クニフロの泣ける話、感動する話まとめ
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2012/11/18
48 名前:名無しさん@6周年[] 投稿日:2005/12/22(木) 17:27:39 ID:VEDOmo3G0
人生はリセットボタンを押しても元には戻りません。




でも、スタートボタンなら何度でも押せるんですよ
posted at 2012/11/18 0:12:19
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2012/11/15


私は埼玉県に住む中学3年生。受験生の女の子。
今月の16日、私は石川県の高校を受験するためにお母さんといっしょに夜行列車に乗って学校へ出発した。
 ところが、新潟県の長岡市で電車が動かなくなったの。
「どうしたの?」
ピンポンパンポーン♪
「JRよりお知らせいたします。本線は、上越地方に激しく降る積雪のため、ただいま運転を見合わせております。長岡から出発する目処は立っておりません。お急ぎのお客様におかれましては大変申し訳ございませんが・・・」
お母さんがじっと私の顔を見る。
きっと、青白い顔をしているんだろう、私。だって、明日の17日の朝から試験なのに、電車が動かないだなんて、どうすればいいの? もう私、高校には行けないのかしら?
突然、お母さんが私の手をとった。
「行くわよ、お母さんがあなたを連れて行ってあげるからね。絶対あきらめないのよ!」
お母さんはそう言うと、私たちは長岡駅を降り、タクシーに乗り込む。
しばらくすると、私たちは北陸自動車道の長岡インター入り口までたどり着いた。
 
「ねえ、止まって〜、止まって〜」
お母さんが声をかけると、1台の車が止まってくれた。
「やった〜」
思わず、私とお母さんは喜びの声を上げる。
「いいけど、上越までしか行かないぜ」
私は、そこまでは順調だと思っていた。
だけど上越に着くと、もう真夜中だ。私たちが長岡駅を出たのだって夜中の12時を回ってからのこと。そんな私たちを夜中に拾ってくれる車なんて・・・やっぱないよね。
右足と左足の交互運動だけがむなしく続き、私とお母さんは雪の中をずっと、ずっと歩き続ける。
「諦めないのよ」
お母さんの励ましで私たちはガソリンスタンドにたどり着いた。
「お願いします。私たちを連れて行ってください」
お母さんが声をかけたのは、でっかいでっかいトラックを運転するおじさんだった。
「いいぜ、乗んな。ただし金沢までだかんな」
やった〜。おじさんありがとう。
私とお母さんは、また学校に向けて進むことができた。
 
でも、無情にも時間はいつも通り、ううん、いつもより早く流れてるかもしれない。だって、もう夜も明けちゃったし、
心配と、不安と、焦燥感と、涙が私を襲う。やっぱり、私には無理だったの?
その時、突然トラックのおじさんが車の方向を替えた。
「○○まで行っちゃる」
「おじさん!」
私とお母さんは手を取って喜んだ。
 
そうして私たちが学校に着いたのは、試験が始まるたった10分前だった。
途中でお母さんが学校に電話を入れてくれたので、先生が出迎えてくれていた。
「ありがとうございます」
学校の先生もトラックのおじさんにお礼を言ってくれている。「お名前を」
そうだよね。やっぱり気になるよね。でも、おじさんは、
「うちの娘も受験生だから気持ちはよく分かる」
とだけ言って、そのまま名前も告げずに行ってしまった。
 
私はそのまま面接試験に入り、そして作文試験に臨んだ。
「え〜!?」
その時、私は内心、ものすごい大声で叫んだの。だって、この作文試験、
「私が感動したこと」だって。
その時の私の脳裏に浮かんだもの、それはお母さん、そしておじさんだった。
「絶対にあきらめない」って言って車を探してくれたお母さん、深夜なのに私たちみたいな見ず知らずの親子を運んでくれたおじさんの温かさ、「・・・私は人の優しさに感動しました」。
 
そうして私とお母さんは、雪も穏やかな帰り道を、暖かい心でゆったりと家路についた。
ようやく、私には平穏な日常が戻ってきて、そして試験が終わって4日たった21日。
私に1通の手紙が届いた。
私はそれを開けると、そこにはこう書かれていた。
 
