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インターネットで公開している、泣ける話、感動する話をまとめています。号泣できる話から、ほっこりと心温まる話をいろいろ集めてますので、楽しんでください。
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2012/08/01
[泣ける話]
おねえちゃん
妹の友だちだった。
幼い頃から脳の病気を患っていて、手術の繰り返しで四肢もまともに
機能しなくなってしまって、それでもがんばって歩いて学校に登校
していた。
小学生の頃、一度帰宅時間にその子と一緒になったことがあって、
友だちの姉として面識の会った私はなんとなく一緒に帰ることに
なった。
片足が麻痺していて歩くのにとても時間がかかるその子。
私はその日遊ぶ約束をしていて、正直早く帰りたくて仕方がなかった。
会話もあまりはずまなくて、その子の家まで送るべきだったのに、
「いいよ。私ひとりで帰れるよ」
と言うものだからそれに甘えて途中で別れた。
数年後、あの子が長くないと母に教えられて妹と見舞いに言った。
個室で、脳の病気のせいでその子とわからないくらい頭が肥大していて、人工呼吸器も苦しそうで意識は殆どないようだった。
その子の母はもの凄く冷静で、淡々とあと一週間かなとつぶやいてた。
母は号泣していたけど、私と妹はなんと言ったらいいかわからなくて、
ただ突っ立ってその子を見守っていた。
まだ15歳だったのに、そのまま死んでしまった。
その子の家に行ったら、まだ部屋がそのままになっていて、机に
飾られた写真、元気そうに笑ってる写真を見ていたら一緒に帰った
あの日のことを思い出した。
「おねえちゃんおねえちゃんって、**はひとりっこだからすごく
嬉しそうだったのよ」
そんなこと言われて、おうちまで送ってあげればよかったなと思ったら
涙が止まらなかった。
ごめんね。
妹の友だちだった。
幼い頃から脳の病気を患っていて、手術の繰り返しで四肢もまともに
機能しなくなってしまって、それでもがんばって歩いて学校に登校
していた。
小学生の頃、一度帰宅時間にその子と一緒になったことがあって、
友だちの姉として面識の会った私はなんとなく一緒に帰ることに
なった。
片足が麻痺していて歩くのにとても時間がかかるその子。
私はその日遊ぶ約束をしていて、正直早く帰りたくて仕方がなかった。
会話もあまりはずまなくて、その子の家まで送るべきだったのに、
「いいよ。私ひとりで帰れるよ」
と言うものだからそれに甘えて途中で別れた。
数年後、あの子が長くないと母に教えられて妹と見舞いに言った。
個室で、脳の病気のせいでその子とわからないくらい頭が肥大していて、人工呼吸器も苦しそうで意識は殆どないようだった。
その子の母はもの凄く冷静で、淡々とあと一週間かなとつぶやいてた。
母は号泣していたけど、私と妹はなんと言ったらいいかわからなくて、
ただ突っ立ってその子を見守っていた。
まだ15歳だったのに、そのまま死んでしまった。
その子の家に行ったら、まだ部屋がそのままになっていて、机に
飾られた写真、元気そうに笑ってる写真を見ていたら一緒に帰った
あの日のことを思い出した。
「おねえちゃんおねえちゃんって、**はひとりっこだからすごく
嬉しそうだったのよ」
そんなこと言われて、おうちまで送ってあげればよかったなと思ったら
涙が止まらなかった。
ごめんね。
posted at 2012/08/01 0:10:38
lastupdate at 2012/08/01 0:10:38
【修正】
[泣ける話]
いつも面倒ばかりかけさせちゃって本当ゴメン。
俺がまだガキでそこらで暴れ回ってた頃よく顔を腫らして帰るたびに母は泣きながら俺の
事を叱ってた、でも俺は『うっせぇ!!』の一言で何も言う事を聞こうとしなかった。それ
でも母はいつも俺の事を気にしてくれて、俺もその事に気付いてたけどムリして突っ張って
た。でも最近素直に母の気持ちを受け入れられるよぉになってきた。まだ素直にありがと
うを言葉にできないけど俺なりに親孝行してるつもりだからもぉ少し見守ってて下さい。
絶対超幸せな老後にしてやるからな!!
