんのことを言ってみた。
チホ姉ちゃんに間違いなかった。

俺は、チホ姉ちゃんが治らない病気になってることがショックだった。
その日はずいぶん泣いたと思う。

「死ぬ」っていうのはガキながらよく分かっていた。
じいちゃんが交通事故で即死したからだ。

あの悲しみが、じわじわと、胸に湧いていた。

次の日、チホ姉ちゃんの姿はなかった。

「俺が母さんにチクったから…?」

と、心配になって、アイスも買わず、さっさと家に帰った。
当然、母さんは帰ってきてないので、病院に電話をかけてみた。

「今日、チホ姉ちゃん、おらんかったけど、どしたん?」
「んー、今日ねぇ、ちょっとお姉ちゃんは体を悪くしちょるんよ」
「大丈夫なん?」
「大丈夫よ。でも、お姉ちゃんと遊ぶのは、もうやめたらどうなの?」
「なして」
「なしてって、、、」

この日から、チホ姉ちゃんが外に出てくることはなかった。

夏休みが終わるぐらいに、俺はチホ姉ちゃんのお見舞いに行くことにした。

母に連れられ、病室にいくと、とても痩せたチホ姉ちゃんがいた。
綺麗な黒髪も、今は何となくつややかさが消えていた。

チホ姉ちゃんは俺を見るなり、大きい目を細くして、微笑んでくれた。

「珍しいお客さんね」
「体大丈夫?」
「大丈夫よ」

チホ姉ちゃんは、ベッドの机で何か手紙を書いていたのを、俺から隠すように、裏にした。

「友達もみんな、チホ姉ちゃんが来なくなって寂しくなってさ」

ホントは俺が一番寂しかった。

「そっか。ごめんね。お姉ちゃん、体弱くて…」
「早く元気にならんといけんよ。待っちょる人がおるんやろ」
「そうね。元気にならんとね」

俺とチホ姉ちゃんは一日中、折り紙遊びやTVを見ながら過ごした。
次の日も、その次の日も、友達と遊ばずに、チホ姉ちゃんと過ごした。

夏休みが終わると、平日の夕方か、日曜日しか、チホ姉ちゃんに会えなくなった。

チホ姉ちゃんの親にも会った。
弟ができたみたいね、と俺を可愛がってくれた。
母さんも、「お姉ちゃんができて良かったわねぇ」と言ってくれていた。

そんな日が、ずっと続くと思ってはいなかった。
冬か、秋の終わりごろの土曜日だった思う。
俺は学校が終わるなり、すぐにチホ姉ちゃんに会いに行くのが日課だった。

いつも通り、いろんな話をしていると、チホ姉ちゃんが口を押さえて、白いベッドを真っ赤にした。
吐血した。

チホ姉ちゃんは真っ赤に染まった手でナースコールを押し、ベッドから転げ落ちた。

俺はどうすればいいのか分からなかった。
チホ姉ちゃん、チホ姉ちゃん、と泣き叫んでいたと思う。

すぐに看護婦がやってきて、色々と手当てをした。
俺は病室を追い出された。

廊下から、チホ姉ちゃんの血を吐く音、うなる音、咳き込む音が聞こえて怖くなった俺は、泣きながら家に走って帰った。

家に帰るなり、部屋にとじこもって泣きまくった。
夕飯も食べず、泣いて泣いて泣きまくった。
泣き疲れて、いつの間にか寝ていた。

起きたのは4時20分(時計を見たのをめちゃくちゃ覚えている)。
まだ暗かったが、玄関から物音が聞こえて起きた。
どうやら母さんらしく、俺の部屋に向かってくる足音が聞こえる。

母さんが俺の部屋のドアを開けた。
俺が起きているのに気づいて、目をカッと開いた。

「千穂ちゃん、死んじゃったわ…」

予期していた言葉だった。
とはいえ、全身をつらぬく言葉であった。

俺は返す言葉もなく、ただ押黙っていた。
母さんは静かにドアを閉めた。

チホ姉ちゃんは、もういないんだ―…

次の日、チホ姉ちゃんの通夜があった。
俺は親戚でもなんでもないので、行くことはできなかった。
葬式は、母が俺が風邪をひいた、と嘘をついて、葬式に行かせてくれた。

棺桶からチホ姉ちゃんの顔を見た。
ホント、今にも起きそうな顔だった。
体を触ると、現実を思い知らされることを知っていたので、触ることはできなかった。

チホ姉ちゃんの前では泣かない。
決めていた。

チホ姉ちゃんを焼き、骨壷にいれる時が来た。
お腹の部分の骨は全くなかった。
俺は震える手でチホ姉ちゃんをいれた。
変わり果てたチホ姉ちゃんを正視することすらできなかった。

