クニフロの泣ける話、感動する話まとめ
2012 / 08   «« »»
01
W
02
T
 
03
F
04
S
 
05
S
06
M
 
07
T
 
08
W
 
09
T
 
10
F
 
11
S
 
12
S
 
13
M
 
14
T
 
15
W
 
16
T
 
17
F
 
18
S
 
19
S
 
20
M
 
21
T
 
22
W
 
23
T
 
24
F
 
25
S
 
26
S
 
27
M
 
28
T
 
29
W
 
30
T
 
31
F
 
meaning of mark :: nothing , comment , trackback , comment and trackback
Profile
インターネットで公開している、泣ける話、感動する話をまとめています。号泣できる話から、ほっこりと心温まる話をいろいろ集めてますので、楽しんでください。

Menu

RSS & Atom Feed
クニフロの泣ける話、感動する話まとめ
RSS1.0 / RSS2.0 / Atom0.3
残念な話
RSS1.0 / RSS2.0 / Atom0.3
悲しい話
RSS1.0 / RSS2.0 / Atom0.3
心あたたまる話
RSS1.0 / RSS2.0 / Atom0.3
感動した話
RSS1.0 / RSS2.0 / Atom0.3
泣ける話
RSS1.0 / RSS2.0 / Atom0.3

Pickup Photo!

Recent Diary

Recent TrackBack

Recent Comments
Re:父からのメール
  └ 名無し at 2012/05/13 0:15:42
«« じいちゃんの笑顔 | main | 失恋について »»
«« カテゴリ内前記事(じいちゃんの笑顔) | 泣ける話 | カテゴリ内次記事(失恋について) »»
2010/12/11
ミニ四と震災の日
5 :大人になった名無しさん :04/02/09 18:50

小4の時の1月15日連休最初の日だっけかな?
いつものメンバー5人で俺の住んでたマンションで遊んでいた。

あん時はミニ四駆を廊下で走らせて騒いでは、管理人さんによく怒られたもんだ。俺は改造が下手でいつも遅かった。

俺はどうしても1番になりたかったからそん中のやつに改造をお願いした。休み終わったら学校に持っていくわと言われてかなり楽しみにしてた。

その休み明け、それが1月17日震災の日だった。

俺は電球の傘にぶつかって額を切ったがなんとか無事だった。
避難した公園にいつもの奴らが集まってきて4人揃ったが、後1人こない。

心配になって4人とうちの親父とでそいつの家の前に行ってみた。光景は悲惨なものだった。1階部分が見る影もなく2階しかなかった。

そいつの姉貴が2階で寝てたらしくて無事に出てきたが、ワンワン泣いていた。
「お母さん、お父さん、〇〇、何してんのよ早くねてらんと早く出てきてや。」
俺たちもその前で立ち尽くすばかりで、何もできずそれぞれ親戚の家や知り合いの家に避難することになってしまった。

そして2月に入っての新聞。
死亡者名の欄にあいつと、あいつの両親の名前が載っていた。

俺はそれを聞いて地元にいったん戻った。
2月20日の合同慰霊祭。あいつと対面したのはその日だった。
スプレー塗装が剥げてるボロボロのミニ四とメモを、やつの姉貴が渡してくれた。

メモには「ちょっとオマケでスプレーもしといたで。
これでお前もいっちょまえになれるな
次走るとき楽しみにしてるで」


「いつ走るねんや。アホが」涙で言葉はそれしかでなかった。

あれから9年、色あせてもう動くことはないだろうミニ四。
今も部屋の机の上に置いている。
posted at 2012/03/14 22:08:01
lastupdate at 2012/03/14 23:08:16
修正
 
Trackback URL

クリップボードへコピーする場合は こちらをクリック(Win+IEのみ)

Trackbacks

Comments

Post your Comment
name
mail
home
comment
文字装飾グラデーション絵文字

PC用眼鏡【管理人も使ってますがマジで疲れません】 解約手数料0円【あしたでんき】 Yahoo 楽天 NTT-X Store

無料ホームページ 無料のクレジットカード 海外格安航空券 ふるさと納税 海外旅行保険が無料! 海外ホテル