クニフロの泣ける話、感動する話まとめ
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2012/11/09
508 名前:774RR[sage] 投稿日:2012/07/05(木) 21:49:42.65 ID:6eAj26SS
今日、二輪免許に合格しました。教習所に通うようになってからバイク板を覗くようになり、
受かった暁にはどこかに書きたいと思ってたので、良ければ数レス使わせて下さい。
泣けると言うより、僕が泣いてしまった話ですが。

小中高と典型的ないじめられっ子で過ごしてきて、高2の後半から登校拒否の引き籠りになりました。
それでも月数回の保健室登校や別室で試験を受けたりして、何とか高校卒業までは漕ぎ着けました。
卒業するのでやっとだったので、当然ながら受験も就職も何も対策しておらず、またそのやる気も一向に湧かず、
卒業してからはずっと部屋に引きこもってました。

両親に心配と負担をかけている事は分かってるつもりでした、しかし今まで家の外でまともな扱いを受けた事のない身としては、
これから先、もっと厳しくなる環境で自分なんかがやっていける訳がない、いじめを受ける何らかの要素をきっと自分は持っている、
でもそれが何か分からない、どうすればいいかわからない、でもこのままではどうしようもない、どうしようどうしようと毎日絶望と苦悩で一杯でした。
そんな引き籠りが1年ほど続き、僕の中で何かが吹っ切れました。もう死のうと。

自室にあった現金をかき集め、両親に何も言わず気付かれない様に、深夜に家を出ました。
ずっと歩いて歩いて、踏切で始発が動いている事に気付いて、近くの駅から電車に乗りました。
出来るだけ遠くを目指している内に、ある場所を思い出して、そこを目的地にしました。
何度か乗り換えて終点に着いた頃には、もう夕方に差し掛かってました。
駅から暫く歩き、とある岬に着きました。観光地としても自殺の名所としても割と有名で、
眼下を見下ろすと、成程これは助かるまいと冷静に納得してました。
もう少し奥が良かろうか、と思って進もうとすると、いきなり声をかけられました。
『やあ、兄さん、地元の人かい?』
振り返ると、おじさんと言うには微妙に若いおじさんがいました。
「はあ、一応県内ですが…」
『へ〜、どの辺から来たの?』
「あ、○○市の方です…」
『ふ〜ん、ごめん、俺九州の人間だからどの辺か分かんないや』
「…」


509 名前:774RR[sage] 投稿日:2012/07/05(木) 21:51:03.21 ID:6eAj26SS
聞いといてなんだそれは、と思いつつ、余り関わり合うと色々と面倒になりそうなので、それじゃ、と無視して進もうとすると、
『兄さん、生きるのは辛いかい?』
びっくりして振り返ると、
『ま、そんなカッコで一人虚ろな顔でウロウロしてるから、カマかけてみたんだが…』
むしろその予感が当たった事に驚いた風な表情でした。
この時は春先とは言えまだそこそこ寒く、GパンにTシャツの上に1枚羽織ってるだけの、
部屋からそのまま出てきた様な格好でした。まぁそのまま出てきたんですけど。

『取り敢えず、寒いだろ。コーヒーでも飲もうや』
そう言うとこちらの返事も待たずに歩き出してしまいました。こちらとしては付いていく義理はなかったんですが、
『どうした、コーヒー位おごっちゃるけん』と言われ、人と話して緊張の糸が切れたのか、それまで何とも感じてなかったのに
急に寒くなってきて、それでどういう訳かいまだに分からないけど、何故かおじさんの後に従いました。

駐車場の自販機でホットコーヒーを礼を言って受け取り、一口呷りました。じんわりと暖かかった。
『…まー、これでも色々あってね、俺もそこそこ惨めな人生歩んでるんだろうとは思うよ』
『正直、今の兄さんを止める資格はないだろうね、俺も人生に見切りをつけた時は確かにあったし』
『ここまで来たんだ、生半可な覚悟じゃないだろう。兄さんがどうしてもと言うなら、俺は力づくで止めたりはしない』
『知らぬ顔して、そのままアレで走り去るよ』
顎でしゃくった先には、真赤なバイクが止まっていた。僕は何となしに
「バイク…」
と呟いていました。
『そう、バイク。あれは良いぞ。生きるにも死ぬにも持ってこいだ』
「はぁ…」
『そういや、兄さんどうやって来たの?」
「歩きで」
『どこから?』
「駅から」
『何で?』
「それは…」
とこんな感じで、誘導尋問の様に段々と古い話までほじくり返されて、
いじめられて引き籠って進退窮まったどうしようもないクズという所まで話してしまいました。