葬式が終わって数日後、チホ姉ちゃんの母親から封筒がきた。
なんでも、チホ姉ちゃんが俺に手紙を封筒の中に残してくれていたという。


ユウトくんへ。
これをよんでいるということは、私はついに死んじゃったのね。
私が死んでどれくらいたったかな?

“死ぬ”って言っても、消えるわけじゃないんだよ。
ユウトくんから見えないだけで、
お姉ちゃんはずっと、ユウトくんを見てるよ。

ほら、今、となりにいるでしょう。
いつもびょうしつに入ってくるときに言うように「千穂姉ちゃん」ってよんでください。
私はあれを聞くのを、毎日楽しみにしていたよ。
今だって聞きたい。ユウトくん。

泣いてないよね?
元気あふれるユウトくんを見ていたいから。

おせわになりました。
楽しかった。
ありがとう。

10月12日
千穂姉ちゃんより。


それと、封筒の中に小さい封筒が一つあった。
手触りだがその封筒の仲には手紙が何枚かあった。
封筒には
「私のたいせつなひとに書いたお手紙です。見つけたらわたしてください」
と裏にあった。

チホ姉ちゃんからは、その「たいせつなひと」の話を全く聞いていなかった。
当然、俺に預けたって無駄って分かっていただろう。
じゃぁ何で俺に頼んだんだろ、と思った。

いつかは、「たいせつなひと」について話すつもりだったのだろう。
それを話す前に、あっけなくチホ姉ちゃんは死んでしまったが。

チホ姉ちゃんがあのバス停でずっと待っていたことを思い出した。
学校の帰りに、バス停に止まってバスから降りてくる人の中でチホ姉ちゃんと同じ中学生くらいの男子を探した。

いつでも会えていいように、ランドセルにはいつも封筒をいれていた。


あれから十数年。
結局、「たいせつなひと」に会えることはなかった。

家の大掃除をしていたら、タンスの中からあの封筒が出てきて思い出した。
チホ姉ちゃんとの不思議な夏の話でした。

その封筒は、まだ開けていない。
posted at 2012/03/24 0:06:47
lastupdate at 2012/03/24 14:24:20
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2011/08/31
318 :おさかなくわえた名無しさん :04/03/01 23:30 ID:kb86uqQs
小さい頃に母が死んだので、兄ちゃんと俺は親父に育てられた。

まあ不器用な人だったから、
素直な兄とは違って、俺はいろいろ親父と衝突した。
それでも兄弟二人、無事に社会人になり、
両方合わせて5人の孫を親父に見せてやれた。

そんな親父がガンで入院。
もう助からないのでモルヒネで痛みを和らげて最後を待つ日々になった。
モルヒネの幻覚作用で訳の分からないことばかり口走る親父を見て、
夢見ながら楽に死ねるのがせめてもの救いかな、
なんて兄ちゃんと話していた。

ある日、俺が付き添ってるとき、急に俺の手を握って真顔になり、
「ちゃんと飯くってるか?風呂入ってるか?病気とかしてないか?」
とか心配し出した。
「ああ、大丈夫だよ」と答えると、手に力を込めて
「父さん、お前のこと分かってやれなくてごめんな」と言った。
それきり、また幻覚の世界に戻っていった。

親父が死んで遺品を整理していたら、
小学校の頃の作文とか通知票とか、社会人になって
初めての給料で買ってあげたネクタイとか、
いろんなものが詰まった衣装ケースが
俺の分と兄ちゃんの分、宝物のように大事にしまってあった。

