クニフロの泣ける話、感動する話まとめ
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2012/04/30
飲み物の思い出になるんですが。
中学2年の時、遅い初恋をしました。相手の彼は目立たないけど
優しくて努力家な人で、本当に好きでした。
何も言えないまま中学を卒業し、別の高校に進学しました。
離れてしまえば忘れるかと思ったのですが、忘れるどころか
好きで会いたくてしかたなくて、思いきり告白しました。
「つきあって下さい」という私の言葉に、笑って「いいよ」。
初めてのデートはふたりで映画を見に行き、映画を見終わってから、
私は初めてつきあうからか何も話せず、彼は無口な人だったので、
お互い無言で歩き続けました。
ようやく話せた言葉は、「お腹空いたね。」
目についたロッテリアに入り、私はハンバーガーとアイスコーヒー
を注文したのですが、何故かこの時、コーヒーをブラックで飲む
のは可愛くないと思いました。甘いコーヒーは嫌いだったのに、
彼に可愛く思われたいあまり、無理してガムシロップとミルクを入れ、
飲んでいると、彼から「ごめん、やっぱりつきあえない」。
「分かった」と言うのが精一杯で、あとは甘くてまずいアイスコーヒー
を飲んでいました。
あれから6年、今は好きな人の前でもブラックのコーヒーを平気で
がばがば飲んでます。今度のデートでは、甘いコーヒーを
飲んでみようかな〜、なんてな。
posted at 2012/04/30 0:04:54
lastupdate at 2012/04/30 0:04:54
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感動とか言うよりも、未だに思い出す度に
後悔の気持ちでいっぱいになって自分自身が泣けてくる話を一つ…。
多分と〜っても長いです。
長文苦手な方は読み飛ばしてくださいね。

私がまだ小学2年の頃、継母が父の後妻として一緒に住むことになった。
特に苛められたとかそういうことはなかったんだけど、 なんだか馴染めなくて、いつまで経っても「お母さん」と呼べないでいた。
そんなぎくしゃくした関係だったけど、
継母が私のために一生懸命だったことはよくわかってた。

小学校4年になった夏休み、  
私は継母の提案で二人で川に遊びに行くことになった。
あんまり気が進まなかったけど、 断る理由もなく言われるままにしぶしぶついていった。
現地に着くやいなや、私は継母のことを放ったらかしで川に浸かって遊んだ。
しばらく水と戯れてた時、急に深みにはまって溺れて息が出来なくなった。
すごく苦しかった。
でもそのうち喉の奥が「クッ、クッ」と鳴ってだんだん苦しくなくなってきて、意識が飛んだ。

やばい、また涙が出てきた。
でも、今の自分を客観的に見るためにも頑張って続きを書きます。

気が付くと、私は病院のベッドで寝ていた。
一時心臓が止まって危なかったんだよと涙ぐんだ父が言ってた。
ベッドの傍に、継母はいなかった。私は父に「あの人は?」と訊いた。
父は一呼吸置いてゆっくりとした口調で教えてくれた。
私が溺れた時に継母が服のまま飛び込んで私を助けてくれ、
そのまま力尽きて下流まで流された。
その後救助されたものの、今も意識が戻らないのだ、と。

私は次の日に継母のいる病室に行った。
継母は機械に囲まれて、いっぱい管をつけられていた。
彼女は、そのまま我が家に戻ってくることなく…。

葬儀が終わって母の遺品を整理してたら、鍵のついた日記が出てきた。
私は父と一緒になんとか鍵を探し当てて、日記を読んだ。
そこには私との関係に悩む継母の苦悩など、私のことばかり書いてあった。
ずっと読み進めていくと最後のほうの日記に
「ちょっとはにかみ屋さんだけどとてもいい子。
あの子なら、命かけてでも守れる自身がある。
○○ちゃんを私に託してくれた△△(実母の名前)さん、本当にありがとうございます。」

継母は、あの日記を書いた数日後に命と引き換えに私を守ってくれた。
いつだってとても優しい目で私を見てくれていた。
いつも私の目線と同じ高さになるように中腰になって話し掛けてくれた。
そんな気持ちはちゃんと伝わってきてたのに私はあの人に何一つしなかった。
愛情をもらいっぱなしでそれに答えなかった。
私は愛情どころかあの人の命まで奪ってしまった。

日記を読んではじめて、私は「お母さん!」と大声で叫びながら、
声が出なくなるまでごめんね、ごめんね、と言って泣いた。
ぐしゃぐしゃになって泣いても、後悔ばかりで気持ちは晴れなかった。