「・・・合格・・・」、と。
 
posted at 2012/11/15 0:05:00
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2012/11/14
中三の頃、母が死んだ。俺が殺したも同然だった・・・

あの日、俺が楽しみにとってあったアイスクリームを、母が弟に食べさせてしまった。
学校から帰り、冷凍庫を開け、アイスを探したが見つからなかった。
母親に問い詰めると、弟が欲しがったのであげたと言った。

その時楽しみにしていた俺は、すごく怒った。
母親に怒鳴り散らし、最後に「死ね!」と叫び、夕飯も食べずに部屋に篭った。
それから何時間か経った。
俺は寝てしまっていたが、父親が部屋に飛び込んできたので目が覚めた。

「母さんが轢かれた・・・!」

あの時の親父の顔と言葉を、俺は一生忘れないだろう。
俺達が病院に着いたとき、母親はどうしようもない状態だと言われた。
医者は最後に傍にいてあげてくださいと言い、部屋を出た。
それから少しして、母親は息を引き取った。

その後、母親があの時間に外にいた事を父から聞いた。
買い物に行くと言って出て行き、その帰りに車に轢かれた事、現場のビニール袋の中にはアイスが一つだけ入っていた事、救急車の中でずっとごめんねと呟いていた事。

その時、母は俺のためにアイスを買いに行って事故にあったとわかった。
通夜と葬式の間中、俺はずっと泣いた。
そして、今でもこの時期になると自然に涙が出てくることもある。
母さん、ごめんよ。
俺が最後に死ねなんて言わなかったらと、今でも悔やみ続けている。
posted at 2012/11/14 0:24:49
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これは16才の時の話です。
あのころはまだ何にも分からず、ただ毎日を適当に過ごしていました。
そんな俺にも好きな人ができました。
毎日メールや電話をしました。
毎日が楽しく本当にこんな日が続けばいいとずっと思っていました。
ある日その子とメールをしていて聞きました。
『ねぇやっぱり好きな人とかいるの??』
16にもなれば好きな人がいるのくらい当然の話です。
その彼女にもやっぱり好きな人がいました。
名前は教えてくれませんでしたが、話かたから僕ではないことはわかりました。
しかし僕も好きな人がいることをいいました。しかし名前は教えませんでした。いつかそ
の人に告白しようと思っていました。
しかし今の彼女にはその好きな人しか映っていないようでした。
僕はそれがとてもつらくて…悲しくて……。
相手に悟られないように明るく装っていました。
そして彼女に言ってみました。
『前言ってた好きな人、好きな人いるみたいなんだよね…どうしたらいいかな??』
彼女は『やっぱりどんに好きでもどんなに思っていても、その思いはその人に届かないと
思うよ。だから好きな人変えたら??』
僕はあきらめられなかったので告白しました。
『しってたよ…だから言ったぢゃん。。○○を傷つけたくなかったから…遠まわしにいっ
たの…ごめんね。

なんでその気持ちに気づいてあげれなかったんだろう。
それが最初で最後の優しさでした。

そして次日彼女は交通事故で死にました…。
最初は信じられませんでした。
そんな告白した次の日に死ぬなんて、そんなドラマ見たいなことあるわけない!と自分い
いきかせていました。
しかし彼女は本当に死んでいました…というより眠っているだけの様でした。
泣きました。涙が枯れるくらい…。
1年経ち、なんとか立ち直り、生活できる様になり、彼女もできました。
今度は絶対にあんな悲しい…。
そして今はとても幸せです。
絶対、悲しくて泣くことのないよう毎日精一杯いきています。
作文とかは苦手なんで文が変ですいません。
でも最後まで読んでくれてありがうごいます。
posted at 2012/11/14 0:24:49
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2012/11/13
今日、半年ぶりに家に帰ってきました。
私は末期ガンで手遅れで、もう何週間も保たないでしょうと宣告されました。だったら家でと帰ってきました。

私は32歳。妻は28歳。
子供は二人いて3歳の男の子と0歳の女の子です。

妻の肩を借りて家に入ると、上の子が私の手を取り、「とうちゃんおかえり!とうちゃんちいさくなったね」って笑顔で言われました。
「○○が大きくなったんだよ」って言うと、「じゃあたくさんたべて、とうちゃんもおおきくなって、なつにうみにいこうね!」って。
妻はそれを聞いて、「今日は大きくなるご飯にしようね」って笑顔で答えていました。