母が死んでから再婚もせず、好きな釣りもやめて
仕事と子育てに追われるだけの日々を送った親父。
これから孝行してやれたのに。早すぎるよ・・・せつないよ・・・。

450 :おさかなくわえた名無しさん :04/03/05 00:51 ID:T7u2QlWr

5年前、女房が男を作って、4歳の息子を残して家出した。

母親を求めて泣きわめく息子を最初は正直疎ましいと思った。
1週間もすると、二人とも現実を受け入れなきゃならないと
痛感するようになり、そのうちに男どうしの生活もうまく回り始めた。

慣れない家事をやってるうちに、何もかも女房任せにしていた
自分も悪かったかなとか思うようになった。
1年もすると、料理や家事もそれなりに上手くなり、
息子とも最高に仲良くなれた。

突然、女房に雇われたという弁護士から連絡が入った。
俺と正式に離婚して、さらに息子を引き取りたいと言う。
なんでも女房の相手は結構な金持ちらしく、あちらも奥さんとの離婚が
やっと成立したそうだ。
ふざけるなと言う俺に、裁判をすれば親権は100%母親に行くと弁護士は
強気だった。

その夜、風呂に入りながら息子に
「ママがお前と暮らしたいって言ってるけど、どうする?」と聞いてみた。
案の定、息子は目を輝かせながら「いつ?いつ?」とはしゃいだ。
息子が嫌がったら絶対に渡さないと思っていたけど、あの目を見たら、
俺と暮らそうとは言えなかった。

いろんな手続きがあって、息子は(元)女房のところへ行ってしまった。
数週間後、俺の口座に大層な金額が振り込まれていた。
その日に届いた手紙には、息子は新しい父親に懐いている
から、もう会わないで欲しいと書かれていた。

ドブに捨てるような使い方をしてやろうかとも思ったが、
その金には手を付けないことにした。

息子が成長して免許を取ったら、車でも買ってやろう。
それまで俺のことを覚えていてくれるだろうか。

posted at 2012/03/14 21:47:02
lastupdate at 2012/03/14 23:02:42
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2011/08/29
361 名前: Mr.名無しさん 投稿日: 02/07/22 06:13
俺が23歳の頃、就職1年目の冬、俺の誕生日の日のこと。

職場の人たちが「誕生パーティーをしてあげる!」というので、家に
「今日は遅くなるよ。 ゴハンいらないから。」と電話を入れたら、
父が「今日はみなさんに断って、早く帰ってきなさい。」 と言う。
「だってもう会場とってもらったみたいだし、悪いから行く。」
と俺が言うと、いつもは 温厚な父が、
「とにかく今日は帰ってきなさい、誕生日の用意もしてあるから。」
とねばる。
「???」と思いながら、職場のみんなに詫びを入れて帰宅した。

家にはその春から肋膜炎で療養中の母と、その父。
食卓にはスーパーで売ってるような鶏肉のもも肉のローストしたみたいなやつとショートケーキ3つ。

「なんでわざわざ帰らせたの!俺だってみんなの手前、申し訳なかったよ!」と言ってしまった。

父は何か言ったと思うが、覚えていない。
母が、「ごめんね。明日でもよかったね。」と涙ぐんだ。

俺は言い過ぎたな、と思った。
でもあやまれず、もくもくと冷えた鶏肉とケーキを食べて部屋に戻った。
その2ヶ月後、母の容態が急変し入院した。
仕事帰りに病院に行くと、父がいた。廊下の隅で、
「実は お母さんは春からガンの末期だとわかっていたんだよ。隠していてごめん」とつぶやいた。

呆然として家に帰ったあと、母の部屋の引き出しの日記を読んだ。
あの誕生日の日のページに
「○男に迷惑をかけてしまった。」とあった。
ワーッと声を出して泣いた。
何時間も「ごめんね。」といいながら泣いた。
夜が明ける頃には 涙が出なくなった。すごい耳鳴りがした。

4,5日して母は死んだ。仕事をやめて、看病していた父も数年前に死んだ。 父が準備したささやかな誕生日パーティーをどうして感謝できなかったのか。 母にとっては最後だったのに、、、。

(親に申し訳ないと思っている人のスレ)
posted at 2012/03/14 21:46:06
lastupdate at 2012/03/14 23:03:21
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2011/08/27
死んでは生き返ってを繰り返し、100万回もの生を受けた猫がいました。猫にはいつも飼い主がいました・・・その数100万人。