俺がまだガキでそこらで暴れ回ってた頃よく顔を腫らして帰るたびに母は泣きながら俺の
事を叱ってた、でも俺は『うっせぇ!!』の一言で何も言う事を聞こうとしなかった。それ
でも母はいつも俺の事を気にしてくれて、俺もその事に気付いてたけどムリして突っ張って
た。でも最近素直に母の気持ちを受け入れられるよぉになってきた。まだ素直にありがと
うを言葉にできないけど俺なりに親孝行してるつもりだからもぉ少し見守ってて下さい。
絶対超幸せな老後にしてやるからな!!
posted at 2012/08/01 0:10:38
lastupdate at 2012/08/01 0:10:38
【修正】
2012/08/03
[泣ける話]
うちは母子家庭。
あたしが小1の頃に離婚した。でも幼稚園の頃から既に両親は別居していて、父親と一緒
に住んでいた記憶はほとんどない。
両親が離婚すると聞いた時、あたしとお兄は母親に引き取られる事に決まっていた。あた
しはまだ小さくてただ訳も分からずおかんに「なんでお母さんにはあたしもお兄ちゃんも
いんのに、お父さんは独りぼっちなの?」と聞いた。
昔の事なので母親の返答は覚えてないが、納得がいかずあたしは家出を計画した。
もちろん、そんな小さい頃に行く宛てなんてあるはずもなく、父方のおばぁちゃんちまで
まだ補助輪のついた自転車で行った。
ただおとんに会いたかった。寂しい思いをしていないか気掛かりだった。両親に考え直し
てほしかった。
偶然にもちょうど父親がおばぁちゃんちに来ていた。だがすぐにおかんに居場所がばれ、
間もなく迎えにきた。
帰りたくないと喚くあたしを後部座席に乗せ、車をだす母。後ろの窓から外をのぞくと、
おとんが切なそうな目で見送っていた。本当にすごく寂しそうで、胸がいたかった。あの
おとんの目は忘れない。しっかりと記憶に残ってる。今でも思い出すと泣けてくる。
離婚してからすぐに引っ越し、二年程たってからあたしとお兄とおかんの三人で暮らして
いた家に、一通の郵便物が届いた。
写真が入ってた。
おとんの結婚式の写真だった。
再婚者との。
以前まだおとんと四人で住んでいた家の住所変更をして、前の家宛ての郵便物は私達の家
に転送する様にしてあった。
たぶん誰かがその時には誰も住んで居なかった家に、まだおとんが住んでいると勘違いし
て間違えて送ったんだろう。
あたしはまだ小さかったし、その写真は見せてもらえなかった。
あれから十年くらいたった。あたしも恋愛する年になって、その時のおかんの気持ちを考
えると、切なくてたまらない。
ねぇおとん何で?何年もずっと一緒に居た人を、たった一年や二年で忘れてしまうもの?
偶然にも再婚者の結婚式の写真がうちに送られてくるなんて。
あたしとお兄の為に、昼も夜もなく必死で働いてたおかん。辛いところなんて見せた事な
かった。
だけど今は分かるよ。
一度愛して、結婚までした人をそんな簡単に忘れる訳ないよね。
だから今だに再婚しないの?