ごめんな。ごめんな。ごめんな。ごめんな。ごめんな。ごめんな。
最後まで守ってあげられなくてごめんな。

いつも明るい長男へ。
一緒にW杯も行けなくてごめんな。ドイツに連れていけなくてごめんな。これから毎日サッカー教えてあげるから。

妻であり最愛の人へ。
新婚旅行に連れていけなくてごめんな。笑顔で子供と接してくれてありがとう。落ち着いたら、新しい出会いを探して幸せになってほしい。

生まれたばかりの長女へ。
パパって呼んでもらえなくて残念だけど、ママに似て美人で優しい娘に育ってください。純粋な笑顔のままで。ママと仲良くしてください。

父、母へ。
あの世に行ったら、酒呑みましょう。それだけが楽しみなのです。

死にたくない。
やり残したこといっぱいです。
助けてください。

お願いです。
家族を守ってください。
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329 名前:Trader@Live![sage] 投稿日:2012/05/02(水) 23:52:10.15 ID:mcrBn2rL
ハーバード大学の図書館の張り紙

1.今居眠りすれば、あなたは夢をみる。今学習すれば、あなたは夢が叶う。
2.あなたが無駄にした今日はどれだけの人が願っても叶わなかった未来である。
3.勉強に励む苦しさは今だけであり、勉強しなかった苦しさは一生続く。
4.明日やるのではなく今日やろう。
5.時間は絶えず去りつつある。
6.学習は時間がないからできないものではなく、努力が欠くからできないものである。
7.幸福には順位はないが、成功には順位がある。
8.学習は人生の全てではないが、人生の一部として続くものである。
9.学習する事が人生の全てとは言わないが、学習すらできぬものに何ができるのであろうか。
10.人より早く起き、人より努力して、初めて成功の味を真に噛みしめる事ができる。
11.怠惰な人が成功する事は決してない、真に成功を収める者は徹底した自己管理と忍耐力が必須である。
12.時間が過ぎるのはとてもはやい。
13.今の涎は将来の涙となる。
14.犬の様に学び、紳士の様に遊べ。
15.今日歩けば、明日は走るしかない。
16.一番現実的な人は、自分の未来に投資する。
17.教育の優劣が収入の優劣 。
18.過ぎ去った今日は二度と帰ってこない。
19.今この瞬間も相手は読書をして力を身につけている。
20.努力無しに結果無し。

posted at 2012/11/13 0:38:16
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2012/11/09
508 名前:774RR[sage] 投稿日:2012/07/05(木) 21:49:42.65 ID:6eAj26SS
今日、二輪免許に合格しました。教習所に通うようになってからバイク板を覗くようになり、
受かった暁にはどこかに書きたいと思ってたので、良ければ数レス使わせて下さい。
泣けると言うより、僕が泣いてしまった話ですが。

小中高と典型的ないじめられっ子で過ごしてきて、高2の後半から登校拒否の引き籠りになりました。
それでも月数回の保健室登校や別室で試験を受けたりして、何とか高校卒業までは漕ぎ着けました。
卒業するのでやっとだったので、当然ながら受験も就職も何も対策しておらず、またそのやる気も一向に湧かず、
卒業してからはずっと部屋に引きこもってました。

両親に心配と負担をかけている事は分かってるつもりでした、しかし今まで家の外でまともな扱いを受けた事のない身としては、
これから先、もっと厳しくなる環境で自分なんかがやっていける訳がない、いじめを受ける何らかの要素をきっと自分は持っている、
でもそれが何か分からない、どうすればいいかわからない、でもこのままではどうしようもない、どうしようどうしようと毎日絶望と苦悩で一杯でした。
そんな引き籠りが1年ほど続き、僕の中で何かが吹っ切れました。もう死のうと。