皆、猫が死ぬとワンワンと嘆き悲しみましたが、猫自身は一度も泣いたことがありませんでした。

ところが、この猫に見向きもしないものがいました。それは美しい白い猫でした。猫は腹を立てました。そして毎日毎日、白猫に「俺はすごいんだぜ、なんてったって100万回も生きたんだから」と、自慢話をしに行きました。

白猫は気のない相づちを打つばかりでした。今日も猫は「俺はすごいんだぜ」と言いかけて、途中でやめました。

そして「そばにいてもいいかい?」と尋ねました。白猫は「ええ」とだけ言いました。

2匹は常に寄り添うようになり、一緒にいることがなによりも大切に感じるようになりました。

それからかわいい子猫がたくさん生まれ、猫はもう得意の台詞、「俺はすごいんだぜ」を言わなくなりました。いつのまにか自分よりも、白猫や子猫たちのことを大切に思うようになっていました。

やがて子猫達は巣立って行き、白猫は少しお婆さんになりました。猫は、白猫と一緒にいつまでも生きていたいと思いました。

ある日、白猫は猫の隣で、静かに動かなくなっていました。

猫は白猫の亡骸を抱いて、生まれて初めて泣きました。
100万回泣きました。そしてぴたりと泣きやみました。

猫は、白猫の隣で静かに動かなくなっていました。
それから猫は、もう決して生き返りませんでした。

posted at 2012/03/14 20:37:41
lastupdate at 2012/03/14 23:08:29
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2011/08/24
当時私が小学生だったころ。
本が大好きで、家にある、自分が読めそうな本を読み漁っていた。
ある日、何気なく母の本棚を漁っていたら、かわいい表紙の日記を見つけた。

どうやら私が小さかったころの成長記録らしい。
母はこういう細かいことが好きで、よく日記とかつけていた。
私は面白半分で日記を開いてみた。

◎年☆月◇日
今日、○○(私の名前)ちゃんが初めて寝返りをうった。
うつぶせになっていたから、一瞬ヒヤっとしたよ。
でも、寝返りがうてるようになったね!

●年△月□日
今日、○○ちゃんが“あいうえお”を読めた。
すごいすごい!偉いネ!
次は“かきくけこ”に挑戦だ!




日記には、私が赤ちゃんのころからの成長記録が丁寧につけられていた。
内容はほとんど覚えていないけど、一言一言がすごく愛おしかった。

いつの間にか私の視界は涙でぼやけていた。
私は誰にも気づかれずに、静かに泣いた。
その時は、なんでこんな日記を読んで泣いているのかとか、母親の愛情とかがよくわからなかったけど、なんだか胸が熱くなった。

お母さん、私を産んでくれてありがとう。
苦労ばっかりかけてゴメンね。
posted at 2012/03/24 14:37:37
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2011/08/22
170 名前:大人の名無しさん投稿日:03/04/23 10:05 ID:WjmOz0ey

俺が結婚したのは俺が20、妻が21の時で、学生結婚だった。
二年ほど、貧乏しながら幸せに暮らしていたが、あるとき妊娠が発覚。
俺は飛び上がるほど嬉しくてひとりではしゃぎ、
無茶はするな、という妻の言葉も無視し次の日には退学届けを提出。
叔父さんの経営している会社にコネで入れてもらった。
まあ、とにかく俺はやる気満々で働きまくって子供元気に育てるぞ!
ってなもんだった。単純だった。

その後しばらくして交通事故で妻がお腹の中の子と一緒に死んだ。
このあたり本当に今でも良く思い出せない。
なにやら言う医者につかみかかって殴り飛ばしたこと、
妻を轢いた車の運転手の弁護士を殴り飛ばしたことは
うっすら覚えている。(むちゃくちゃだ)

そのあとは本当に記憶が曖昧だが、
葬式もきちんとすませ、手続きなんかもテキパキこなし、
何日か実家で休んだあと家に戻った。
それからは日付の感覚もなく、テレビも見ず、
ただ米を炊いて、食って過ごした。
自分が鬱なのだとか落ち込んでいるのだとかそういう思考もなかった。
自分でも状況がよくわかっていなかった。
なんとなく、カッターで指先を軽く切っては治るまで放置する、
とかいう今思うとほとんど病気(そうだったのだろうが)のような
事を繰り返して過ごした。
突然夜中に涙がぼろぼろ出てきて混乱したりしたが、
オナニーして寝てやった。
死のうという気持ちもなかったと思う。
当時のことを友人や親に聞くと、様子伺いの電話などには
きちんと受け答えしていたというのだがあまり覚えていない。
おそらくそんなこんなで半年は生活していたと思う。