510 名前:774RR[sage] 投稿日:2012/07/05(木) 21:52:16.68 ID:6eAj26SS
「…人から受け入れてもらえない、そんな僕がこれからどうして生きていけるのか」
『ふ〜ん。 兄さんさ、バイク乗れば?』
「は?」
『バイクはいいぞ。整備と燃料を怠らなければ、文句言わない。こんな俺でも受け入れてくれる』
『それだけじゃないぞ、俺一人じゃ行けない所まで連れてってくれる。俺はアイツを、そこらの人間以上に大事に思ってる』
「バイクをですか?」
『バイクをだよ。他人なんかクソ喰らえだ』
『受け入れられないならさ、別に良いやん。一人で上等。バイクは一人で乗るものだから、丁度良い』

この、全くの赤の他人から、何の根拠もなく、でも自信満々に「一人で上等」と言い切られた事に、僕はすごく衝撃を受けました。

『一人で生きていくのが辛いなら、難しいなら、尚の事バイクに乗れ。バイクは決して一人にしない。乗り手が見放すまで、健気に応え続けてくれるから』
『一人じゃ立てないモノ同士、仲良く支え合っていけるから』
僕は人前だと言うのにぼろぼろ泣きだしてしまっていました。
「こんな僕でも、乗れるバイクありますかね…」
『乗れるバイク、じゃない。兄さんが乗りたいバイクが、兄さんを待っているバイクが、絶対にあるもんだ』
辺りはすっかり暗くなって、僕が落ち着くまで、おじさんは近くも遠くもない所でじっと立ってるだけでした。

駅まで戻ると、幸い、まだ数本は電車が残っていました。ついて来てくれたおじさんに、お礼と質問をしました。
「他人なんかクソ喰らえなのに、どうして僕に声をかけたんですか?」
おじさんはニヤッと笑って、
『だって、兄さんはバイクに乗るんだろう?だったら、仲間だからな』
『バイクに乗ってる時は、限りなく一人だ。でも、バイクに乗ってるヤツは一人じゃない。だから、俺も一人じゃない』
「みんな仲間なんですか?」
『そこまでハッキリしたものでもないし、皆が皆、そうでもないけどね』
「バイク乗ってる人は、みんなおじさんみたいな感じなんですか?」
『さ〜、どうだろうね…。それは、これから兄さんが自分で知って、感じていく事だ』
『約束だ。免許を取って、バイクに乗れ。そしたらいつかどこかできっとまた会えるから。
バイクで動くには、日本は狭すぎる。こんだけ狭ければ、きっとどこかの道でまた会えるから』


511 名前:774RR[sage] 投稿日:2012/07/05(木) 21:54:25.65 ID:6eAj26SS
電車の到着を知らせるベルが鳴り、僕は電車に駆け込みました。おじさんはピースで見送ってくれました。
初めてもらったピースサインでした。
電車が走り出して間もなく、いつの間にかおじさんが並走してました。おじさんはいつまでも僕に向かって親指を立て続け、
僕はおじさんが見えなくなるまで、ずっと窓に額をおしつけていました。

主要駅まで戻って、家に電話したら、すごく心配したと、迎えにいくから待ってろと言われました。
家に着いて、両親にこれまでの事を謝り、バイクに乗りたいと伝えました。
二人ともびっくりしてましたが、お前がやりたい事を、満足いくまでやりなさいと言ってくれました。

教習所に通い出して、外に出る様になって、「このままどうにかなりそうかも」と思える様になりました。
学校ではあんなに辛かった周囲の視線が、そんなに感じなくなりました。言う程、人は僕を見ていないんだなって。
今は、取り敢えず大学に行ってみようと、1年遅れで勉強してます。

書きやすいよう、読みやすいように補足入れたりしてますが、概ねこんな流れでした。
自分の外に出したことで、少しすっきりしたような感じがします。
まだ肝心のバイクを買ってないのですが、取り敢えずその資格を満たしたと言う事で、
これで僕もおじさんの仲間入り出来たのかなと思ってます。
おじさんはこうも言ってました。『風を切って、風になって、初めて見えてくるものもある』と。
早く相棒を見つけて、僕もおじさんや皆さんと同じものを見たいと思っています。