自室にあった現金をかき集め、両親に何も言わず気付かれない様に、深夜に家を出ました。
ずっと歩いて歩いて、踏切で始発が動いている事に気付いて、近くの駅から電車に乗りました。
出来るだけ遠くを目指している内に、ある場所を思い出して、そこを目的地にしました。
何度か乗り換えて終点に着いた頃には、もう夕方に差し掛かってました。
駅から暫く歩き、とある岬に着きました。観光地としても自殺の名所としても割と有名で、
眼下を見下ろすと、成程これは助かるまいと冷静に納得してました。
もう少し奥が良かろうか、と思って進もうとすると、いきなり声をかけられました。
『やあ、兄さん、地元の人かい?』
振り返ると、おじさんと言うには微妙に若いおじさんがいました。
「はあ、一応県内ですが…」
『へ〜、どの辺から来たの?』
「あ、○○市の方です…」
『ふ〜ん、ごめん、俺九州の人間だからどの辺か分かんないや』
「…」


509 名前:774RR[sage] 投稿日:2012/07/05(木) 21:51:03.21 ID:6eAj26SS
聞いといてなんだそれは、と思いつつ、余り関わり合うと色々と面倒になりそうなので、それじゃ、と無視して進もうとすると、
『兄さん、生きるのは辛いかい?』
びっくりして振り返ると、
『ま、そんなカッコで一人虚ろな顔でウロウロしてるから、カマかけてみたんだが…』
むしろその予感が当たった事に驚いた風な表情でした。
この時は春先とは言えまだそこそこ寒く、GパンにTシャツの上に1枚羽織ってるだけの、
部屋からそのまま出てきた様な格好でした。まぁそのまま出てきたんですけど。

『取り敢えず、寒いだろ。コーヒーでも飲もうや』
そう言うとこちらの返事も待たずに歩き出してしまいました。こちらとしては付いていく義理はなかったんですが、
『どうした、コーヒー位おごっちゃるけん』と言われ、人と話して緊張の糸が切れたのか、それまで何とも感じてなかったのに
急に寒くなってきて、それでどういう訳かいまだに分からないけど、何故かおじさんの後に従いました。

駐車場の自販機でホットコーヒーを礼を言って受け取り、一口呷りました。じんわりと暖かかった。
『…まー、これでも色々あってね、俺もそこそこ惨めな人生歩んでるんだろうとは思うよ』
『正直、今の兄さんを止める資格はないだろうね、俺も人生に見切りをつけた時は確かにあったし』
『ここまで来たんだ、生半可な覚悟じゃないだろう。兄さんがどうしてもと言うなら、俺は力づくで止めたりはしない』
『知らぬ顔して、そのままアレで走り去るよ』
顎でしゃくった先には、真赤なバイクが止まっていた。僕は何となしに
「バイク…」
と呟いていました。
『そう、バイク。あれは良いぞ。生きるにも死ぬにも持ってこいだ』
「はぁ…」
『そういや、兄さんどうやって来たの?」
「歩きで」
『どこから?』
「駅から」
『何で?』
「それは…」
とこんな感じで、誘導尋問の様に段々と古い話までほじくり返されて、
いじめられて引き籠って進退窮まったどうしようもないクズという所まで話してしまいました。


510 名前:774RR[sage] 投稿日:2012/07/05(木) 21:52:16.68 ID:6eAj26SS
「…人から受け入れてもらえない、そんな僕がこれからどうして生きていけるのか」
『ふ〜ん。 兄さんさ、バイク乗れば?』
「は?」
『バイクはいいぞ。整備と燃料を怠らなければ、文句言わない。こんな俺でも受け入れてくれる』
『それだけじゃないぞ、俺一人じゃ行けない所まで連れてってくれる。俺はアイツを、そこらの人間以上に大事に思ってる』
「バイクをですか?」
『バイクをだよ。他人なんかクソ喰らえだ』
『受け入れられないならさ、別に良いやん。一人で上等。バイクは一人で乗るものだから、丁度良い』

この、全くの赤の他人から、何の根拠もなく、でも自信満々に「一人で上等」と言い切られた事に、僕はすごく衝撃を受けました。

『一人で生きていくのが辛いなら、難しいなら、尚の事バイクに乗れ。バイクは決して一人にしない。乗り手が見放すまで、健気に応え続けてくれるから』
『一人じゃ立てないモノ同士、仲良く支え合っていけるから』
僕は人前だと言うのにぼろぼろ泣きだしてしまっていました。
「こんな僕でも、乗れるバイクありますかね…」
『乗れるバイク、じゃない。兄さんが乗りたいバイクが、兄さんを待っているバイクが、絶対にあるもんだ』
辺りはすっかり暗くなって、僕が落ち着くまで、おじさんは近くも遠くもない所でじっと立ってるだけでした。