171 名前:大人の名無しさん投稿日:03/04/23 10:21 ID:WjmOz0ey
ある時夢を見たが、何の夢かは覚えていなかった。
とにかくひたすら謝っていたように思う。
ふと目が覚めて、ああ、なんか悪夢をみたなと
体を起こしてその光景に心臓が止まるかと思った。

目の前に小さな女の子がちょこんと座って俺を見ている。
なんだこれは、夢か?まだ夢か?と思いながら
自分の心臓の鼓動で視線がぐらつくのを感じてびっくりした。
とっさに水子の霊だと思った。死んだ俺の子が化けて出たと思った。
そのときがはじめて自分の妻と子供が死んだとちゃんと
認識した時だったように思う。
その子が、「大人なんだから、ちゃんとしなきゃだめなんだよ!」
と俺を叱りつけた。
もう混乱に継ぐ混乱だ。汗なんかダラダラ出て、
俺、心臓麻痺で死ぬんじゃないかと思った。寝起きだしなおさら。
そのとき、部屋のドアから大慌てで隣の部屋の奥さんが入ってきた。
「すみません!この子勝手にはいっちゃって・・・」
そこでやっと現状を把握した。
よくよくみれば、この子は隣の家の子共で、
妻がいた頃はなんども会話を交わしたことのある子だった。
ドアを開けっ放しにして寝ていたところに入ってきた実在の人間だ。
幽霊じゃない。
ああ、違うのかと思った瞬間、
なんだかベロリと目の前の幕がはがれたような感じで、
俺はその子にしがみついて号泣していた。
「すいません」と「ありがとうございます」を意味不明に連発していたと思う。あとから聞いた話では、そこの一家はひきこもっていた俺のことを心配して
くれており、何度も夫婦で何をして上げたらいいか、と相談していたらしい。
その相談を一人娘のその子は聞いていて、
落ち込んだ大人を励ましてやろうと活を入れにきたらしい。すごいやつだ。

173 名前:大人の名無しさん投稿日:03/04/23 10:35 ID:WjmOz0ey
とにかく、その日がきっかけで俺はカウンセリングに通い、
二ヶ月ほどで職場復帰。
届けも出さず休んでいた俺を休職扱いにしてくれていた叔父は
快く迎えてくれ、しばらくのあいだ毎晩メシをおごってくれた。
隣の夫婦とも仲良くなり、寝起きの悪い旦那を起こしてくれとか言う理由で
毎朝家に呼ばれ、朝飯をごちそうになった。(かなり強引だ)
とにかくもう俺の周りの人間が神級にいいひと達だった。
俺は救われたし、妻と子供の死をちゃんと悲しむことができた。

で、その娘さんが先月結婚した。(すでにその隣室の親子はマイホームを建て引っ越していったが未だに仲良くしてもらってる。)
親戚が少ないから、とか言う理由で式にまで俺が呼ばれ、
親族紹介のあとその子と話す時間があった。
俺とその子は口が悪い感じの関係で(15も年が離れているのに)、
その日もあまりにも綺麗になったその子に動揺して
「オメーまだ18才なのに結婚しちゃってもったいないな」
などと俺が言うと笑いながら
「寂しいのか、あんた?」などといいやがるので
寂しいよ!と言った。
俺は昔、お前に助けてもらった、おまえのお父さんとおかあさんにも
助けてもらった、だからお前のこととても大好きだ、
だから寂しい!とまくし立てるとまた号泣していた。
30過ぎたおっさんがヒックヒック言いながら花嫁の前で号泣だ。
はずかしい。気づくとその子も大泣きだ。
新郎側はびっくりしただろうな。
親以外のおっさんと新婦が大泣きしてるんだから。

