クニフロの泣ける話、感動する話まとめ
2025 / 08   «« »»
01
F
 
02
S
 
03
S
 
04
M
 
05
T
 
06
W
 
07
T
 
08
F
 
09
S
 
10
S
 
11
M
 
12
T
 
13
W
 
14
T
 
15
F
 
16
S
 
17
S
 
18
M
 
19
T
 
20
W
 
21
T
 
22
F
 
23
S
 
24
S
 
25
M
 
26
T
 
27
W
 
28
T
 
29
F
 
30
S
 
31
S
 
meaning of mark :: nothing , comment , trackback , comment and trackback
Counter
total : 1413145
yesterday : 051 / today : 032




Profile
インターネットで公開している、泣ける話、感動する話をまとめています。号泣できる話から、ほっこりと心温まる話をいろいろ集めてますので、楽しんでください。

Menu

RSS & Atom Feed
クニフロの泣ける話、感動する話まとめ
RSS1.0 / RSS2.0 / Atom0.3
残念な話
RSS1.0 / RSS2.0 / Atom0.3
悲しい話
RSS1.0 / RSS2.0 / Atom0.3
心あたたまる話
RSS1.0 / RSS2.0 / Atom0.3
感動した話
RSS1.0 / RSS2.0 / Atom0.3
泣ける話
RSS1.0 / RSS2.0 / Atom0.3

Pickup Photo!

Recent Diary

Recent TrackBack

Recent Comments
2011/01/14
何か不幸や不運に見舞われたら、誰でも世間や何かのせいにして、恨みたくなります。私とてもそうです。

金銭関係で人に騙されたこともあるし、信じていた人間に恩を仇で返すような仕打ちをされたこともあります。

そういう時、「私は悪くないのに」と責任転嫁しそうになります。でも、私はそれで終わらせない。

なぜそうなってしまったかをよく分析してみるのです。その人との出会いまでさかのぼり、関係を築く中で起こったことを思い出し考えます。そうすると気づきます。

「私に見る目がなかったんだ。対処の仕方に不味いところがあった。」って。「そうか。問題の大部分が私のせいなのだ」と気づくのです。そう思えれば、気持ちのモヤモヤは、すっかり片付くものなのです。


たとえば、上司に怒られたとします。
殆どの人が怒られたということに執着し、がっぷり受け止めてしまいます。そして恨みます。怒ります。
「なぜ怒られることになったのか」とその理由を冷静に分析しないのです。

その思考パターンがすべてに広がっていきます。人生の中で起こった原因からは目をそらし、結果ばかりクローズアップ。恨む、憎むという行為をし続けるから、みんな怨霊になる。

責任を押し付け、被害者ぶっているからいつまも辛いのです。自分が加害者であるという現実を見極めようとしないから不幸になっていくのです。


美輪明宏
posted at 2012/03/14 12:50:29
lastupdate at 2012/03/14 23:09:51
修正
comments (0) || trackback (0)
 
2011/01/04

当時、仕事を辞めたばかりで一人でフラフラしてた頃。
両親が遊びに来て、色々買ってくれた上に
家で作ってきた高野豆腐を、冷蔵庫に置いて行ってくれた。

その次の日、母は入院。
あっという間に亡くなった。
葬儀を終え自宅に戻ると、冷蔵庫にはまだ
母が作った高野豆腐があった。
大泣きしながら食った。

あれ以来、高野豆腐は食べられない。
posted at 2012/03/14 13:10:25
lastupdate at 2012/03/14 23:05:12
修正
comments (1) || trackback (0)
 
2010/12/26

<最近の娘との会話。>

★二女が庭にラムネ菓子を埋めていた。

私「なにしてんの?」。
二女「お父さんも前に埋めとったやんね。そやけん、朝顔が咲いたり、トマトが出来たっちゃろ?ラムネを埋めたらラムネの木が出来るっちゃないと?」。