年月が過ぎても、私は未だに「母」に対して申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
数十年経った今でも夏になるたびに思い出す。
posted at 2012/04/30 0:04:54
lastupdate at 2012/04/30 0:04:54
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2012/04/28
昔、よく通っていた定食屋さん。
中華も洋食も和食も美味い。家族四人で行ってしこたま食って
5000円程度。そしてそこでいつも頼むのが、餃子。
タレも絶品で、あれほど美味い餃子は食ったことがなかった。
ほかにも、ラーメンもうまいし、オムライス、カツ丼、野菜炒め、
洋風カツレツ、などなど、なかでも一番美味かったのが特大エビフライ。
毎週行くのが楽しみだった。
しかし、そのお店が借地だったために地主から立ち退きを要求されて
お店は閉店。10年近く通ったお店がなくなってしまい、とても
悲しかった。後にはどうでもいいような外車の展示場になってしまった。
その後何年かして、お店をやっていた奥さんがとあるところの事務をやっている
と聞き、尋ねていって挨拶がてら、お菓子を渡して帰った。
すると、ご主人がわざわざ餃子の具と皮とタレをたくさん持ってきて
くれた。家族でその具を使って餃子を焼いた。
不恰好だったけれど、あのときの美味しい餃子の味がした。
とっても美味しかったです。
posted at 2012/04/28 0:01:55
lastupdate at 2012/04/28 0:01:55
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前に付き合っていた彼氏の家で彼の好きなサンマを焼いた。
私は他の料理も作っていたので彼が先にサンマを食べ出した。
「おいしい、おいしい」と彼は言っていたけど、
私が口をつけたとき、そのサンマは生焼けだった事に気づいた。
彼に対する申し訳なさ、恥かしさから私は逆ギレし、
「なによ、まずかったら正直に言ってよーーー」と皿に乗っていた
サンマをそのまま生ゴミ入れにぶち込んでしまった。
振り返ったときに見た彼の悲しそうな顔が頭に焼き付いて、
あの時以来、サンマを焼く事が出来ないでいる。
本当にあの時はごめんなさい。
posted at 2012/04/28 0:01:55
lastupdate at 2012/04/28 0:01:55
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2012/04/27
彼女と付合う前に二人で行ったサティ。
ここで初めて食べたたこ焼き屋の「銀ダコ」
開店直後で一杯行列が出来ていた。
二人でずっと並んで他愛も無い話を続けて。
ようやく順番が来て車に持ちかえって食べた。

空腹は最大の調味料。
とっても美味しかったのを覚えてる。
その彼女とその後半年付合った後に別れた。
もう何週間も前の話。

今日会社の休日出勤の為に出社した。
途中、休日出勤用の昼飯を買う為に近所のサティでお買い物。
入って入り口すぐそばに「銀ダコ」のお店。
行列は出来ていない。
何の気無しに1個買って会社で食べた。

あの日と同じ味がした。
急に記憶が、一杯の思い出が戻ってきた。
無人の会社でポロポロ泣けてきた。
全部食べられなかった。
posted at 2012/04/27 0:06:27
lastupdate at 2012/04/27 0:06:27
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2012/04/25
おととしの、秋の話しです。
私が小学校5年の時に家をでて、居場所のわからなかった母に、
祖母の葬式の時、23年振りで、顔をあわせました。
その時、母の家に遊びに行く約束をしました。

その日は、私が料理を作りました。
ハンバーグと肉じゃがと、簡単なサラダです。
2人で食事をして、お酒を飲んで、
はじめはあたりさわりのない話しをしてましたが、
だんだん、「何故いなくなったのか?」という話しになりました。
母はたんたんと話します。
私も、母がつらくならないように、途中、冗談を入れながら、
聞きました。

帰る時、「今日はおかあちゃん、なんもできひんかってごめんな。」と、
言ったので、私は「ほな、残ったごはんで、おにぎり作って」と言いました。
母は、「そんなんで、ええんか」と笑いながら作ってくれました。

帰り、駅からタクシーに乗りました。
今日のことを思い出しているうちに、不覚にも涙がててきました。
運転手さんがびっくりして、「気分悪いんか?」と
聞かはりました。私は、
「いえ、なんか、嬉しくって、泣けてきちゃったんです」と、
泣き笑いしながら、運転手さんに、今日の事を短く話しました。
すると、運転手さんも一緒に泣き出してしまいました。
「よかったな、よかったな」と鼻水まですすってました。

家に持って帰ってきたおにぎりは、冷凍庫にいれて、
元気のない日に、1コづつ、大事に大事に、食べました。
posted at 2012/04/25 0:00:46
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俺は3人兄弟の長男。
俺が21のとき一番下は16高校1年だった。

俺は仕事のため実家を離れて一人暮らし。
父は実家から車で2時間のところへ半単身赴任。
半と言うのは母方の祖母の家(名義は父親)に住んでいたからだ。

いずれ父の単身赴任先へ引っ越すことが決まっていた。
1番下の弟は父の住んでいる家から徒歩3分のところにある父方の祖父母の家に居候。
父方の祖父は厳しい人間で、些細なことに対しても怒鳴り散らしていた。
弟は高校1年という若さで円形脱毛症が出来てしまった・・・。

