クニフロの泣ける話、感動する話まとめ
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2012/09/08
少し昔話になります。私にとって弁当の思い出と言えば、中学生のころの土曜日(部活用)高校時代の毎日の昼食です。

朝起きると聞こえる包丁の音やフライパンで調理している音、歯を磨き、着替えをしているとただよってきたいろんな香り、「おっ、今日のおかずは○○かな」と思って台所へ行くと、予想通りのおかずがあり、ふたを開けた弁当箱から上がっていたゆげ、それらが鮮明に思い出されます。

以前、TVか雑誌に「コンビニ弁当とおふくろさんの手作りの弁当とどちらがいいか」というアンケートをやっていました。なんと、コンビニ派が半数を超えていました。そして、昨日の家庭科の時間にふと、その話題を投げかけると、「そりゃあコンビニや」という声も少なからずありました。私も高校生のころ、「今日のおかずは、これでもかというほどの野菜いためやったな」なんて母親に悪態をついていたものです。

でも,味が問題ではないのです。朝のあの音、あの香り、あのゆげの中には、たくさんのものが含まれていたような気がします。
posted at 2012/09/08 0:00:38
lastupdate at 2012/09/08 0:00:38
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私は戦時の中、幼少時代をすごしました。
物心ついたときには母親はおらず、父は兵隊に取られ
祖父と2人田舎で暮らしていました。
家のすぐ脇には河が流れており、200mほど河を下ったところには
捕らえられた米兵を収容している建物がありました。

とある日のこと、私が芋を河で洗っていると誤って
手を放してしまいその芋を河に流してしまいました。
その芋はたまたま下流で水浴びをしていた米兵達によって
拾われました。
米兵は自分達に向かって流してくれたものだと思い
喜んで私に手を振って芋を持って帰りました。
きっとひどい扱いを受けていたのでしょう。

それから私は定期的に川下にいる米兵達に回りには
分からないように、野菜を河に流して渡すようになりました。

やがて戦果も悪化して日本軍が不利な状況になるにつれて
食糧事情は厳しいものとなりました。
もともと私と祖父の2人暮らしだったため食料で困ることは
ありませんでしたが、米兵達に食料を分け与えることは
出来なくなりました

申し訳ない気持ちになりながらもいつも食料を流している
時間私はいつものように川岸まで行きました。
いつものように200m川下では米兵達が待っています。
近づくのは禁止されていたため当然話をすることも出来ません。
ジェスチャーで分け与える食料が無いことを伝えようと、
手を大きく振ってバツマークを作って食料が無いことを伝えます。
しかし上手く伝わらず米兵達は手を振り帰してきます。
そんな私が流す食料を楽しみにしている米兵に
何もして上げられない無力な自分に腹がたち河の水を
蹴り上げると米兵も同じように真似をします。
今度は河の中で飛び上がってみるとやはり米兵達は
私の真似をします。
何とかしてあげたい。そう思いました。

私は自分の家の畑から祖父の目を盗み少しですが
スイカやかぼちゃを取り今までと同じように河に流して
米兵に渡しました。

しかし数日後スイカを取っているところを祖父に見つかり
理由を聞かれました。
私は正直にこれまでのいきさつを話しました。
すると祖父はこう言いました。
「なるほど。お前は非国民だが非人間ではないな。」
そう言うとそれ以降畑から取った野菜を河に流して
米兵に渡すことを許してくれました。

やがて終戦を迎えたある日のこと、家の上空を数機の
戦闘機が飛来してきました。
米兵を収容していた建物があったためひどい扱いを
受けていた米兵が仕返しに空襲に来たに違いない。
祖父はそう言いました。
しかし私はそんなこと無いよ。そんなこと無いよ。
と言いました。
あの米兵たちがそんなことをするとは思えなかったのです。
やがて戦闘機からたくさんの金色や銀色の小石くらいの
大きさの物が振ってきました。
爆弾だ!
祖父は言いました。
しかし何も爆発しません。
空から振ってきたものは金銀色の紙に包まれた
チョコレートでした。
なおもチョコが降り続きました。
星のように。
posted at 2012/09/08 0:00:38
lastupdate at 2012/09/08 0:00:38
修正
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