★二女を連れてスーパーへ買い物に行った。

二女「お父さん、おんぶして」
私「もう4歳になったんやから、自分で歩きなさい」。
二女「お父さん、最近、運動不足やろが」。

★長女が言う。

長女「お父さんが会社に行っちょる絵を描いたとよ」。
私「どれ、見せて」。
その絵を見たが私の姿がない。
私「お母さんやみんなは描いてあるけど、お父さんは描いてないやん?」。
長女「会社に行っちょるから、おらんに決まっちょるやんね」。←なるほど。

★嫁が長女をこっぴどく叱っている。

私「キョーコがなにかしたのか?」。
嫁「私のクルマを釘みたいなもんでひっかいとるとよ!」。
私「なんでそんなことしたん?」と聞くが長女は答えない。

気になってクルマを確認しに行った。懐中電灯に照らされて浮かび上がったそれを見て言葉が詰まった。覚えたばかりのひらがなで『おかさん そだてくえて あいがとお いつもくるまにきおつけて』と書いてある。

自宅付近で死亡事故が続き、子供にも注意していた頃である。もちろんその‘落書き’を私は今も消していない。
posted at 2012/03/14 12:24:31
lastupdate at 2012/03/14 12:24:31
修正
comments (0) || trackback (0)
 
2010/12/24
670 名前:おさかなくわえた名無しさん投稿日:2006/04/19(水) 09:41:18


父が入院中の時の事

酸素マスクを着けなければいけない状況だったんだけど
少し元気になってくると、「家に帰る!」と言い出して
酸素マスクを外してベッドから起き上がろうとする。
で、母に「だめでしょ、お父さん、酸素マスク外したら
死んじゃうよ?大人しくして早く直して退院しようね」
と言われると、とりあえず大人しくなる。

でも30分ぐらいすると「家に帰る!」と、起き上がろうとする。
で、母が「だめでしょ、お父さん(ry

で、また30分ぐらいすると「家に(ry

そんなことを何回も繰り返して、母にたしなめられるたびに
(´・ω・`)な顔をしてた父に萌えてしまった。





・・・ってことを退院したらこのスレに書こうと思ってたのに
なんで死んじゃうんだよ。元気になったら一緒に
好きなカツ丼を食いに行こう、って約束したじゃないか。
父ちゃん・・・
posted at 2012/03/14 22:53:59
lastupdate at 2012/03/14 22:53:59
修正
comments (0) || trackback (0)
 
2010/12/22


493 :名前ノーブランドさん :03/11/21 06:56

俺の家は貧乏だった。運動会の日も、授業参観の日さえも
オカンは働きに行っていた、そんな家だった。

そんな俺の15歳の誕生日、オカンが嬉しそうに俺にプレゼント
を渡してくれた。ミチコロンドンのトレーナーだった。
俺はありがとうと言いつつも、恥ずかしくて着られないな、
と内心思っていた。

その夜考えていた。差し歯を入れるお金もないオカン、
美容院に行くのは最高の贅沢、手はかさかさで、化粧なんて当然
していない。こんなトレーナー買うくらいなら他の事に使えよ・・・。
そんな事を考えながら、もう何年も見ていない昔のアルバムを
見てみたくなった。若い時のオカンが写っている。

えっ!俺は目を疑った。それはまるで別人だった。綺麗に化粧をし、
健康的な肌に白い歯を覗かせながら笑っている美人のオカンがいた。
俺は涙が止まらなくなった。俺を育てる為に女を捨てたオカン。
ミチコロンドンのトレーナーを腕に抱き、その夜は眠った記憶がある。

それから少しばかり時は流れ、俺は高校卒業後の進路を考えなければ
いけない時期になっていた。大学進学はとっくに諦めていた。
学校で三者面談が行われた時、オカンが先生に向かって言った。
大学に行かせるにはいくらお金が掛かるのですか?
俺は耳を疑った。びっくりしている俺を横目に、オカンは通帳を
先生に見せて、これで行けますか?と真っ直ぐな眼で先生を見つめた。