結構使ってしまいました。長々とすいません。


512 名前:774RR[sage] 投稿日:2012/07/05(木) 22:35:27.41 ID:paF/dJ5R
>>508
免許取得おめでとう!
勇気を出して起こした行動には絶対に良い事があるよ
バイクは本当にいいよ
でも事故にだけは気をつけてな
posted at 2012/11/09 0:18:21
lastupdate at 2012/11/09 0:18:21
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2012/11/06
http://takeshima.2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1236747665/




9 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/03/11(水) 14:14:46.75 ID:tElWXHQI0

うちの娘も一人っ子。
いろんな人から「一人っ子は可愛そうよ,もっと生めば?」とはいわれる。
でも娘が3歳のとき、よかれと思って受けさせたおたふく風邪の予防接種の
副作用で髄膜炎にさせてしまった時、41度の高熱に苦しむ娘をみながら,神に祈った。
「私の生涯、子供はこの子一人で良いからどうかこの子を助けてください」と。

ちょっと育児失敗したかなあ。他の子供はもうこういうことができるのに。とか
思い通りに育たない娘をみて、次の子が生まれたらこうやって育てようなど考えてた
直後の発病だった。
罰があたって、この子を失うかもしれないという不安でいっぱいで
「とにかく命だけは助けて」と祈る毎日だった。
無事熱も下がり、恐れていた後遺症もなく元気で退院してからはしばらく
夜抱いて寝ていたものだ。思った通りに育たなくても、他の子ができることが
できなくても大切な可愛い我が子。
あの時祈った言葉に嘘はない。今目の前にいる娘がすくすく育ってくれるのが
一番幸せ。
神様との約束がずっと守られているから一人っ子のままなのだと思っている。
この話をするとたいていの人は黙る。
posted at 2012/11/06 0:01:41
lastupdate at 2012/11/06 0:01:41
修正
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私の担任の先生が、実際に体験した話です。
 先生が前いた学校で、1人の男子生徒いました。
その子は、1年の1学期までは普通の子だったのに、2学期からは、突然、髪を染め、長
い学ランを着、学ランの内ポケットに、ベビースターやMDプレーヤーをいれ、授業中には
それで音楽をきく…というようなことになってしまったのです。しかも、授業も長く居て
5分。学校側も困ってしまいました。
 しかし、学校は、その子が授業に出る時間が伸びるように努力する方針にしました。
 そして、努力のせいか、その子が授業に出る時間は増えていったのです。ノートも教科
書も持ってきていませんが、その子が授業に出る時間は着実に増えていったのです。
 ある日のことです。私の担任の先生は、その子のクラスの受け持ちになりました。
 先生はちょっと嫌でしたが、授業を行います。すると、その子は先生を呼ぶと言いまし
た。
「俺にも問題解かせろ。」
先生は、その子に1歩進んだ問題を解かせました。
すると次の時間、先生がその問題の答えを生徒に前に出て解かせようとしたとき、その子
はすっと前に出て問題を解いて、教室を出て行きました。
 次の授業でもその子は問題の解き方を習い、みんなの前で解きました。みんなはその子
に感心しました。
 しかし、その次の授業でそれは起こったのです。
 その子は、いつもの通り、先生に問題を解かせてもらいました。それは、円柱の描き方
でした。それをその子はみんなの前で解きました。不恰好な円柱でしたが、みんなはその
子に感心しました。―やれば出来るじゃないか…―と、次の瞬間、クラスで頭のいい人が
言いました。
「俺なんてもっと凄いの描けるぞ。」
…そして、その子はもう2度と授業に出ませんでした。
 先生は私たちに言いました。
「確かにそいつの描いた立体は凄いよ。点線もしっかりしてるし円柱なんかよりも難しい図形を描いた。
 だけど、俺はその立体よりも、不恰好な円柱のほうがずっと綺麗に見えた。」
posted at 2012/11/06 0:01:41
lastupdate at 2012/11/06 0:01:41
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2012/11/05
あたしが小学校5年の時にひぃじいちゃんが亡くなった。
小さい頃からアタシと弟を可愛いがってくれた。ひぃじいちゃんは昔戦争に行った事があ
り、その時の話しをょく聞かせてくれた。ひぃじいちゃんが病気になり入院する事になっ
た、お見舞いに行くと、40度以上熱があるのに、いつも起き上がってニコニコ笑って迎えてくれ
た。だからひぃじいちゃんは元気なんだと思ってた、その時わひぃじいちゃんの病気が深
刻になってる事に気付かなかった…。ある日いつもの用にお見舞いに行き元気そうなひぃ
じいちゃんを見て家に帰ってきました、それが元気なひぃじいちゃんを見た最後でした
…。次の日に電話があり、容態が急変したと。お母さんと病院に行くといつもニコニコしてい
るひぃじいちゃんわいなかった、意識はほとんどなく、自分で呼吸する事も出来なくなっ
ていた。おばぁちゃんが「手を握ってあげて」と言ったのでアタシはひぃじいちゃんの手を
握ってぁげた。するとおばぁちゃんが「さっちゃんだょわかったら手を握ってぁげて」と
ひぃじいちゃんに言った、ひぃじいちゃんわ弱々しくアタシの手を握ってくれた。それから
何日かしてひぃじいちゃんは亡くなった。今でもひぃじぃちゃんが手を握ってくれた感触を忘れません。
posted at 2012/11/05 0:09:17
lastupdate at 2012/11/05 0:09:17
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2012/11/03
私が高校一年の時の話です。親が共働きで、家に帰ってくるまで、祖父と私だけでした。
昔はよく話したり祖父とはしてたんですが、高校になってから、ほとんど口も聞かない
し、たまにはささいな事で喧嘩までしていました。      あるとき、広告のチラシ
を見ていて、とてもかわいい時計を見つけました。買うにも値段が高いし、親に頼んでも
もちろん無理でした。           それから何日かして、学校から帰ってきた
私を祖父が呼び止めて、綺麗に包装してある箱をくれました。開けてみると、そこには時
計がはいっていました。そのときくれた時計は、ほしかったのとは全然違うし、若い子が
つけるものじゃありませんでした。祖父は  「時計欲しいいいよったけん、買ったんや
けどな」と言いました。      それから半年もせず、祖父は亡くなりました。  
 おじいちゃん、喧嘩ばっかりして嫌な事ゆーたりもしてごめんね!あの時計の時から七年たつけど、いつもそばに置いてるよ。
posted at 2012/11/03 0:00:37
lastupdate at 2012/11/03 0:00:37
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2012/11/01
大好きなお婆ちゃん。まさおは親と連絡を取って無かったからお婆ちゃんが入院してたの
も知らなかったんだけどやっと連絡を取るようになってお見舞いに行ったよね。もうその
時にはお家に帰って来れないまでに病気が進んでたんだね。病室で見た時本当はすごく辛
かったんだよ。小さい時にまさおの面倒を見てくれて何をするにでも優しかったお婆ちゃ
ん。本当はもっと早く会いたかったんだけどまさおの我儘でなかなか親と連絡を取れなく
てごめんなさい。面会もいっぱい行けなくてごめんね。去年の12月9日にお爺ちゃんの
所に行ったよね。淋しかったんだろうね。お母さんから電話が有って「お婆ちゃんもう駄
目みたいだからすぐ病院にきて」って言われた時まさかって気持ちでいっぱいだったよ。
まさおが病院に着くまで頑張ってくれてありがとう。お婆ちゃんとの最後の日は取り乱し
ちゃってごめんなさい。今は親とも仲良くやってるからお婆ちゃんは心配しないで見守っててね。
posted at 2012/11/01 0:03:50
lastupdate at 2012/11/01 0:03:50
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2012/10/27
私の母は昔から体が弱くて、それが理由かは知らないが、母の作る弁当はお世辞にも華やかとは言えないほど質素で見映えの悪い物ばかりだった。