おかんは、母親である前に一人の女なんだよね。
あたしが小1の頃に離婚した。でも幼稚園の頃から既に両親は別居していて、父親と一緒
に住んでいた記憶はほとんどない。
両親が離婚すると聞いた時、あたしとお兄は母親に引き取られる事に決まっていた。あた
しはまだ小さくてただ訳も分からずおかんに「なんでお母さんにはあたしもお兄ちゃんも
いんのに、お父さんは独りぼっちなの?」と聞いた。
昔の事なので母親の返答は覚えてないが、納得がいかずあたしは家出を計画した。
もちろん、そんな小さい頃に行く宛てなんてあるはずもなく、父方のおばぁちゃんちまで
まだ補助輪のついた自転車で行った。
ただおとんに会いたかった。寂しい思いをしていないか気掛かりだった。両親に考え直し
てほしかった。
偶然にもちょうど父親がおばぁちゃんちに来ていた。だがすぐにおかんに居場所がばれ、
間もなく迎えにきた。
帰りたくないと喚くあたしを後部座席に乗せ、車をだす母。後ろの窓から外をのぞくと、
おとんが切なそうな目で見送っていた。本当にすごく寂しそうで、胸がいたかった。あの
おとんの目は忘れない。しっかりと記憶に残ってる。今でも思い出すと泣けてくる。
離婚してからすぐに引っ越し、二年程たってからあたしとお兄とおかんの三人で暮らして
いた家に、一通の郵便物が届いた。
写真が入ってた。
おとんの結婚式の写真だった。
再婚者との。
以前まだおとんと四人で住んでいた家の住所変更をして、前の家宛ての郵便物は私達の家
に転送する様にしてあった。
たぶん誰かがその時には誰も住んで居なかった家に、まだおとんが住んでいると勘違いし
て間違えて送ったんだろう。
あたしはまだ小さかったし、その写真は見せてもらえなかった。
あれから十年くらいたった。あたしも恋愛する年になって、その時のおかんの気持ちを考
えると、切なくてたまらない。
ねぇおとん何で?何年もずっと一緒に居た人を、たった一年や二年で忘れてしまうもの?
偶然にも再婚者の結婚式の写真がうちに送られてくるなんて。
あたしとお兄の為に、昼も夜もなく必死で働いてたおかん。辛いところなんて見せた事な
かった。
だけど今は分かるよ。
一度愛して、結婚までした人をそんな簡単に忘れる訳ないよね。
だから今だに再婚しないの?
おかんは、母親である前に一人の女なんだよね。
posted at 2012/08/03 0:17:46
lastupdate at 2012/08/03 23:39:18
【修正】
2012/08/05
[泣ける話]
土曜日の14時〜頃、コーカサス館で娘(小3)にバラソフトを
買って下さった方、有難うございました。
娘が戻って来て、買って頂いた事を知って慌てて周囲を探した
のですが、もう見当たらなくて。
娘に聞いたら、多分・・・携帯で見てたのは「2ちゃんねる」
だと思うと言う事だったので。
うちの娘、聴覚障害者でお金と「ばらソフトクリーム1個下さい」と
書いたカードを持たせて買いに行かせました。話しを聞くと、順番が
来る前に注文を書いた紙を出そうとしたらない・・・・
涙目になって、お姉さんのオーダーに答えようとしていたら、後ろに
いた「お兄ちゃん」が、写真を指差し、携帯画面で「これでいい?」て
聞いてくれたそうです。うん、とうなずいたら、そのソフトを2個
買って一つを娘に手渡してくれました。娘がお金を渡すと「いいよ、
お兄ちゃん一人で来たから一度二つ買ってみたかった」と言う文章を
見せてくれたそうです。
その人がここの人がどうか分りませんが、とにかくお礼を言いたかった
ので、こちらを借りてレスさせて頂きました。
どうも有難う。何度か万博へ行って色んな思い出がありますが・・・・
多分・・・この思い出が私の中でも、娘の中でも最高の思い出だと
思います。素敵な思い出をどうも有難うございました。
買って下さった方、有難うございました。
娘が戻って来て、買って頂いた事を知って慌てて周囲を探した
のですが、もう見当たらなくて。
娘に聞いたら、多分・・・携帯で見てたのは「2ちゃんねる」
だと思うと言う事だったので。
うちの娘、聴覚障害者でお金と「ばらソフトクリーム1個下さい」と
書いたカードを持たせて買いに行かせました。話しを聞くと、順番が