それから俺は死に物狂いで勉強し、大学に合格することができた。
郷里を離れる際、オカンが俺に真っ赤なマフラーを渡してくれた。
学費を稼ぎながらの大学の生活は苦しくもあったが、マフラーを
見ると元気が出た。
それから時は流れ、会計士になった俺は来年の春、結婚する。
そして生活を共にする。俺と最愛の妻と最愛の母とで。
なんとしても二人を守ってみせる。
色褪せたトレーナーとほつれたマフラーを目を前にして俺はそう誓った。
サンキュー、オカン。

posted at 2012/03/14 19:13:07
lastupdate at 2012/03/14 23:09:40
修正
comments (0) || trackback (0)
 
2010/12/14

ぼくの友人が、ある女性に激しい片思いの恋をした。
結果的に実らず、今ではその彼女は東京で別の彼氏と暮らしている。
 
ところがそいつが突然会社も辞めて
生まれ育った大阪の地から東京に引っ越してしまった。

理由を聞いたところ彼はこういった。


「彼女が幸せに暮らしているならそれでいい。   
住所も知っているけど会いに行ける訳ないし絶対行かないと思う。    

東京に行くといつもこう思うんだ。

あの人が息を吐くだろ。俺が息を吸うだろ。
それはつまり一つの空気をやりとりをしてるという事なんだ。
雨がふったら同じ雨に濡れるという事なんだ。

ホテルの窓から夜景を見ると、いつも思う。

あの光のどれか一つがあの人の住んでいる家の窓の明かりだ、と。
彼女がいないということは俺が存在していないという事と同じ事なんだ。

彼女が近くにいるというだけで生きていける。
大阪にいるとね、それがないんだ。
死んでいるのと一緒なんだ。
 
だから東京に住むことに決めたんだ」


僕はこれを聞いて不覚にも落涙しそうになった。どうしようもない奴だ、と思った。そんな糞の役にも立たないセンチメンタリズムをかかえていて、どうやって生きていくつもりなのか、と腹も立った。

頭ではそう考えているのだが、身体の奥のどこか不可視の部分がざわざわと揺れ動いて共感を訴えてくるのをどうしても止めることができなかった。

らも氏のエッセイから
posted at 2012/03/14 18:32:34
lastupdate at 2012/03/14 18:32:34
修正
comments (0) || trackback (0)
 
2010/12/11
5 :大人になった名無しさん :04/02/09 18:50

小4の時の1月15日連休最初の日だっけかな?
いつものメンバー5人で俺の住んでたマンションで遊んでいた。

あん時はミニ四駆を廊下で走らせて騒いでは、管理人さんによく怒られたもんだ。俺は改造が下手でいつも遅かった。

俺はどうしても1番になりたかったからそん中のやつに改造をお願いした。休み終わったら学校に持っていくわと言われてかなり楽しみにしてた。

その休み明け、それが1月17日震災の日だった。

俺は電球の傘にぶつかって額を切ったがなんとか無事だった。
避難した公園にいつもの奴らが集まってきて4人揃ったが、後1人こない。

心配になって4人とうちの親父とでそいつの家の前に行ってみた。光景は悲惨なものだった。1階部分が見る影もなく2階しかなかった。

そいつの姉貴が2階で寝てたらしくて無事に出てきたが、ワンワン泣いていた。
「お母さん、お父さん、〇〇、何してんのよ早くねてらんと早く出てきてや。」
俺たちもその前で立ち尽くすばかりで、何もできずそれぞれ親戚の家や知り合いの家に避難することになってしまった。

そして2月に入っての新聞。
死亡者名の欄にあいつと、あいつの両親の名前が載っていた。

俺はそれを聞いて地元にいったん戻った。
2月20日の合同慰霊祭。あいつと対面したのはその日だった。
スプレー塗装が剥げてるボロボロのミニ四とメモを、やつの姉貴が渡してくれた。