駅まで戻ると、幸い、まだ数本は電車が残っていました。ついて来てくれたおじさんに、お礼と質問をしました。
「他人なんかクソ喰らえなのに、どうして僕に声をかけたんですか?」
おじさんはニヤッと笑って、
『だって、兄さんはバイクに乗るんだろう?だったら、仲間だからな』
『バイクに乗ってる時は、限りなく一人だ。でも、バイクに乗ってるヤツは一人じゃない。だから、俺も一人じゃない』
「みんな仲間なんですか?」
『そこまでハッキリしたものでもないし、皆が皆、そうでもないけどね』
「バイク乗ってる人は、みんなおじさんみたいな感じなんですか?」
『さ〜、どうだろうね…。それは、これから兄さんが自分で知って、感じていく事だ』
『約束だ。免許を取って、バイクに乗れ。そしたらいつかどこかできっとまた会えるから。
バイクで動くには、日本は狭すぎる。こんだけ狭ければ、きっとどこかの道でまた会えるから』


511 名前:774RR[sage] 投稿日:2012/07/05(木) 21:54:25.65 ID:6eAj26SS
電車の到着を知らせるベルが鳴り、僕は電車に駆け込みました。おじさんはピースで見送ってくれました。
初めてもらったピースサインでした。
電車が走り出して間もなく、いつの間にかおじさんが並走してました。おじさんはいつまでも僕に向かって親指を立て続け、
僕はおじさんが見えなくなるまで、ずっと窓に額をおしつけていました。

主要駅まで戻って、家に電話したら、すごく心配したと、迎えにいくから待ってろと言われました。
家に着いて、両親にこれまでの事を謝り、バイクに乗りたいと伝えました。
二人ともびっくりしてましたが、お前がやりたい事を、満足いくまでやりなさいと言ってくれました。

教習所に通い出して、外に出る様になって、「このままどうにかなりそうかも」と思える様になりました。
学校ではあんなに辛かった周囲の視線が、そんなに感じなくなりました。言う程、人は僕を見ていないんだなって。
今は、取り敢えず大学に行ってみようと、1年遅れで勉強してます。

書きやすいよう、読みやすいように補足入れたりしてますが、概ねこんな流れでした。
自分の外に出したことで、少しすっきりしたような感じがします。
まだ肝心のバイクを買ってないのですが、取り敢えずその資格を満たしたと言う事で、
これで僕もおじさんの仲間入り出来たのかなと思ってます。
おじさんはこうも言ってました。『風を切って、風になって、初めて見えてくるものもある』と。
早く相棒を見つけて、僕もおじさんや皆さんと同じものを見たいと思っています。

結構使ってしまいました。長々とすいません。


512 名前:774RR[sage] 投稿日:2012/07/05(木) 22:35:27.41 ID:paF/dJ5R
>>508
免許取得おめでとう!
勇気を出して起こした行動には絶対に良い事があるよ
バイクは本当にいいよ
でも事故にだけは気をつけてな
posted at 2012/11/09 0:18:21
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2012/11/06
http://takeshima.2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1236747665/




9 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/03/11(水) 14:14:46.75 ID:tElWXHQI0

うちの娘も一人っ子。
いろんな人から「一人っ子は可愛そうよ,もっと生めば?」とはいわれる。
でも娘が3歳のとき、よかれと思って受けさせたおたふく風邪の予防接種の
副作用で髄膜炎にさせてしまった時、41度の高熱に苦しむ娘をみながら,神に祈った。
「私の生涯、子供はこの子一人で良いからどうかこの子を助けてください」と。