俺は今でも結局独り身だが、
その子が困ったらなにがなんでも助けてやろうと思っている。
恥ずかしいのでその子には言わないが。
もう俺にとってはあの子は自分の娘みたいなものなのだ。
なにぶん前半は10年くらい前のことなので
なんだか人ごとのように淡々とした文章で申し訳ない。
本も読む方じゃないし文章も稚拙ですまん。
漫画みたいな話なので2ちゃんで書くのは恥ずかしいと思っていたが
俺も書き込みしたくなった。長文すまん。
posted at 2012/03/14 20:12:33
lastupdate at 2012/03/14 23:04:47
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2011/08/18

■はじめて出会った時の I 嬢は、私と同じ年のはずだが、ずっと大人びて見えた。

栗色の髪、大きな瞳、高くすっとした鼻、形のよい唇をもった彼女は、造化の神の傑作といってもおかしくはなかった。どうして、こんなに素敵な女性が、白血病などという業病に罹ってしまったのだろう、と思ったが夏目雅子嬢の例をひくまでもなく、「きれいで、色白で、皆から羨ましがられるような良い性格で、食が細い女性」というがのこの病気になる要素かもしれないと、私はひそかに考えている。

I 嬢の白血病は、その当時のレベルとしては、かなり過激なやり方によって、寛解(一時的なおること)に導入できた。抗白血病剤の副作用で髪が抜けたり、肝臓が悪くなったりはしたが、時がたつにつれすっかり元どうりになり、彼女は退院した。


■4年後に悪夢はやってきた。白血病細胞は、彼女の頭のなかで、報復の時をじっと待っていたのだった。髄液の中に、あのいまわしい「白血病細胞が検出されたのである。「髄膜白血病」と呼ばれる、白血病の晩期再発であった。

「先生が、男の人だったらよかったのに」

どういう意味なのかは、聞き返さなくてもわかっていた。22歳で発病し、おそらく「恋」をしたことがない彼女にとって、私が男性であったなら、きっと最も身近な異性として、恋に落ちていただろう。

残念ながら私は女性でレズビアンの趣味はなかった。でも、その時私は本当に男であったらよかったと、心から思った。男性だったら、彼女に恋の歓びや苦しみを教えてあげられたかもしれない。

人を愛することの悲しさを知ることで、人は優しくなれると、離婚したばかりの私は、よくわかっていた。


■それから3年、彼女が白血病に罹って12年目に入ったある日、突然激しい頭痛と吐き気が、この無垢な女性を襲い、両目はまったく見えなくなってしまった。

何も悪いことをしていない彼女に、神はどうしてこんなひどい仕打ちをするのだろう。天国に迎えるための試練だとしても、あんまりだ、と私はおもった。

考えうる限りの治療を行ったが、結果は無残だった。日ごとに衰弱し、意識が薄れていく彼女を診るのは、わたしにとって、すごい苦痛だった。もちろん彼女の家族にとっても地獄の苦しみだったろう。

急性骨髄性白血病と彼女の戦いは、12年3ヶ月で終わった。享年34歳。眠るように「死」が訪れ、死に顔が穏やかな微笑みを浮かべていたことが、私にとっては救いであった。


■私事になるが、11年つきあった同級生と結婚したのが、29歳のときだった。

原宿のマンションに新居を構え、甘い新婚生活をおくったのは、わずか数ヶ月だけで、すぐに破局がきた。夫の心が私より義母にあると知って、わたしは何度バルコニーから飛び降りようと思ったことだろう。

絶望の淵から私を引きもどしたのは、 I 嬢だった。彼女をなんとかしなければ、という思いが、私を破滅から救ったのである。

私が明日彼女を診に行かなかったら、きっとがっかりするだろう。どんなに辛くても、私は生きて頑張るしかないのだ、と決意するには、しばらく時間が必要だった。

I 嬢の遺体を運ぶ霊柩車が、病院を出るとき、私は深く頭を下げた。

「ごめんなさい。そして、ありがとう」

心の中で、私はつぶやいた。10年以上の間、勇敢に白血病と闘い、一時は病魔に打ち勝ったばかりか、主治医の生命まで救ってくれた人への賞賛の呟きだった。


(1996年「無菌病室の人びと」赤坂祝子)から抜粋
posted at 2012/03/14 18:29:43
lastupdate at 2012/03/14 18:29:43
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