メモには「ちょっとオマケでスプレーもしといたで。
これでお前もいっちょまえになれるな
次走るとき楽しみにしてるで」


「いつ走るねんや。アホが」涙で言葉はそれしかでなかった。

あれから9年、色あせてもう動くことはないだろうミニ四。
今も部屋の机の上に置いている。
posted at 2012/03/14 22:08:01
lastupdate at 2012/03/14 23:08:16
修正
comments (0) || trackback (0)
 
2010/12/05
三年前じいちゃんが死んだ。認知症+なんかの病気。
病名はおとんが教えてくれなかったし、聞くのが怖かった。

じいちゃんの認知症は突然始まった。行動言動がおかしくなった。
そこからは早かった。認知症は日に日にひどくなった。一人で何もできなくなっていた。
夜の徘徊だってあった。赤ん坊みたいに世話されてた。そこには全く知らないじいちゃんがいた。
そんなじいちゃんが怖かった。
その日からじいちゃんを避けるようになった。
結局、施設に行くことになった。うちだけじゃ手に負えなくなったんだ。

でも施設生活は長くは続かなかった。別の病気があったから。今度は病院に入院した。
他の家族はお見舞いに行っていた。でも自分は受験だから、と行かなかった。そんなの言い訳だった。
ガリガリに痩せて、家族のことも覚えていないかもしれないじいちゃんに会うのが怖かったから。
今思うと後悔してる。お見舞いに行ってあげれば良かったんだ。

それから一年ぐらいたった。その間、じいちゃんは別の病院に移った。
どうやら前の病院に遠まわしに「出ていけ」と言われたらしい。
理由は知らない。でもじいちゃんはやっかいな患者だったのかもしれない。
俺んち金持ちじゃないし、認知症に病気まであったんだから。

自分がお見舞いに行ったのは年明けの寒い冬の日だった。
母親に年明けのあいさつをしに行こう、と言われた。その時の母親の目が状況の深刻さを訴えていた。
俺は察した。じいちゃんの状態が悪かったんだ。

一年ぶりに会うじいちゃん。病室に行くと、じいちゃんは寝ていた。起きる気配はなかった。
その姿を見てびっくりした。喉に管が通ってて、顔がガリガリに痩せていて、涙が出そうだった。
それから花を花瓶に入れたり、簡単な掃除をして帰ろうとしたときだった。
じいちゃんが目を覚ました。
目を細めて俺を見ていた。もしかして、視力も落ちてほとんど見えなかったかもしれない。
俺はじいちゃんのすぐ近くに行って顔を近づけた。

そしたら、じいちゃんが笑った。満面の笑みだった。俺のことを覚えていてくれた。
一年以上会いに来なかったのに、じいちゃんは笑ってくれた。すごくうれしかった。
「また来るね」そういって俺は病室を出た。笑顔のじいちゃんを見たから少し元気がでた。

それから数日後だった。早朝、病院から呼び出された。
病院に着いた時には、じいちゃんはもう死んでいた。静かに目を閉じていた。
悲しすぎる時って涙が出ないんだ、と初めてわかった。

今でもじいちゃんの笑顔が忘れられない。
posted at 2012/03/24 14:39:07
lastupdate at 2012/03/24 14:39:07
修正
comments (0) || trackback (0)
 
2010/11/23
510 名前:大人になった名無しさん 投稿日: 2006/03/27(月)

俺の母親は、俺が2歳の時にがんで死んだそうだ。
まだ物心つく前のことだから、当時はあまり寂しいなんていう感情もあまりわかなかった。

俺が小学校に入学してすぐ、父母同伴の遠足があった。
父は仕事で忙しく、一緒に来られなかった。
一人お弁当を食べる俺を、友達のY君とそのお母さんが一緒に食べようって誘ってくれたので、寂しくもなかった。

でもなんとなく、Y君のお弁当に入っていた星形のにんじんがなぜだかとっても羨ましくなって、その日仕事から帰ったばかりの父に「僕のお弁当のにんじんも星の形がいい」ってお願いしたんだ。