来る前に注文を書いた紙を出そうとしたらない・・・・
涙目になって、お姉さんのオーダーに答えようとしていたら、後ろに
いた「お兄ちゃん」が、写真を指差し、携帯画面で「これでいい?」て
聞いてくれたそうです。うん、とうなずいたら、そのソフトを2個
買って一つを娘に手渡してくれました。娘がお金を渡すと「いいよ、
お兄ちゃん一人で来たから一度二つ買ってみたかった」と言う文章を
見せてくれたそうです。
その人がここの人がどうか分りませんが、とにかくお礼を言いたかった
ので、こちらを借りてレスさせて頂きました。
どうも有難う。何度か万博へ行って色んな思い出がありますが・・・・
多分・・・この思い出が私の中でも、娘の中でも最高の思い出だと
思います。素敵な思い出をどうも有難うございました。
posted at 2012/08/05 0:03:01
lastupdate at 2012/08/05 0:03:01
【修正】
2012/08/07
[泣ける話]
中三の頃、母が死んだ
俺が殺したも同然だった・・・
あの日、俺が楽しみにとってあったアイスクリームを、母が弟に食べさせてしまった
学校から帰り、冷凍庫を開け、アイスを探したが見つからなかった
母親に問い詰めると、弟が欲しがったのであげたと言った
その時楽しみにしていた俺は、すごく怒った
母親に怒鳴り散らし、最後に「死ね!」と叫び、夕飯も食べずに部屋に篭った
それから何時間か経った
俺は寝てしまっていたが、父親が部屋に飛び込んできたので目が覚めた
「母さんが轢かれた・・・!」
あの時の親父の顔と言葉を、俺は一生忘れないだろう
俺達が病院に着いたとき、母親はどうしようもない状態だと言われた
医者は最後に傍にいてあげてくださいと言い、部屋を出た
それから少しして、母親は息を引き取った
その後、母親があの時間に外にいた事を父から聞いた
買い物に行くと言って出て行き、その帰りに車に轢かれた事
現場のビニール袋の中には、アイスが一つだけ入っていた事
救急車の中でずっとごめんねと呟いていた事
その時、俺のために母はアイスを買いに行って事故にあったとわかった
通夜と葬式の間中、俺はずっと泣いた
そして、今でもこの時期になると自然に涙が出てくることもある
母さん、ごめんよ
俺が最後に死ねなんて言わなかったらと、今でも悔やみ続けている
俺が殺したも同然だった・・・
あの日、俺が楽しみにとってあったアイスクリームを、母が弟に食べさせてしまった
学校から帰り、冷凍庫を開け、アイスを探したが見つからなかった
母親に問い詰めると、弟が欲しがったのであげたと言った
その時楽しみにしていた俺は、すごく怒った
母親に怒鳴り散らし、最後に「死ね!」と叫び、夕飯も食べずに部屋に篭った
それから何時間か経った
俺は寝てしまっていたが、父親が部屋に飛び込んできたので目が覚めた
「母さんが轢かれた・・・!」
あの時の親父の顔と言葉を、俺は一生忘れないだろう
俺達が病院に着いたとき、母親はどうしようもない状態だと言われた
医者は最後に傍にいてあげてくださいと言い、部屋を出た
それから少しして、母親は息を引き取った
その後、母親があの時間に外にいた事を父から聞いた
買い物に行くと言って出て行き、その帰りに車に轢かれた事
現場のビニール袋の中には、アイスが一つだけ入っていた事
救急車の中でずっとごめんねと呟いていた事
その時、俺のために母はアイスを買いに行って事故にあったとわかった
通夜と葬式の間中、俺はずっと泣いた
そして、今でもこの時期になると自然に涙が出てくることもある
母さん、ごめんよ
俺が最後に死ねなんて言わなかったらと、今でも悔やみ続けている
posted at 2012/08/07 12:58:03
lastupdate at 2012/08/07 12:58:03
【修正】
2012/08/08
[泣ける話]
私の父親は白血病だった。小さな病院で肺炎といわれたが
不信に思った母が大きな病院につれて行くと即入院だった。
いまいち病気の恐ろしさのわからなかった私はどこかで自分の父親が死ぬなんて
ありえないとおもってた。
親孝行もまだ何もしてないのに、やっと仲良く話せるようになったのに。