友達に見られるのが恥ずかしくて、毎日食堂へ行き、お弁当はゴミ箱へ捨てていた。

ある朝母が嬉しそうに「今日は〇〇の大好きな海老入れといたよ」と私に言ってきた。
私は生返事でそのまま学校へ行き、こっそり中身を確認した。

すると確かに海老が入っていたが殻剥きもめちゃくちゃだし、彩りも悪いし、とても食べられなかった。
家に帰ると母は私に「今日の弁当美味しかった?」としつこく尋ねてきた。

私はその時イライラしていたし、いつもの母の弁当に対する鬱憤も溜っていたので「うるさいな!あんな汚い弁当捨てたよ!もう作らなくていいから」とついきつく言ってしまった。

母は悲しそうに「気付かなくてごめんね…」と言いそれから弁当を作らなくなった。

それから半年後、母は死んだ。私の知らない病気だった。

母の遺品を整理していたら、日記が出てきた。
中を見ると弁当のことばかり書いていた。

「手の震えが止まらず上手く卵が焼けない」 日記はあの日で終わっていた。

後悔で涙がこぼれた。

お母さん かあちゃん カーチャン
posted at 2012/10/27 0:01:54
lastupdate at 2012/10/27 0:01:54
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2012/10/15
「父親との出会い」というのも変な話ですが、私の中ではとても大きな存在なのです。