ちょっと育児失敗したかなあ。他の子供はもうこういうことができるのに。とか
思い通りに育たない娘をみて、次の子が生まれたらこうやって育てようなど考えてた
直後の発病だった。
罰があたって、この子を失うかもしれないという不安でいっぱいで
「とにかく命だけは助けて」と祈る毎日だった。
無事熱も下がり、恐れていた後遺症もなく元気で退院してからはしばらく
夜抱いて寝ていたものだ。思った通りに育たなくても、他の子ができることが
できなくても大切な可愛い我が子。
あの時祈った言葉に嘘はない。今目の前にいる娘がすくすく育ってくれるのが
一番幸せ。
神様との約束がずっと守られているから一人っ子のままなのだと思っている。
この話をするとたいていの人は黙る。
posted at 2012/11/06 0:01:41
lastupdate at 2012/11/06 0:01:41
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私の担任の先生が、実際に体験した話です。
 先生が前いた学校で、1人の男子生徒いました。
その子は、1年の1学期までは普通の子だったのに、2学期からは、突然、髪を染め、長
い学ランを着、学ランの内ポケットに、ベビースターやMDプレーヤーをいれ、授業中には
それで音楽をきく…というようなことになってしまったのです。しかも、授業も長く居て
5分。学校側も困ってしまいました。
 しかし、学校は、その子が授業に出る時間が伸びるように努力する方針にしました。
 そして、努力のせいか、その子が授業に出る時間は増えていったのです。ノートも教科
書も持ってきていませんが、その子が授業に出る時間は着実に増えていったのです。
 ある日のことです。私の担任の先生は、その子のクラスの受け持ちになりました。
 先生はちょっと嫌でしたが、授業を行います。すると、その子は先生を呼ぶと言いまし
た。
「俺にも問題解かせろ。」
先生は、その子に1歩進んだ問題を解かせました。
すると次の時間、先生がその問題の答えを生徒に前に出て解かせようとしたとき、その子
はすっと前に出て問題を解いて、教室を出て行きました。
 次の授業でもその子は問題の解き方を習い、みんなの前で解きました。みんなはその子
に感心しました。
 しかし、その次の授業でそれは起こったのです。
 その子は、いつもの通り、先生に問題を解かせてもらいました。それは、円柱の描き方
でした。それをその子はみんなの前で解きました。不恰好な円柱でしたが、みんなはその
子に感心しました。―やれば出来るじゃないか…―と、次の瞬間、クラスで頭のいい人が
言いました。
「俺なんてもっと凄いの描けるぞ。」
…そして、その子はもう2度と授業に出ませんでした。
 先生は私たちに言いました。
「確かにそいつの描いた立体は凄いよ。点線もしっかりしてるし円柱なんかよりも難しい図形を描いた。
 だけど、俺はその立体よりも、不恰好な円柱のほうがずっと綺麗に見えた。」
posted at 2012/11/06 0:01:41
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2012/11/05
あたしが小学校5年の時にひぃじいちゃんが亡くなった。
小さい頃からアタシと弟を可愛いがってくれた。ひぃじいちゃんは昔戦争に行った事があ
り、その時の話しをょく聞かせてくれた。ひぃじいちゃんが病気になり入院する事になっ
た、お見舞いに行くと、40度以上熱があるのに、いつも起き上がってニコニコ笑って迎えてくれ
た。だからひぃじいちゃんは元気なんだと思ってた、その時わひぃじいちゃんの病気が深
刻になってる事に気付かなかった…。ある日いつもの用にお見舞いに行き元気そうなひぃ
じいちゃんを見て家に帰ってきました、それが元気なひぃじいちゃんを見た最後でした
…。次の日に電話があり、容態が急変したと。お母さんと病院に行くといつもニコニコしてい
るひぃじいちゃんわいなかった、意識はほとんどなく、自分で呼吸する事も出来なくなっ
ていた。おばぁちゃんが「手を握ってあげて」と言ったのでアタシはひぃじいちゃんの手を
握ってぁげた。するとおばぁちゃんが「さっちゃんだょわかったら手を握ってぁげて」と
ひぃじいちゃんに言った、ひぃじいちゃんわ弱々しくアタシの手を握ってくれた。それから
何日かしてひぃじいちゃんは亡くなった。今でもひぃじぃちゃんが手を握ってくれた感触を忘れません。
posted at 2012/11/05 0:09:17
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