発覚から一年後、愛犬が血液のとまらない病気で死んじゃった。
身代わりになろうとしたのかな。。。
だからぱぱも頑張った。でもどんどん衰弱して行くぱぱ、
ある日ぱぱの前の妻と娘が家に来た。二人で住みたいから頭金がほしいと。
ぱぱは言った。もうあげられるお金は自分が死んだとき娘に遺産を分けることしかできないと。
それでもずっと生きてくれると思ってた。
そして発覚から2年半後その日は来てしまいました。
子供たちに手をにぎられてしにたい。そう最後に言っていました。
ありがと。ぱぱ。ギュット手を握り締めて一粒だけ涙を流しました。
そしてぱぱは息を引き取りました。
一番つらいのはままに決まってる。だから涙をこらえました。
誰もいないところで一人思いっきり泣きました。
ぱぱの子供でよかったよ。ありがとう。
不信に思った母が大きな病院につれて行くと即入院だった。
いまいち病気の恐ろしさのわからなかった私はどこかで自分の父親が死ぬなんて
ありえないとおもってた。
親孝行もまだ何もしてないのに、やっと仲良く話せるようになったのに。
発覚から一年後、愛犬が血液のとまらない病気で死んじゃった。
身代わりになろうとしたのかな。。。
だからぱぱも頑張った。でもどんどん衰弱して行くぱぱ、
ある日ぱぱの前の妻と娘が家に来た。二人で住みたいから頭金がほしいと。
ぱぱは言った。もうあげられるお金は自分が死んだとき娘に遺産を分けることしかできないと。
それでもずっと生きてくれると思ってた。
そして発覚から2年半後その日は来てしまいました。
子供たちに手をにぎられてしにたい。そう最後に言っていました。
ありがと。ぱぱ。ギュット手を握り締めて一粒だけ涙を流しました。
そしてぱぱは息を引き取りました。
一番つらいのはままに決まってる。だから涙をこらえました。
誰もいないところで一人思いっきり泣きました。
ぱぱの子供でよかったよ。ありがとう。
posted at 2012/08/08 0:00:47
lastupdate at 2012/08/08 0:00:47
【修正】
2012/08/11
[泣ける話]
あなたはベタベタするのが嫌いでしたね。
布団の中で,ギュッとして。と頼んでもイヤだと言って何もしてくれなかった。
ある日あなたはこう言った。
「たまには抱きしめて寝てやるよ」
私はちょっと驚きながらも嬉しさと幸せで胸一杯になって
その日はあなたの腕の中で眠りにつきました。
次の日あなたは
「出掛けてくるよ」
と言いました
「行ってらっしゃい」
そう言った私に優しく微笑みかけ,今までで一番優しいキスをくれました。
そして出ていきました
あなたは帰ってきませんでした
笑顔のない人形になって
これから消える存在として帰ってきました
人は死ぬ前,必ず無意識のうちに変わった行動をとると言います
急に優しくならないでよ
急にあたしの我が儘を叶えないでよ
そんなのいらない
いらないから
ずっと側にいてほしかった
布団の中で,ギュッとして。と頼んでもイヤだと言って何もしてくれなかった。
ある日あなたはこう言った。
「たまには抱きしめて寝てやるよ」
私はちょっと驚きながらも嬉しさと幸せで胸一杯になって
その日はあなたの腕の中で眠りにつきました。
次の日あなたは
「出掛けてくるよ」
と言いました
「行ってらっしゃい」
そう言った私に優しく微笑みかけ,今までで一番優しいキスをくれました。
そして出ていきました
あなたは帰ってきませんでした
笑顔のない人形になって
これから消える存在として帰ってきました
人は死ぬ前,必ず無意識のうちに変わった行動をとると言います
急に優しくならないでよ
急にあたしの我が儘を叶えないでよ
そんなのいらない
いらないから
ずっと側にいてほしかった
posted at 2012/08/11 0:45:20
lastupdate at 2012/08/11 0:45:20
【修正】
[泣ける話]
1995年、阪神淡路大震災を経験しました。
あの時、中学1年生だった自分も、23歳になりました。
2004年、新潟県中越地震が起きました。
阪神淡路大震災の時、あるボランティアの人と約束をしました。