5年生になったばかりのある日、私は本屋に連れて行ってもらいました。そこで見つけた問題集。私は欲しくなりました。勉強が好きだったわけではありませんが、ちょうど大学入試を控えた姉がいた影響だろうと思います。「ねえ、これ買ってよ。」と父に頼みました。父は、「これはけっこう難しい問題集だぞ。ちゃんとできるか?」と言いましたが、とにかくそれが欲しかった私は「1日1ページすれば楽にできる。」と言って買ってもらいました。

それから2週間ほどたったある日のことです。私は遊び疲れて、その問題集もせずに寝ていました。「明日まとめてすればいいや。」と考えていたのです。

その晩遅くに、父は帰ってきました。そして、テーブルの上にあった問題集を見て、その日の分が終わっていないのを確認するやいなや、私をたたき起こしました。「今日の分はどうした!今からやれ!」と。私は半分寝ぼけていましたが、言い訳できませんでした。言い訳の通じる父ではなかったからです。

私は、半泣きの状態で問題を解き始めました。運悪く、その日のページは「まとめ」のページで、どこそこの入試問題やら難問やらが並んでいました。しかも、父はどっしりと私の前に座っています。どうしても解けない問題があり、私は観念して父の顔を恐る恐る見上げました

ところが父は「なかなかできとるなあ。その難しい問題はな…」と言いながらていねいに教えてくれました。なぜだかわからないけれど、すごくよくわかりました。厳しさの中に、優しさがありました。断っておきますが、父は決して教育パパではありませんでした。ただ、「自分の言葉に責任をもて」と言いたかったんだろうと思います。「(男が)言い訳なんかするな」という言葉を、それまでにもよく聞きましたから。

父はよくキャッチボールの相手もしてくれました。やはり5年生の頃、「おい、あいつの球、すごく速くなったぞ。手が痛くてかなわん。」というようなことを、私にではなく、母によく言っていたようです。今にして思えば、どうして直接私に言ってくれなかったのだろうと思いますが、父親ってものは、どうもそんなところがあるようです。

父は、その年(5年生)の10月に、あっけなく他界しました。今でも時々、問題集と格闘していたあの日のことを思い出します。また、「父と酒を飲んでみたかったなあ。」とも思います。でもそれは、言ってもしかたのないことです。今は、我が子供たちのためにも、1日でも長生きしたいと思っています。
posted at 2012/10/15 0:01:32
lastupdate at 2012/10/15 0:01:32
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2012/10/13
これはほんまの実話です。彼女がレイプされました。これを聞いたとき気がおかしくなり
そうでした……。彼女は泣きながら僕に抱きつき必死にあやまっていました。なんで○○
(彼女の名前)があやまるねん……付き合ったときから彼女をまもるってきめてたのに。
体が弱くてすぐ熱だしたりして、会いにいったらすっごい元気なふりして……レイプされ
てからあんまり笑わなくなった。抱き締めた彼女の体に残ったアザが悲しくて、泣き付い
てる彼女にかける言葉がみつけられんくて、抱き締めるしかなかった。……うらんだ。こ
んなにキレイな子を……なんで……。だれでもよかったんかな?夜とかわざとぶつかって
絡んできたやつボコボコにして……残ったのは何にもない。
そんなことやってたら、親友が彼女に言って、彼女に大分おこられた。また私をまもって
よ。って言われた。いったい何やってたんやろ。自分の間違いを一瞬で気付かせてくれ
た。
僕がしたいことは犯人ぼこることでもないし、いい大学いくことでもない。
彼女を幸せにしていこう!!!いつかいやなこと全部忘れさせてあげるからなぁ!!
大事な人。いる人は頑張って幸せにしましょーね!
posted at 2012/10/13 0:43:20
lastupdate at 2012/10/13 0:43:20
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2012/10/09
付き合ってた彼氏は、家に遊びに行った時に1回だけホットケーキを作ってくれた事が
ある。弱火でじっくり焼くだとか、焦げ目がつくまで焼くだとか、細かいトコまでこだ
わってた。そのホットケーキは今まで食べたホットケーキの中で1番おいしかった。で
も、もうあのホットケーキは食べれないんだと思うと涙が出てくる。もう食べる事はない
けど、あのホットケーキの味は忘れないよ。
posted at 2012/10/09 0:12:13
lastupdate at 2012/10/09 0:12:13
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