当時の俺はガキなりにも母親がいないという家庭環境に気を使ったりしてて、「何でうちにはお母さんがいないの」なんてことも父には一度だって聞いたことがなかった。星の形のにんじんだって、ただ単純にかっこいいからって、羨ましかっただけだったんだ。

でも父にはそれが、母親がいない俺が一生懸命文句を言っているみたいに見えて、とても悲しかったらしい。

突然俺をかき抱いて「ごめんな、ごめんな」って言ってわんわん泣いたんだ。いつも厳しくって、何かいたずらをしようものなら遠慮なくゲンコツを落としてきた父の泣き顔を見たのはそれがはじめて。

同時に何で親父が泣いてるかわかっちゃって、俺も悲しくなって台所で男二人抱き合ってわんわん泣いた。

528 名前:大人になった名無しさん 投稿日:2006/03/27(月)

それからというもの、俺の弁当に入ってるにんじんは、ずっと星の形をしてた。高校になってもそれは続いて、いい加減恥ずかしくなってきて「もういいよ」なんて俺が言っても、
「お前だってそれを見るたび恥ずかしい過去を思い出せるだろ」って冗談めかして笑ったっけ。

そんな父も、今年結婚をした。
相手は俺が羨ましくなるくらい気立てのいい女性だ。

結婚式のスピーチの時、俺が「星の形のにんじん」の話をしたとき、親父は人前だってのに、またわんわん泣いた。

でもそんな親父よりも、再婚相手の女の人のほうがもらい泣きしてもっとわんわん泣いてたっけ。良い相手を見つけられて、ほんとうに良かったね。
心からおめでとう。そしてありがとう、お父さん。  

posted at 2012/03/14 21:41:08
lastupdate at 2012/03/14 23:01:22
修正
comments (0) || trackback (0)
 
2010/11/07
私が財布から紙幣を出していると、表のガラスドアが開いて、五、六歳くらいの
女の子が入ってきた。顔を赤くし、必死の面持ちで、
「あのう、すいません」
と言った。私の相手をしていた女性がはい、と言って女の子の方に向き直ると、
彼女は、
「あのう、チーズケーキはひとつ何円でしょうか」
と丁寧な口調で尋ねた。店員は女の子の必死の気配がおかしかったのか、
「四百三十円です」
と笑いながら応えた。女の子は漫画のついた自分のガマ口を開け、二百円、三百円・・・、
と声を出してお金を勘定していたが、
「ああ、ないー」
と悲しそうな声を出した。そして、
「どうもありがとうございましたー」
と泣きそうな顔で言うと、ガマ口も閉めず一礼してガラスドアの方へ向かって駆け出した。
すると彼女にとっては厄日だったか、ドアの前で人と衝突し、ガマ口からお金をばら撒いて
しまった。
子供にぶつかるとはなんという不注意な人間だろうと思って衝突相手を見ると、私の友人だった。
御手洗もさすがに悪いと思ったらしく、急いで屈み込むと、
「ああ、ごめんね」
と言いながら、女の子と一緒にお金を拾い集め出した。
「二百円、三百円、四百円・・・・・、あれえ、ほら、四百八十円あるじゃないか、チーズケーキが買えるよ」
と私の友人は、拾ったコインを女の子の小さな手に渡しながら言った。
「あれえ、本当だー」
と女の子は言った。
「駄目だよ、きちんと数えないと」
と、御手洗は笑いながら言った。女の子は嬉しそうにコインを握りしめ、私の横に戻ってきた。
どうやら女の子はチーズケーキを買うことができるようだった。
posted at 2012/03/23 23:45:49
lastupdate at 2012/03/23 23:45:49
修正
comments (0) || trackback (0)
 

PC用眼鏡【管理人も使ってますがマジで疲れません】 解約手数料0円【あしたでんき】 Yahoo 楽天 NTT-X Store

無料ホームページ 無料のクレジットカード 海外格安航空券 ふるさと納税 海外旅行保険が無料! 海外ホテル