次何かあったら、「お前達の番だぞ。」
そのおかげで新潟県にボランティアに行くことを決意しました。
新潟に行ったら、丁度自分が経験した時と同じ年齢の子供達が、学校で寝泊りをしていま
した。
もちろん、その子供達に、「次、何かあったらお前達の番やから。」っと伝えてきまし
た。
その少年以外にも、4歳の男の子と仲良くなりました。
その男の子の父親が、震災直後にも関わらず仕事があり、忙しいかったのと、保育園が休
みだったって事もあり、2日間、一緒にサッカーボールを一緒に蹴ったりして遊んでいたんです
が、当然お別れの時がやってきました。
迎えにこなくてもいいっと言ったのにも関わらず、父親と、その男の子がきてくれまし
た。
そしてバスに乗る前に、その男の子に言われたのは、
「大きくなったらお兄ちゃんと結婚してあげるね!」
って言われて、帰りバスの中で一人で泣いていました。
あの時、中学1年生だった自分も、23歳になりました。
2004年、新潟県中越地震が起きました。
阪神淡路大震災の時、あるボランティアの人と約束をしました。
次何かあったら、「お前達の番だぞ。」
そのおかげで新潟県にボランティアに行くことを決意しました。
新潟に行ったら、丁度自分が経験した時と同じ年齢の子供達が、学校で寝泊りをしていま
した。
もちろん、その子供達に、「次、何かあったらお前達の番やから。」っと伝えてきまし
た。
その少年以外にも、4歳の男の子と仲良くなりました。
その男の子の父親が、震災直後にも関わらず仕事があり、忙しいかったのと、保育園が休
みだったって事もあり、2日間、一緒にサッカーボールを一緒に蹴ったりして遊んでいたんです
が、当然お別れの時がやってきました。
迎えにこなくてもいいっと言ったのにも関わらず、父親と、その男の子がきてくれまし
た。
そしてバスに乗る前に、その男の子に言われたのは、
「大きくなったらお兄ちゃんと結婚してあげるね!」
って言われて、帰りバスの中で一人で泣いていました。
posted at 2012/08/11 0:45:20
lastupdate at 2012/08/11 0:45:20
【修正】
[残念な話]
入学したての頃、俺は初めて学食に行ってみたんだ。もちろん一人でね。
慣れない食券システムにに戸惑いつつも、俺はウキウキした気分でハンバーグ定食を購入した。
定食を貰って、席に着こうとしたんだが、もうすでに満席。
一見空いているかに見える席も、DQNどもが荷物を置いて席取りしていた。
今考えたら混雑した昼時に学食に行ったのが、全ての間違いだったんだ・・・
俺は焦った。とりあえずどこか席が空くのを待ってみたが、一向に空かない。
明らかに食事を終えている奴らも、友人と会話をしていて席を立とうとしない。
俺はハンバーグ定食のお盆を持ったまま、その場に立ち尽くしてしまった。
どうしようもなくなって錯乱してしまった俺は、近くの調味料や飲み物が置いてある台に、持っていたハンバーグ定食を置き、その場で立ち食いを始めてしまったんだ。
俺のあまりに滑稽な姿に、周りの奴らが笑っているのに気づいた。
中には俺の姿を写メールで撮影し始めるDQNもいた。
俺は半泣きになりながらハンバーグ定食を急いで食べ終え、逃げるようにその場を去った。
あれ以来2度と学食へは行っていない・・・
慣れない食券システムにに戸惑いつつも、俺はウキウキした気分でハンバーグ定食を購入した。
定食を貰って、席に着こうとしたんだが、もうすでに満席。
一見空いているかに見える席も、DQNどもが荷物を置いて席取りしていた。
今考えたら混雑した昼時に学食に行ったのが、全ての間違いだったんだ・・・
俺は焦った。とりあえずどこか席が空くのを待ってみたが、一向に空かない。
明らかに食事を終えている奴らも、友人と会話をしていて席を立とうとしない。
俺はハンバーグ定食のお盆を持ったまま、その場に立ち尽くしてしまった。
どうしようもなくなって錯乱してしまった俺は、近くの調味料や飲み物が置いてある台に、持っていたハンバーグ定食を置き、その場で立ち食いを始めてしまったんだ。
俺のあまりに滑稽な姿に、周りの奴らが笑っているのに気づいた。
中には俺の姿を写メールで撮影し始めるDQNもいた。