ストレスのせいか弟は激やせ激ぶとりを繰り返していた。

そして1年後・・・
実家が引越しをし1年ぶりに食卓を囲むことが出来た。
そのとき母親が弟に・・・
母「すしでも作ろうか?」
弟「いや鍋がいい・・・」
母「???」
弟「だって、すしは一人一人が食べるもんだろ。鍋ならみんなで食べるから。」

俺がその話を聞いたのは、それから半年たったときだった。
母は笑い話(?)としてはなしてくれたのだが、
俺は心が痛んでしまった・・・兄貴として何にも出来なかった。

今でも鍋を食べるとその話を思い出す。
一緒に食べている人には悪いと思うが、
俺が鍋を食べるときに、無愛想なのはそのせいだ。
posted at 2012/04/25 0:00:46
lastupdate at 2012/04/25 0:00:46
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おばあちゃんの話を見て思い出しました。
私には兄がいて、兄はおばあちゃんがつくるクリームシチューが大好きでした。
ホワイトソースも自分で作る本格的なもの。
実は私はそのおばあちゃんが苦手で、初孫だからといつも兄ばかりひいきして…
と、すこしひねくれていたんです。実際、私がきらいなものも食卓に
だしたりして、大泣きしたこともあったくらいで…。
そのおばあちゃんがなくなった時、涙もでませんでした。
嫌いというより苦手だったので、近寄りにくかったせいもあるんですが。

先日、自分でホワイトソースを作ってシチューを作ってみたのですが
なかなかおばあちゃんが作ってくれたような味にはならない。
結局、あまりまんぞくしないままそれを食べたのですが、こんなことなら
作り方を聞いておけば良かったと思いました。

今思えば、好き嫌いが激しかった私の為に、いろいろ作ってくれた
おばあちゃんの事を思い出し、当時の自分の行動を恥じました。
このスレッドを見て、おばあちゃんがなくなってから初めて泣きました。
今度、墓参りに行こうと思いました。
posted at 2012/04/25 0:00:46
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つぶ貝の串焼き

彼氏が中古だけど車を買ったので、ドライブで海に行こう!
という事になりました。
車の中で食べようと、浜辺でつぶ貝の醤油たれの串焼きを買って
隣で彼氏が運転して、私は串焼きを食べていました。
串焼きはおいしくて夢中で食べてたら、片手でもっていたスチロール
のトレイが傾いて、座っているシートにもちょっとタレがこぼれて
しまいました。
しまった!と思いあわててウェットティッシュでふいても
染みは取れません。車内に甘辛いたれの匂いが広まっていって、
彼に申し訳なくて半泣き状態で謝ったら、突然彼は運転しながら
大笑いしはじめました。
「夢中で食べているから、いつかこぼすと思っていたんだよ」
「だったら、一言言ってくれれば良かったのに」
「車は中古なんだから別に気にしなくていいよ。
おいしそうに食べているから、邪魔したくなかったんだよ。」

うれしくて、申し訳なくて、心の中がじわーんと暖かくなったのを
覚えています。
posted at 2012/04/25 0:00:46
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2012/04/24
メバルの煮付け

似たような思い出が私にもあります。
今から3年前。脱サラしたのはいいけど、そのころは、公私共に
中々思うように行かず、いつもイライラしてました。
その頃同棲していた彼女が作ってくれたのが「メバルの煮付け」(私のとこの名物です。)
ついこの前まで学生だった彼女が作ってくれたそれは、半生状態で
生臭くて、小骨が取れなくて結局大喧嘩!彼女は怒って捨ててしまいました。
歳の離れた彼女なのに、そのころはやさしくしてあげる余裕も無かったんですね。

結局、私の気性の激しさと仕事の不安定さで1年前に別れたんですが
今になって思うのは、なぜもっと優しくしてあげれなかったのだろう?
なぜ、もっと大切にしてあげれなかったのだろう?って想いです。
今でも彼女とはたま〜〜ぁに連絡を取り合いますが
「もう、2度と煮付けは作らない!」って怒られてます。(笑)

次に付き合う子は私の年齢的にも、女房にする子だと思いますが
今度、そんなことがあったら 鮎の塩焼き みたいに頭からボリボリ
食べて、美味しかったよ!ってニッコリと笑えるようにしてやろうと思ってます。

本当に大切なものが無くなってから気づくなんて、、。
「一期一会」じゃないけど一緒にいたその一瞬を大切に出来なかった
ことに後から後悔するなんてなんて、、。
posted at 2012/04/24 0:00:38
lastupdate at 2012/04/24 0:00:38
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