俺は半泣きになりながらハンバーグ定食を急いで食べ終え、逃げるようにその場を去った。
あれ以来2度と学食へは行っていない・・・
posted at 2012/08/11 0:45:20
lastupdate at 2012/08/11 0:45:20
【修正】
2012/08/12
[泣ける話]
後から思うと「ああ、あの時が分かれ道だったのだ」と思うことがいくつかあります。
私は北海道で野や山を駆け回って子ども時代を過ごしました。大雪の朝、通学の途上まだ
誰も踏んでいない雪野幌にでーんと倒れて空を眺めたり、友達と探検ごっこをするのが大
好きでした。愛読書は「あしたのジョー」。明日のために・・・という言葉がいつまでも
脳のシワに刻み込まれています。高校までは男女共学でのびのびと育ちました。さて、短
大は地域でお嬢様学校といわれるキリスト教の短大で源氏物語なんかを読んでいました。
私は、マリアの処女懐胎なんて「あり得ない」とレポートするとんだはね返りの学生でし
た。ただ、”けち”だった故か授業にはまじめにでていました。月に一度ほど学長の講話
があり、ある時の授業が未だに心に残っています。
北国で修道女として長く女子教育を使命として生きてきた学長はこんな風にお話しされ
ました。
「皆さんはこれから社会に出ます。ある人は穏やかで幸せな人生を送るでしょう。ある人
は困難な、苦労の多い人生を送るでしょう。神様はどなたにも公平です。もし、あなたが
これから困難が多い、厳しい人生を送るとしたら、それは神様があなたにその困難を乗り
越える力を与えてくれているからなのです。もし、あなたが平穏で穏やかな人生を送ると
したら、神様はあなたにはその力がないと思っているのかもしれません。だから、これか
ら先どんな困難があるとしても、それは神様がかならずあなたに乗り越えられる力を与え
てくれているので、心配することはありません。貴女は心配せずに乗り越えることができ
るはずです。」マリアなんてと言っていた私は、そのとき何故か「ふーん」と思いまし
た。それは、世の中をこんな風に考えていくことができるという驚きでした。そして、何
故か私に困難が一杯くるようにと待ち望むような気になりました。
私は北海道で野や山を駆け回って子ども時代を過ごしました。大雪の朝、通学の途上まだ
誰も踏んでいない雪野幌にでーんと倒れて空を眺めたり、友達と探検ごっこをするのが大
好きでした。愛読書は「あしたのジョー」。明日のために・・・という言葉がいつまでも
脳のシワに刻み込まれています。高校までは男女共学でのびのびと育ちました。さて、短
大は地域でお嬢様学校といわれるキリスト教の短大で源氏物語なんかを読んでいました。
私は、マリアの処女懐胎なんて「あり得ない」とレポートするとんだはね返りの学生でし
た。ただ、”けち”だった故か授業にはまじめにでていました。月に一度ほど学長の講話
があり、ある時の授業が未だに心に残っています。
北国で修道女として長く女子教育を使命として生きてきた学長はこんな風にお話しされ
ました。
「皆さんはこれから社会に出ます。ある人は穏やかで幸せな人生を送るでしょう。ある人
は困難な、苦労の多い人生を送るでしょう。神様はどなたにも公平です。もし、あなたが
これから困難が多い、厳しい人生を送るとしたら、それは神様があなたにその困難を乗り
越える力を与えてくれているからなのです。もし、あなたが平穏で穏やかな人生を送ると
したら、神様はあなたにはその力がないと思っているのかもしれません。だから、これか
ら先どんな困難があるとしても、それは神様がかならずあなたに乗り越えられる力を与え
てくれているので、心配することはありません。貴女は心配せずに乗り越えることができ
るはずです。」マリアなんてと言っていた私は、そのとき何故か「ふーん」と思いまし
た。それは、世の中をこんな風に考えていくことができるという驚きでした。そして、何
故か私に困難が一杯くるようにと待ち望むような気になりました。
posted at 2012/08/12 10:35:48
lastupdate at 2012/08/12 10:35:48
【修正】